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ナインカウント  作者: 森崎緩
番外編
192/205

愛は隠すものでなく

 バレンタイン前に、東間さんとチョコを買いに出かけた。

「職場宛てのチョコレート、毎年毎年悩んじゃうね」

「これだけ種類あると、目移りどころじゃないですもんね」

 二人でデパ地下をさまよい歩きながら、広報課に贈るチョコレートを選んだ。今年は個包装のトリュフチョコレートの詰め合わせにした。これなら手も汚れないし配りやすい。舌が肥えてる小野口課長にもご満足いただけるブランド品だ。


「職場で配るチョコって、本命チョコより選ぶの難しくない?」

 散々悩まされた後で、東間さんがそう言った。

「皆に喜ばれて、配りやすくて、誤解もされないような……って求められる条件が多すぎなんだもん」

「全くです」

 その点、本命チョコは楽でいい。何せ好きな人のことだ、好きなものも知り尽くしている。

 私の場合、巡くんの好きなものはちゃんと知ってるし、だから今年のバレンタインデーに何をあげるかはもう決めていた。

「園田ちゃんは本命に何あげるの? 豆腐?」

「やっぱ、わかっちゃいます?」

「わかるっていうより、それしか浮かばない」

 東間さんは笑いを堪えていたけど、巡くんも豆腐が大好きだ。バレンタインのディナーに美味しい豆腐料理で迎え撃てば、きっと大喜びしてくれるに違いない。

 特に今年は結婚して初めて迎える二月十四日、つまりは特別なバレンタインだ。

 ちょっと手の込んだお料理にしようかなと考えていた。


 買い物を終え、混み合うデパ地下を抜け出そうとしたところで、

「……あ」

 ふと、お菓子屋さんのショーケースが目に留まった。

 思わず立ち止まってしまったのは、そこに素晴らしく可愛いお菓子が飾られていたからだ。

 ココアクッキーで組み立てられた美しいグランドピアノ。ちゃんと蓋が開くようになっていて、その中には小粒のプラリネチョコレートがしまわれている。鍵盤部分もチョコレートで、ちゃんと黒鍵と白鍵がある細かさだ。

「すごい、本物のピアノみたい……」

 私がケースを覗き込むと、東間さんも一緒になって声を上げた。

「わあ、可愛い! こんなバレンタインのお菓子もいいね」

「こんなお菓子、むしろプレゼントされたいですよね!」

 贈るより貰いたい。でもいざ貰ったら、もったいなくて食べられないだろうな。

「そうだね、お値段もそこそこだしね……」

 東間さんが、こっそり囁いてくる。

 言われて値札を見てみれば、まさにそこそこのプライスだ。ちょっといいお豆腐が二十丁は買えてしまう高価なお菓子だった。さすが、見た目通りのラグジュアリー感。

「これは、自分用ってわけにもいかないか」

「やっぱ本命用ですね」

 肩を落とす東間さんに私も頷いたところで、ふと思った。


 そういえば巡くん、昔、ピアノ習ってたんだっけ。

 彼の実家にお邪魔した時、レコードを聞かせてもらったり、小さな頃の発表会の写真を見せてもらったりした。あのレコード部屋で過ごした時間はすごく印象に残っていて、私の知らない巡くんの新たな側面にどきどきした。今はもう指が動かないと言っていたけど、巡くんの指の長さを見ていると、今でも弾けるんじゃないかって思えてくる。

