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第十三話

「こちらに不足しているのは情報です。弁明も何も、わからなければ判断しかねます」

 声とともに吐く息は白く、頬を撫でる風は冷たい。トレンチコートでちょうどよいと思って着用してきたが、久方ぶりに立った故郷は、想定よりずっと寒かった。

「ありがとうございます。では、事の経緯からお話しいたしましょう」

 ベージュのトレンチコートにニット、スリムパンツにスニーカーの装いが、わたしのスタンダード。この生活感溢れる格好が、最もリラックスしていられるし、帰郷するに派手でなく、最も適している。ダサくても流行に乗っていなくても、町に溶け込んでいられるのはこういう装いだ。

 就活生くんのようなリクルートスーツは、珍しいくらいにしか思われないだろうが、やはり違和感は拭えない。堅苦しいスーツを着込んでしまっては、悪徳デベロッパーにしかみえないのが、田舎というものだ。

「もうすでにご確認していただけていると思いますが、お客様宛のメッセージを消去してしまわれたのなら、今一度私から説明させていただきたいのですが。よろしいでしょうか」

「いいえ。二通のメッセージはすでに確認していますし、保管しています。しかし、重要要綱と思われるサービス自体の情報が秘匿されておりましたから、こちらとしても返答するしない以前に、全容を説明していただけないことには、なんとも言えないです」

 電話口の優しい声の男性は、沈黙を作り出し、わたしがどうするべきかについての指示をくれない。後ろをふと振り返ると、視線を外した就活生くんと紐付き封筒。それからわたしの赤いキャリーバック。タイヤもそろそろ交換しなければならないなーっと思いつつ、また視線を前方へと向け、意識を耳に向けた。

「ああ、ええと。弊社のサービスについてのご説明がなされていませんでしょうか」

 確認の意味もあるのだろう。わたしは肯定し、男性からの返答を待った。

「誠に申し訳ございません。ただいま上司に問い合わせますので、お待ちいただいてもよろしいですか」

 とても申し訳なさそうに声を絞る男性を、止めることはできない。これだけの誠意があるのなら、有事に備えてもいいという気持ちにしてくれる。騙されているような屈辱はなく、利益になる対人関係だなと思える。ビジネスパートナーであり、いい話相手であり、有事に際には活躍してくれる保険と思える。

「ええ、構いません。一度代わります」

 立ち止まって就活生くんの方を向き、霧雨で少し湿った封筒とスマホを交換する。キャリーバックは、まだ持っていてくれた方が自然だろう。

「ええ、ああ、はい」

 代わっても返す言葉は単調なものばかりで、声量以外の変化は見受けられない。最低限声を出すように上司に矯正されたのか、自発的にそうするようにしているのか、ともかくわたしに向けて話すときと違うことが、一抹の気持ち悪いさを感じさせている。

「はい。わかりました」

 そう言葉を残すと、スマホを耳元から外し、わたしに向き直って、おどおどしながら話し出した。

「十分程度か、かかるそうです」

「わかりました。実家がすぐそばにあります。そちらで待つとしましょう」

 もともとこうなるのなら、カフェで済ませてもよかったのだが、今からではもう遅い。では無料でインスタントコーヒーを飲める実家で対処するのが適切だが、危ぶまれるのは、両親が抱くであろうあらぬ誤解だ。男を連れてきたと勘違いされてしまうに決まっている。そうでなくとも不審に思うのは確実だ。

「ただし、行動は慎んでください。それと、あなたはあまり発言せず、そのままでいてください。両親と接触しないようこちらも最善を尽くしますが、それでも有事に備えていてください。わかりましたか」

「はい」

 就活生くんの返事は、これまでのものよりも落ち着きが見られ、わたしの誠意が伝わったのだと推察する。ともかく、指示に従ってくれるのなら、こちらとしてもありがたかった。

 旧宿場町を抜け、旧街道沿いから外れると、田んぼがどこまでも続く平野に出る。寒風がショートボブのわたしの髪を乱し、霧雨は風のままに乱れ降る。

 全国屈指の米所がわたしの故郷。

 故郷の米は生育に適した環境のものや、品種改良にて独特の寒さに適応したものなど、多種多様であるが、やはりご近所さんが作る米というのは、どんな品種のものでも特別であり、わたしをぶくぶく肥えさせた主犯格である。

