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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
33/205

私に似合うこと(2)

 私も安井さんもお見合いは初めてだった。

 もうお見合いに関してはお互い知識ゼロと言ってよかった。私が『料亭で着物で正座で』とドラマで得たイメージを語ると、安井さんもそう思ってたと言って笑った。だからそういうものが一つも出てこない今回のお見合いは、何も知らない私達にはちょうどいいような気がする。


 小野口課長は、

「デートみたいなものだと思って、お客様気分でおいで」

 と言ってくれたし、服装も自由でいいとのことだった。

 だけど私としてはいくら上司の奥様のお店とは言え――むしろだからこそ、常識やマナーから外れたことはしたくない。だから二人揃ってスーツで行くことにした。真面目な話をするんだから畏まったフォーマルな格好でもいいじゃないかと言い合って、そう決めた。幸いにして課長の奥様のお店は洋館風の内装をしたレトロな雰囲気らしいので、恐らくスーツでも浮かないはずだ。

 私としては振袖で正座でなければ何でも歓迎したい心境だった。よりによって安井さんと小野口課長ご夫妻の前で、足が痺れてのた打ち回る姿は見せたくない。安井さんならめちゃくちゃ楽しそうに笑うだろうなと想像がつくし、でも笑いながらも私に手を差し伸べてくれるだろうとも思う。そうしたら私も照れ笑いを浮かべつつ、笑いを取れたならまあいいかって楽な気分になって彼の手を借りたことだろう。

 よくよく考えたら、料亭で着物で正座でも、安井さんとなら楽しかったかもしれない。

 彼と一緒なら、どんなことでも楽しめないはずがなかった。


 そんなことを考えるうち、現実にお見合いをする日が訪れた。

 十月初めの日曜日、休日だというのにスーツを着込んだ安井さんは私のアパート前まで車でやってきた。そして同じくスーツを着た私を拾って助手席へ乗せると、そのまま小野口課長の奥様の店へと二人で向かう。

「お見合いだっていうのに二人で行くっていうのがまず斬新だよね」

 私はすっかり彼の車の助手席に居着いている。当たり前みたいにそこに座っている。

 そして安井さんもそのことを特別視したりしない。当たり前のように、私を目の端で見て笑う。

「確かにな。お見合い会場で初顔合わせってイメージしかなかったよ」

「そうそう、会う前に写真だけ見せてもらうんだよね。ドラマとかだと」

「あと釣書だろ。プロフィールとか書いてあるやつ」

 そういうのって、前に東間さんに連れて行ってもらったパーティにもあったな。入場してから書いたプロフィールには思ってたよりたくさんの記入欄があって、驚いたのを覚えている。

 思い出してそのことを口にすると、安井さんも興味を持ったようだ。

「どんなこと聞かれた? そういうイベントって」

「びっくりしたのはね、飲酒と喫煙について記載する欄があったことかな」

「へえ。まあ、人によっちゃ地雷ポイントだからな」

「あとは宗教とか。あれって実家の宗派とか書けばよかったのかな」

「普通に考えてそうだろ。お前、何て書いたんだ?」

「『お盆にはお寺に、お正月には神社に行きます』って」

 私が正直に答えた途端、安井さんは声を上げて笑った。


 やっぱり違ったんだ、と私は今更のように焦り、あのプロフィールを見た人達がどう思ったかを考えてちょっとへこんだ。二十八にもなって常識ない子だと思われてたかもしれない。

 もっとも、そういう失敗があるからこそ今の私達がある。

 そういうふうに前向きに考えておこう。やっちゃったものはしょうがないし。


「しかし、結構細かく聞かれるんだな。その手のパーティでも」

 運転しながら散々笑った後、安井さんがまだ声を震わせながら言った。

 私は彼を軽く睨んで、でも結局つられて吹き出しつつ答える。

「そうだね。人数が多いだけで、実質普通のお見合いだったのかも」

「結構出席者多かったのか?」

「うん。男性三十人、女性も三十人で合計六十人。ホテルのダイニング貸し切ってたからね」

「男だけで三十人もいたのか。よかった、園田が誰にも捕まらなくて」

 安井さんは心底ほっとしたように呟いたけど、はっきり言って私のスペック及びアピールぶりでは捕まりようがなかったと思う。


 今になって冷静に考えてみれば、あの会場には三十人との出会いがあったわけだ。

 それだけの機会がありながら私好みの人とめぐり会えなかったのも、逆に誰かから気に入られることもなかったようなのも、運命と言えば運命なのかもしれない。これが一人ひとりと順番にお見合いしていたなら純粋に三十連敗だ。ご縁がないにも程がある。

 そして結局は、かつて好きだった人のところへ戻ってきた。

 こんなに好きになれる相手なんか、きっと他にはいない。何年間も片想いを続けて、一度別れてもまた好きになってしまった。ベタな言い回しだけど、彼こそ私の運命の人なんだろう。


