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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
15/205

写真は嘘をつかない(3)

 その日の夜遅く、安井さんからメールがあった。

『写真あったよ。明日持っていく』

 本当に見つけてくれたようだ。もしかしたら遅くまで探してくれたのかもしれない。嬉しいやらほっとするやら申し訳ないやらで、私は早速お礼のメールを送った。

 すると彼からもすぐさま返信があり、

『すごく面白い写真だから期待していい』

 その文面に目を通した私は、思わず首を傾げた。

 面白い写真。一体、どんなのだろう。

 安井さんは自分の写真なんて取っておかないって言っていたから、どんな写真なら手元に残しておくのかは読めない。夢や希望に溢れたルーキー時代の安井さんを。もう一度見られる期待にわくわくしていた。


 翌朝は、重い雲が空を覆う微妙なお天気だった。

 電車に乗って出勤してきた私を、安井さんがロッカールームの前で待ち構えていた。

「おはよう、園田。今日は自転車じゃないのか」

「おはようございます、安井さん。雨になりそうだからね」

 私が応じると、彼は早速持っていたA5サイズの手帳を開き、間に挟んでいた写真を抜き出して私に見せる。

「ほら、約束の写真」

「ありがとう! 今確認してもいい?」

「そうしてくれ」

 受け取った私はいそいそと写真を確認し始めた。

 同じように安井さんも私の手元を覗き込み、言い添える。

「これ一枚しか出てこなかったんだけど、テーマにはぴったりだと思う」


 その言葉通り――いや、言葉以上の写真だった。

 キャビネ判サイズの写真には、安井さんと石田さんが並んで写っていた。恐らく入社して間もない飲み会で撮影されたものと思われ、照明の感じからしてきっとどこかのチェーン系居酒屋だろう。

 まだ二十代そこそこの二人は、いかにも後先考えてません! って調子のやんちゃ坊主的全開の笑みを浮かべ、しかも揃って両手を広げた陽気なギャルポーズで写っている。

 安井さんはこの頃は今よりもずっと髪が長めで、いつも夕方になると重力に逆らえず落ちてくる前髪を鬱陶しげにかき上げていたのを覚えている。何で切らないのって聞いた時は。

『ずっとこの長さだから切る勇気が出ない』

 って言ってたっけ。

 石田さんは逆に、いかにも体育会系上がりらしい坊主からこつこつ育てたような短髪を、当時人気だったサッカー選手を真似てワックスで一生懸命ふわふわにしていた。

 今じゃ安井さんの方がすっきりした短髪で、石田さんは髪を少し伸ばして大人びたヘアスタイルを貫いている。お互いに自分に似合うものを見つけたってことなんだろう。


「わあ……すごい! この写真、本当にぴったりだよ!」

 思わず歓声を上げてしまうくらいに、いい写真だった。

 ルーキー時代の安井さんと石田さんはおろしたてぴかぴかのスーツを着ていて、夢や希望に溢れ何の不安も悩みもないようないい笑顔を浮かべていた。これからお互いに課長や主任になって、仕事が大変になったり重い責任を負ったりすることになるなんて想像もしていない顔だ。

 恐らく営業課の先輩にでも撮ってもらったのだろうけど、その時の空気、やり取りまで想像がつくようだ。お前ら二人で写真に納まれ、せっかくだから何か面白いポーズ取れなんて言われて、お酒も入った二人は示し合わせてこんな陽気なポーズで写ったんだろう。お互いに、相手がやるなら怖くもないし恥ずかしくもないって気持ちがあったのかもしれない。

 もっとも現在、この写真を見返す安井さんは少し恥ずかしそうにしていた。

「改めて見ると間抜け面してるな。よくもまあ、ここまで能天気に写れたもんだ」

「そう? いい感じに力抜けてて、楽しそうで、二人とも可愛いと思うよ」

「可愛いって……しかも二人ともか。俺だけじゃなくて」

「それにすごく仲良しに写ってる! 写真は嘘をつかないね!」

 私はすっかり興奮していた。

 だってこんなにも今回のテーマにベストマッチな写真が現われるとは思わなかったからだ。あの時君は若かった――きっとこの写真を見た誰もが、そう深く思うことだろう。

 この写真なら、賭けてもいい。絶対にいい記事になる!

