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ナインカウント  作者: 森崎緩
本編
14/205

写真は嘘をつかない(2)

 安井さんもお昼ご飯はカップ麺らしい。

 ポットでお湯を入れて割り箸を取ると、私達のいるテーブルに近づいてきて、石田さんのすぐ隣に座った。

「この顔触れで揃うの、珍しいな」

 安井さんの言葉に石田さんが頷く。

「全くだ。もう同期で飲みに行くこともなくなったもんな」

「皆、それぞれに忙しいからね」

 私も相槌を打つ。


 今や石田さんは主任、安井さんは課長だ。

 私はヒラだけどだからと言って暇でもなく、この通り忙しい日々を送っている。同期の子達はそれぞれに出世したり、転職したり、はたまた寿退社したり――入社してから数年は同期会って名目で飲みに行ったり、合コンしてみたりってこともあった。それも全て昔の話で、今ではこうして食堂なんかで会った時、せいぜい世間話をする程度の間柄だった。


「今日は園田、弁当なんだな」

 安井さんが石田さんと同じところに目をつける。

 すかさず石田さんが顔を輝かせ、

「さっき一口食わせてもらったけど、すっげえ美味かったぞ」

「はあ? お前、彼女持ちのくせによその女にも手を出すのか」

「人聞きの悪いこと言うなよ。園田が鬼退治に行くっていうから、一口くださいお供しますって言っただけだ」

 言ってない! 行くなんて言ってないよ!

