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第十話

 女性に着席を勧めると、こちらとは違い背筋を伸ばして綺麗に座った。テーブルを囲んでいるというより、挟んでいる。女性が魔女なら、僕はシャーマンになるのだろうか。

 シャーマンはお医者様の代わりというところもあるし、神性がなければおそらく務まらないだろう。僕に神性があるはずもない。

「あなたは眠れない夜をどのように越えてきましたか」

 顧みてあはいけない。ナルシシズムは夢の中にだけ花を咲かせる。紅潮させてはならない。それは「感じる」ことではないから。

「どのようにお答えすれば適切でしょうか」

 女性はそうして僕に困った口調で返答する。確かに具体性が欠けていたかもしれない。

「たとえば、企業側の不当な差別によって、舞踏会へと赴くことが叶わなかった、悲劇のヒロインのような屈辱を受けたとき。よなよな枕を濡らした晩。あなたはどのようなことを想ったのかと気になりまして」

 僕が冷淡に言葉を話したのだがいけなかったのか、女性の反応は想定していたものよりずっと淡白だった。

「そのようなことは。企業は私に優しくしていただきました」

 職場に連れてこられた幼子のように扱われていたのだろうと想像する。疎ましく思われることもあっただろうが、女性からはそれらに対する憎悪が感じれない。自身が語ったように、家業を手伝うがごとく仕事に追われていただろう。その点、よく知る同僚感覚で、馴染めていたのだろう。

「意外ですね」

「そうでしょうか」

「そうですよ。特殊な環境にて育ったとは思えない落ち着きがあります。その髪も服装も肌も、手入れがされたものでしょう。おそらくあなたには、愛情を注いでくれる「お世話係」がいたのでは?そう、たとえば、目覚ましい成長を遂げている人工知能だとか」

 女性は時間を空けることなく、少しの微笑みを含んで回答した。

「もしそうなら、私はあなたのことを理解することすらできないでしょう」

 付け加えることなく、女性は僕と視線を合わせ言った。それ以上の説明を求めるよう熱い視線を送っても、女性は視線を合わせたまま、少しの微笑みを含みながら、僕の開口を待っている。

「このような人間を理解するには、人工知能の優秀すぎる頭脳を汚してしまうと、僕は解釈しますが、それで良いのですよね?」

 女性は小さく首肯した。怒りは、ない。僕にも女性にも。もちろん植物らにも。

「なるほど、後悔しない人間などいないですね」

 そうして清廉としている女性にも、後ろめたいことがあると。だから僕が後ろめたところで、自身が後ろめたところで、無駄に思えると。

「じゃあ僕は、やばいやつですね」

「そうですよ。自覚していませんでしたか」

 ああ、やばい。同性ですらも扱えることのできない僕が、異性の女性の気を損ねたとなれば、捌き切れるはずがない。

「それにしても、こうして花に囲まれていると、心が穏やかになりませんか」

 ごまかしてみる。

「ええ。ですが、火を点ければあっという間に燃えそうですね」

 そんなことをすれば、女性を殺してしまうかもしれない。このテーブルで、椅子で、女性の頭蓋を叩き、僕は自衛のためだたといって、自身の骨が折れても、その美麗な尊顔を殴って殴って、殴り殺してやりたいと思う。

「僕はオタクだよ。欲望のためなら戒律すらも辞さない、なにオタクでもない、ただのオタクですよ」

 女性は笑い声を漏らした。控えめな笑い声が、コンサバトリー内にくすくすと響く。

「おかしなことをおっしゃるのですね」

 嘲笑だった。僕の中で最も頻繁に感じられる嘲笑だった。

 女性は嘲笑がおさまると、手を胸に当て呼吸を整え、微笑んだまま僕の瞳を見つめた。

「オタクは死語ですよ。本当に、いまのジョークには笑わせていだたきました。あなたがそれほどユーモアのあるお人だとは思いませんでした。ああ、おもしろい。わたしを笑わせてもなにも出ないですよ」

 くすくすした笑いはまだ女性に残っている。はあはあと、大きく乱れた呼吸を整えるように瞼を閉じて、ゆっくり深呼吸を繰り返していく。鼻息が僕にも聞こえ、吐息も、女性が落ち着いたことを示すだろう小さな溜息も、ちゃんと聴いた。

「なにも出す必要はありません。ただ是非を問いたいだけです。僕の馬鹿馬鹿しい陰謀論をどうか潰してくださるだけでよろしいのです。否定か肯定か、僕に推測させることのできるそれらしい言葉でも構いませんよ」

「またご冗談を、もうわかっていることでしょう?むしろ、あなたには当然わかっていただけなければ、私とて、企業から観察眼を疑われ、信憑性の欠落へと転進します。どちらもそれは望まないでしょう。あなたは停滞をも受け入れる素養をお持ちでしょうが、私にそのような素質は持ち合わせてはございませんゆえ、どうかご配慮をしていただけたらと、お願い申し上げる次第です」