「本当にありがとう、安井さん! こんなに素敵な写真見つけてきてくれて!」

 安井さんを見上げてお礼を言うと、彼は眩しげに目を細めた。

「どういたしまして。期待に応えられてよかったよ」

「うん、期待以上だったよ。安井さんに頼んで本当によかった!」

「そこまで喜んでもらえるとは思わなかった」

 ほっとした様子の安井さんは、それでも写真を見る顔が複雑そうだ。自分達の姿に呆れたような視線を向けている。

「しかし本当に頭空っぽ、悩みもないって顔してるよな、石田も俺も」

「新人さんなんてそんなもんでしょ。ルーキーのうちから冷めてる方が怖いよ」

 私が苦笑すると安井さんは肩を竦め、

「もし言えるもんなら、お前らこの後揃って失恋するんだぞって言ってやりたいよ」

 零すように言ってから、ふと私に向き直る。

「ところで園田、これの他に今の写真も必要なんじゃないのか?」

 一瞬呆けた私は、慌てて応えた。

「……う、うん、そうだよ。後で撮らせてもらっていいかな」

「なら俺が撮ってくるよ。カメラはある?」

「そんな、そこまでの面倒はかけられないよ。私が撮るから」

 写真の提供及び記事のネタになっていただけるだけでも十分ありがたいというのに、お忙しい人事課長殿にそこまでさせては悪い。私は断ろうとしたけど、安井さんは困ったように続けた。

「そうはいかないんだ。実は社内報の件、まだ石田には言ってない」

「嘘、許可貰ってないの? じゃあ断られる可能性もあるよね」

 この写真使えなくなるのは惜しいし残念だ。しかし石田さんが恥ずかしがって、写真の使用許可が下りないことも十分考えられる。もちろん頭を下げてお願いするつもりだけど、善意での提供を前提にしている以上、どうしても駄目と言われたら引き下がるしかないだろう。

 いい記事への道にどんよりと暗雲が立ち込めてきた。気落ちしかける私に、でも安井さんは頼もしげに語る。

「心配しなくていい。石田には俺から話を通すよ。あいつには嫌とは言わせない」

「えっ、大丈夫?」

「お前が行くより俺から話した方がいい。必ず協力させるから、任せてくれないか」

 安井さんは譲るそぶりを全く見せずに言い切った。

 これは私の仕事だし、人任せにするのに抵抗はある。でも石田さんと安井さんは日頃から超仲良しだから、私が仕事の依頼でって体で出向くよりもずっと話が通じやすいのかもしれない。