 上京したてのときはまだよかったが、だんだん都会に馴染んでくると、あれだけ胃袋に入った米が入らなくなる。どでかいストレスを溜め込んできた弊害だ。ただ単に老化で食欲が低下しただけなのかもしれないが、そちらの方が激やせの理由として見栄えよし。

 農業を営んでいるご近所さんの角曲がって、実家までの一本道を行く。両手には田んぼ。奥には竹林と標高二百メートルちょっとの山。そして遠く聳えるは越後山脈。

「大きい」

 就活生くんの漏らす言葉にわたしは反応しない。なぜならそれが嫌だから。大地主の娘というレッテルがどうしようもなく鬱陶しかったから。

 ご先祖様が戦乱の世にて、大出世した功績は讃えたいけれど、まさか徳川幕府が打倒され、明治・昭和を挟んでこのようになるとは思わなかっただろう。生涯をかけて得たものが、一人娘のわたしに忌み嫌われる汚点になるとは、誰も。あの両親でさえも。

 屋敷(実家を紹介した過去の人々はみんなそういうから、わたしもそうして呼称する)は、塀に囲まれ、蔵もあるにはあるが、どちらも両親だけで手入れするには限界がある。だから衣替えの時期には、地元の左官やらに委託して、保全に努めているのだが、今はまだそれらが行われている気配はない。

 それならスムーズに事が運ぶだろう。

 少し前なら稲刈りの時期で、わたしの家が取り仕切ることになる行事も多くなるし、少し先に行くと年末まであっという間。神事が重なり、多方面からの対応やらで忙しい日々がやってきたと思えば、挨拶回りで疲れ果てる年末年始の始まり。

 この時期がちょうど良い。久方ぶりの帰郷は、そういう意図があって行われていたりする。が、そう上手くいかないのが、長年帰郷しなかったバチなのかもしれない。

 本来はこのような形ではなく、炬燵でいつまでもみかんをつまんでいる怠惰な時間を想定していたはずなのに、不必要な荷物持ちを連れている有様だ。

 事実として地主の一人娘としての世間体は気になるし、どこの馬の骨かもわからない男を家に上げれば、正体を知ろうとする。大地主の格式と周囲を先導する風格を持ち合わせていなければ、先祖代々のお勤めは全うできない。両親にも両親の事情があるし、それらを否定する気にはなれない。

 なぜならわたしは、もう当主の後継者として脱落したから。従兄弟がこの地を治める次の当主となる事が、数十年前に決まったから。親族はすべて暗黙の了解として認識しているから。

 口にしてもいいのなら、わたしには関係のないことだから。

 門をくぐり、鍵のかかっていない引き戸を開ける。実家の匂いがふわっと香り、変わらない玄関の光景が懐かしみを与えてくれる。

 そして、久しぶりの母親の足音も、わたしの感性に刺激を与えてくれる。身長の低い母の歩行は、高身長の父と区別がつきやすく、特殊技能と謳うには大げさすぎるほど、簡単に判別がつく。

「ただいま」

 わたしの言葉に母は優しく、おかえりと、言葉をかけてくれる。そして、後ろの就活生くんを怪訝そうに見やる様子は、おそらく就活生くんがカフェで見たわたしの表情とそっくりだっただろう。昔から言われる。わたしは母似なのだ。

「そこで会った知り合いなの。応接間を借りていい?」

 いいけれど、と母は言葉をかける。けれど、なんだろうか。やっぱり見ず知らずの人間を家に入れるのは、抵抗感を抱くだろうか。あれだけの人を家に呼んで宴会を開くというのに。新年の挨拶には覚えきれないくらいの親戚が集まるというのに。地主たるもの敵は排除し、味方は大切に扱えと。やはりそのような過激な思想ではなければ、何百年もこの土地を護ってはこれなかったのだろうか。

「おもてなしするようなものは何も」

 さすがにお客様の前では、そのようなことは口が裂けても言えないのだろうか。

 それとも、わたしがもっとうまくやれていたら、このようなことにはならなかっただろうか。今日のような曇り空の、暗がりの玄関でなければ、わたしとあの人は、違った運命を辿れていたのだろうか。

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