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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
98/205

あの日から始まった(3)

 ショッピングモール内には休日の昼間ほどではないが、それなりに客がいた。

 客層としては俺達のような社会人が多いようだ。ここで夕飯の材料などを購入する人も多いのか、すれ違う客の何人かが階下の食品フロアのビニール袋を提げていた。他方、ここで夕飯を食べていくという客もいるようだ。モールの奥にあるレストラン街には席が空くのを椅子に座って待つ客の姿もちらほら見えた。少し後ならすんなり入れるだろうか、と当たりをつけておく。

 仕事の後だけに腹が減っていたが、まずは本来の用事を済ませるべきだ。俺達は真っ直ぐに書店を目指した。


 そして真新しい紙の匂いが漂う店頭まで辿り着くと、園田が言った。

「じゃあ私、資格本のコーナー見てくるよ。安井さんは雑誌のとこにいる?」

 ここの書店はかなり面積が広い上に、書棚が天井すれすれの高さにある為、売り場に潜り込むと人を探すのは容易ではない。『適当に見てるから探してくれ』では園田を余分に歩かせることになるだろう。せっかく二人で来たのにお互い逸れるのもつまらないので、俺は彼女が探しやすい場所に留まることにした。

「そうするかな。適当に見てるから、済んだら来てくれ」

「わかった。それじゃ後でね」

 園田は明るい笑みを残し、資格本のコーナーへと歩いていく。

 きびきびした歩き方に仕事帰りのスーツ姿がよく似合う。タイトスカートから伸びる彼女の脚を見えなくなるまで眺めやってから、俺もようやく雑誌コーナーへと歩き出す。

 書店の客のほとんどは雑誌コーナーで立ち読みをしているようだ。近づいていくにつれ、あの辺りだけ妙に混み合っているのが見えてきた。俺もその中へ交ざるべく、まずはどのジャンルから攻めようかと視線を走らせた。

 すると、書店の壁に貼られたポスターが目に留まる。

 真っ暗な夜空に目映く広がる大輪の花火の写真、言わずもがな花火大会の開催を知らせるポスターだ。ここの市内で毎年八月になると必ず開かれており、地元企業が協賛に名を連ね、それなりに多くの人でも見込まれる夏の一大イベントとなっていた。

 しかし俺にとっては、微妙な思い出しかないのがこの花火大会だった。


 四年前、霧島が長谷さんを営業課に連れてきて花火を見せた。

 それまで難攻不落の名も高き美人受付嬢だった長谷さんをだ。

 その場に居合わせた俺と石田、それに営業課一同の落胆たるや酷いもので、おまけに俺はその後園田の怒りを買うことになり、自業自得と言われればぐうの音も出ないのだが現在はこんな調子である。

 そして去年、営業課から花火が見られなくなったことを逆手に取り、石田は小坂さんを屋上に誘い込み、共に花火を眺めたのだそうだ。いい眺めだったと言っていた。どうせ花火なんかろくに見ていなかったくせに。

 霧島も石田も花火に関しては上手いことやりやがって、腹立たしいくらいだ。

 こっちはかれこれ何年も花火と聞くだけで苦々しい思いを抱いている。園田と付き合っていた頃、何度となく頭をかすめていた思いがあった――もしかしたら次の八月には、俺が園田を営業課に招いて、花火を見せてやるようになるのかもしれない。


 あの頃、長谷さんを連れてきて嬉しそうにしている霧島が羨ましかった。

 いや、今もそうだ。きれいな嫁さんを貰って幸せ太りしている霧島も、七つも年下の女の子に振り回されてでれでれしている石田も、俺は心底羨ましくて仕方がなかった。

 恋愛にのめり込み女に惚れ込むあまり、時々滑稽な姿を晒す二人はかつての俺なら鼻で笑うような無様さだったが、今となっては俺が一番無様だと思う。身を焦がすような恋をしておきながら判断を誤り彼女の手を離した。そのくらいならまだ惚れた女に相好を崩して骨抜きにされている方が、たとえ傍目には滑稽でも最高に幸福で真っ当な生き方だろう。

 誰に笑われても、馬鹿にされても構わない。

 無様に足掻いてでも、今は彼女が欲しい。


 様々な記憶と思いが去来する中、俺はポスターから目を逸らせなかった。

「花火大会の時期だね」

 急に声をかけられて、どきっとした。

 とっさに振り向くと背後には園田が立っていて、手には例のDTP検定のテキストを抱えている。もう用事が済んだようだ。園田の行動が迅速なのか、それとも俺が随分長い間、このポスターに見入っていたのだろうか。

