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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
88/205

Try,try,try again.(4)

 こちらも待たせておくべき案件ではないと、俺はすぐ小野口課長に話をすることにした。


 園田と話をした翌日、課長にも退勤後に時間を貰い、例によって第三会議室へ来てもらった。

 明かりを点け、ドアを閉めてから椅子を勧めようとしたら、それより早く小野口課長は言った。

「お見合いの件だね?」

 穏やかな笑みを湛えた顔が、何もかもわかっていると言いたげに見えたのは気のせいだろうか。

 俺は小野口課長の為に椅子を引きながら笑っておく。

「ええ。手短に済ませます」

「そうか。では立ったまま伺おうか」

 小野口課長がやんわりと断ってきたので、俺は椅子をテーブルの下に戻してから告げた。

「せっかくお話をいただいたのに申し訳ないのですが、お見合いの件はやはりお断りさせていただけたらと……」

「それは残念。安井課長にはいいお話だと思ったんだがね」

 社内だからか酒が入っていないからか、小野口課長は俺を役職で呼んだ。

 それでいて口調は敬語ではない。少しやりにくいな、と内心で思う。

「すみません。夏頃までは仕事の方が忙しいというのもあるのですが」

 嘘でもないが正しい理由でもないことを俺は口にした。

 それからほんのちょっと、本音も織り交ぜて続ける。

「園田とは小野口課長もご存知の通り旧知の間柄ですし、お見合いをするといってそういう空気になるかどうか……なので今回は辞退させていただきたいのです」

 ここでの答え方は難しい。

 お見合い自体は断りたいが、園田自身に関心がないような言い方をすると後で困る。彼女と上手いことよりを戻してそれが明るみになった時、小野口課長が気を悪くしないように配慮をしておかなくてはならない。