 今年のバレンタインデーは特別だ。私達が結婚して、初めて迎える二月十四日。豆腐ももちろん美味しいけど、チョコレートもあったらもっと喜ばれるかもしれない。


「……これにしよう、かな」

 私がそう口にすると、東間さんは意味ありげに微笑んだ。

「園田ちゃん、もしかして本命用?」

「えっと、まあ、そんなとこです」

「さすがは新婚さん、チョコレートも張り切ってるね!」

「そ、そういうんじゃないんですけど!」

 でも確かに、今年のバレンタインデーは特別だから。

 お豆腐二十丁分のチョコレートを買って、彼に贈りたくなった。

 件のチョコレートは完全予約制の当日お渡しだった。私は前金を支払い、引き換え票を貰ってお財布の中にしっかりしまっておいた。


 バレンタインデーが近づいてくると、巡くんは目に見えてそわそわし始めた。

「そういえば、来週はバレンタインデーがあるな」

 自分から言い出しちゃうところがまた巡くんらしい。

 去年もそんなことを言ってたなと思いながら、私はにやにやしておく。

「用意はしてるから心配しないで」

 途端に巡くんは表情を輝かせたけど、それを押し隠すみたいに、

「それは楽しみだよ」

 なんて、冷静に言ってのけた。

「去年は麻婆豆腐だったけど、今年は何かな。冬らしく温かいメニューかな」

 そのくせ聞き出そうとする姿勢は隠さない。それ聞いちゃったら、当日の楽しみがなくなると思うけどなあ。

「内緒。当日のお楽しみだよ!」

 私はそう答えて、以降は巡くんがそわそわしようが誘導尋問を試みようがくすぐってこようが、ひたすら黙秘を貫いた。

 にしても、やっぱり豆腐だと思われていた。それもそうか。

 なら、今年は巡くんをびっくりさせることができそうだ。


 そして迎えた二月十四日。

 あいにく平日だったので、私は昼休みを利用してひとっ走りチョコレートを引き取ってきた。

 デパ地下で引換え票の代わりに渡されたチョコレートの箱を見た時、一足先に私がびっくりした。

「意外と、おっきい……」

 店員さんの説明によれば、最後の仕上げとなるピアノの組み立ては自分でしなくてはならないらしい。三段重ねの重箱サイズの箱には、ピアノの外枠であるクッキーとチョコレートの鍵盤、それに中にしまうプラリネチョコレートが全て同梱されているとのことだった。

 箱を入れた紙袋をがさがさ言わせながら会社に戻り、地下駐車場に乗り入れて、愛車を停める。

 それから嵩張る紙袋を持ち上げて、今更ながら気後れしてきた。

「ちょっと張り切りすぎたかな……」

 豆腐二十丁分の出費を悔やむつもりはないけど、ちょっと張り込みすぎた感は否めない。


 いくら今年のバレンタインが特別だとは言え、こんなに大きな箱を渡したら、巡くんは何て言うだろう。そりゃ喜んではくれるだろうけど――。

 むしろ『今年は特別!』なんて頑張っちゃった自分が恥ずかしい!


 紙袋を覗き込んで駐車場に立ち尽くしていれば、

「よう園田、バレンタインの買い出しか?」

 急に声をかけられて、更にびっくりした。

 振り向けば、石田さんが駐車場の奥から現れていた。その目は私が提げている紙袋に向けられていて、私は曖昧に頷く。

「うん、まあ、そんなとこ。石田さんは営業の帰り?」

「ああ。出先でしこたまチョコ貰ってきたとこ」

 営業課の石田さんは妙に上機嫌だった。上へ戻るエレベーターを一緒に待ちながら、すごく楽しそうな笑みを浮かべている。

「そんなにいいチョコ貰ったの?」

 私が尋ねると、石田さんはちょっと誇らしげに頷いた。

「それはもう大量にな。お蔭様で藍子へのお土産がたっぷりできた」

「あ、それでにこにこしてるんだね……」

 そんなところだろうとは思った。石田さんが藍子ちゃん以外のチョコを喜んでもらう理由なんて、そのくらいしかないだろう。

「いいよな、バレンタイン。『うちの妻が喜びます』って言えば余分に貰えたりするし、そうすれば藍子がもっと喜ぶ。堂々と惚気話もできる。一石三鳥だ」

 石田さんは嬉々として語る。二月十四日をこの上なく堪能している素晴らしい笑顔だった。

 巡くんも、私がこのチョコあげたらこんなふうに笑ってくれるかな。

 そう思いながら紙袋を見下ろせば、石田さんも一緒になって覗き込んできた。

「園田もでかいの持ってんな。広報の分か?」

 また鋭いところを突いてくるものだ。

 私は一瞬言葉に詰まり、

「ううん、個人用……」

 おずおずと答えれば、石田さんは思いきり目を見開く。

「でかいな!」

「うん、おっきいね……」

「すげえな、そんなの貰ったらチョコより早く安井がめろめろに溶けるぞ」

「ど、どうかな」

 巡くん、喜んでくれるかな。

 でもって、この箱の大きさにどんな反応をされるのかも、気になる。

「何か、今更だけどちょっと張り切りすぎちゃったかなって思って」

 到着したエレベーターに乗り込んだ後、気後れする内心を打ち明けた。

 すると石田さんは、軽く笑い飛ばしてきた。

「何言ってんだ、お前のすることで安井が喜ばないはずないだろ」

「それは、うん、その通りだと思うんだけど」

 自分でも思ってたけど、石田さんに言われると余計にそうかもなって思えてきて、すごく照れた。そうだとは思うんだけど、だからこそかな。恥ずかしいのは。

 石田さんは私の顔をちらっと見て、それから何やらしたり顔で言い放った。

「お前、そういう顔は安井の前でだけしてやれよ」

「何それ。私、どんな顔してる?」

 すると石田さんは答えて曰く、

「安井のことが好きで好きでしょうがないって顔」

 私は思わず息を呑む。

 自分が今、どんな顔してるかなんて鏡でも見ない限りはわからない。だけど見たくない。何か自分でもわかる気がするから!

