第十一話
暖かいカフェで飲むブラックコーヒーの味は、いつもと変わらない。
じゃあ、いつ変わるのかについて、わたしが知りたがっていることは確かだが、術を知らなければ、考える気などすぐさま失せる。
旧街道沿いのカフェは、色々と充実していた。
旧宿場町にあるとは思えない綺麗な内装で、わたしのような女性のお一人様も入りやすい雰囲気を有している。ブラックコーヒーと抹茶のケーキを注文し、ゆったりしたジャズが流れる店内で過ごす優雅な時間は、実に心地よい。
ニット帽と髭と黒縁メガネ。少し太っちょだが、清潔感があるオーナーに邪魔されないことも加点される。わたしが近寄りがたい雰囲気を醸し出しているからだろうか。それともただおしゃべりが苦手なだけか。まあ、どちらにしても、リラックスできるなら喜ばしい。
霧雨はわたしが故郷に降り立ってから、ずっと降っている。機内で青空と白い雲を眺めていたものだから、久しぶりに見る故郷の灰色が余計気にかかる。
故郷の空はずっと一緒。あの時も、今も。
故郷は豪雪地帯であり、晴れず、日向ぼっこなどは珍しすぎて、印象深く残っているほど。雪遊びに事欠かない代わりに、家屋が雪の重さで倒壊なんてことがある田舎町。それは、街道整備が進んだ大昔は、賑わったものだろうが、現代はカフェを見つけるのも一苦労なほど。
おそらくここの経営も難航を強いられているのではないだろうか。わたし以外のお客は、若い女性が二名と、静かに読書をする男性一名だけ。午後三時でこの客入りは、都会でなくても少ないだろうし、知り合いを招くことで、首の皮を繋いでいると読む。
ブラックコーヒーの薫りは他とひけを取らないし、抹茶のケーキもそれにマッチする。武器は持っているが、天候や布陣が悪い。これでは、お客を呼び寄せるどころか、彼の国の虎に敗れてしまうではないか。……はっ!だめだだめだ。ついつい越後の血が騒いでしまった。
コーヒーを啜り、はあ、と溜息をついて落ち着く。
そういえば機内でもあまり落ち着けていなかったなーっと、また外の灰色をぼーっと眺める。
思い出してみれば、帰郷が決まった数ヶ月前から、ここに至るまで、てんやわんやの大忙しだった。アブダビ・カイロ・ロンドン・パリ・ストックホルム・モスクワ・クアラルンプール・それから北米の都市を周って、成田。
移動に次ぐ移動。暇をつぶすこともままならなければ、現地に着いて寝る暇もなく仕事をこなし、そして次なる国へと一週間も経たずに出発する。わたしがいくら図太い女だとしても、飛行機での大陸間移動は辛いし、最後の方は時差ボケが激してくて、眠気との戦いだった。
ファイナルとなるニューヨークでの仕事を終えたあとは、まだまだやってやるぞという気になったけど、ホテルの鏡を冷静にみてみれば、酷い顔面を晒していることに恥じらいを覚えた。
まあ、ともかく、わたしはやり遂げた。こうして久方ぶりの帰郷を堪能できることは、大きな仕事を終えたからこそ。地元に会う友達なんて人はいないけど、こうして暖かい空間でゆっくりできるだけでも、わたしは福音を感じている。
スマホに着信があった。同僚からのお礼メッセージ。
「こちらこそ、ありがとう」
そうしてメッセージを打ち込み、「また会おう」との返信を受け取り、「予定が合ったらね」と返す。ビジネスパーソンというわけでもないが、大切にしておきたい関係性のひとつ。仕事の繋がりから出来た友人というのだろう。
スマホをテーブルに置き、コーヒーを啜る。
すると、またもや着信。詳細を確認すれば、知らないアドレスからのメッセージ。なんだろうと、詳細を確認すると、ある企業からの長ったらしいメッセージ。
なんだこれは!……ああ、確かあった。
一驚して、やがて冷める。
記憶の中に該当する事柄があったが、肝心の詳細が思い出せない。てんやわんやの仕事の中、後回しにしてもいい事案は忘れることが必須だ。わたしが忘れているということは、それほど重要ではないということ。そして、完全には忘れていないということは、引っかかる何かがあったということ。
ログは一年間は保存しているようにしている。重要案件はクラウドへゴー。さらにさらに上は、わたしの管轄するところではないけど、紙に残すことをしている。もちろんわたしが今求めているのは、友人との儀礼メッセージと同じ部類にあるものだ。
メッセージ欄は受信別に管理されており、わたしは奥底に溜まったヘドロを目にする。しばらく連絡していない連絡先は、いつ消去するのが正しいのだろう。
そんなことはさておき、お目当てのログを見つけ開いた。
「サービス対象者に当選されたことをご報告申し上げます……」
わたしは首を傾げた。
はて、何かのサービスを受けるよう登録しただろうか。決して落ち着いてはいない人生を歩んできたこのわたしに、そのような道楽を貪ることがあっただろうか。
送信者には株式会社の名称があり、詳細欄には電話番号や本社が置かれている住所。それからファックスの番号や、担当者の名前までもが記されている。マップを開き、コピーした住所を貼り付けると、オフィスビルが検索結果として表示される。
そこからホームページのリンクをタップし、送信者である企業について情報を収集した。
大企業様が、なんでわたしなんかに。しかもこれは保険屋?
概要欄に書かれた項目と、業者に委託したであろう出来のいいホームページを目にしていくと、保険屋であろうことが判った。
確かに、海外渡航のための保険は、勤務先を通じて加入しているが、個人で特別な保険に加入した覚えはない。
怪しい。すごく怪しい。
わたしは起動中のタスクを終了させ、スマホを再起動する。コーヒーを啜り、抹茶のケーキの残りを口に運び、コーヒー啜った。熱々のブラックコーヒーはなかなか冷めない。
再起動が完了し、今回着信のあったメッセージを確認する。
保険屋によると、わたしはサービス対象者に当選したが返答がないため、このままではサービス対象者の権利が失われてしまうこと。
サービス対象者の権利を失っても、粗品を配送させていただくこと。
サービスの利用契約の説明を必要とする場合は、事前に申告すること。などが記されており、わたしの意志が決定されないことには、事態が進展しないことを示唆していた。
協力できるなら、わたしの良心が黙っていないが、そのサービスとやらの把握を前提に話されても、判断のしようがない。
ログを洗っても、サービスについて説明する項目はないし、利用契約も記されていない。
サービスというからには、無料で受けられるのだろう。当選ということは、はずれのティッシュよりも豪華なのが推察できるだろう。
なるほど、わたしが完全に忘れなかった理由が判った。抜け目ないとよく言われるし、自覚している。還付金詐欺とかの文字に弱い老後を送りそうだもの。
ともかく、これからどうすれば良いだろうか。電話をかけサービスに関しての情報を得るか。このまま放置しておくか。
どちらにしても、少し手間だ。どちらにしろ、良心が傷付くことに変わりないし。
「いらっしゃいませ」
わたしがうーんっと、今にも唸ってしまいそうになっていると、オーナーの声が耳に入った。視界に入ったコーヒーの残りは少なく、ここに留まるかを吟味する。というのも、わたしにはインスタントではあるが、無料で飲めるコーヒーと、休めるスポットが近所にある。
霧雨止むまでを目的としていたが、まだまだ止みそうにないし、実家でのコーヒーもオツだ。
よし、っと決断した矢先のことだった。
「すみません、相席よろしいですか」
え、なんで?
わたしは耳を疑う言葉に動きを止めた。




