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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
4/205

誰かの幸せな日に(1)

 約三年ぶりに、安井さんからメールを貰った。


 結婚式の後のことを話したいから連絡先を教えてくれと言われて、前のままだよと言ったら驚かれた。

でも安井さんの方も、メールアドレスも携帯電話の番号も何一つ変わっていなかった。

「何だ。てっきり全部変えてるのかと思ってた」

 その事実が明らかになった時、安井さんはなぜかおかしそうにしていた。

「だったら一度、試しにメールでもしてみればよかったな」

 でも何の断りもないうちに安井さんから三年ぶりのメールが届いていたら、私はきっとものすごく驚いて、携帯電話を床に落っことすくらいのことはしたと思う。だから前もって聞いてくれて助かった。その辺の気遣いも、安井さんらしくて変わっていない。

 そんな久々のメールには、結婚式後どう落ち合うかといった段取りが事細かに記されていた。式場近くの店で会うと知り合いに見つかる可能性があるので、式が終わったらばらばらに式場を出て、少し離れた辺りの店で落ち合おうということになった。

 今回の結婚式には社内の人間も大勢出席するから、式の後で一緒にタクシーに乗り込むところなんて見られたら大事だ。私も即座にその案を了承した。

 それにしても、久々のメールだというのに普通に会う約束までしているのが不思議だ。私にとってはこっちの方がおかしい。

 携帯電話の画面に、昔と同じように『安井さん』と登録名が表示されるのを、意外と面白がっている私がいる。


 そしてやってきた二月の初め、長谷さんと霧島さんの結婚式当日。

 私は満を持して姉から貰ったパーティドレスに袖を通した。

 と言ってもベアトップのドレスだから、厳密には袖なんてない。温かみのあるモカベージュのドレスは控えめな光沢のあるサテン地で、スカート部分は膝上丈のプリンセスライン。姉からは『必要があれば』と一緒にパニエも送ってもらっていたけど、着けてみたらちょっと可愛すぎる感じがしたので今回は止めておいた。

 ドレスの上にボレロを羽織り、晴れの日用の化粧もして、短い髪をパーティ仕様のハーフアップにすると、鏡の中にはそれなりに可愛い二十八歳が映っていた――自分で言うのはタダだ。どんどん言っていこう。

 正直、二十八年も生きてれば自分が絶世の美女でないことくらいはわかってしまう。それでも我ながら愛嬌のある顔はしていると思っている。奥二重も丸顔も十代の頃こそコンプレックスだったけど、年配の方には可愛いと言ってもらえるのが嬉しい。あとは笑顔さえよければ、世の中どうにか平穏に渡っていけるものだ。

 ただ、ダイエットをしてもどうにもならなかった部分が一箇所だけ――自転車通勤で鍛えた我ながら逞しい脚がスカートの裾から覗くのだけは恨めしい。女らしい脚になるには何をどうすればいいんだろう。こればかりは二十八年生きてても一向にわからない。

 まあ今日の主役は花嫁さんだし、一招待客の脚までじろじろ見られることはないでしょう。


 私は意気揚々と部屋を出て、駅で同僚達と落ち合った。

 女子の多い秘書課はめいめいが可愛いドレスを着ていて、皆でひとしきり今日の服装を誉め合った後、タクシーに乗り込んで式場へと向かう。


 結婚式場はチャペルを併設したそれ専用のものだった。

 チャペルはゴシック様式の荘厳なつくりで、海沿いの道の傍らにそびえる尖塔はタクシーの車内からもよく見えた。車を降りて傍で見てみると、石造の壁や大きなステンドグラスの窓に降り始めた粉雪がとても絵になる。私たちが式場に入った時には既に日が沈んでいて、微かな残照に赤々と輝くチャペルと粉雪、そして濃紺の空とそこにちらほら浮かぶ薄雲のコントラストがきれいだった。

 これまでいろんな式に出席してきたけど、披露宴だけじゃなく結婚式まで出席を許されるのはあまりないことだ。大きなチャペルだから収容人員にも余裕があって、親族と友人だけだとちょっと寂しいから、是非式から参加して欲しいと長谷さんに言われていた。私としても式は見てみたかったし、同僚の晴れ姿だって見たい。異論があるはずもなかった。