 かといってここではっきり彼女を狙っている旨を告げれば、世話好きの小野口課長が引き下がらない可能性もある。

 小野口課長は俺の答えを聞いて軽く吹き出した。

「彼女とだとお見合いにならないってことかな」

「そういうわけでは……決して相手が園田であることに不満があるんじゃないんです」

 それなら他の相手を、などと言われても困る。俺は念を押すように強調した。

「わかってるよ。だがもったいないな、本当にいいのかい?」

「ええ、すみません」

「そうか……。なら仕方ない」

 小野口課長は至極残念そうに首を竦めた。

 そして、表情からふっと笑みを消したかと思うと、真面目な顔つきで語を継いだ。

「ただね、安井課長。僕は君を将来有望な人材と見ているからこそ言うけどね」


 今後出世したいと思っているならそろそろ本気で身を固めるべきだ、とでも説かれるのだろうか。

 その手の話はもう多方面から耳にたこができるほど聞かされてきた。そんなことを言われてもこちらにはこちらの込み入った事情があるというのに。

 俺が、すっかり言われ慣れた言葉を聞き流そうと身構えた時だ。


「園田さんに君以外の男性を紹介することになっても、君は後悔しないね?」

 予想外のことを言われ、俺はとっさに息を呑んだ。

「紹介……? 園田に、ですか?」

「もともとは結婚したがっている園田さんの為に相手を探していた話だ。君が駄目なら他を当たらないとね」

 小野口課長は困ったように眉根を寄せている。

「まさか、俺が断ったからって他の相手を紹介されるおつもりですか?」

「そう言ったよ。そりゃそうだろう、社内には他にも独身者がいるし、相手探しには困らない」

 でも、園田はそもそもお見合いをしたいとは言っていないそうですし、はっきり断るとも言っていました。紹介されたところで――そんな弁解を口にしかけて、慌てて噤んだ。

 彼女と直接話し合ったことが知られるのも、まずい。

「園田も異動したばかりですし、今はそういう話も負担をかけるだけかもしれませんし、どうでしょうね」

 俺が逃げを打つように反論すると、小野口課長は咎めるように目を細める。

「彼女がどう思うかは君には関係ないんだよ」

 関係ない。

 きっぱりと言い切られた時、ぐさっと来た。

「いや、関係なくなると言った方が早いかな。君が断った時点で彼女のお見合い話は君の手を離れることになる」

 柔らかく、だが突き放すような言い方だった。

「君があずかり知らないところで僕が彼女に新たなお見合いの話を持っていき、彼女がお見合いをするかもしれない。君が断るというのはそういうことだよ」

 そして、ぐうの音も出ない正論でもあった。

 俺は答えに窮し、小野口課長はそんな俺の顔色を見て控えめに笑った。

「それでも構わないなら、僕は他の人に声をかけてみようかな」

 退路を断たれた。


 恐らく小野口課長は相当の自信を持って俺に答えを促しているのだろう。

 いや、焚きつけていると言ってもいい。園田に他の男を紹介すれば俺がどう思うか、ほとんど確信的にわかっているのだ。

 俺もこの人には多少見透かされている予感はあったものの、こうもわかりやすく嗾けられると苦々しくなる。この人を捕まえて温厚篤実で世話好きのお人よし、などとよくも今まで思ってきたものだ。とんでもない策士ではないか。

 もちろん、俺の答えは一つしかない。

 園田が他の男と見合いをするのは駄目だ。絶対に駄目だ。だが彼女は俺とは見合いをしないと言っていたし、かと言って断ればこの話に俺が関わることはできなくなる。

 答えは一つきりしかなく、言うなら今しかない。


「……園田に今後お見合いの話を持っていかないでくださいと、お願いすることは可能ですか」

 俺は、小野口課長に尋ねた。

 向こうの反応はあっさりしたものだった。眉一つ動かさずに言われた。

「理由次第だね」

 何から何まで見透かされている。

 柄にもなく顔が熱くなるのを自覚しながら、俺は深々と頭を下げた。

「お願いです。俺は園田にお見合いをされると困るんです」

 こんな話を、会社の先輩――それも十歳以上も年長の方に打ち明けるというのはどうだろう。石田や霧島にさえ話せていないことを、こんな形でこの人に話さなければならないのが非常に気恥ずかしく、居心地が悪い。

「園田には俺が、つまり、個人的に話をします。お見合いという形ではなく、まず二人で話し合い、関係を築いていこうと思います」

 婉曲的な言葉ばかり選ばなければならないのがもどかしい。だが真意は伝わるはずだ。

 どうせ俺の理由なんて、小野口課長にはお見通しなのだから。

「ですから園田には絶対に誰も紹介しないでいただきたいんです。この先、俺がどうにもならなくて諦めるまでは――いえ、諦めることなんてできないはずです。できればずっと、どんないい話でも彼女には持ってこないでいただきたいんです。その分、俺が――」


 ためらったのは迷いのせいではない。

 こんなことまで職場の先輩にぶちまけてもいいものか、さすがにブレーキをかけたくなった。

 だが小野口課長は園田をとても気に入っているようだ。こんなこともはっきり言えないような男に彼女を預ける気にはならないだろう。

 何よりこんなことも言えないようでは、俺はまた前に進めなくなってしまう。


 そう思って、覚悟と共に続けた。

「俺が、どんないい縁談よりも必ず、彼女を幸せにしてみせます」

 自分でもみっともないと思うくらい必死だった。

 お蔭で小野口課長には笑われた。恐る恐る顔を上げたら、堪えきれず肩を揺する姿が見えた。

「君にそんなふうに言われたい女の子は多いだろうにねえ。園田さんはそんなに手強いかい?」

 彼女自身が手強い、頑なな存在だというわけではない。

 全ては過去の出来事に基づいている、非常にややこしい問題だ。俺がどんな手を打っても尽くしても当たって砕けても、彼女の心が動くかどうかなんてわからない。それだけのことがかつて、俺達の間にはあったのだ。

