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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
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白を纏う(3)

 翌日、俺達は別のブライダルショップへ足を運んだ。

 式場と提携している店ではないが、ドレスのが豊富で、市内ではかなり評判のいい人気店らしい。お蔭で予約を取るのが大変だった。入店時刻も夕方過ぎとやや遅めだ。


 やはり他に客のいない店内に通され、昨日と同様、まず面談から始まった。

「本日はよろしくお願いいたします」

 差し向かいに座ったスタイリストさんは、昨日の店でお会いした方と雰囲気が少し似ていた。やはりこういうお仕事に就いている方は似てくるものなのだろうか。笑顔はひたすら親しみやすくにこやかで、それでいてどんな状況にも臨機応変に対応しそうな手慣れたそぶりに見える。

 こういったブライダル関係の職業を目指す場合、面接では『誰かの幸せのお手伝いがしたいんです』などというものなのだろうか。柄にもなく人事担当者らしいことを考える。

「まずは、お式のプランなどから伺ってもよろしいでしょうか」

「はい」

 昨日の店とは違い、今日は会場から紹介されたわけではないのでもちろん話も通っていない。まずは俺達の挙げる結婚式、そして披露宴のプランから説明しなければならなかった。

 そもそも、俺も伊都も結婚式にそれほど強い希望はなかった。

「私達、特に社会人になってからいろんな結婚式に出る機会があったんです」

 伊都が説明をする。

 しながら、時々俺の顔を見る。

「二人でいろいろ見てきた末に出た感想は、結婚式で一番いいのはシンプルイズベストだなって。二人ともそう思いました」

 直近では霧島、そして石田の結婚式に呼ばれた。二人とも特殊なことは一切せず、派手な演出もなく、至ってオーソドックスな式だった。ゲストに要求されるのは二人を祝う気持ちだけだ。お蔭で俺も気負わずに幸せな花婿と花嫁を見に行き、花嫁の美しさを堪能し、そして二人の為に歌を歌ってくるだけでよかった。

 俺と伊都も話し合い、すぐに意見が一致した。目指すのは霧島夫妻や石田夫妻、更に多くの人々が挙げてきた王道かつシンプルな式だ。俺達ももういい歳だし派手なパーティはしたくない。

 ただいろんな人達に、夫婦になることを見届けてもらえたら、認めてもらえたらそれでいい。

「式はホテル内のチャペルで行う予定です」

 俺も伊都と共に、既に決まっているプランをスタイリストさんへ告げる。

「披露宴会場も同じホテル内でと決めてあります」

「なので、式と披露宴のどちらも着られるドレスにしようと思ったんですが……」

 語を継いだ伊都が、そこで困ったように苦笑した。

「お目当てだったドレスが私にあまり似合わないとわかって、どうしようかと悩んでいるところでした」

 昨日、違う店へ行ったことも正直に話した。そこで伊都に似合う色に行き当たったまではよかったが、スレンダーラインのドレスは伊都自身が納得するものではなかった、ということもだ。俺の目にはとても似合っているし、美しい花嫁に見えたのだが、そのことを口添えすると伊都はまた俺を見た。

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、やっぱりイメージより地味だったかなって」

「伊都のイメージが派手すぎたんじゃないのか」

「かもしれないね。ハリウッド女優さんのイメージだったもん」

 屈託なくそんなことを言う伊都は、やはり愛嬌があって可愛い純和風の顔立ちだ。

 スタイリストさんも少し笑ってから、では、と口を開いた。

「本日はまずご新婦様にお似合いのドレスを探すお手伝いをさせていただきます」

「はい、よろしくお願いします」

 伊都が姿勢よく頭を下げる。

 身体を鍛えているからか、彼女のお辞儀はいつもきれいだ。それを横目に見ながら俺も一緒に頭を下げた。


 面談を終えると、スタイリストさんは俺達をドレスルームへ案内した。

 この店のドレスルームも昨日の店と造りが似ていた。ガラス張りのショーウインドウ内に並ぶ数体のマネキンが、デザインの違うウェディングドレスをまとって佇んでいる。ドレスが壁際にずらりと展示されているのも同じだった。こういう店はどうしても似たような内装になるのかもしれない。

「ご新婦様のお顔立ちですと、やはり可愛らしいドレスがお似合いだと思います」

 スタイリストさんのお言葉に、俺は内心で同意した。

 伊都は可愛い方が似合うと思う。昨日の落ち着いたドレスも似合ってはいたが、どうせならいつものように可愛い伊都のドレス姿も見てみたい。

「でも、あんまり可愛すぎるのも年齢的にどうかなって、抵抗が……」

「いえ、ご新婦様ならきっとお似合いですよ。試してみてはいかがですか?」

 そう言うとスタイリストさんは伊都の全身にちらりと目を走らせた。

 前開きのシャツワンピースは昨日着ていたから、今日の伊都はブラウスに膝丈スカートというシンプルな装いだった。彼女自身は『健康診断受ける時みたいなコーデ』と言っていた。

