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ナインカウント  作者: 森崎緩
番外編
204/205

社内報ラブストーリー:小野口課長編

「小野口課長! お願いします!」

 苦し紛れに声を上げると、

「僕? 僕が何?」

 最近かけ始めたリーディンググラス姿の小野口課長が、驚いたようにこっちを向いた。

「課長にお願いするの?」

 東間さんが小首を傾げたので、私は大慌てで頷く。

「はい! ラブストーリーと言えば小野口課長です!」

「えっ」

「確かに奥様と仲良しではいらっしゃるけど。いいと言ってもらえるかな」

「可愛い部下の頼みです。きっと聞いてくださると信じてます!」

「えっ」

「それもそうだね。じゃあお願いしてみようか」

 そこで私は席を立ち、東間さんと共に小野口課長の席へと向かう。

 小野口課長はいそいそとリーディンググラスを外し、机の前に立つ私達を見上げた。

「ええと……どういうことかな?」


 余談だけど、我が広報課において目下『老眼鏡』という単語は禁句である。

 今年の健康診断でリーディンググラスが必要だと判明した時、小野口課長はとてもへこんで、しゅんとしていた。

 広報課員一同は尊敬する上司の悲しむ顔なんて見たくないのだ。ささやかな気配りというやつだ。


「実は、来月の特集記事にちょっと隙間ができてしまったんです」

 心優しい部下の私は、ここぞとばかりに課長に訴えた。

「そこで課長に、テーマに合ったお写真をいただけたらと……」

「構わないけど、どうして僕?」

「やっぱりラブストーリーと言えば、小野口課長だからです」

 すると課長は否定するように片手を振る。

「君だって新婚じゃないか園田さん。写真もいっぱいあるだろう?」

「私は今年、もう載せてもらったばかりなので」

 表向きは謙虚に振る舞っておく。もちろん恥ずかしいから載せたくないだけだけど。

「なので今度は課長、いかがですか。奥様との写真なんて」

 東間さんの言葉に、小野口課長はたちまち眉尻を下げた。

「僕はいいよ、恥ずかしいからね」

「そう言わずに。『ラブストーリー』と決めたのは課長なんですから」

「自分を載せたくてタイトルを決めたわけではないしなあ」

「園田ちゃんが困ってるんです、一肌脱いでください」

「そりゃ、助けてあげたいのはやまやまだけど……」

「ではお願いします。奥様との仲睦まじい写真を是非一枚」

 退路を断つ東間さんの話術がすごい。

 あっという間に追い詰められた小野口課長は、困り果てた様子でこめかみを掻いた。

「ラブと言っても夫婦愛とは限らないじゃないか。他の写真じゃ駄目?」

「当の広報課長ですからね。インパクトのある、わかりやすい写真をお願いしたいです」

 東間さんはそう言うと、自分の懐から携帯電話を取り出す。

「何でしたら私の方から奥様に連絡しておきましょうか? 社内報に載せる写真をご用意していただけないかと――」

「ま、待ってくれ東間さん。それは僕が言うから」

 小野口課長はすっかりあたふたしている。

 私はこの流れに圧倒されつつ、気になったので東間さんに尋ねた。

「小野口課長の奥様の連絡先、知ってるんですか?」

 すると東間さんは美しく微笑んで、

「広報のOGだからね。私にとっても先輩なの」

「へえ、知らなかったです」

 社内結婚だとは聞いていたけど、そうだったんだ。それじゃ東間さんとラインが繋がっているのも当然か。

 ともかくも、これで写真が確保できそうだ。


 翌日の朝、出勤してきてすぐに、

「園田さん。約束の写真、持ってきたよ」

 小野口課長はいい笑顔で私に言った。

「ありがとうございます、助かります!」

 こちらも笑顔でそれを受け取り、早速ラップトップを立ち上げる。朝礼前だけど、写真だけでも確認しちゃおうと思ったからだ。

 いただいた画像データを取り込むと、ディスプレイには一枚の写真が表示された。

 あのハーブティーのお店で、耐熱ガラスのカップを傾ける小野口課長が写っていた。

「どうかな、この写真。結構よく撮れてるだろう?」

 課長は自信ありげだったけど、個人的には思っていたのと違った。

「奥様のお姿が見えませんが……」

「ああ、妻はカメラ係だったからね」

「今回のテーマ、『ラブストーリー』ですよ」

 確かに写りはいいけど、肝心のラブはどこだろう。奥様がちらりと見切れてやしないかと目を凝らしてみたけど、どうも写っていないようだ。

「だから、僕の好きなものばかり撮ってもらったんだよ」

 と、小野口課長は胸を張る。

「妻の店と、妻が入れてくれたハーブティー。そこでのんびりと過ごす時間。愛で溢れているじゃないか」

