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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
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いとしいとしというこころ(5)

 これまでの人生において、披露宴なるものには何度も出た。

 花婿として高砂席に座る霧島や石田を自分の席から眺めては、意外と遠いなと思ったり、でも話しかけに行けばそこにいるのは花婿の体裁だけは整えたいつものあいつらだったり――俺はその度に、あいつら結婚するんだなという少しの寂しさと、結婚したって人間すぐに変わるもんじゃないんだなという安堵を覚えた。そうやって俺は皆の結婚式と披露宴を、そして晴れの日を見送ってきた。

 今日、俺自身が高砂席に座ってみて、ここから他のテーブルを眺めてみれば、そこまで遠い気がしないことに気づいた。

 ここからはホール内の全てのテーブルが見渡せる。もちろん普通の声で話しかけて届くほどの距離ではない。だが皆の顔が見える。誰がどこにいて、どんなふうに笑っているかがちゃんとわかる。

 披露宴の主役になるとはこういう気分なのかと、俺は各々のテーブルを観察しながら思う。


 その各テーブルでは、これからテーブルスピーチが始まろうとしていた。

 新郎がスピーチを二文で終わらせるような披露宴だ。来賓にも長々と喋ってもらうのは申し訳なく、俺と伊都で話し合って祝辞の代わりにテーブルスピーチを組み込むことにした。

 お願いする皆様には、事前に打診をしておいてある。誰もが本番に強いというわけではないし、いきなりマイクを渡されても困るだろうからだ。

 しかし、とりあえずトップバッターにはその心配もなかったなと思う。

『ただいまご紹介にあずかりました石田と申します』

 マイクを手に席を立った石田の堂々とした立ち居振る舞いといったら、

『新郎の巡さん、新婦の伊都さんとは同じ会社に勤めており、同期でもあります』

 大勢の聴衆の前でも震えることなく朗々とした喋りっぷりといったら――まさに口から生まれてきたような男だ、石田は。

 長身の石田はその姿勢のよさで皆の目を引きつけつつ、いかにも喋り慣れているよそゆきの口調で続ける。

『特に巡さんとは当初同じ営業課に配属されたこともあり、入社当初からよく一緒に酒を飲みました』

 全くだ。石田ともかれこれ十年の付き合いになる。

 営業課時代は仕事でいいことがあった時、失敗した時、上司に叱られた時、初めて後輩ができた時、全てにおいて石田が一緒にいた。

 まさか互いの結婚式に出るほどの仲になるとは思わなかったが。

『ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、巡さんはとてもお酒に弱いです』

 石田は得意そうに笑んで、

『ですから私と飲む時はいつも先に酔っぱらって、そして伊都さんについての彼女自慢をしてくれます。笑顔が可愛いとか、料理が上手いとか、まるで妖精のように可憐だとか――』

 しれっと何を言いやがる。

 俺の隣で伊都が無言でうろたえる。落ち着きなく俺と石田を見比べている。

『その惚気ようといったら飲んでる酒が甘くなるほどですが、幸せそうなので、好きなだけ語らせて、そして聞いてあげることにしています』

 しかも何だその上から目線。

 いつもお前があれこれ語らせようとしてくるんだろうに。

『これからは彼女自慢が奥さん自慢になるのだろうと思うと、非常に楽しみでなりません』

 石田はそう言うと、こちらに向かって軽く手を挙げる。

『安井、それから伊都ちゃん。結婚おめでとう』

 よそゆきの口調が、いつもの口調に戻る。

『これからも家族ぐるみでよろしくな。爺さんになっても一緒に酒飲もうぜ』

 石田がにやりとしてみせるのが見えた時、俺は不覚にも息を呑み、

『――尚、僭越ながら私、結婚式の方にもお招きいただき、お二人の結婚の誓いを見守らせていただきました』

 マイクを置くかと思った石田は、またよそゆきの口調になって語を継いだ。

『その際、お二人が誓いのキスに一分半もかけていたことを皆様にご報告申し上げて終わりとさせていただきます』

 会場がどっと沸き、石田はこの上ない得意満面で椅子に座った。

「そんなに!?」

 伊都が密かに声を上げる。

 俺も体感時間ではせいぜい一分強と踏んでいたのだが、石田の測り間違いではないだろうか。一分半とは驚きのタイムだ。いやそれよりも、なんてことを最後に報告していきやがる。アドリブが得意というのはこういうことか。全く、いつまでも油断も隙もない男だ。