「そ、それを言うなら、石田さんだって藍子ちゃん大好きって顔してるじゃない」

 苦し紛れに言い返すと、わかっていたけど石田さんは照れるどころか堂々と答えた。

「まあな! 愛は隠すもんじゃないぜ、園田」

 それは、確かにそうかもしれない。


 だから私も愛は隠さず、そのチョコレートを帰宅後に、巡くんに手渡してみた。

「あ、あの、ちょっと大きいんだけど……」

「本当にでかいな」

 さしもの巡くんも箱の大きさには度肝を抜かれていたようだ。

 でも受け取ってみて、その箱を見下ろした途端、巡くんの口元がわかりやすく緩む。

「この箱の大きさと重さが、そのまま伊都の愛の大きさってことか……」

「そうだと思うよ」

 私ははにかみつつも、頷いた。

 だって自分でも目にした時、びっくりしたくらいだ。こんなに大きかったんだって。巡くんがどう思うか、不安になっちゃうほどだった。

「でも中身も見てみて。自分で組み立てるセットなんだって」

 そう告げると、巡くんは箱の包装紙を丁寧に剥がしてくれた後、いそいそと箱を開けた。

 中に入っていたのはまだ組み立てられる前のグランドピアノ型クッキーと、鍵盤型のチョコレートと、中にしまっておくプラリネチョコレートだ。

「……ピアノ?」

 巡くんはさすがだ。蓋の形を見ただけで、それがピアノ型のお菓子だって気づいてくれた。

「昔、習ってたって教えてもらったから」

 私が言い添えると、彼は恥ずかしそうに笑ってみせる。

「本当に昔の話だよ。今はもう、多分弾けない」

「でも巡くんにピアノって、すごくぴったりだなって思ったんだ。話聞いた時」

 ちらりと彼の手に目をやる。ピアノを弾くと言われたらすんなり納得してしまいそうな手をしている。私にとって楽器は未知の領域だから、甘い考えなのかもしれないけど。

 私の視線に気づいた巡くんが、その手で私の髪を撫でる。

「それで俺にピアノか。あの時のこと、思い出深く思っててくれたんだな」

「うん。レコード部屋も、あの時聴いた『菩提樹』も、すごく素敵だった」

 巡くんのご実家で過ごした時間は、何もかもが本当に思い出深い。

 ショーケースに飾られたピアノに目が留まったのも、それを巡くんに贈ろうと思ったのも、あの時のことがあったからだ。

「巡くんが弾くピアノ、聴いてみたかったな」

 その頃に出会えなかったことだけは、全くもって残念だ。

 そう思っていたら、巡くんは私の内心を見抜いたように尋ねてきた。

「俺に、弾いて欲しい?」

 もちろん即答した。

「弾いて欲しい! 巡くんがピアノ弾いたら、絶対格好いいと思う」

「なら、久々に練習してみようかな」

 巡くんは涼しげな目をいとおしげに細めて、私を見た。

「趣味で弾く分には、今からだって遅いってことはないからな」

「そうだね。巡くん、自転車だって乗りこなして、これからしまなみ海道渡るんだから」

 だからピアノだって、すんなり弾けちゃいそうな気がする。


 でも今日のところは、巡くんの指の長い手はピアノを弾くのではなく、組み立てる為に働いた。

 アイシングを使って二人がかりでココアクッキーのピアノを組み立て、チョコレートの鍵盤を載せる。巡くんが器用な手つきで蓋の微妙な開き具合まで調整した後、ピアノの中に宝石のようなプラリネチョコレートをしまってくれた。

「完成!」

「わあ……すごい! やっぱり可愛い!」

 できあがった小さなグランドピアノはお店で見たのと同じように可愛らしく仕上がって、私達の家のテーブルに置かれた。二人で頬をくっつけあってそのピアノを眺めた後、記念に写真を撮ったり、完成記念だと言って巡くんからキスされたりした。

「完成記念って、何?」

 我に返って尋ねると、巡くんは澄まし顔で答える。

「いいだろ、こんなに素敵な愛を貰った後だ。浮かれたってさ」

 正確には、今の彼の顔は、澄まそうとしているけどちっともそうできていない顔だった。

 今日、石田さんが言っていた通り、チョコよりも早くめろめろに溶け始めてそうな顔。

「でも困ったな、食べるのがもったいない」

「食べてよ、せっかく買ってきたんだから」

「いいのか? 結構高かったんだろ、これ」

「……うん、まあ」

 豆腐に換算すると、ちょっといいのが二十丁くらい。

 でもそのくらいの愛だって込めたつもりだ。

 そして、愛は隠すものじゃない。そう思ったから、恥ずかしかったけど思い切って言ってみた。

「今年はほら……結婚して最初のバレンタイン、だからね」

「だから、特別だって?」

 巡くんが嬉しそうに聞き返してくる。

 本当にめろめろで、チョコより早く溶けてそうで、それから――私のことが好きで好きでたまらないって顔をしている。

 それなら私も今は、そういう顔になっているだろう。巡くんのことが大好きでしょうがないって顔をしてるんだろう。

 そう思ったから、

「今日のことも、後になってから思い出深く感じるよ、きっと」

 私は照れながらも彼に告げて、緩みきった巡くんの頬に、お返しのキスをした。

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