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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
21/205

トライアンドエラー(5)

 私は東間さんを夕食に誘い、事の次第を打ち明ける羽目になった。

 と言っても、洗いざらい全て話せるわけじゃない。私の独断で安井さんのことを公にするつもりはなかったから、ひとまずは彼への疑いの目を遠ざけたかった。そして後々彼と口裏を合わせておくつもりでいた。

 その為、今回は相手が安井さんではないと匂わせつつ、しかし元カレについては東間さんに対して誠実に、話せる分だけ話しておく。こんな作戦を描いていた。


 仕事帰りに二人で会社近くの居酒屋へ寄り、軽く一杯とご飯をいただいた。

 退勤したのは八時過ぎ、翌日も仕事があるから深酒をするつもりはない。ただ素面でするような話でもないと思ったから居酒屋を選んだ。


 その席で、まず東間さんから先制攻撃された。

「それにしても知らなかったな。園田ちゃん、社内恋愛してたんだ」

 初球から剛速球のストレート。

 もちろん打ち返せるはずもなく、私はビールの炭酸にむせた。

「ち、違いますよ。そもそも社内恋愛とかじゃないですし!」

「違うの?」

 聞き返してくる微笑みは、もう真相まで読みきっているかのように揺るぎない。

 でもここで認めると安井さんに迷惑がかかってしまうので、断固として否定し続けなければならないだろう。

「昨日の出来事は私の元カレの話とは別なんです。あれはもう忘れてください」

「そう。じゃあそういうことにしておこうか」

 既にばればれなのかもしれない。

 まあ、この辺りは安井さんとも連絡を取り合い、どうにか払拭するとしてだ。


 東間さんにはお世話になったし、不義理を働いたとなれば申し訳ない。私は話題を変える意味でもそのことを切り出す。

「街コン、ご一緒できなくてすみません」

「ううん、気にしないで。あれは行きたい人だけが行くものなんだから」

 梅酒サワーを飲みながら、東間さんは首を横に振る。

「行きたくない人を無理に誘うつもりなんてないよ。園田ちゃんには行けない理由もあるみたいだしね」

 それはその通りだ。私は自分の問題を全て解決するまでは、婚活なんてできそうにない。

 でも気がかりなのは、件のイベントが二人一組で参加するものだということだった。東間さんは他に誘える子を探すと言っていたけど、私のせいで出られなくなったなら申し訳ない。

「東間さんはちゃんと参加できそうですか?」

 私が問うと、逆に気を遣うみたいに微笑まれてしまった。

「まだわからないけど、駄目なら駄目で今回は見送りでもいいの。一人で行けるイベントだってあるんだから」

 そして焼き鳥を箸で櫛から外しながら続ける。

「ここまで来ると焦っても仕方ないしね。私は私でのんびりやるよ」

 優しいお言葉にちょっとじんと来た。

「お気遣いありがとうございます」

 私がお礼を言うと、東間さんも力強く頷く。

「園田ちゃんもこのチャンス、逃しちゃ駄目だよ。しっかり復縁しないと!」

 ぶつけられた単語に私は、てきめんにうろたえた。

「い、いえ、復縁するって決まったわけじゃなくて……」

「でも可能性はあるんでしょ?」

 ずばりと切り込んでくる質問が痛い。何かこう、胸に突き刺さるようだ。

「ないです。上手く言えないんですけど、そういうことじゃないんです」

 私はしどろもどろになりながらも、現在の状況について説明を始める。

「最近、その元カレとじっくり話す機会があって。その中で、私が全然知らなかったことが判明したりして、そういうの知らないままで終わったことにはできないなと思ったんです」

 当たり前だけど私の説明は、何も知らない人に対しては漠然としすぎていたようだ。

 東間さんは目を瞠った後で首を傾げる。

「……つまり、誤解があって別れたけどわかりあえそうってこと?」

「そういう、ことでもないんです。別れたのはもう、お互い承知の上の理由でして」

「そもそも何で別れたの? どのくらい付き合ったの?」

 東間さんは疑問を解消しようと立て続けに尋ねてきた。

 私はビールを一口啜り、順番にそれに答えていく。

「付き合ったのは半年です」

「半年?」

 驚きの声が上がった。

「思ったより短いね。それで再燃して復縁ってことは、すごく好きだったとか?」

「いえ、その、再燃も復縁もしてないんですけど!」

 すっかりそういうものだと思い込まれてしまっている。参った。

 もっとも、安井さんはやり直しがしたいと言っていたから、してないと言い張るのも嘘になってしまうのかもしれない。

「半年、って言っても実質三ヶ月くらいなんですよ」

「へえ。じゃあそれだけ濃密なお付き合いだったわけだ」

「ど、どうですかね。ちょうど年末進行とか、向こうの仕事が忙しいとかありまして、後半はほとんど会えてなくて」

 八月の終わりに付き合い始めて、十一月くらいまでは幸せに過ごしていた。

 社会人ともなれば師走の忙しさもクリスマスなんてないこともわかっていたから、そこまでは平気だった。年末年始はお互い遠方の実家に帰省したから、やっぱりほとんど会えなかった。年が明けた途端に彼の異動が決まって、そして――。