「そしたら美味かったから、お前いい桃太郎になれるぞって誉めてやった」

 石田さんの言葉を聞いた安井さんは訳がわからないという顔をした。そりゃそうだ。

「園田、お前、何の為に鬼退治なんかしに行くんだ……」

「あのね安井さん。今の石田さんの話、合ってるのは一口あげたところだけだからね!」

 私が注釈を入れると石田さんはげらげら笑い出し、安井さんが呆れ果てた目を隣に向けた。

「弁当くらい彼女に作ってもらえよ」

「それはそれ、これはこれだろ。いいか安井、美味い食べ物に国境はないんだ」

 そして石田さんは得意げに、若干ずれた自論をぶち立てる。

「宇宙から見た地球に国境は引かれてない。人類皆兄弟。美味い食べ物は分け合うのが道理だろ」

「いや、国境とか兄弟とかこの際関係ないだろ……」

「安井さん、きっと上手いこと言って煙に巻こうって作戦だよこれ」

 私の言葉に安井さんは腑に落ちた様子で頷き、石田さんはわざとらしく心外そうな表情を作った。

「何だよ、安井も園田もドライだな。俺がせっかくいい話をしてやってんのに」

「有り体なこと言って誤魔化そうったってそうはいかない。石田はいつもこうだ」

「そうそう。素直に『美味しそうだったのでお願いしていただきました』と言えばよいのです」

 さしもの石田さんも二人がかりで来られると分が悪いと見え、苦笑しながら残りのカップ麺を平らげた後、早々に席を立った。

「わかった、素直に言えばいいんだろ。園田、ごちそうさま。美味かったよ」

「お粗末さまでした」

 私も頭を下げ返す。

 安井さんは立ち去ろうとする石田さんをちらっと見やり、

「石田、もう行くのか?」

「ああ、俺を待ってる人がいるからな。俺は彼女一筋なのに、引く手数多で困るぜ」

 石田さんはぬけぬけとそんなことを口にして、食堂を出て行った。


 それを目で見送ってから、安井さんは私に向き直る。

 目が合っても全く表情が変わらない。動じる気配もない。視線を逸らそうとする私を、制するみたいに尋ねてきた。

「あいつ、誰を待たせてるんだ」

「新人さんだって。簡単な雑用させてるとこだから、早く戻らないとって言ってた」

「男じゃないか。思わせぶりなこと言いやがって」

 まあ、石田さんだからね。そういう軽口もあの人らしい。昔から何にも変わってないのが面白いけど。

「さてと。私もごちそうさまでした」

 私もちょうどお弁当を食べ終え、蓋を閉じて箸をしまった。

 それを安井さんが見咎めて、たちまち恨めしそうな顔になる。

「園田、俺は味見してないんだけど」

「ちょっと遅かったね。全部食べちゃったよ」

「ったく、石田め……。手料理なら小坂さんに作ってもらってるだろうに」

 安井さんが忌々しげにしながらカップ麺の蓋を剥がした。

 寂しい食生活なのはこちらも同じのようだ。かわいそうなので席を立つついでに声をかけておく。

「お茶でいいなら入れてきてあげるよ。番茶でいい?」

「お茶は手料理とは言えないよな」

「どうだろ。要らない?」

「いや、要る」

 安井さんが渋々と言った様子で答えたので、私はわかったと言って席を離れた。

 ポットのお湯でティーパックの番茶を二人分入れる。


 お茶を入れながら、考える。

 安井さんの態度は普通だ。

 あの夜、手を繋いだことなんて忘れているみたいに今まで通りだ。

 でもそれは昔からそうだった。安井さんは休日のデートで何が起きようと、翌日、会社では至って普段通りという顔をしていられる人だった。そういうものを隠すのが上手い人だと言えるのかもしれない。私以上に。


 だとしたら石田さんは、何を見て『付き合ってるんじゃねえの』って思ったんだろう。私が豆腐好きだってことは今日初めて知ったようだし、そのことではないはずだ。

 何にせよ、気をつけなくてはならない。付き合ってる当時とは別の意味で、昔付き合ってたということがばれるのはまずい。ネタにされてからかわれたら辛いだろうし、ばれないようにしなくてはならない。

 幸いにも安井さんは何も言ってこない。あの夜の翌日以降、社内で顔を合わせてもさっきみたいに普通に話せてた。この調子で私も平然と振る舞っておこう。

 そして早いうちに答えを出そう。


 二人分の湯呑みを持っていくと、安井さんは口元を綻ばせた。

「ありがとう、園田」

「いえいえ」

 私も元の席に戻って、温かい湯呑みを両手で持つ。

 カップ麺を啜る安井さんがふと手を止め、唇の両端をにんまりと吊り上げた。石田さんに関わる話の時、安井さんはいつもこんなふうに悪い顔をする。

「お礼にいいこと教えてやるよ。石田を言い負かす方法だ」

「そんなのあるの?」

 あの弁の立つ人相手に勝てる方法があるなら、ちょっと知りたい。私が興味を持つと、安井さんは自慢げに語を継いだ。

「あいつ、今年の健康診断でバリウム飲んだんだよ。そこを突っ込んでやれば一発だ」

「え、そんなことで石田さんがへこんだりする?」

「バリウムは満三十歳からだからな。てきめんにへこむはずだ」

 石田さんも三十になったこと気にしてるんだ。男の人の三十歳なんてむしろ格好いいくらいなのに、変なの。

 そうか、満三十歳からバリウムか。私もあと二年で同じ思いをすることになるのかな――と考えかけて、気づく。

「でもそれじゃ、安井さんもバリウム飲んだんじゃないの?」

 私が問うと、彼は目を細めて答える。

「そうだよ。だから俺が石田をからかうのには使えないネタなんだ」

「なるほどね……。じゃあ逆に、安井さんがからかわれる可能性もあるわけだ」

「そんなことはしないよな? 俺は園田のこと信じてるからな」

「しないよ。私も他人事ではないし」

 むしろ石田さんのこともつっつきにくい。『お前だってあと二年で俺らと同じだろ』って切り返されたら、そうだよねって思っちゃうもんな。

 私の考えとは裏腹に、安井さんは意地悪そうな顔で私を嗾けようとする。

「俺達で石田をぎゃふんと言わせてやろう。楽しいぞ」

「仲良しのお友達をいじめるのが楽しいなんて、安井さんは素直じゃないね」

「何だよ、園田はあいつの肩を持つのか? せっかくいい情報教えてやったのに」

「肩を持つとかじゃなくてね。いい大人がお互いからかい合うのってどうかなって思うだけ」


 安井さんも石田さんも三十歳になって、そのことをめちゃくちゃ気にしているからなんだろうか。やり取りは昔と変わらず男子高校生みたいに子供っぽい。

 二人とも歳相応とまではいかないけどそれなりに落ち着いてきたように見えるのに、ふとした時の笑い方も昔と同じだ。入社当時の写真なんか見たらどう思うかな。二人とも、変わったようで変わっていなくて驚くんじゃないかな。