 私は運転席の彼をこっそりと見つめた。

 打ち合わせ通りにグレーのスーツを着た安井さんは、仕事がある日と同じように前髪を上げて額を晒している。そのせいで、前方を見つめる真剣な横顔がより整って見えた。

 そもそも男の人のスーツ姿には魔力がある。普段より五割は増して格好よく見える。それでなくても私は安井さんを普段から格好いい人だと思っているから、今日はものすごくどきどきしてしまう。ジャケットの袖口から覗く白いシャツとそこから伸びる骨張った手首や血管の浮いた手の甲にはどうしても目が行くし、あるいはネクタイを締めた襟元のきりっとした、一分の隙のない感じも素敵だと思う。安井さんはネクタイを結ぶのがめちゃくちゃ速くて、ものの十秒でささっと結んでしまうから驚きだった。昔、『園田も覚えて、結べるようになって』って言われたけど、一日やそこらでは到底覚えられなかったっけ。

 ――って、こんな時に何を思い出してるんだろう。

 これは封印しておいていい記憶だ、ある意味!


「……何でこっち見てるの、園田」

 ちょうど安井さんも私の視線に気づいたようだ。

 私は慌てて目を逸らし、必要もないのに自分の前髪を指先で弄る。

「ご、ごめん。ちょっと見てただけだから気にしないで」

「気になるし、何で見てたのか聞いてるのに」

 彼が本当に気になるそぶりで追及してきたので、私は半ば観念しつつ、逆に尋ねた。

「それ、今言っちゃったら運転に集中できなくならない?」

「なるな、確実に」

 安井さんはそう言って笑う。

「じゃあその話もお見合いの席で聞こうか。お互い隠し事はなしってルールだからな」

 すっかり黙秘権なしのルールが制定されているようだ。お見合いって意外とシビア。

 今のことに限らず、お見合いの最中に答えにくいことを聞かれたらどう答えよう。考え込みながら、私はフロントガラス越しに景色を見やる。

 普段は見慣れない街並みの上に、真っ白いひつじ雲の浮かぶ秋空が広がっていた。


 ハーブティのお店には駐車場がないそうなので、近くのコインパーキングに車を停めた。

 近くと言ってもそこから歩くこと十五分、住宅街の一角に佇む小さなお店が見えてきた。

 洋館風の、と小野口課長は言っていたけど、洋館と呼ぶにはややこじんまりとした店構えだ。きれいに花を咲かせているつる薔薇の生け垣を抜けると、すぐにステンドグラスの飾り窓がついた玄関の木の扉が見える。扉のすぐ横には大きなガラス張りの窓があり、そこから日の光差し込む店内の様子が窺えた。テーブル席が三つ、あとはカウンターだけの本当に小さなお店だった。洋館と言うより、童話に出てくる魔法使いの隠れ家のようだ。

 玄関ドアの下、開閉と出入りの邪魔にならない辺りには小さな黒板が立てかけてあり、丸みを帯びた女性らしい字で本日のお薦めメニューが記されている。それによれば今日は美味しいパウンドケーキが焼き上がっているらしい。

「じゃあ、入ろうか」

「うん」

 安井さんの言葉に私は頷き、彼が開けてくれたドアを一足先にくぐる。

 たちまちリンゴみたいな甘くて爽やかな香りが漂ってきて、普通のカフェと空気が違う、と今更ながら思った。


 店内にいたのは二人だけだ。

 カウンター内でカップを拭いていたエプロン姿の女性と、カウンター席に座る見覚えのある男性が一人ずつだった。

「いらっしゃいませ」

 女性の方がいち早く来店者に気づいたかと思うと、面を上げて微笑む。

 恐らく小野口課長と同世代だと思われる、顔立ちに華のある美しい人だった。ただいでたちはごく地味で、波打つ長い髪を無地のバンダナでまとめ、真っ白なシャツを着て、身に着けたエプロンもシンプルなリネン製だ。飾らない服装がこの小さな、隠れ家みたいなお店の雰囲気によく合っていた。

 次いでカウンター席の男性が振り返る。

 こちらは推測するまでもなくもちろん小野口課長であり、コーデュロイのシャツにチノパンという見慣れない格好をしていた。課長は私達を見るなりぱっと顔を輝かせる。

「おお、いらっしゃい。さあどうぞどうぞ、こっち座って」

 課長は少し落ち着きのない様子で私達をテーブル席へ案内する。外から見えていた通り、店内には大きな窓から日差しが降り注いでいてとても暖かい。その中でも一番日当たりのいい席に私達を通し、座らせてくれた。テーブルは四角い二人掛けで、椅子もちょうど二脚あった。