 でも、あいつの言う通りになるだろうな。

 お互いの恋の行く末を見届け、そして結婚式に呼び合うほどの付き合いになった。時には相手を心配してあれこれ心を砕いたり、逆に相手を出し抜いてからかってやったり――いろんなことがあった。爺さんになっても普通につるんで、酒飲んでは惚気たり馬鹿話したりしていそうだ。


 マイクは次に、石田と同じテーブルの霧島に渡る。

 上司よりはやや緊張気味に席を立ち、隣の奥さんに見守られながら、霧島は慎重に口を開く。

『新郎の巡さんとは同じ職場の、後輩に当たります霧島と申します』

 表情は硬直しているのか、はたまた生真面目なふりをしているのか判別つきがたい。

『巡さん、そして伊都さんとは職場でも、またプライベートでも仲良くしていただいています』

 スピーチの内容もまた真面目だ。一度眼鏡の角度を直してから続けた。

『お二人は普段からとても仲睦まじく、毎朝一緒に自転車で通勤されているお姿は早くもおしどり夫婦の風格を漂わせておりました』

 目下、俺達をからかってやろうという意思も、笑いどころもない。

 ただ同じテーブルで石田が何か声をかけているのがちらりと見えて、そこはかとなく嫌な予感がした。

『きっとお二人なら温かく幸せな家庭を築かれていくことと思います』

「さすが、霧島さんは真面目なスピーチだね」

 隣で伊都も頷いている。

 だが、俺の知っている霧島という男は決して真面目なだけではない。先輩を敬う気持ちはやや少なめの、意外と生意気で意外と口の悪い男である。その霧島がおとなしいままでスピーチを終わらせる気などあるだろうか。

 内心で身構えていれば、

『安井先輩、この度はご結婚おめでとうございます。伊都さん、先輩のこと、どうぞよろしくお願いします』

 霧島はスピーチを畳みに入ったようだ。

 本当に真面目なままで終わったなと思えば、

『――それと』

 不意に霧島がおかしそうに破顔した。

『先程、我が社の石田から誓いのキスの時間について一分半と報告がありましたが、ストップウォッチでの計測の結果――』

 ポケットからストップウォッチを取り出して掲げると、それを周りに見せながら続ける。

『正しくは一分四十七秒フラットと判明いたしましたことをご報告して、お祝いの言葉に代えさせていただきます』

「増えてる!?」

 伊都がすかさず突っ込んだが、ポイントはそこではない。

 確かに増えてはいる。俺達の体感時間がいかに当てにならないかも判明してしまったが、それはひとまず置いておく。

 なぜあいつはストップウォッチなんてものを披露宴会場に持ち込んでいるのか!

 会場にはまたしても笑いが巻き起こり、マイクを置いた霧島はやりきった顔で石田とハイタッチをかましていた。

「あいつら、グルだったな」

 俺がぼやくと、伊都も恥ずかしそうに頷いた。

「って言うか、なんでストップウォッチ持ってきてるんだろう……」

「賭けてもいい。絶対、石田の入れ知恵だ」

 チャペルで式を挙げると俺が告げた時点で、あいつらの中ではこの度の計画ができあがっていたのだろう。

 全く、なんて上司と部下だ。石田に感化されて、元は可愛いルーキーだった霧島もすっかり今のような生意気ボーイになってしまった。営業課とは実に恐ろしい部署である。俺はOBなので無関係だが。


 マイクはテーブルを移動し、広報課に渡る。

 次に紹介されたのは東間さんだ。深い緑の膝丈ドレスに身を包んだ彼女は、真っ直ぐに伊都を見つめてマイクを持った。

『新婦の伊都さんと広報課で一緒に働いております、東間と申します』

 美しい人が立ち上がったことで、会場中の視線が一気に彼女へ集まった。

 それでも東間さんはうろたえることなく声を張る。

『伊都さんにはお仕事以外でもよく遊んでいただいてますし、二人で恋バナなんかもよくします』

 むしろその言葉に伊都が慌てた。

「わわわ、東間さんお手柔らかに……!」

 小声で呟いたところで向こうまで届くはずもない。とは言え東間さんは石田霧島あたりとは確実に違うだろうし、キスの時間なんて測ったりもしないだろう。

 そんなことを考えている間にもスピーチは続く。

『以前、私は伊都さんと巡さんが社外で一緒にいるところを、偶然見かけたことがあるんです』

 俺もはっとする。

 そういえば、そんな話を伊都から聞かされていたことがあるような――。

『その時、本屋さんで雑誌を読んでいる伊都ちゃんを、巡さんが傍でじっと見つめていました』

 東間さんはうっとりと、思い出を手繰るように語る。

『その眼差しが本当に心から慈しむような、いとおしむような……見ているこちらがときめいてしまうほどとても甘いものだったので、私はお二人がお付き合いしているのだろうなとその時確信したんです』