「ああ。今年も来たなと思って見てた」

 微笑んで返事をすると、園田はどことなく物憂げな目をポスターに向ける。

「我々には関係ないも同然だけどね。このまま行くと今年も残業だろうし」

「まあな。音だけ聞くことになりそうだ」

 夏休み中のイベントだからなのか、花火大会は毎年のように平日開催と決まっていた。夏休みなどない社会人には全く縁のない話だった。四年前までは営業課の窓からも見えたのだが、今は見えない。

 だがそれでもあれこれ手を使って見ようとする奴はいる。俺はここぞとばかり彼女に打ち明けた。

「でも、見ようと思えば見られる。屋上からだと結構きれいに見えるって話だ」

「そうなんだ。会社の屋上かあ」

 園田は盲点だったというように目を丸くした。

 そもそも会社の屋上なんぞ好きこのんで上がるものでもない。エアコンの室外機はうるさいし熱いし、ごみごみとビルが立ち並ぶビジネス街の空気が澄みきっているはずもないからだ。屋上から見える景色だって灰色メインのコンクリートの街並みで、展望台のような眺めを期待するのが無茶な話だった。ましてやうちの社屋は五階建てだ。

「でもその口ぶりだと、安井さんは見たことないんじゃないの? 屋上から」

 ふと、彼女が思い当った様子で聞き返してきた。

 確かに、俺はない。去年花火について問い合わせを貰った時も推測でしか答えなかった。

「俺はないよ。でも見た奴がいるんだ」

「ふうん」

「それも可愛い女の子と一緒に。むかつくだろ?」

 俺が揶揄のつもりでにやりとすると、園田も合点がいったのか、くすっと声を立てて笑った。可愛かった。

「何となくわかったかも。それって私の知ってる人じゃない?」

「よくわかるな。その通りだ」

 園田に察しがつくほど、あいつのやることはわかりやすいということか。実際その方が女の受けはいいのかもしれない。

 ちらりとそんな考えが頭をかすめた時だ。

「ちょっとロマンチックでいいね。一緒に花火見るのとか」

 園田が唇を微笑ませながらそう口走ったので、虚を突かれた俺は反応が遅れた。

 彼女から肯定的な意見が出るとは思わなかった。

 だが俺からすれば嬉しい誤算だ。この機に乗じてしまおうと、すかさず言ってみた。

「俺達も見る? 屋上で花火」

 すると彼女は笑んだまま、まるで動じず冷静に答えた。

「無理じゃないかな。賭けてもいいけどその日も残業だと思うから」

「お前……断るにしてももうちょっとロマンのある返答できないのか」

 八月の花火大会の頃はまさに繁忙期で、俺達は例年残業に追われていた。今年もそうだろう。

 だから園田の返答は事実にになるのだろうが、俺としてはそれこそロマンチックな答えが欲しかった。


 花火のポスターを散々眺めた後は、二人で雑誌を読むことにした。

 俺はもともとその予定でいたが、園田も何か見てみたいと言ったので彼女に付き合うと決めた。

「安井さんは安井さんで好きなの見てきていいんだよ。読みたいのあったんでしょ?」

 園田はそう言ったが、俺としては久々の書店よりも園田を優先したい。花火大会が近いということは繁忙期も近いということであり、しばらくはこうして出かける時間も取れなくなる。貴重な機会だ、大切にしたかった。

「俺は園田と一緒にいたいんだ。駄目かな」

 聞き返すと、園田は微かに頬を赤らめてから目を逸らし、気まずげに呟く。

「いや別に、駄目じゃないけど……安井さんはいいの? 何の為に本屋さん来たかわからないじゃない」

「大丈夫だよ。目的はちゃんと果たすから」

 本屋だけが目当てでここへ来たわけじゃない。

 俺の答えに園田は、今度はきょとんとしていた。だから俺もここで丸め込んでしまおうと彼女を急かした。 

「じゃあ決まりだ。園田は何が見たい?」

「私は……なら、こっち」

 彼女が指差したのはスポーツ雑誌が並ぶコーナーだった。

 そちらへ近づいていくなり、彼女が手に取ったのはもちろん自転車専門雑誌だ。サイクルショップの店頭に置かれた本格仕様の自転車が表紙を飾っている。その表紙や雑誌のタイトルからは自転車雑誌だとわかるが、情報誌と違って表紙に記事内容がずらずらと記されていることもなく、至ってシンプルに仕上がっている。正直『素人お断り』みたいな専門的な雑誌に見えた。