 私は椅子に座ってしまった後で、そう言えば挨拶がまだだと気づく。

 そのタイミングで先程の女性がカウンター内からこちらへやってきて、小野口課長の隣に立ち、お辞儀をした。

「はじめまして、小野口の家内でございます。主人がいつもお世話になっております」

 慌てて私は立ち上がり、まだ椅子に座っていなかった安井さんと共に頭を下げ返す。

「安井と申します。本日はこのような席を設けていただきまして、ありがとうございます」

 彼が先に挨拶をして、すぐに私も続いた。

「園田と申します。お招きにあずかりありがとうございます」

「こちらこそ、遠いところをお越しくださいまして」

 課長の奥様は申し訳なさそうに笑んでから、ちらりと隣の課長を見た。

 それで今頃気づいたというように課長がはっとする。

「ああ、そうだった。僕が紹介しなきゃいけないんだったな」

「もう……あなたが緊張してどうするの?」

 奥様にくすくす笑われて、課長は決まりが悪そうに頭を掻く。

「いやあ、いつもならこんなに緊張しないんだけどな。何せ今日のは普通のお見合いとは違うからね」

 そして私達に再び椅子を勧めながら、少し意味ありげに続けた。

「本日のお二人はもしかしたら今日、この場で結婚が決まってしまうかもしれない段階なんだ。うちでも是非、丁重なおもてなしをしないと」

 さすがにそこまでは進んでなかったと思うんだけど、はっきり言われると恥ずかしい。

 私は落ち着かない気持ちで安井さんに目をやり、彼も珍しくはにかんだ顔で私を見る。目が合うだけでも妙にそわそわしてくるから困る。


 ひとまず勧められた椅子に腰を下ろすと、すかさず奥様が口を開いた。

「それならとびきりのお茶をお入れしますね。何かお好みのものはございます?」

 言われて私達は卓上のメニューを覗き込む。

 ハーブティーのお店だけあって、メニューの大半はお茶で占められていた。

 並んだ品名はカモミールにペパーミント、ラベンダーにセージにタイムなどなど、名前は知っているし香りも想像できるけど、お茶としての味は全くわからないものばかりだ。そうかと思えばハイビスカスやマリーゴールドといった、ハーブであることすら知らなかったものもあり、更には複数のハーブを組み合わせたブレンドもやっているそうで、はっきり言って目移りしてしまう。

「安井さん、どれにする?」

 私が尋ねると彼は片眉を上げ、

「実はハーブティって初めてなんだ。どれがいいのかわからない」

 と素直に答えた後、課長の奥様に向かって申し出た。

「よろしければ、お薦めを教えていただけませんか」

「それでしたらお任せいただければ、お口に合いそうなものをご用意いたしますよ」

 ハーブティーに明るくないお客さんも珍しくはないんだろう。奥様は慣れた様子でそう言い、私達は顔を見合わせてから頷き合う。

「ではお願いいたします。園田も、それでいい?」

「うん。よろしくお願いいたします、奥様」

「お任せください」

 奥様は改めて微笑み、それから私達に味や香りの好みを尋ねてきた。香りのよいものがいいのか、酸味があっても平気か、現在の気分はどうか、アレルギーはないかといったことを質問され、私達がそれに答えると心得たようにカウンターへ入っていった。

 小野口課長は私達のいるテーブルの傍らに立ち、少し自慢げに言った。

「うちの妻はこういう見立ては上手いんだ。期待していいよ」

 相変わらず堂々と惚気る方だ。それが不快だというわけではなく、むしろ微笑ましいのがいい。

 私が思わず笑うと、安井さんは課長をちらっと見てから私に視線を留めた。何か言いたげにこちらを見ている。

「安井さん、どうかした?」

「いや」

 彼は軽くかぶりを振ってから、おかしそうに表情を緩める。

「俺も園田のこと、『うちの妻は』って言えるようになりたいと思った」

「は……」

 またこの人は気を抜いてるタイミングでとんでもないことを。とっさに声が出ず、息だけ吐いた私は慌てて我に返り、問題発言をした彼を咎める。

「な、何言ってんの。課長の前だよ」

「だって今日はお見合いだろ。このくらい言ってもおかしくない」

 安井さんは迷いなく断言すると、同意を求めるように小野口課長を見やる。

「ですよね、小野口課長」

「そうだね。そういう話をする場だからね」

 課長もまた容赦なく頷き、それから困ったような顔をして、でも実際はさして困ってもいないようなそぶりで言い添えた。

「だけどこの分じゃ、仲人はいなくても上手くいきそうだなあ。僕は席を外した方がいいよね?」

 そうですねとも、そんなことないですとも答えにくい。

 私が口ごもると、待ち構えていたかのように安井さんが言った。

「園田、打ち合わせ通り黙秘権はないからな」

「えっ、それもう始まってるの?」


 かくして、お互いに初めてとなるお見合いの火蓋が切って落とされた。

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― 新着の感想 ―
[一言] お見合いに2人揃って行くのは斬新ですね。
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