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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
32/205

私に似合うこと(1)

 安井さんとのデートから何日も経たないうちに、私は小野口課長から呼び出された。

「ああ、園田さん。帰るところ悪いけどちょっといいかな」

 退勤後、帰り際に呼び止められた時点でぴんと来た。

 でも表向きは何の話だかわからないという顔をしておく。

「何かご用ですか、課長」


 安井さんとは口裏を合わせておいてある。

 お見合いの話を持ちかけられたら、自分は何も聞いていなかったと言う態度で話を聞く。そして喜んでお見合いを受けるように、と言われていた。

 だけど本当にするんだろうか、お見合い。

 今の私達がやったら微妙に白々しくならないだろうか。小野口課長と奥様に時間を割いていただく以上、茶番みたいな結果になるのは避けたい。

 でも私と安井さんで、

「ご趣味は?」

「ご家族構成は?」

 なんてわかりきったことを聞き合う時点で、既に茶番以外の何物でもない。私達はお互いの趣味も家族構成も、それ以外にも相手のことをとても深く知っている。知り尽くしていると言ってもいい。

 その場合、お見合いでは一体何を聞くんだろう。そして話すんだろう。いまいちイメージが広がらなかった。

 そんなわけで私はお見合いに迷いもありつつ、ひとまずは平静を装っている。


「実はちょっと、相談があってね」

 小野口課長はいつもの男前顔に、穏やかな笑みを浮かべている。

「すぐ済むよ。悪いけど付き合ってくれるかな」

 これはやはり、あの件についての話のようだ。

 私は努めて冷静に頷いた。

「構いません」

「よかった。じゃあ立ち話というのも何だし、こちらで」

 課長は私を手招きして、廊下を先に立って歩き出す。


 向かった先は、割とよく空いている第三会議室だ。

 小野口課長は明かりを点け、ドアを閉めると、私に座るよう椅子を勧めてくれた。私が腰を下ろすと、課長もすぐ右隣に座る。

 そこで私は取り澄まして尋ねた。

「あの、それでお話というのは一体、何でしょう」

 小野口課長は指輪が光る左手で、自らの髪をかき上げる。

「急な話で申し訳ないがね、園田さん、近々お見合いをする気はないかな」

 単刀直入に振られた話はもちろん予想通りだった。

 ここで知っているそぶりをするのはまずい。ちょっと大げさに驚いておくか、と目を瞠って口も開けかけた拍子、課長があれ、という顔をした。

「もしかして、安井課長から聞いてた?」

 的確な一撃だった。

「え!? い、いえ、あの、何て言うか――」

 大げさでもなく驚いてしまった私に、小野口課長はすかさず破顔する。

「いや、いいんだよ。そういうこともあるかと思ってたからね」

「き、聞いてたというかですね、世間話の途中でたまたまそういう話になって、それで」

「君達は仲もいいようだから、先に話が通っててもおかしくないと思ってたよ」

「ああ、あの、本当すみません」

 私は早くもペースを乱されていた。


 知らないふりをしている予定だったのに、これじゃ事前に知ってたってばればれだ。

 しかも仲がいいと思われてたようだけど、それってどういう意味合いだろう。心当たりのある身としてはどきっとする一言だった。

 実際仲はいいけど、もはや仲いいって言っていいのかどうかわからないレベルだけど、それを小野口課長にどう伝えていいのかわからない。


 内心焦り始めた私をよそに、小野口課長はさらりと話を戻す。

「まあ、それならそれで話が早い。どう? 彼とお見合いする気は?」