 時々、思い出し笑いのような微笑を浮かべたりする。

『後から聞いたお話では、その時はまだお付き合いされていなかったそうで、つまりそれ以前から深く惹かれ合っているお二人だったそうなのですけど』

 ああ、ショッピングモールでの話か。俺も思い出してきた。

 東間さんは話を盛っていないし、あの時の俺が伊都をそういうふうに見ていたことは自分でもわかっているのだが、改めて第三者から指摘されると面映いものだ。

 伊都なんて、俺以上に照れている。

「はあ……あの時のこと、言われると思わなかった……!」

 恥ずかしそうに両手で頬を押さえてぼやいていたが、俺としては先程の『恋バナ』の方も大いに気になる。伊都と東間さんが普段どんな会話をしているか、一度でいいから覗いてみたいものだ。

『改めまして、この度はご結婚おめでとうございます。どうぞ末永く幸せで、慈しみ合うお二人でいてください』

 東間さんはそんなふうに話を締めると、優雅に一礼してから席に着いた。

 俺と伊都は互いに視線を交わし合い、少しくすぐったい思いを共有していた。


 マイクはその後もテーブル間を渡り歩き、俺達はいくつもの祝福と、冷やかしの言葉をいただいた。

 多少の不本意な暴露話はあったが、それも振り返ってみれば披露宴の主役としての洗礼というやつだろう。それはそれでしっかり受け取って、後日何かで仕返し――もとい、お返しをして差し上げようと思う。

 そしてマイクは入り口近くにある、安井家親族の席に辿り着く。

『ご紹介いただきました、新郎の弟の安井翔と申します』

 最後のスピーチは弟の翔が受け持った。

 本当は兄貴の方に頼みたかったのだが、翔がどうしてもというので奴の方に任せたのだ。兄としてはいくらか不安もあったが、フォーマルスーツをぱりっと着こなす弟にかつてのだらしない大学生の面影はない。

『兄は昔から几帳面な人で、だらしないところのある俺はいつも怒られてばかりでした。一時期はめぐ兄ちゃんと言えば怒ってる顔しか思い浮かばなかったほどです』

「意外と怖いお兄さんなんだね」

 伊都がくすっと笑ってみせた。

 もちろん俺が特別厳しいわけではなく、あいつが果てしなくだらしなかっただけである。念の為。

『そんなめぐ兄ちゃんが、特別優しそうな顔を見せてくれたことがあります』

 翔が、今ではすっかり一児の父らしくなった弟が、明るい声で続ける。

『手帳に挟んでいつも持ち歩いていた、伊都さんの写真を見せてくれた時です』

 隣で伊都がちらりと俺を見る。彼女にはだいぶ昔にばれていた。

『あの時のめぐ兄ちゃんは本当に幸せそうで、写っている伊都さんのことを優しく紹介してくれて、俺はその人と兄が結婚できて、本当に、本当によかったと思っています』

 写真を翔に見せたあの日、俺はまだ幸せで、しかし先のことなど何も知らなかった。

 それから何年間も辛く切ない思いをする羽目になることも、それから時間をかけて彼女を取り戻すことも、その彼女と今日、こうして結婚式を挙げることも何も知らなかった。

 だから今日という日はこの上なく幸せだった。この良き日を皆に祝ってもらえることも、幸せだった。

 伊都と離れていた数年間、あるいはその後に続く試行錯誤の片想いの日々を、俺はたった一人で潜り抜けてきた。誰にも相談できなかったし、弱音を吐くこともできなかった。見栄を張り虚勢を張ったが故の言わば自業自得だ。

 だが全てではなくとも、俺のあの頃の苦しみは知られていなくとも、俺の恋を知っていてくれた人達は大勢いる。

 一人ではなかったのだと、今なら思う。

 そして俺の恋を見守ってくれた人達に、最良の報告ができたことを――やはり、幸せに思う。

『めぐ兄ちゃん、伊都さん、結婚おめでとう! いっぱい幸せになってください!』

 翔が俺達に向かって、大きく手を振ってきた。

 俺も、それから伊都も、弟に向かって手を振り返す。


 披露宴の主役になるのは素晴らしく気分のいいものだ。

 お開きの時間が近づいてくるのが、ほんの少しだが寂しく思えるほどだった。

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