 だが諦めてはならない。諦められるはずがない。

 それならばこの先は何があろうと、何度倒れようと、挑戦あるのみだ。

「わかったよ。君がそこまで言うなら、この件はしばらく保留にしよう」

 小野口課長は深呼吸をして、笑いの衝動をどうにか収めたようだ。

 それでもにこにこと笑みながら、俺の肩を叩いてきた。

「あと、君にそこまで言わせたんだ。僕は君を全面的に応援するよ」

「あ……ありがとうございます」

 改めて頭を下げる俺に、小野口課長が囁いてくる。

「しかし人間、わからないものだな。君はこういうこともクールにこなす人かと思ってたよ」

 暗に、今の俺がクールさとはかけ離れていると言われて、俺ははたと我に返った。自分がここで何を言ったかを理解して、途端にいたたまれない気分になる。

「ええと、お、お恥ずかしい限りです。その、俺もまだまだ未熟なようで……」

 いかにも取り繕ったように聞こえたのだろうか。そこで、また笑われた。

「三十歳なんてそんなものだ。まだ若いんだから頑張るんだよ、安井くん」

 最後にそう呼ばれたのも、結局は俺の若さゆえということなのだろう。


 こうして、いくらかの犠牲を払いつつもお見合いの一件は片がついた。

 お蔭でそれから数日間は、社内で小野口課長と顔を合わせるのが非常に気まずかったが――向こうは向こうで普通に挨拶をしてきた後、意味ありげに笑ってみせたりしたので余計にだった。やはりあの人はただの善人ではない。今後は重々警戒しつつ接しなくてはなるまい。

 しかし小野口課長の反応を除けば心配事はさほどなく、俺は時折蘇る記憶に一人赤面しつつも五月の連休を楽しみに待っていることができた。

 園田と飲みに行く約束をしている。

 ああまで言わされたのだ。今回は何らかの進展を、と思っている。


 そのための準備も整っている。

 彼女の好きな、豆腐料理の美味しい店を探した。自力では絞り込めなかったので石田の力も借りた。現役の営業課員である石田はその手の飲み屋の情報を潤沢に持っており、今回も俺の問い合わせに迅速な返答をくれた。豆腐料理なんて一緒に行く相手は女だろ、などというツッコミもあったが、そこは華麗にスルーした。

 小野口課長に続いて石田にまでカミングアウトする気はまだない。ただ協力してもらった以上、いつかはいい報告ができたら、とは思っている。それが近いうちならいいのだが。

 今回の約束について園田自身がどう思っているのかはわからない。

 少なくとも俺と会うことに抵抗はないらしい。外で待ち合わせをしようと言った『誰かに見られたらまずいんじゃないの?』とは言ってきたが、何か問題あるかと返したらあっさり納得したようだった。彼女らしく何にも考えていないのかもしれない。今のところはその方が都合がいい。


 五月の連休二日目、俺は園田と落ち合う為に待ち合わせ場所へと向かっていた。

 約束は午後五時に駅ビル前。五月晴れの呼び名がふさわしいよく晴れた夕方、いつの間にか日が長くなったことを実感しながら歩く。

 夏が近づいてくるといささか憂鬱だ。お盆前後はとにかく仕事が忙しいし、暑いせいで食欲も落ちる。俺は夏よりも冬の方が好きだった。


 駅ビルのガラスで囲われた風除室の中、園田はすでに来ていた。

 グリーンのパーカーに細身のジーンズというカジュアルな格好をしている。今は何かリーフレットのようなものを手に取り、じっと見入っているところのようだ。

 居酒屋で飲むとは言っておいたが、随分とカジュアルな格好で来たものだ。昔から園田はこういう動きやすそうな服が好きで、それはそれで園田の健康的な可愛さを引き立てていていいものなのだが、色気はないなと思ったことが何度かある。それは本人も自覚していたらしく、ある日デート用にと白いシャツワンピースを着てみせて――。

 思い出すと切なくなるのは今があの頃と程遠いところにあるからだ。

 だが今は今でこうして、これからデートだというのに――彼女がどう思っていようが俺にとってはデートだ。そもそも元カレと夜に会って二人きりで酒を飲む、なんて普通の女の子ならその気もないのにすることじゃない。園田なら何の意識もなくてもやりかねないだろうが、だったらその認識は間違っているとわからせてやろう。


 俺が自動ドアの前に立つと、ドアはほとんど音もなく開いた。

 そのせいか彼女はこちらに気づかない。手にしたリーフレットを夢中で読み耽っている。何が書いてあるのだろう。

 せっかくだから驚かせてやろうかと忍び足で近づいていく。肩を並べる距離まで近づいても、園田は顔も上げない。よほど面白いものでも見てるのか、にしてもここまで近づかれたら気づくだろ普通。