 こうもずばずば聞かれると答えにくい。すごくしたいというわけではないけど絶対嫌というほどでもない。今でも迷ってるというのが正直なところだ。

「ど、どうですかね。私はちょっと迷ってて」

 ひとまず正直に答えると、課長は残念そうに微笑む。

「そうか。園田さんの方は乗り気じゃないか」

「やっぱり、課長にご面倒をおかけするようで申し訳ないかなって」

 今度は恐る恐る答えた。

 それで小野口課長は怪訝そうな顔をして、

「面倒なんてことはないよ。そういう意味で遠慮してるんだったら、それは必要ない」

 と言い、尚も熱心に勧めてくる。

「むしろ園田さんの気持ちが重要だよ。実際、安井課長のことはどう思う?」

 直球で確かめられて、私はこれ以上ないほどうろたえた。

「ええ!? どうって言われましてもそんな、ええと、つまり――」

「園田さんの好みとはまた違う感じになるのかな。彼、どちらかというと亭主関白だろうし」


 そうかなあ、安井さんには亭主関白ってイメージない。むしろすごく優しい人だと思ってる。

 しかしそれはさておきだ。曲がりなりにも直属の上司に、好きな人について堂々と語る度胸など私にあるはずもない。

 そりゃ好みで言ったら安井さんなんて私にとってまさに理想の塊、見た目は言うまでもなく好みだし、優しいところも好きだし、あの考え深さは見習うべきだとこの間つくづく思った。一緒にいると幸せな気持ちになれるところは昔と何も変わっていなかった。

 そのくらい、好きだけど。


「でもほら、彼は出世しそうだし、次男だそうだし、見た目だって悪くない」

 小野口課長の畳みかけるような言葉が、まごつく私を翻弄する。

「それにここだけの話、彼は園田さんのことをとても気に入っているようだからね」

 そのことだって私は既に知っている。十分すぎるほどわかっている。

 私の為にあんなに必死になってくれる人なんて安井さんくらいしかいないだろうし、他にはいなくてもいい。私は彼のその必死さをとても可愛く、そして嬉しく思っているし、私も彼のことがすごく好きだ。再び一緒にいることを決めたのだから当然だろう。そう決めたことを後悔することもないって、あれからずっと思っている。

 でもそれを! よりによって毎日お世話になっている小野口課長相手に語るとかどんな拷問!

「実は以前にも彼に、園田さんとお見合いの席を設けようかって話をしてたんだよ」

 小野口課長は私の返事を待たない。

 私が一人でぐるぐるしている間にも、話をどんどん進めていく。

「でも安井課長は、『園田さんは異動したばかりだし、そういう話を持っていくと負担をかけるだけかもしれない』なんて澄ましたこと言っててね」

 そこでおかしそうに笑い出したかと思うと、驚く私に向かって続けた。

「それでいて僕が、『でも彼女は結婚したがっているようだし、他の人に声をかけてみようかな』ってかまをかけたら途端に慌てだしてね。いやあ、あの慌てようは君にも見せたかったな」

 かまをかけられてたんだ……。

 案外、安井さんよりも小野口課長の方が一枚上手なのかもしれない。

「本当にすごかったよ。安井課長って普段はクールと言うか、現代っ子らしく飄々としてるけど」

「そ、そうですね。割とそんな感じです」

 普段から落ち着いてはいると思う。あの人を指して『現代っ子』なんて言い回しはちょっとおかしかったけど。

「だけどあの時はもう必死だったからね。絶対やめてください、誰も紹介しないでくださいって大慌てで訴えてきたよ。よほど園田さんを取られたくなかったんだろうね」


 それを聞いて私は、今更ながらすごく恥ずかしくなってきた。

 本人からも話は聞いていたけど、思ってた以上に必死だったみたいだ。そこまでさせて悪いような、でも少しだけ嬉しいような、彼がそこまでしてくれたことにお礼をしたいような気分だった。