 スカートから伸びる足をスタイリストさんはどう見たのだろう。すぐに展示されていたドレスから一着を取り出し、俺達の前へ持ってきた。

「例えば、こちらなどいかがでしょう?」

 そのドレスは、昨日伊都が選んだドレスよりも丈が短かった。

 だからと言って俺が熱望していたミニ丈とも違っていた。もう少し長めで、伊都が着るとふくらはぎか足首が出るくらい、だろうか。スカートがAラインでふわりと広がっている。

 やはり人気があるのか、トップス部分は五分袖の総レースで胸から下が二枚仕立てとなっている。着ると肩や腕だけが透けるようになっているのだろう。

「ミモレ丈のドレスは、可愛さと伝統を兼ね備えたデザインとなっております」

 スタイリストさんがドレスを指示して語る。

「ミモレ丈……へえ、可愛いですね」

 伊都が興味を示したのか、身を屈めてドレスに見入る。

「ええ。動きやすさから、主にカジュアルなウェディングで人気なんですよ」

「動きやすいのはいいですね! ドレスはやっぱり足捌きが難しくて」

 彼女はドレスでどんな足捌きを披露する気なのだろう。まさか自転車に乗るなんて言わないだろうな。

 俺の疑問をよそに、ドレスをしばらく眺めた後で伊都が口を開いた。

「ただ、チャペル式なのでこういうドレスだとどうかなっていうのも……」

「そうですね、チャペルによっては許可が下りない場合もございます」

 スタイリストさんはその質問も予想していたように頷き、

「ですのでチャペル式と披露宴でウェディングドレスのお直しを、というのはいかがでしょう」

 と提案してきたので、俺と伊都は思わず顔を見合わせた。

 お色直しのことはそれほど真剣に考えていなかった。伊都も、『何かいいのがあったらカラードレスも着てもいいかも』と言う程度で、ウェディングドレスほどの関心があるようではなかった。

 だがウェディングドレスを着替えるというのもいいかもしれない。

「ウェディングドレスを二回着られるぞ、伊都。名案だと思わないか?」

 早速俺が食いつけば、伊都も思いがけなかったのか目を瞬かせている。

「そっか……でもいいの? 二着も持ち込んだら料金が」

「そのことは気にしなくていいっていっただろ」

「だったら着てみたいけど……。カラードレスのことはあんま調べてなかったし」

 やはり伊都の関心は花嫁が着る白いドレスにばかり注がれていたようだ。

 カラードレスならこの先、いくらでも着る機会はある。また誰かの結婚式に招かれることもあるだろうし、何かの気まぐれでドレスを着て写真でも撮る日が来るかもしれない。

 だが、

「ウェディングドレスは一生に一度だ」

 俺は、伊都に向かって囁いた。

「着るのなら、心残りのないよう思う存分着とけばいい」

 伊都はゆっくりと瞬きをしてから、腑に落ちた表情になる。

「それもそうだね」

 あっさりと心が決まったようだった。

 そしてどうやら俺は、異なるウェディングドレスを着る伊都を二度も拝める幸運に恵まれたらしい。せっかくだ、堪能してやろう。


 この店でも、やはり試着前には採寸をすることとなった。

 伊都はスタイリストさんと共にフィッテングルームへ入り、俺はどきどきしながら手持ち無沙汰にデジカメを弄り、そして頭上に流れる洋楽のBGMに何となく耳を傾けたところで――。

「ご新郎様、お待たせいたしました」

 スタイリストさんが一人で戻ってきた。

「ご新婦様のご支度が整いましたのでご案内いたします。ドレス、とてもよくお似合いですよ」

 にこやかに誉められるのも同じだ。

 それで否応なしに期待が高まり、面白いように動悸が速くなる俺も俺だが――昨日の店と同じように広いフィッティングルームに通されると、やはり彼女は大きな姿見の前にいた。カーテンが開くや否や振り向いて、その瞬間、ミモレ丈のスカートが揺れた。

「巡くん、お待たせ!」

 伊都が奥二重の目を細め、とびきりの笑顔を見せる。

 一点の曇りもない、あっけらかんとした全開の笑顔。

 俺は彼女のそういう笑い方が好きだった。同期の友人だった頃からその笑顔にはほっとさせられてきたし、初めて好きになった瞬間に見たのも笑っていた伊都の顔だった。

 その笑顔に、この上なく似合うドレスだとまず思った。

 肌を透かす五分袖のレースはあくまでも品があり、それでいて可愛らしい。スカートは張りのあるシルク地で、たっぷり生地を取っているからか常にふわんと広がっている。その裾から覗くのは伊都らしい引き締まったふくらはぎと足首だ。