 確かに、そうかもしれないけど。


 てっきり私は、小野口夫妻のツーショットでも持ってきてくれるのかと思っていた。

 あの美男美女ならインパクトは絶大だったはずだ。

 もっともこれだって、思っていたのとは違っただけで悪い写真というわけではない。せっかく用意してもらったものだ。ありがたく使わせてもらおう。


「にしても、奥様ってカメラお上手なんですね」

 写真の中の小野口課長は、いつにも増して男前だ。

 落ち着いた内装の店内でカウンター席に座り、少し伏し目がちにハーブティーを飲んでいる。

 斜め上から撮影されたその表情は物思いに耽っているようでもあり、安らいでいるようでもあり、いかにもオフショットらしい緩さで満ちている。普段着の白いニット姿がまた爽やかでいい。

「店の関係でよく撮るからね」

「そっか、そうですよね。課長、すごく男前に撮れてます」

 私が誉めると課長は照れたのか、写真と同じように目を伏せてしまった。

「そう言ってもらえると、妻が喜ぶよ」

 と言いつつ、課長自身もすごく嬉しそうだった。


 かくして、小野口課長の協力もあって特集記事は無事完成した。

 様々な愛をテーマにした特集において、小野口課長の写真は見事に溶け込み調和してくれた。そこに奥様の姿がないことをがっかりした面々もいたようだけど、その点は仕方がない。奥様ご自慢の店内でハーブティーを飲む課長の姿が決まっていたから、個人的にはこれでもよかったと思うことにした。

 何にせよ、持つべきものは心優しい上司だ。


 翌月、社内報が更新されると、巡くんは早速読んで感想をくれた。

「読んだよ、『社内報ラブストーリー』」

 仕事を終えて帰宅して、夕飯を食べて一息ついたタイミングで切り出してきた。

「小野口課長の写真、格好よかったな。まるで映画俳優みたいだった」

「でしょう。男前だからね」

「あれ、奥様が撮ったんだろ?」

「そうだって。わかる?」

 言い当てた巡くんに、私はすかさず聞き返す。

 すると彼は腑に落ちたという顔で答えた。

「ああ。あの表情は奥様じゃないと撮れないだろ」

「そう?」

「そうだよ。あの顔は、好きな人に撮ってもらった時の顔だ」

 巡くんは、彼らしくロマンチストなことを言う。

 それは私も、そうかもなあとは思うけど、でもその根拠はどこなんだろう。

 私が不思議に思っているのを、表情から察したんだろう。巡くんは猫をあやすみたいに私の顎の下をくすぐりながら語る。

「俺はあの写真を見て、お前の写真を思い出した」

「私の? それってまさか……」

「その通り。森林公園で撮った写真だよ」


 私達がまだ付き合う前に、一緒に行った森林公園で写真を撮った。

 タンデム自転車で巡くんをダウンさせた後だ。サイクリングロードを休み休み進む途中で、ベンチに座って写真を撮った。あの頃はまだ二人一緒に撮るという発想がなくて、私が巡くんの写真を、彼が私の写真を、私のカメラでそれぞれ撮った。

 巡くんはあの写真をまだ大切に持っていて、机にしまい込んでいたのを取り出して見せてくれた。


「ほら。『好きな人』に撮ってもらうと、こうなる」

 写真の中の私は恥ずかしそうにはにかんでいる。

 ほっぺたを赤くして、明らかにカメラを持つ人を意識している。その目は確かに、好きな人を見つめている目をしていた。

「改めて見るとこれ、恥ずかしいな」

 私はその写真を巡くんに返し、それから社内報に載せた小野口課長の写真を思い出す。

 思えばあの顔も照れているようだった。私はそれを、てっきりカメラを向けられたからだと思っていたけど、奥様の存在を意識していたからだったんだ。

 ラブストーリー、だったんだなあ。

 だけど課長、何て言って奥様に写真を撮ってもらったんだろう。ちゃんと『ラブストーリー』だって言ったのかな。そこはすごく気になる。

「俺も久々に、伊都の写真が撮りたいな」

 巡くんが不意にそう言って、思索に耽る私を現実へ引き戻す。

「今夜あたり、どうかな。俺をカメラマンにさせてくれ」

「今日は駄目。もう化粧落としちゃったから」

「気にしなくていいだろ。どうせ俺しか見ない」

 私の反論なんて軽く受け流し、巡くんは指の長い手で私の脚を撫でる。


 一体この人は何の写真を撮るつもりだ。

 私は苦笑しつつ、でもきれいに撮られたい女心はわかって欲しいなと思う。撮られたくないわけじゃない。どうせ撮ってもらうなら、よりきれいに、より可愛く写りたい。

 だって、好きな人に撮ってもらうんだから。

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