 安井さん自身が言うように、恋愛は必死な人の方が魅力的に映るのかもしれない。

 今の安井さんは、今まで以上にすごく素敵だ。


「だから僕もこの話は温めておいて、必要とあらばいつでも切り出そうと思ってたんだよ。何せ可愛い部下の将来がかかってるからね」

 小野口課長はそこまで語ると、私の顔を見て目を丸くした。

「園田さん、大丈夫? 顔が真っ赤だけど」

 私は自分の頬に手を当てながら答える。

「あ、あの、その点につきましてはこう、スルーしてくれたらありがたいなと……」

「じゃあ見て見ぬふりをしておこうか」

「すみません」

 くらくらする気分で俯くと、宣言通り見て見ぬふりをしてくれた課長が、優しい声で言った。

「そういうわけだから今回こそはお見合いを実現させたくてね」

 からかうでもない口調で、

「もっとも君達は既に、僕の手助けが要らない段階のようだけど」

 と言い添えられると、私は再び顔を上げずにはいられなかった。

 小野口課長はこちらを見ずに、カーテンが開いている会議室の窓を眺めている。微かに笑んだその横顔は人がよさそうでもあり、泰然としているようでもあり、私は思わず尋ねた。

「そういうのって、やっぱり見てわかるものなんですか?」

「いやいや、そうでもないよ園田さん。わからなかったからかまをかけたんだ」

「な……課長!?」

 声を裏返らせた私に、小野口課長はにこにこ笑う。

「僕は君達より一回りも年上なんだよ。このくらいはできるようじゃないとね」

 しまった。まんまと引っかかった。

 やっぱり課長は一枚上手だ。安井さんですら引っかかったくらいなんだから、私なんてもうネギ背負った鴨でしかないだろう。

「そういう君達に、僕ができることは大してないかもしれないけど」

 課長は懐かしむように目を細め、更に言った。

「でも普段から仲がいいと、いざ大事な話をしようって時に上手く切り替えられなかったりするだろう? 真面目に話そうとしてもついふざけてしまったり、妙に緊張してしまったりと」

 まるで見られていたかのように的確なご指摘。

 もっともここで反応すると更に自爆しそうなので、ぐっと堪えて黙っておく。

「だから、あえて真面目に話し合える状況を作るっていうのも、悪いことじゃないと思うんだ」

「その為のお見合い、ですか?」

 私の問いに課長は大きく頷いた。

「もし君達がそういう席を設けたいと思っているなら、僕が手を貸そう。ゆっくり二人で将来のことでも話すといい。ハーブティーでも飲みながらね」


 課長と話したその日、私は帰宅後に安井さんへと電話をかけた。

「……お見合い、することにしました」

『ああ、聞いてる。小野口課長から連絡あったよ』

 彼が笑いを含んだ声で言ったので、私は思わず声を上げる。

「早っ! 何かめちゃくちゃ段取りいいなあ、うちの課長」

『趣味なんだろ。早速日程から詰めるって超張り切ってたよ』

 安井さんは気にしたふうもなく、小野口課長に負けず劣らず張り切っているようだった。仕事の後だというのに声が弾んでいる。

『楽しみだな、お見合い。何を話そうか?』

「そういうのって今から決めとくものなの?」

『いいのか、抜き打ちでいろいろ聞いてっても。答えに詰まらないか』

「答えに詰まりそうな質問、しなきゃいいじゃない」

 私が言うと彼は随分楽しそうな笑い声を立てる。

『せっかくだから普段聞けないようなことを聞きたいだろ』


 そもそも安井さんが私に、普段聞けないと思ってることなんてあるんだろうか。割と普段から遠慮なく聞いてくる人だと思う。例えば『今どんな格好してるの』みたいなことだって平然と。