「よくある話だよね。社会人ともなると」

 東間さんが思うところでもあるみたいに、しきりに頷いている。

 胸が痛くなるような思い出に私が目を伏せると、身を乗り出すようにして更に突っ込んできた。

「じゃあ別れたのも、向こうが忙しくてあまり会えなくなったから?」

「そう、ですね。おおよそは」

 私が曖昧に答えたせいか、東間さんは不思議そうな顔をした。

 それも打ち明けた方がいいんだろうか。個人的には触れたくない思い出だったけど、目を背けるわけにもいかない。

「会えなくても我慢しようと思ったんですけど、できなくて。つい『寂しい』ってメールしちゃったんです」


 クリスマスをスルーして、一月三日に一度だけようやく会えて初詣して、そして迎えた私の誕生日だった。

 もう日付も変わろうかという時刻だった。

 安井さんからの連絡はなかった。帰ったらメールすると言っていたから、まだ部屋に帰っていないのは明白だった。付き合い始めて最初に迎える誕生日だったから、もしかしたら会えないかと思っていたけど、会えなかった。

 こういう時に秘密の社内恋愛は面倒だ。会社で会っても何もできない。毎日同じところへ通っているのに会えないのは、すぐ傍にいるのに他人の顔をしていなければならないのは、当時の私にはとても辛くて寂しかった。

 だけどあのメールは送るべきじゃなかった。

 安井さんは日付が変わった直後に私の部屋へと現われた。見ているのも辛くなるほどよれよれの、くたびれきった笑顔を浮かべて。


「彼は真夜中に車飛ばして駆けつけてくれたんですけど、それが逆に堪えたというか、無理させたことに申し訳なくなっちゃって」

 来てくれるんじゃないかって思っていた。

 思っていたからこそ、来てもらうべきではなかった。

「それで別れたんです。もう迷惑かけたくなくて。この人の人生に、私は必要ないと思って」

 私がそこまで語った時、東間さんは複雑そうに梅酒サワーを飲んでいた。

 そしてグラスをテーブルに置いてから、やっぱり複雑そうに言った。

「彼、いい人じゃない。せっかく駆けつけてくれたのに」

「いい人なんです。優しくて、よく気が利く人で」

 安井さんに非があって別れたわけじゃない。だから私も胸を張ってそう言えた。

「最初に好きになったのも優しかったからなんですよね。私が体調崩してたのを気づいてくれて、声をかけてくれて。すごく他の人のことを見てる人なんです」

 例えば前髪を切ったとか、マスカラの色や香水を変えたとか、ケータイを機種変更したとか。そういうことも気づいて誉めてくれるのが安井さんだった。

 もちろんそれは私に対してだけじゃなく、誰に対してもそうだった。

「でも本人はちょっと格好つけって言うか。他人のことはよく見てるけど、自分のことは見せたくない人で」

「ああ、それ何となくわかる」

 東間さんは一旦頷きかけて、慌ててかぶりを振った。

「あ、ごめん。今のなし。わかってないから大丈夫だよ、園田ちゃん」

 私も咳払いをして、

「ま、まあとにかくですね」

 今のはなかったことにして、話を続ける。

「見栄を張りたがる人だから、私も、見栄を張らせてあげたいと思うようになったんです」


 最初のデートで屈辱を味わわせてしまったから尚のことだった。

 それはそれで楽しかったけど、格好つけたい人に対してその素顔を暴こうなんて行儀の悪いことだ。

 付き合い始めてからは、安井さんが格好つけたがっているなら、私もできるだけそうさせてあげようと思っていた。

 だからこそあの夜、メールで彼を呼びつけた自分が許せなかった。安井さんだってあんな顔を、くたびれきった姿を好きな相手には見せたくなかっただろう。

 そう思って、彼を遠ざけるようになった。


「結局、できなかったんですけどね。せっかく付き合ってもらったのに、見栄一つ張らせてあげられないような女じゃ駄目なんです。私じゃ彼を振り回すばかりで、ちっとも幸せにできない」