 俺は笑い出しそうになる前に、彼女に声をかけた。

「園田」

「わっ」

 彼女は面白いくらいびくっとして、リーフレットを握り締めたまま凍りついた。

 あまりにも見事な驚きように、むしろ感動すらした。

「ここまで近づいても気づかないとか、どんだけぼうっとしてるんだよ」

 俺が勝ち誇ったら拗ねたようだ。唇を尖らせて言い返してきた。

「殺気が消えてたからわからなかったんだよ。安井さん、忍者になれるね」

「俺が普段は殺気立ってるみたいな言い方を……で、そんなに熱心に何見てたんだ」

 気になっていたリーフレットを覗き込もうとすると、園田もわざわざ俺によく見えるよう、それを持ち上げてくれた。

 表紙に広々としたキッチンと作りたての料理の写真が掲載されたリーフレットは、どうやら料理教室のものらしい。名前だけはこの駅ビル内で見たことがあった。

「料理教室の案内。習ってみようかなって思ってて」

 園田も俺にそう語った。

 だが俺の知る限り、園田はちゃんと料理ができたはずだ。それもすごく美味い豆腐料理を作ることができた。俺はあの豆腐丼の味が恋しくて、自分でも何度か試しに作ってみているのだが、彼女の味には遠く及ばないのが現状だった。

 そんな園田がなぜわざわざ料理教室に通う必要があるのだろう。

「お前、料理できただろ。今更習う必要あるのか?」

 俺が尋ねると彼女は首を竦める。

「できるはできるけど、我流だからね。自分の好きなものしか作れないって言うか」

 言われてみれば、園田が毎回作ってくれたのは豆腐をメインに据えたメニューばかりだった。俺はそれでも不満など何一つなかったが。

「何でも作れるようになっておきたいって考えてたとこだから、そしたら人に習う方が手っ取り早いじゃない?」

 園田は説明しながらリーフレットを自分の鞄にしまった。


 説明されてもしっくりこない話だ。

 なぜ今更、料理教室なんかに――釈然としないものはあったが、少し考えて、追及するのはやめておいた。せっかくこうして休みの日に会えたのだ。まずは楽しい話だけしたい。


 気を取り直し、彼女の服装に目を留める。

「今日はパーカーか。思ったより可愛い格好してきたんだな」

 園田にはこういった活発そうな服がよく似合う。細身のジーンズも、きれいな脚のラインを惜しみなく見せてくれるのがいい。

 こうなると気になるのが自分の服装で、俺は今日、シャツにカーディガンという微妙に気合の入ったいでたちでここへ来ていた。石田や霧島と飲みに行く時には絶対着てこないようなコーディネートは、いかにもデートに臨んでいる感じがするようで今更ながら面映くなる。

 そしてこざっぱりした俺の格好を見て、園田はしくじったというように呟いた。

「何着てくるか聞いとけばよかった」

 可愛い反応だった。俺は思わず吹き出す。

「別におかしくないよ。園田の私服は新鮮だから、何着てても可愛く見える」

 それから一応、フォローを入れておく。

 二月に見たドレスはきれいだったが私服と呼ぶには少々非日常的だった。スーツ姿の彼女は毎日のように見かけているが、私服はやはり貴重だ。こうして休日に会うと、園田の服の趣味があまり変わっていないことがわかって無性にほっとする。くっきりした鮮やかな色が好きなところもそのままだ。

「新鮮ってほどかな……いつも私服で通勤してるじゃない」

 園田は俺の誉め言葉に首を傾げている。可愛いと言われても喜ぶ気配はまるでない。

 言われてみれば確かにそうだが、彼女が通勤時に着ているサイクルウェアは私服とはまた違う趣があった。もちろん園田にはよく似合っているし脚のラインがよく見えるので眼福なのだが。

「いつものは私服ってより、ユニフォームって感じだよな」

 俺がその違いを考えてから口にすると、園田はたちまち瞳を輝かせた。

「あ、それちょっと格好いい言い方かも」

「可愛いって言われるより、こっちの方が嬉しいのか。難しいな園田は」

 こちらとしては、さらりと言ったつもりの『可愛い』に反応して欲しかった。

 とは言え喜ばれないよりはまだ、彼女に喜んでもらえた方がいいのも事実だ。俺は内心で自分を慰めつつ、園田を促した。

「そろそろ行こう。店まではそんなに遠くないよ」

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