第一話
なぜ、冒頭はいつも苦闘するのだろうか。
執刀医がメスを入れる瞬間や、出来立てほやほやの新作バーガーを口にする瞬間、世間にはこのような「はじめて」がよくよく存在している。何をもって「はじめて」とするかは、やはり意識的なことに行き着くが、不束者であるが故、脳科学的なアプローチや、哲学的な観点などに見られるロジカルシンキングについては、どうか甘んじてほしい。
ようは、利巧ではない。という認識で間違いはない。
ここまでくれば、なんとか冒頭らしくなったであろうが、後々になって冒頭の意味を鑑みたとき「これで良かったのだろうか」と、苦闘するのは、ほぼお決まりとなっているのは言わずもがなである。罵り方は実に多種多様である。臆病者に自己嫌悪主義者。優柔不断のなよなよした人間。というのが最適解であろう。
黒縁の眼鏡と天然パーマーと荒れている分厚い唇と、ニキビ。脂ぎっている指先で無造作に電子機器に触れたり、額に滲んだ汗を拭き取ったりしている。と、想像するところの「オタク」であるが、そのようなオタクにもちゃんと生きるための権利はある。
社会保障を受けることができるし、納税と労働の義務も果たしているし、なんなら三日前の街中の清掃ボランティアにだって、惰性ではありながら参加した。誰かが口をつけた吸い殻を錆びついたトングで摘み、ゴミ袋へと入れることに抵抗感を覚える。
夏の羽虫のように鬱陶しいと思えるボランティ活動。我ながらよく参加した。
何かが途切れることが嫌だったのだと振り返る。
オタクで根暗で、学校帰りは自宅の方面の違いから、通学路を歩くのは独りがほとんどで、クラスが同じ人間と会うのは学校の校舎が遠目に観えるところ。まあ、そこでも誰かと話すことなど皆無だったが。
西日が作り出す陰に呑まれながら、とぼとぼ帰る通学路が、今でも脳裏に張り付いている。石を蹴って、靴を擦りへらして帰ったあの時間が、この上なく嫌いだった。
あのときの感情が、いまも正確性を欠いているとは思わないが、寂しかったのだと思う。どれくらいかは、夢にまで出てきて、冷や汗を掻くほどであろうか。
「はやく起きなければ、遅れるよ」
そうして諭すように、母は言ってくれたのを思い出す。「肝っ玉お母ちゃん」という雰囲気ではなかったが、母の肝は座っていて、コンサバトリーで観葉植物に囲まれながら、お手製のハーブティーと英語の本を読むのが好きだった。
「飽きない?」と、母に訊ねると、微笑みながら「心を委ねていれば、飽きることも感じ取れないわよ」とって言って、父との新婚旅行で訪れたときに購入したという、イギリス製のティーセットを持ってきて、ハーブティーを僕にも淹れてくれた。
もくもくと湯気を立て、不思議な香りを漂わせるうす黄色のそれは、難しい味と香りだった。
「この味も、心を委ねていれば、そうやって何杯も口にすることができる?」
母は微笑で返答としてくれた。目が細くなるように笑う、母の癖。大好きでも、大嫌いでもなく、好きでも嫌いでもない、母親に抱く感情などはそのような、ありふれているものに過ぎなかった。
「ただいま」
なぜなら、母を目にしているいまでも、抱いている感情はそのようなものだから。
「おかえりなさい」
母はいつもの微笑みで、仕事から帰った僕を迎えてくれた。