「お前、こういうの読んでるのか」

 どういう感想を持っていいのかわからず、俺はとりあえず尋ねた。

 園田は俺を見て苦笑する。

「うん、だからいいのかなって。安井さんは退屈じゃない?」

「……そんなことない。気を遣うなよ」

 別に本を読むのが主目的ではないし、読むものがなければ園田を見ているから別にいい。俺がかぶりを振ると、彼女はまだ気にした様子ながらも雑誌を開く。

「もし他のコーナーに行きたくなったら、遠慮なく言ってね」

 そう言うが早いか、ぱらぱらとページをめくり始める。

 目当ての記事はある程度目星がついているようだ。レースやツーリングに関するレポートなどはあっさり飛ばして、自転車機材や用品のページに行き着くと、彼女の顔から笑みが消える。いやに真剣な表情で読み耽っている。更にその先、メンテナンス講座のページを開くといよいよ熱がこもり出し、立ち読みの気軽さはかけらもない様子で熟読している。


 いつしか俺は園田が目で追う誌面ではなく、彼女の横顔ばかり見つめていた。

 園田の好きなものに対して向ける情熱と言ったら、見ていて自転車が羨ましくなるほどだ。豆腐にしろ自転車にしろ、彼女が愛情を傾けるものは品目としてはごく少ないが、代わりに惜しみなく愛し抜かれているのが全く、羨ましい。そろそろ俺にも、もう一度そういう目を向けてくれてもいいのにな。

 雑誌を読むのに邪魔なのか、ふと園田は片側だけ髪をかき上げ、耳にかけた。その仕種と覗いた小さな丸い耳に目を奪われた。彼女の短い髪は相変わらずさらさらで柔らかそうで、触ってみたくてたまらないのを堪えるのに必死だった。時々瞬きをする睫毛も艶があってきれいで、俺は久々に彼女の顔をじっくりを観察していた。


 どのくらい、そうしていただろう。

 ふとどこかから視線を感じた。

「……ん?」

 俺はすぐさま顔を上げたが、雑誌コーナーの棚越しに見えたのは同じように立読みをする他の客達ばかりだ。当然、誰もが目を本に向けている。俺を見ているはずがない。

 確かに誰かに見られていたように感じたのだが、気のせいだろうか。

「どうかしたの、安井さん」

 園田が誌面から俺に視線を移す。きょろきょろと辺りを見回す俺を不思議そうに見ている。

「いや、何でもない」

 結局それらしい人物は見かけなかったので、俺は正直に答えた。

 誰もこちらを見ていない以上、感じたような気がした視線は勘違いだと思うしかない。もっとも、誰に見られたとしても困るということはないからいいのだが、何となく釈然としなかった。

「やっぱり退屈しちゃった? これ買うから、違うの探しに行こっか」

 俺に気を遣ってか、園田が読んでいた雑誌を閉じた。DTP検定のテキストと一緒に抱えて、上機嫌で俺を見上げてくる。

「ちっとも退屈しなかったよ」

 これも正直に答えたら、彼女は目を瞬かせていた。

「え? そう? 安井さんも何か読んでたの?」

「まあ……見てはいたかな。じっくりと」

 このコーナーの雑誌は手に取ることすらなかったが、全く退屈しなかった。

 むしろいい目の保養になった。


 買い物を済ませて書店を出ると、時刻は既に午後八時半を過ぎていた。

 いい頃合いだろうと思い、俺は園田を誘ってみる。

「せっかくだから夕飯食べてかないか」

 モールには飲食店も豊富に入っている。安価で気軽なフードコートから程よい値段の有名店までバリエーションは豊富だ。デートスポットとしてもそれなりに優秀な場所だった。書店に入る前に見かけたレストラン街は夕食時だけあって混み合っていたようだが、今はどうだろうか。

「いいよ」

 お目当ての本を購入できたからなのか、園田はすこぶる機嫌がよかった。極上の笑顔で頷いた後、更に続けた。

「よかったら私に奢らせてくれる?」

 その申し出は、だが俺にとっては予想外だった。

 俺が誘ったデートだというのに――彼女の方にデートという認識があるかどうかはともかくとしてだ、食事をごちそうになるのは抵抗がある。ここは俺に持たせてくれた方が、後々何かとやりやすいのだが。