 言った後で思わず溜息をつく。

 本当はそういう女でありたかったんだと、今でも思う。

 こうして考えると私には料理の腕や貯金額の他にも足りないものが山ほどあるみたいだ。可愛げというか、男の人を立てる謙虚さというか、慎み深さというか。

「でも、まだ好きなんでしょ?」

 物思いに耽りかけたところに、東間さんがまたしてもストレートの速球を投げ込んできた。この人は意外と容赦がない。

 おかげで私はまたしてもビールにむせかけ、口元を拭いながら答えた。

「好き、じゃないですよ。そういう気持ちはもう……」

「顔赤くなってるよ」

「なってますけど! それでもです!」

「それに何か、見てればわかる。好きな人のこと語る顔だったもん」

 東間さんがいやに自信ありげに言うので、むしろ私の方が自信をなくしてしまった。

 そんなに顔に出ているんだろうか。確かに、嫌いになって別れたわけじゃないけど。今でもすごく優しくて、素敵な人だと思ってるけど。

「本当は納得していないんじゃない?」

 畳みかけるように東間さんが言う。

「その、呼びつけたメールさえ送っていなければって、思うことはない?」

 どきっとした。

「な……くはないですけど。でも私なら、あの時しでかしてなくても時間の問題でしたよ」

 可愛げないし。謙虚じゃないし。慎みもないし。

 好きな人が仕事に打ち込んでいるのを、黙って応援していられるくらいの気持ちの強さがあればよかったんだろうけど。

「自分を納得させられないうちは、次の恋なんて探すべきじゃないよ」

 東間さんはきっぱりと断言した。

「園田ちゃんは、納得できるまで試行錯誤して、考えに考えて、そして納得できるような恋愛をしてから、その人と結婚した方がいいと思う」

「それって……私に婚活向いてないってことですか?」

「うん」

 即答された。

 ぐうの音も出ない私に東間さんは微笑み、

「今はね。考えた末に選択肢の一つとして選ぶならそれはいいと思う。でもね」

 残り少なくなった梅酒サワーを飲み干してから続けた。

「その恋の結末に納得していないってこと、他の人から見てもわかるもんだよ。そしたら誰も寄ってこないし、きっと園田ちゃんだって他の人を好きになれない。納得できるまで考えた方がいいよ。特に、感情を割り切れてないんだったらね」

 感情を、割り切れてない。

 私はその言葉を心の中で繰り返す。

「忙しい時に会えなくて寂しいとか、それでつい会いたくなってメールしちゃうとか、相手に無理させたのが辛くて堪えるとか。そういうのはもう恋をすれば普通にあることじゃない」

 東間さんは滔々と語った。

「そういう気持ちを振り返った時に、好きだったんだから仕方ないって自分で納得できるようじゃないと、前に進めないよ」


 言われてみれば私は、あれからちっとも前に進めていない。

 納得だってしていない。好きだったんだから、なんて思うこともできない。

 だけど、好きだった。その気持ちが根底にあったことだけは、それが引き金になったことは確かだ。私は自分を許せなかったけど、その思いを今になって納得させることなどできるだろうか。


「私、考えるのは苦手なんです。納得なんてできるかな」

 正直に告げると、東間さんは笑った。

「大丈夫、園田ちゃんには一緒に考えてくれる人がいるんでしょ?」

「え……」

「元カレと、いい機会だからじっくり話し合いなよ。納得できるまで」

 もちろんそうなるだろう、とは思っている。

 安井さんとはきちんと話し合う必要がある。私がまだ知らないことがたくさんあったみたいだから。

「頑張れ、園田ちゃん」

 東間さんに励まされ、私はなぜだか無性に照れた。

「どうなるかわかんないですけど。もし納得した上で婚活したいってなったら、また相談に乗ってください」

「いいよ。いくらでも聞いてあげる」

 快く応じた東間さんが、その後でふっと笑む。

「そうならないように願ってるけどね。でも大丈夫じゃないかな、あなた達なら」

 力強く保証されると、今はまだ、反応に困る。


 一杯だけで居酒屋を引き上げ、東間さんとは駅で別れた。

 そしてアパートへ戻ったタイミングで、安井さんからメールが届いた。

『今帰った。花火大会を励みに今日から頑張る』

 それを読んで、ああ、付き合ってた頃はこんなメールをよく貰ってたなと懐かしく思う。

 あの頃は確かに、安井さんのことが好きだった。

 当時の想いを振り返り、彼と一緒に考えて、全て納得できたなら、私はどんな結末を迎えることになるんだろう。


 今はまだ想像もつかないから、彼宛てにお疲れ様、と返事を打った。あの頃みたいに。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここまでアドバイスしてくれる人いいなぁ 私は相談乗ってくれてた友達に好きな相手を取られたので、もう二度と恋愛相談なんて出来なくなりました
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