 じゃあ私も聞いてやろう。私は安井さんと違って慎み深いから、普段は聞けないようなことだっていくらかあるのだ。


「やっぱ石田さんとの馴れ初めとかファーストインプレッションとかかなあ」

『何でそこで石田の話だよ。と言うか馴れ初めって単語を使うな、気持ち悪いから』

「あとは恥ずかしい失敗談とか、人に言えない秘密とかそういうの?」

『お前にも同じことを聞いてやるぞ。包み隠さず答えろよ、黙秘権はない』

「じゃあ安井さんも黙秘とかしないでよ。こういうのは公平じゃないと」

『いいよ、何が聞きたい?』

 押し問答が続くかと思いきや彼はあっさりそれを許し、返す刀でこう言った。

『お前のどこが好きか、とか? それとも今はどのくらい惚れてるか、説明して欲しいのか?』

 会話の合間にこうやって爆弾投げつけてくるのはやめて欲しい。黙秘したいわけじゃないのに言葉が出なくなる。あと心臓にもよくない。

 私が急に黙ったせいか、彼は大仰に驚くようなそぶりで言った。

『あれ、この程度で照れるのか。昔はこういう話も普通にしてただろ』

「してたけど! 昔からこういうこと言われたら照れるって、知ってるくせに」

 わざと言うんだから手に負えない。私が拗ねると安井さんはからかうような口ぶりで促してくる。

『じゃあ今から慣れとけよ。お見合いではそういう話も出るかもしれない』

 お見合いとは何ぞや、という疑問再び。私は溜息でその言葉に応じた。

「ねえ、お見合いってそういう趣旨のものだった? 思ってたのと違うんだけど」

『園田が先に脱線したんだろ。石田の話を聞くとか言い出して』

「あ、そういえばそうだね」

 思わず私が笑うと、彼もつられたようにげらげら笑い始める。

『お見合いの最中に他の男の名前なんて出すなよ。俺がかわいそうだろ』

 そうしてひとしきり笑ってから深く息をついて、

『けど、こうして園田と見合いができるなんて思わなかったな』

 と言った。

「私も安井さんとお見合いするなんて思わなかったよ」


 四月に話が出た時はとんでもないって考えてたくらいだ。

 結婚詐欺ならぬ、お見合い詐欺だって。

 でも小野口課長の言葉を聞いて、ようやく気が変わった。私達にこそお見合いが必要なんだってわかった。

 今からきっちり決めておく必要はないだろうけど、何を話すか何を聞こうか、考えておきたいなと思う。


『俺としては最終手段のつもりだったんだけどな』

「何それ。どういう意味?」

『お前が婚活するとか言うから、もし口説き落とせなかったら無理やり見合い相手に立候補しようかと考えてた』

 安井さんは昔話みたいな口調で明るく語る。

 小野口課長から聞いた話がふと脳裏に蘇り、私は一人でそわそわする。

『けどこういう形で、お互い同意の上でお見合いに臨めてよかったよ』

「そうだね……。いっぱい話しようね、ハーブティも楽しみだし」

『ああ、そうだな』

 短い言葉の後で少し黙るのは、通話を終える直前の彼なりの合図みたいなものだ。

 最近では、電話を切ってしまうのが惜しい気持ちが強くなってきた。

 こういう時、お互いになかなか踏み切れないのが困る。だけどいつまでも話ができるわけじゃない。時間には限りがあるし、明日も仕事だ。

 だからこそ私達には、じっくりと大事な話をする機会が必要なのだと思う。

「じゃあ、また明日ね。安井さん」

 私が覚悟を決めてそう告げると、

『ああ。――園田、好きだよ』

 耳元ではっきりと聞こえるように囁かれ、どきっとした。

 そして私が思考停止しているのをわかっているみたいに、彼は満足げに続ける。

『おやすみ』

「お、おやすみなさい……」

 挨拶を返して電話を切った後、私は布団に突っ伏し、しばらく起き上がれなくなった。


 だからこういうのは照れるから駄目なんだってば。どうしてくれるんだ。

 電話ですらこんなにどぎまぎさせられてるのに、一緒の生活とかできるのかな。今からものすごく不安というか、そわそわする。

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― 新着の感想 ―
[一言] 物凄い茶番になりそうだけどこれって結婚したらどうなるのかな? お見合い結婚?それとも恋愛結婚? まあでも会社で秘密にする必要無くなるからいいかもね
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