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ナインカウント  作者: 森崎緩
番外編
194/205

ボーイズアンドガールズ(霧島ゆきの編)

 皆で、温泉旅行に行こう。

 そんな素敵な提案をしてくれたのは、安井さんと伊都さんのご夫婦だった。

「調べたんだけど、六月って閑散期らしいんだ。行くなら今がいいと思う」

「温泉だったら雨降っても問題ないしね。皆で行こうよ!」

 二人からお誘いを受けた私と映さんは、もちろん一も二もなく賛成した。


 最近の私は、とうとうふくらんだお腹が目立つようになってきた。

 順調に行けば再来月の初め頃には夫婦揃ってお父さん、お母さんになる予定だ。

 経過も問題はなく心配事はあまりなかったけど、産まれた後はめまぐるしい生活が訪れると聞いている。母や諸先輩から経験談を聞くにつれ、予想される産後の慌ただしさには一抹の不安があった。きっと自由になる時間なんて少しもないに違いない。

 だからこそ、どこかへ出かけるなら今のうちに。

 そう思っていた折のお誘いだったから、まさにグッドタイミングだった。


「探してみたら、妊婦さんに優しいお宿って結構あるんです」

 藍子ちゃんが持参したノートパソコンの検索画面を指差す。

「近場で当たってみたんですけど、ここはマタニティプランがあるそうですよ。こっちは転倒防止の畳敷きの旅館で、こっちはお食事メニューが自由に選べるみたいで――」

 やはり私のように、忙しくなる前に旅行をしたいと思う人は多いようだ。市内や近隣市町村の温泉宿だけでも妊婦さん向けのメニューは豊富で、目移りするほどだった。

 ただ、特殊な事情を抱えた私のせいで、皆さんの選択肢が狭まってしまうのはやはり気が引ける。当然ながら妊婦さん向けではない温泉だってたくさんあるのだろうし、そういうところの方が皆さんにとってはいいのではないだろうか。

「いいんですか? 私の事情で宿泊先を選んじゃって」

 思わず尋ねた私の懸念は、

「気にすんなって。六人で行くとなりゃ、全員の意見まとめんのも手間だしな」

 石田さんがあっさり笑い飛ばしてくれた。

「むしろ絶対外せない条件があると探しやすくて助かる。この際だ、どんどん言ってくれ」

「そうそう。俺達の好きなように選ぶとなると、意見割れるの目に見えてる」

 安井さんまでそう言ってくれたので、私と映さんはありがたくご厚意に甘えることにした。

「気を遣わせちゃってごめんなさい」

 頭を下げる私の隣で、映さんも同じように頭を下げる。

「ありがとうございます、先輩がた。お気遣いいただいた分だけ楽しい旅行にしたいです」

 彼の言葉に私も、心から頷いた。

 皆が案じてくれた分だけ、今回は楽しい旅行にしたい。


 そして私達は六人で意見を出し合い、旅行の詳しいスケジュールを煮詰めた。

 日程は無理なく一泊二日、宿泊先は隣町にある小さな温泉旅館。恐らく梅雨入り直後となる六月の初めに行くことに決まった。伊都さんが言った通り雨天だろうと、嵐にならない限りは決行するそうだ。

 それから、旅行を楽しむうえで一番肝心なのが部屋割りだろう。

 私も学生時代から、修学旅行や宿泊研修の部屋割りでは常に一喜一憂していた。大抵は仲のいいお友達と一緒になれるのだけど、ホテルや旅館の客室は定員がかっちりと決まっていて、そうなると仲のいい子同士で固まることができない場合もある。もちろん上手い具合に仲のいい子と一緒になれたらそれはもう楽しい夜が過ごせてしまう。