 かくして足を踏み入れたチャペル内は。聞いていた通りに広かった。

 大きなステンドグラスは中から見ると本当に大きく、描かれた天使の姿も随分遠くにあるように見えた。入り口から祭壇までは赤い毛氈が敷かれていて、その通路の両脇にはアンティークの燭台が並び、キャンドルが揺れる炎を点している。参列者の為の長椅子もその通路を挟んで対称的に並べられており、私達は同僚という立場上、後方の席に着いた。

 チャペルには社内の人間がたくさん集まっていた。会社の外でこれだけ大勢集まるのは、こういう機会でもない限りはあり得ないものだ。長椅子に次々と座っていくおめかし姿の同僚達、上司達の姿が何となく面白くて、気分が浮かれてくる。

 もちろん安井さんの姿もあった。

 人事からは一人だけと言っていたからか、彼は営業課の人達と一緒に固まって座っていた。隣の席には営業課の新人さん――小坂さんの姿があって、式が始まる前、安井さんが彼女に何か話しかけているのをちらっとだけ見た。

 安井さんの方もちらっとだけ、私の方を見たようだ。もっともこんなところで目配せをしてくるような迂闊な人ではないし、こちらもそ知らぬふりをしておく。


 どのくらい待っただろう。やがてチャペルの照明が落ちた。

 かと思うとチャペル入り口の扉が開き、舞い散る粉雪と共に花嫁さんと花婿さんが現われた。

 息を呑むほど美しい花嫁さんがそこにいた。

 透けるヴェールで頭を覆い、真っ白いドレスを身に着けた長谷さんが、霧島さんと腕を組み、しずしずとチャペル内へ進んでくる。その姿を、私は口を閉じるのも忘れるほど見入ってしまった。誰かのついた溜息が聞こえたような気がした。あるいはそれも無意識のうちに私がついていたものだったのかもしれない。

 美しく着飾った彼女が私の座る長椅子の横を通り過ぎていく時、ヴェールに覆われた横顔が優しく微笑んでいるのが見えた。この日の為に伸ばしていたという髪をきれいにまとめて、雪のように白いドレスをまとった姿は、普段職場で見ている姿とはまるで違っていた。

 誰がどれほど着飾ろうとも、結婚式に臨む花嫁さんの美しさには敵わない。

 そんな確信めいた考えが、ふと私の脳裏に浮かんだ。

 思うに、女性を一番美しくきれいにしてくれるのが花嫁衣裳というやつなんだろう。

 だとすると私は、人生で一番美しくなれるかもしれない機会を、このまま行くとみすみす逃す羽目になるわけだ。それをどう思うかと聞かれたら――しょうがないんじゃない、って答えるだけだけど。こればかりは相手がいないとどうしようもないし。

 でも、羨ましくないと言ったら嘘になる。


 チャペルでの結婚式の後、会場を隣接のレストランに移して披露宴が催された。

 披露宴もこれまた珍しい着席ビュッフェという形式で、会場内に各種お料理を並べたビュッフェテーブルが置かれ、それを囲むように出席者の為の丸テーブルが並べられている。お食事でもご歓談でも、自由に席を立って過ごせるという素敵なシステムだ。