 そんなふうに思った直後、私の脳裏にひらめくものがあった。


「ねえ、安井さん」

 思いつきから呼びかけると、安井さんが優しい眼差しを私に向けた。

「何?」

「入社当時の写真ってある? よかったら広報の企画で使いたいんだけど」

「誰の? 俺の?」

「そう」

 私は頷く。

 安井さんはその瞬間、柔らかかった表情に素早く思案の色を走らせた。この一瞬だけでありとあらゆる可能性を考えた、という顔をしていた。

 その上で慎重に聞き返してくる。

「探せばあるかもしれない。何に使うって?」

 そこで私は目下の懸案事項である、次回社内報の企画について打ち明ける。

「あのね、社内報の企画で社員の入社当時の写真と今の写真を並べて、こんなに変わりましたよって記事を組んでるの」

 それを安井さんは微妙な面持ちで聞いている。心なしか、『嫌な予感がする』と顔に書いてあるようだった。

「その素材が今、深刻な不足状態でね。ちなみにタイトルは『あの時君は若かった』なんだけど」

 しかしそこではぷっと吹き出して、

「うわ、前時代的!」

「何で笑うの!? 小野口課長が考えてくれたんだよ!」

「それはタイトル聞いただけでわかるよ。お前の案じゃないなってことは」

「そんなに古いかな……。企画自体は面白いと思うんだけどな」

 私がぼやいている間にも安井さんは喉をくつくつ鳴らして笑っているから、だんだん腹が立ってきた。

 こっちはその企画と真剣に向き合っているというのに、見もしないうちから笑うというのはどうなんだ。

「そこまで笑うことないじゃない。じゃあ安井さん、対案でも出してみてよ!」

「いや、悪い悪い。園田が拗ねるのが面白くて」

 人をからかうのが好きという点で、安井さんと石田さんは似た者同士なのかもしれない。

 ともあれ笑った以上は是非ともご協力いただこう。

「記事はもう組んであるんだけど、ちょっとインパクトが足りなくて。今までは勤続年数が二桁の人達にお願いしてたんだけど」

「それじゃ俺は対象外じゃないか」

「うん、そうなんだけどね。安井さんだったらインパクトありそうじゃない」

 私はここぞとばかりに口説きにかかる。

「必要なのは過去とのギャップと、ちょっとした面白さなんだよね。見た目は昔と変わってるけど、どっちも本人だなって思わせるような写真が欲しくて……それでいて社内のウケも取れるような人選って言ったら、安井さんか、そうでなければ石田さんかなあって」

「それ、誉められてるって受け取っていいのか」

 安井さんは微妙な顔で私の説明を聞いている。


 こうして見ていても顔つきは本当に大人になった。入社したての頃の、学生っぽさの抜け切らない顔とはまるで違う、大人の男の人らしい顔だ。そこに昔と変わらない笑顔が時々浮かぶのがとても印象深いと私は思う。

 もちろんそれが同期として長らく見てきた顔に対する贔屓目という可能性だってある。ただでさえ本来のテーマからは少し離れた人選、これは賭けみたいなものだ。安井さんから断られたら、石田さんに持っていくつもりではいるけど、どちらも口説き落とせる自信はあまりない。


 恐らく私の見立てを、安井さんも完全には信じきれていないんだろう。訝しそうに尋ねてくる。

「大体、俺なんかがそこに並んだら浮くだろ。他の人達は古株の社員ばかりなんだろ?」

「うん。でも、一人くらいネタ枠があってもいいかなって。初めは私がその候補だったんだけど」

「園田じゃ何で駄目だったんだ」

「あんまり変化がないからかな……。成長が見えないって言うか」

 安井さんは私をじろじろと見てから、妙に納得したようだ。

「確かにそうかもな」

 納得されるのも複雑だけど、事実なんだから仕方ない。

「だから、お願いします。写真があったらでいいから」

 私が頼み込むと、安井さんの表情にもいくらかの変化の兆しがあった。こちらを労わるような顔つきで、声も再び和らいだ。

「わかった。今日帰ったら探してみるよ」

「ありがとう! 期待してるね」

「自分の写真なんてまず取っておかないしな。あるかどうか自信はないけど」

 そう前置きしてから安井さんはカップ麺の残りを啜り、食べきってから続ける。

「いいよ。もしあったら、お前の為にネタにでも何でもなってやるよ」

「え、……うん、あ、ありがとう」

 意外な言葉に私がうろたえると、安井さんは番茶の湯呑みを手に、楽しそうに笑った。

「写真、出てくるといいな。お互いの為に」

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