 さて、今回はどんな旅行になるだろう。


「……先輩は、納得してるんですか」

 旅行当日、石田さんの車の助手席に座る映さんが、小さな声で尋ねていた。

 運転席の石田さんは間を置かずに答える。

「この顔がしてるように見えるか?」

 後部座席にいる私からは、バックミラーに映る石田さんの鋭い目元がちらりと見えた。

 でも、その胸中まではわからない――と、しておこう。

「してないんだったらどうして反対しなかったんですか」

 映さんが食ってかかるように言えば、石田さんはなぜかそこで相好を崩し、

「藍子が喜んでるからだ!」

「そ……それだけですか!?」

「それだけとか言うな。俺は藍子が尻尾ぱたぱた振って可愛く喜んでる姿だけで飯が三杯食える」

 実に石田さんらしい発言の後で、彼はからかうように映さんをつつく。

「お前はどうなんだよ。嫁さんが喜んでんのに、お前がむっつりしててどうすんだ」

 それで映さんは後部座席の私を窺うように振り返る。

「わがまま聞いてくれてありがとうございます、映さん」

 私が笑いかけると、映さんもつられたように微笑んでから前に向き直った。

「妻の喜びは何物にも代えがたいですからね」

「だろ? そう思うんなら無駄な抵抗はよそうぜ」

「でもだからって、なんで俺が先輩がたと一緒の部屋なんですかね」

「そりゃ男女で分ければそうなるだろ」


 旅行において一番肝心なのが部屋割りだ。

 三組の夫婦で行くのだから、普通なら各夫婦ごとに三部屋取るのが筋なのかもしれない。

 だけど今回は、男女で部屋を分けることにした。つまり私と藍子ちゃんと伊都さんで一部屋、そして映さんと石田さんと安井さんで一部屋だ。

 そういうふうに話が運んだきっかけは伊都さんが『これって修学旅行みたいだよね!』と言い出して、それに藍子ちゃんが『だったら本当に修学旅行っぽく、女の子同士の部屋にしませんか?』と続いて、私としてもそれはとても楽しそうに思えたから嬉々として追従した。

 もちろん男性陣からは真っ向から、あるいはそこはかとなく反対意見を提示された。そこで議論の後に投票をしてみたところ、賛成四、反対一、棄権一と呆気なく過半数を超えての可決となった。きっといろんな思惑があったのだろうと思う。