「ねえねえ、これ可愛いと思わない? それにすっごく動きやすいし!」

 そう言うと伊都はフィッティングルームの中でくるりとターンを決めてみせた。前髪がさらりと浮き、同じようにドレスの裾が風にさらわれ足が覗く。彼女のきれいな脚と足はもう存分に見ていて慣れているはずなのに、その瞬間、どきっとした。


 バレリーナみたいだ、という感想が浮かんだ。

 その直後、可憐だ、と思った。


 いや、可憐って何だ。

 そりゃ伊都は可愛いしもちろん愛しているが、そんな俺でも彼女に対して『君は可憐だ』などと告げたことはない。そんな文句がさらりと出てくるなんていかにも気障で歯が浮く。

 だが今の伊都を見て、浮かんでくる単語はそれだった。

 昨日見たドレス姿とはまるで違う。彼女らしい弾ける笑顔によく似合うドレス、それを身にまとう伊都の可憐さ――俺は息を呑んでいた。


「あれ、どうしたの巡くん」

 言葉を失う俺を見て、伊都は不思議そうにくすくす笑った。その声に呼応するみたいにドレスの裾がふわふわと揺れ、囁きあうような音を立てた。

 バレエならきっと妖精のお姫様みたいな配役だろう。森に迷い込んだ人間に興味を持って近づいてきて、条件次第では助けてもいいよと言ってくれるような。寄る辺もなく心細い迷い人に、彼女は屈託のない笑顔で手を差し伸べてくれるはずだ。

 ――いや、本当に、何を考えてるんだ俺は。

「巡くん?」

 伊都が目を瞬かせ、居合わせたスタイリストさんが取り成すように言った。

「結構いらっしゃるんですよ。ご新婦様のお姿に照れてしまって、言葉も出なくなってしまうご新郎様って」

 違う、照れているわけではない。そのはずなのだが、気づけば俺はすっかり声まで失くしていた。

 こんな時に誉め言葉の一つも出てこないなんてさすがにまずいだろう。昨日だって見惚れることはあっても、ちゃんと誉めてやることはできた。なのに。

 伊都が、その笑顔に似合うドレスを見つけたというだけで、何も言えなくなってしまった。

「に、似合うな。すごくしっくり来るじゃないか」

 どうにか落ち着きを取り戻した俺の言葉に、伊都もすぐさま頷いた。

「うん、自分でも思う。鏡を見た瞬間、私、これ似合うなあって感じたくらい」

 本人が言うのだから確かだろう。

 あとは俺が背中を押してやるだけだ。

「俺もいいと思うよ。すごく、何と言うか……可憐に見える」

 さっき思ったことを、引かれるかと恐れつつも口にする。妙にたどたどしくなった自分がみっともなく思える。三十一にもなってこれは格好悪いだろ!

 だが伊都もうろたえていた。

「えっ、そ、そんなの初めて言われたよ。可憐とかさすがに言いすぎじゃない?」

「悪い。他に上手い単語が出てこなくて、そうとしか言えない」

「巡くん……言いすぎだってば……」

 伊都がたちまち真っ赤になって俯く。そういう仕種ですら、今のドレスにはよく似合う。

 彼女がどんな振る舞いをしようと、このドレスなら似合うのだろう。屈託のない笑顔も、華麗なターンも、はにかむそぶりも何もかも。

「ご結婚前からもう熱々ですね」

 スタイリストさんが、心なしか冷やかすようにそう言った。

 仕事上、この手のカップルは飽きるほど見てきたに違いない。にもかかわらずにこやかに言われて、俺達は二人揃って慌てた。

「と、とりあえずこれ、候補一ってことでいい?」

「あ、ああ。かなり有力な候補一にしといてくれ!」

「了解! じゃあ次行こっか、次!」

「あっ、その前にカメラ! 写真!」

 俺は激しく狼狽しながら、伊都から預かっていたデジカメを構える。そして白いドレスを着た可憐な伊都を何枚も、何枚も撮影した。彼女は撮られている間もしきりに照れていたが、お願いしたらいつものようにあっけらかんと笑ってくれた。


 これから俺の妻になってくれる人は、妖精のように可憐な女性だ。

 ――なんて外で言ったら確実に引かれるな。

 特に石田と霧島には、間違っても酒の勢いで言わないようにしよう。

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