「でも安井さんだって忙しいんじゃない? 任せても大丈夫?」

「平気だよ。何時までに持っていけばいい?」

「何時でもいいよ。どうせ今日も残業だし……夜九時過ぎとかでなければ」

「定時後でもいいか? あいつも新人教育中で、身体空くのはそのくらいだろうし」

「うん。撮れたら連絡してくれたら、すぐ貰いに行くから」

「わかった。古い方の写真もその時でいいよな? これで石田を脅しにかかるつもりだ」

 多少物騒な言葉が聞こえたような気もしたけど結局お任せすることにして、私は私物のデジカメを安井さんに手渡した。それから改めて感謝を告げる。

「余計な手間までかけさせてごめんね。それと、本当にありがとう」

「いや。力になれて嬉しいよ」

 安井さんは微笑むと、思い出したように手帳を再び開いた。

「そうだ、もう一つ見せたいものが――」

 それで私は、また昔の写真でも出てくるのかとわくわくしたけど、安井さんははっとしたかと思うと言葉と手を止め、視線を私の肩越しに、背後へと投げた。

 私もつられて振り返り、こちらへやってくる人影に気づく。


「おはよう、園田ちゃん」

 東間さんが私を見て、次に安井さんを見た。

「……と、安井課長も、おはようございます」

 その時少しばかり怪訝そうに小首を傾げた。

 それから私達が一枚の写真を囲んでいたのを見て、すぐに状況を察したようだ。

「もしかして例の写真、安井課長にお願いしたの?」

「そうなんです。今日、早速持ってきていただきまして」

「さすが迅速なお仕事ぶり。ご協力ありがとうございます」

 東間さんが丁寧に頭を下げ、安井さんも行儀よくかぶりを振る。

「いえいえ。お役に立てるなら幸いです」

「じゃあ、私も見せてもらっていいですか?」

「はい、どうぞ! とってもいい写真なんですよ!」

 私が写真を手渡すと、東間さんもわくわくした様子でそれを受け取った。そして写真を眺めるうち、眼鏡の奥で瞳が大きく見開かれ、驚いたような声を上げる。

「これ、安井課長と……営業の石田主任?」

「そうです。二人とも『あの時君は若かった』って感じですよね!」

「ほ、本当に……」

 たちまち東間さんの声が震え出したかと思うと、次の瞬間、ぶふっと吹き出した。

「と、東間さん? そこまで笑うような写真ですか?」

 安井さんがびっくりして尋ねると、東間さんは懸命に笑いを堪えようとしながら、

「ご、ごめんなさ……でも、これ、すごく可愛いって言うか、お二人らしいって言うか……!」

 最終的には堪えきれず、私達に背を向けて、肩をぶるぶる震わせて笑い出した。

 その姿を呆然と見つめた後、安井さんは今になって悟った様子で私に告げる。

「もしかして今のが、これからあの写真を見る社員の、一般的な反応ってやつなのか?」

「そうかも」

 私は、そうとしか答えられなかった。

 下手なことを言って安井さんの気が変わったら困るけど、だからと言って嘘もつけないし。


 その後は概ねスムーズに話が進んだ。

 定時後に安井さんは石田さんの元を訪ね、どういうやり方かはともかく古い写真の使用許可を取りつけ、更に現在の写真の撮影まで済ませてくれた。

 連絡を受けた私は安井さんから写真やデータを受け取り、広報課に戻って社内報の仕上げに入る。レイアウトやキャプションは朝のうちに決めておいたので、あとは画像を填め込むだけでよかった。


 今日撮ったばかりの写真の方は、安井さんと石田さんが不満と思惑を抱えたふてぶてしいまでの微笑を浮かべて写っていた。

 撮影場所は営業課だろうと思うんだけど、これはどなたが撮影したんだろうか。心なしか撮影者に『上手く撮れ、男前に写ってなかったら酷いぞ』と睨みを利かせているようでもある。昔とは違う髪型の二人は、昔よりもぐっと大人っぽく落ち着いた姿に見えるのに、表情には昔のようなやんちゃぶりが残っていた。

 ただまあ、昔よりも悪い顔に見えるかな。

 私はそのデータを取り込みながら、二人の現在の顔を存分に眺めた。

 安井さんの言葉をなぞるなら、この顔は失恋を経た後の顔だ。

 もちろんそれだけしか起きなかったわけではないけど――私は彼らが辿ってきた経緯も、おおよそのところは知っていた。


 石田さんが長く付き合っていた彼女に振られたのは、もう四年近く前の話だ。

 私はその相手を知らない。社内の人ではないらしいからお会いする機会だってなかった。そもそもその話自体、安井さん経由で聞いたものだから詳細まで把握していたわけでもない。

 ただ石田さんはその失恋で相当へこんでしまったらしい。

 あいつを慰め、励ましてやりたいのだと、安井さんは私に言った。

 その為に合コンを開くから、女の子側の幹事を引き受けてくれないか、とも。

 更にはその際、長谷さんを確実に誘って欲しいとも頼まれて、内心では複雑だった。

 私は入社当時から同期の集まりでは幹事をやることが多かったし、こんなふうに合コンまで企画したことだってある。そして長谷さんは当時からふんわりとした実に可愛くきれいな人で、我が社の男性社員が挙って狙いを定めていたそうだ。だから安井さんがそう言ったのもわかるし、もし長谷さんを合コンの席に呼ぶことができたなら、石田さんも安井さんも彼女を狙うんだろうなとわかっていた。