「あっ、見てくださいゆきのさん。伊都さんが!」

 私の隣に座る藍子ちゃんが、リアガラスの向こうを指差す。

 つられて振り向けば、石田さんの車のちょうど一台後ろを走る安井さんの車が見えた。助手席の伊都さんが手を振っていたので、私も藍子ちゃんも一緒になって振り返した。

「こういうの、いいですよね。旅って感じで!」

 石田さんの言う通り、今日の藍子ちゃんは大はしゃぎだ。旅といっても車で一時間半程度の道程を、それでもとても楽しそうに過ごしている。

「藍子ちゃんは旅行が好きなの?」

 私が尋ねると、彼女は屈託なく答える。

「大好きです! 家じゃないところにお泊まりするのって、何だかどきどきしませんか?」

「それはわかるかも。皆でお泊まりも楽しいよね」

「ですよね!」

 そして藍子ちゃんは、楽しみを堪えきれない様子でふふっと笑った。

「しかも今夜はゆきのさんと伊都さんと一緒ですもん。何して過ごそうか、わくわくしてるんです」

 確かにそれは私も楽しみだ。思えば大人になってからというもの、女友達と泊まりがけの旅行をする機会がなかった。それこそ学生時代以来かもしれない。

 となれば、懐かしさからくるテンションの急上昇が私達を学生気分に引き戻すのも無理もないことだろう。

「夜通し何話そうっか。やっぱり、恋バナ?」

 ついつい私まで浮かれて、そんなふうに水を向けてみた。

 途端に藍子ちゃんはぱっと赤くなり、

「そ、それはちょっと……恥ずかしいですからっ」

「えっ、そう? 私は聞きたいなあ、藍子ちゃんの恋バナ」

「駄目ですよそんなの……!」

 もじもじする彼女を、運転席の旦那さんはとても気にしているみたいです。

「恋バナが駄目なら、百物語にする?」

「えっ! ゆきのさん、そういうのお好きなんですか?」

「好きってほどじゃないけど、修学旅行の夜の定番じゃない?」

「私はしたことないです。定番だったんですか……」

「よくやったなあ。人を怖がらせるのって難しいけど面白いよね」

「意外……! ゆきのさんの意外な一面が見えちゃいました」

 そう、これまでは知らなかった意外な一面が覗けてしまうのも、誰かと行く旅の醍醐味の一つだ。


 私はこの旅の間に藍子ちゃんや伊都さん、それに石田さんや安井さんの知らなかった一面を知るようになるのかもしれない。

 もしかしたら映さんにもまだ知らない一面があって、それを見ることだって叶うかもしれない。


 こっそりと視線を送った先、助手席の映さんはまだぼやき続けている。

「はあ……先輩がたには何かやらかされそうな予感しかしない……!」

 映さんとお二人の先輩は普段からとても仲がいいのだけど、一泊旅行となると抵抗があるみたいだ。

 それとも、ただの照れだろうか。私としてはこちらを推したい。

「言っときますけど先輩、枕投げは禁止ですからね!」

「マジかよ霧島。枕投げしないで、修学旅行の夜をどう過ごす気だ」

「修学旅行じゃないですから! いい大人がやめてくださいよそんなの」

「じゃあ何するんだ。俺らも恋バナするか?」

「先輩はいつもやってるじゃないですか!」

「あとはあれだ、王様ゲームなんてのも定番だよな」

「平均年齢三十越えの男三人の王様ゲームって、最悪な光景ですよね」

「楽しいぜ。下心とか抜きに、いかに相手を苦しめるか考えればいいんだからな」

「もういいですから、夜はちゃんと寝ましょうね。九時消灯です」

「お前こそ小学生かよ! 修学旅行かよ!」

 助手席と運転席の会話が非常に盛り上がっている。

 そのあまりの楽しさに、私と藍子ちゃんは顔を見合わせて密かに笑い合っていた。

 思い出に残る旅行になりそうだって、思う。


 一時間半のドライブの後、石田さんの車は静かな山中に建つ旅館の駐車場に辿り着く。

 車を降りると、外は梅雨時らしいあいにくの小雨模様だった。周囲を緑の山林に囲まれた温泉旅館はこじんまりとした佇まいで、見た目の通りに客室が十室しかないらしい。

 大勢の宿泊客でひしめく浴場や、タバコの煙が立ち込める宴会は避けた方がいいと言われて、つまりは私の為に選んでもらったお宿だった。


「着いたー!」

 隣に安井さんの車も停まり、降りてきた伊都さんが心地よさそうに伸びをする。

「ちょっとしか走ってないのにこんな山の中に来れちゃうんだな」

 続いて下りてきた安井さんが、山林を見て驚いた顔をする。

 私も向こうの街に住み始めてもうじき十年という頃合いだったけど、この辺りに広がる山林地帯はほとんど未知の領域だった。温泉街があることは何となく知っていたものの、訪れたのは当然初めてだ。初夏らしい濃い色合いの緑の向こう、乳白色の空が広がっている。雨は煙るように細かく降りしきり、浴びると心地いいほどだった。

「隆宏さん、運転お疲れ様です! お荷物持ちますよ!」

「何言ってんだ、別に疲れてないし俺が持つ」

 藍子ちゃんと石田さんが早速じゃれ合っているのを微笑ましく見守っていると、ふと。

「ゆきのさん、身体冷やしますよ」

 真っ黒な傘が差しかけられて辺りが陰り、代わりに映さんがこちらを覗き込んできた。

「ちょっとの雨です、大丈夫ですよ」

 私はそう言ったけど、映さんは頑としてかぶりを振る。

「駄目です。さあ、旅館に先に入っててください。荷物は俺が持っていきますから」


 少し前ならその言葉にも『大丈夫ですよ』と答えていたところだ。

 だけど私の身体はいよいよ重みを増し、自分の自由にならないところまで来ている。

 今日の旅行だって事前にお医者様とも相談して、入念に準備をした上での決行だった。来たからには楽しみたいし、体調を崩して皆に迷惑をかけては悪い。いつも以上に自分をいたわる必要があることもわかっている。


 だから私は、映さんから傘を受け取った。

「ありがとうございます。じゃあ、中で待ってますね」

 そう声をかけると、眼鏡に小さな雨粒を載せた彼が頷く。

「ええ、すぐに追いかけますから」

 そんなやり取りに少しだけ照れながら、私は黒い傘を差し、一足先に旅館のロビーへ向かった。

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