 その上用意されていたお料理はどれもこれも美味しくて、せっかくだから堪能することにした。


 私がビュッフェテーブルでお料理を選んでいると、同じくお皿を手にした安井さんが近づいてきて、そっと話しかけてきた。

「遠目に見たら誰かわからなかった」

「それは、いい意味でってことだよね?」

 思わず聞き返すと安井さんは笑い、

「当たり前だろ。そのドレス、すごくよく似合ってる。それに髪型も可愛いな」

 私がヘアピンと整髪料を駆使してまとめた、ハーフアップの髪をしげしげと眺めてきた。普段こんなに手をかけることがないからか、物珍しそうにされていた。

「ありがとう。でも結構大変なんだよ、これまとめるの」

 お礼を言ってから、私は高砂席の花嫁さんを振り返って言った。

「本日の花嫁さんみたいに、前々から伸ばしとけばよかったかなって思うくらい」

 花嫁さんは真紅のカクテルドレスにお色直しを済ませている。何を着てもしっくり馴染むように似合っていて美しくて、見る度に溜息が出る。

「やっぱりきれいだよね、花嫁さん。元々きれいな人だけど、ドレスだとお姫様みたいに素敵だよ」

 そして隣に座る花婿さんもフロックコートがとても格好よくて、こちらはまさに王子様のようだった。緊張どころか堂々とした態度で式に臨んでいたのも素敵だった。

「そりゃ今日の主役だからな。髪を伸ばしてたとは知らなかったけど」

 それで安井さんも花嫁さんの方を見てから、まるで見比べるように私へ視線を戻す。それからふっと目を細めた。

「園田も一度伸ばしてみればいいのに。見てみたい」

 実は前にもそう言ってもらっていたけど、髪に関しては堪え性のない私だ。きっと三ヶ月と持たずに切りたくなるに違いない。そう思って一度も伸ばしてみたことはなかった。

「気が向いたらそうするかも。でも短い方が楽なんだよね」

 私は首を竦めた。

 そしておめかしぶりを誉めてもらったので、私もお返しに誉めてあげることにする。

「安井さんも今日の格好、決まってるよ。すっかり課長さんが板についてきたみたい」

 今日の安井さんは身体に合った細身のブラックスーツを着て、短い髪をきちんとセットしている。ジャケットから覗く光沢のある白いネクタイ、胸元を飾るシルクのポケットチーフ、手首に鈍く光る白蝶貝のカフスボタンといったフォーマルな装いをしつつも、そういう格式張ったものを気負うことなく自然に着こなしている。

 安井さんの場合はフォーマルな服装でも、髪型をきちんとセットしていても、遠くから見たってちゃんと安井さんだとわかるからすごい。

 ただ、本人は私の誉め言葉をお気に召さなかったようだ。途端に表情を曇らせる。

「貫禄が出てきたとか言うなよ。俺はまだ落ち着きたくない」

「もう落ち着いてもいいんじゃないの? 年齢的に」

「……めでたい日に喧嘩を売ってくるなよ、園田」

 安井さんが半笑いで私を睨んだ。

 別に喧嘩を売ったつもりなんてない。男の人の三十歳なんてまだまだこれからというところじゃないだろうか。

 もっとも私もあと二年で三十だから、安井さんの心境は他人事ではないのかもしれないけど――三十になったところで、別にそんな深刻な気持ちにはならないだろうと予想している。なってみなくちゃわからないけどね。

 とりあえず、安井さんが年齢のことを気にしているようなので話題を変えておく。

「そういえばこれから、歌を歌うんだよね」

「ああ」

 安井さんの歌の上手さは社内でも評判だった。結婚式と言うと余興を任されているような人だから、後輩の式となれば尚更、歌わないはずがない。

「今回は何歌うの?」

 私の問いに安井さんは慣れた調子で答える。

「ユア・ソング」

 きっと何人にも同じことを聞かれてるんだろう。それだけ期待されているということだ。

「エルトン・ジョン? へえ、好きな曲だよ」

「じゃあ頑張るよ。園田にも聴いてもらえるように」

 軽い口調で安井さんが言うので、これも何人にも言ってるんだろうなと思いつつ、ちょっと楽しみにしておいた。


 その後、余興の時間を迎えたところで安井さんがステージに立った。

 彼が歌を歌うのを、私は自分の席から聴いていた。歌声はよく聴こえたけど、私達の席からステージは遠くて、顔が見えなかったのは残念だった。

 そしてうちの課の後輩達が、携帯電話で歌う安井さんの写真を次々と撮りまくっていたので、私は楽しみにしていたはずの歌に集中できなかった。仕方ないのでひたすらぼんやりしていた。

 でも皆が写真を撮りたがる理由もわかる。だって安井さんは格好いい。

 こんなにもてるんだから、早いところ新しい彼女を作っちゃえばいいのに。


 やがて披露宴も無事お開きとなり、帰り際に花嫁たる長谷さん――結婚したから『霧島さん』だ――に挨拶をした。

「すっごいきれいだったよ! お姫様みたいだった!」

 私がそう言ったら、花嫁さんは色白のほっぺたをぽわんと赤くしてはにかんだ。

 以前約束通りにたっぷりお祝いの言葉を贈って、彼女を照れさせてから、私は式場を出た。

 これから別の友人と飲む予定があるから、と秘書課の皆に断ったところ、彼氏の存在を疑われて質問攻めにあった。もちろんいるはずもないのでしっかり否定した後、一人でタクシーに乗り込んだ。


 待ち合わせ場所のバーには、私の方が早く着いた。

 先に入ってるよとメールを送って、それからお店のドアを開けた。

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