 でも私は、その時既に、安井さんのことが好きだった。

 好きな人から合コンの幹事を頼まれ、名指しで女の子を誘ってくれと頼まれて、複雑に思わない女がいるだろうか。

 そうは言っても私は告白する勇気なんてなかったし、言われた通りに女子社員に声をかけてメンツを集めた。長谷さんからは『ちょっとそういうのは……』という芳しくない返事があったけど、くじけずに口説き落とすつもりでいた。


 あとで知ったことだけど、この頃にはもう、長谷さんは霧島さんを好きになっていたらしい。

 そしてその事実を、私よりも先に安井さんが知った。


 安井さんは私に向かって、一応は申し訳なさそうな顔をしてこう言った。

『悪い。長谷さんが来てくれそうにないから、今回の合コンは中止にしよう』

 当然、私は切れた。

 怒ったなんてものじゃない。ぶち切れた。

 こっちは好きな人の頼みだからと憂鬱なのを振り切って企画を立て、店を選び、女子社員に声をかけたのだ。安井さん達が来ると知って乗り気になってる子だっていた。それをそちらの勝手な都合で中止にするとはどういうことか。長谷さんだけが目当てなら端からこっちに声をかけず、彼女だけ誘っておけばよかったはずだ。私はこれから声をかけた子達に頭を下げて回らなくてはならないのに、そういった苦労すら一言詫びただけで済ませようとするのか、この人は。

 冷静になって考えれば、この時の安井さんも長谷さんに、何かアクションを起こす前に振られて失恋したようなものだったのだし、石田さんなんてもうダブルパンチだ。やる気が一気にしぼんで、合コンどころじゃないと思っていても仕方のない話だろう。

 ただ若かった私にはそんな男心を受け入れる余裕もなかった。

 もう二度と合コンなんて手伝わないし普通の飲み会だって企画しない、仕事以外では声をかけないでと啖呵を切った。

 安井さんはそれほど慌てた様子もなく、でも意外なことに追い縋ってきた。

『悪かった。誘った子のとこ行くなら俺もついてく。一緒に謝るから』

『要らない。安井さんが来たらかえって拗れるから来ないで』

『なあ頼むよ園田、何でもするから許してくれ』

『許さないし何もしなくていい』

『じゃあ飯奢る。高い店でもいいよ、お前が許してくれるなら何だっていい』

『しつこいよ。話しかけないで』

 だけど安井さんは本当に、ものすごくしつこかった。

 私は私でしつこくされるうち、片想いの相手に追い縋られるという状況に場違いな楽しさを覚えつつあった。

 だってこんなこと、もう一生ないかもしれない。それでなくても私はこの人のことが前から好きだった。その人が自分との仲違いを避けたがっているという事実だけでも幸せなことじゃないだろうか。こんなことはもう絶対、二度とないかもしれないのだ。

 その一度きりのチャンスに私は賭けた。

『前から行きたかったところがあるんだけど』

 私は彼にそう条件を出した。

『そこに連れてってくれて、全部奢ってくれたら、安井さんのこと許してあげてもいい』

 彼はその条件を唯々諾々と受け入れた。

『いいよ。何でもするって約束したからな』

 次の休みに二人で出かけた。

 最初で最後だと思ったから存分に楽しんでやった。


 そしてその日の帰りに、実はずっと好きだったんだと打ち明けた。

 安井さんは私の告白に全く驚かず、拍子抜けするくらいさらりと、じゃあ付き合おうか、と言った。


 潰れた合コンの幹事同士がくっつく、という状況は客観的に見ても抜け駆け以外の何物でもない。

 そうでなくてもこっちは長らく押し隠してきた片想いだ。いきなり公開する気は起こらず、付き合っていることはしばらく秘密にしておくことにした。

 それでも不満なんてなかったし、私はずっと好きだった人と付き合えて幸せだった。同じように安井さんのことも幸せにしようと思ったし、その為なら何でもできるつもりでいた。

 まさか実ったはずの恋がたった半年で終わってしまうなんて、想像すらしていなかった。

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