 機械に育てられたといっても、女性の出生が普遍的肉体から生まれたれっきとした人間であることは、解剖でもなんでもして証明できるだろう。幼い頃、と女性は語ったが、まだ目も開いていない頃か自我が芽生えた頃か、定かではない。それは外せないファクターになるだろう、少なくとも足がかりにはなるはずの情報なはず。

 まさかとは思うが、機械だけを接触しさせ、生身の人間は観察役に徹していたわけではないだろう。この流暢な日本語は、言語学習の段階から聞かせていなければできないような発音だろうし、それにそこまで機械に任せるのなら、女性は適任とは言えない。それこそSF映画のワンシーンに出てきそうな、気色悪い液体の中に漬けられている人造人間ほどの技術力があればこそ。受精からの段階で隔離してこその、実験ではないのだろうか。

 僕は足を組んだ。女性と同じような全身白っぽい格好だが、百貨店にて購入した上等品であるために、着心地は折り紙付きである。柔らかな素材は寝ている姿勢を阻害せず、肌にも優しい素材を使用しているとかで、僕の快眠と深い繋がりを意味する寝間着だ。

「あなたについて、これだけは把握しておきたいのですが、あなたは企業にどのように扱われてきたのですか。あなたは企業を愛していますか。あなたの企業に不正が発覚し、経営破綻となった時、あなたは無賃労働を進んで受け入れますか」

 女性はほくそ笑んだ。そのように見えた。

「どうでしょうか。そのようなことを想定したこともありませんが、おっしゃる通りに行動するのではないでしょうか」

「では、現状況にて、企業と僕を優先させるかの決断を迫られたとき、どのようにしますか」

「控えさせていただきます。なぜなら、あなたをそのようなことに陥らないことこそが、私の役目であり、私どもの本分でありますから」

 僕は植物らが声音を吸い取ってくれることに感謝の念を抱いた。僕は嬉しく思った。しめしめと、女性の腹積もりが崩壊していくのを快く思った。

「納得していただけないのですね」

 女性は瞼を閉じて、しばし黙考してから言葉を紡ぐ。

「私の両親は技術者でした。工学部出の技術職というのは、恵まれれば安定した給付が受け取れます。安定した需要と精度の高い供給。両親の時代、みなそのような生活を求め続けて生活していましたから、大手や権威が存在する機関への就職をしていれば、あぐねることはなかったでしょう。

 両親はひとえに運が良かったのです。

 遅咲きでしたが、両親が就職した企業は成長しました。そこでの特需です。そのことを予測して、的中させたとて、誇らしくいられるでしょうか。それは傲慢でしょう。私には理解できることのないことでしょう」

 俺の功績だ。とでも威張る人間がいたのだろうか。女性の声音の違和感に、少しの憎悪を嗅ぎ取る。

「謀略だとか」

 僕の言葉は、女性に何を訴えるだろうか。また逆鱗に触れて、らしくもなく感情を高ぶらせるようなことは、ないことを祈っている。

「そうかもしれませんし、そうではないかもしれません」

 僕は、テレビ画面の向こう側の世界について興味はない。だから、女性の語ることが真実であることの信憑性や、謀略がどのような顛末を迎えることになったのかについて、ネットで洗うつもりもない。女性の言葉に全幅の信頼をおくこともまた、女性のことについて知らないことが多すぎる。

「もっと知るべきことはるようですね。私もあなたも」

「僕が母のことを話すとはにわかにも信じがたいものですが、そうなれば企業は喜ぶのでしょう。あなたはどうですか。僕が何かの瘴気や雰囲気や、有害物質などに当てられてラリって思ってもいないことをゲロれば、お客様に寄り添っていく理念とかけ離れていると、僕などは思いますが……。どうでしょうか」

 ふり見てみれば、僕の言葉は女性に伝わっているかどうか。わかったものではない。

(わたくし)は、お客様と真摯に向き合って参ります。あなたがお望みになるのなら、私は、寄り添っていく所存です」

「嫌ですよ。それでは僕が、枕営業を強要したみたいじゃないですか」

 僕が当然のことだと吐くように言うと、女性は冗談を含んだ言葉を発した。

「あなたは顧みないオタクでは?」

 だから僕は、オタクであることの性分を冗談のように話す。

「オタクが冷めたら、人以下ですよ」

 コンサバトリー内に、朝日が差し込んでくる。空が赤らみ、灰色の雲が見え、植物らの緑や赤や茶色や、紫や青や桃色や白が、一層の彩りをみせる。

 ここが棘ばかりでなく、優しく穏やかなものばかりであるなら、こんなことをせずとも、女性と欠落のない関係を構築できただろう。女性は自らの傷口を晒し、僕はあの母のことを話す。まあ、傷口や母を語るに欠落などは、影のように付き纏うものであることに変わりはなく、そのような楽園に征くことはできないだろうが。

「どうですか。これで夜が明けました。眠れない夜はどうするかというあなたのお悩みも、解決しましたでしょうか」

 その言葉がどのように重く、僕に捉えられているか、女性は知ったうえで言うだろうか。もしそうでないのなら、いやそうだとしても、女性のことを快く思うことはないだろう。

「今宵は興醒めしてしまいましたから」

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