「そういうのはいい。誘ったのは俺だから、園田は気にするなよ」

 俺はやんわり断ろうとしたが、彼女は食い下がってくる。

「でもこんなに遠くまで乗せてきてもらったし。お礼くらいはさせて欲しいな」

「お礼なんてされるほどのことでもないだろ」

 車でならそこまで遠くというほどでもないし、ここまでの道程だって楽しかった。何よりこの程度のことでお礼と言われるとかえって水臭いように思えて仕方がない。


 だが園田は引き下がるつもりもないという顔つきで俺の前に立っているし、俺と夕食を食べてもいいと思ってくれている時点でかなりいい傾向ではないだろうか。

 ここへ乗せてくる前のやり取りだって俺の方が食い下がってねだって、ようやく了承を貰えたくらいだ。園田が俺と夕食を共にしてもいいと思っている、その事実をまずは大切にしていくべきだ。


 考えさえまとまれば決断は早く、俺はあっさり手のひらを返した。

「そこまで言うなら仕方ない。軽いものでも奢ってもらおうかな」

「軽いものか」

 すると園田は考え込むように小首を傾げ、でも結局思いつかなかったのか、逆に尋ねてきた。

「安井さんが何が食べたい?」

「豆腐料理とか」

 俺の食べたいものなんて決まっている。豆腐が食べたい。

 一番食べたいのは園田が作ってくれた豆腐料理だ。足りないものを補った豆腐丼や厚揚げのステーキなんかそろそろ食べたい。もちろんそういうものを出してくれる店があるとは思えないので、今夜のところは豆腐であれば何でもいい。

「じゃあさ、豆腐バーガーとかどう?」

 園田が思いついたように挙げたメニュー名には、さすがに度肝を抜かれたが。

「豆腐のハンバーガー? そんなのあるのか」

 バンズに豆腐を挟むのか。想像できずに困惑する俺をよそに、園田はあっさりと頷く。

「あるよ。知らなかった?」

 それから彼女はモールの奥に居並ぶレストラン街の方向を指さし、力説を始めた。

「ここに入ってるバーガーショップにあるんだけどね。それがもうすっごい美味しいの!」

「さすが豆腐ネタとなると詳しいな。どういうの?」

「パティの代わりに豆腐とアボカドとトマトが挟んであるの。ソースはさっぱりと酸味がある感じ」

「何か美味そう。よし、それにしよう」

 園田の説明で味の想像はついたが、バンズと豆腐の相性はどんなものだろう。彼女のお勧めなら外れはないだろうが、何せ未知の領域だ。俺はわくわくしながら園田の案内でレストラン街へと足を運んだ。


 立ち寄ったのは、俺も名前くらいは知っているバーガーショップだった。

 店内はほとんど客もおらず、アルバイトと思しき店員達が待ち構えていたように声をかけてくる。

 この店はファストフードにありがちなセットメニューはないようで、メニュー表を眺める俺の横で、園田はどんどんと注文を重ねていく。豆腐バーガーを二個、フライドポテトとオニオンリングをLサイズ、コールスローサラダも二人分だ。

 慣れた様子で頼む彼女に、俺は恐る恐る釘を刺す。

「軽いものって言ったのに、既に軽くなくないか」

「食べられない量じゃないよ」

 園田は軽く吹き出すと、何も気にしていない様子で朗らかに続けた。

「奢りなんだしいいじゃない、このくらいは持たせてよ。飲み物は何がいい?」

 そこで俺は改めてメニューを眺め、見慣れないドリンクの数々の名前に少々気圧されつつ、無難な選択をすることにした。

「無難なのがいい。冷たい紅茶にする」

「じゃあ私、キウイミックスプロテクター」

 彼女が口にしたのはおよそ飲み物の名前とは思えない厳つい品名だった。

「何だそれ? 強そうな名前してるな」

 俺が尋ねると、園田はいたずらっ子みたいな顔つきで答える。

「変形するんだよ。飛行形態から二足歩行のロボに」

「子供みたいな嘘つくなよ」

 思わず突っ込めば今度はおかしそうに笑い出した。

「へへ、ばれた?」

 今夜の園田は本当に、随分機嫌がいいみたいだ。

 そりゃこっちだって嬉しくなる。期待だってしてしまう。

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