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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
117/205

秋の日に訪れる(5)

 見合いの後、しばらくは平和だった。


 園田とは社内でもよく顔を合わせた。

 彼女は平常心を保とうと心がけてでもいたのか、顔を合わせる度に慌てて真顔を作ったり、こちらからの目配せをスルーしたり、目を逸らしたりと忙しそうだった。

 だから俺もあえて意味ありげに笑いかけ、園田が目を逸らした時にはわざわざ追い駆けていって無理やり視界に入り込もうとしてみた。彼女は気にしていないふりをしていたが、どう見ても気にしてくれているのがよくわかる。

「園田、顔が真っ赤だ」

 俺が囁きかけると、当然ながらきつく睨まれた。

「いちいち指摘しなくたっていいのに!」

「もしかしたら気づいてないかもしれないと思って」

「わかるよ! そっとしといて!」

 そっとしておいたら、またなかったことになりそうで嫌だ。せっかく二人で見合いをして、もう隠さなくてもいい関係になれたのだ。積極的に園田に話しかけて構い倒したい。


 ただ見合いをした話自体は、俺達の他はまだ小野口課長くらいしか知らないままだった。

 その小野口課長には後日改めてお礼を言い、『頑張りなよ』とエールもいただいた。いつかもっといい報告ができればいいと思っている。

 それ以外の人間からは特に何も言われていないが、見合いの話を触れ回っているわけでもないので当然だろう。何となく自分から広めるのも違うような気がして、まだ他の誰にも打ち明けてはいなかった。するとしたら正式に結婚が決まってから、というのが順当なところだろう。それまではしばらく、どう見ても怪しい関係ってやつでいるのも悪くない。それもまた社内恋愛の醍醐味だ。

 さしあたっては来月、俺の三十一歳の誕生日を楽しみにしている。

 園田は何か考えてくれているようで、ちらほらとそういう話も二人でしていた。来月が待ち遠しくて仕方がなかった。


 そんな浮かれ気分で過ごす十月半ばのことだった。

 やや遅め、午後三時過ぎに休憩に入った俺は、まずロッカールームへと足を向けた。この時間だと社員食堂の厨房がやっていないのは言うまでもないが、かと言って毎度のようにカップ麺というのも味気ない。今日くらいは弁当屋にでも行こうかと思いながら、自分のロッカーを開けた。

 ロッカーの中には買い置きのカップ麺をはじめとする私物が入っている。俺の私用の携帯電話も普段はここにしまっておいて、昼休み中に確認するようにしていた。特にこの頃は園田がまめにメールをくれるので、こっちも何かと頻繁にチェックしてしまう。昼休みに入った彼女から連絡でも来ていないかな、とうきうきしながら携帯電話を操作すると、早速メールが一通来ていた。

 ただし園田からではなく、石田からだった。

『今、社食で園田と飯食ってる。お前も飯まだだったらはよ来い、何だったら二人きりにしてやるから』

 というメールが、三分前に来ていた。


 その瞬間、俺は動揺のあまりよろめいて、すぐ真後ろのロッカーに肘をぶつけた。

 なんで石田がこんなメールを。

 と言うかどうして園田のことをこんなふうに俺に言うのか。

 いや、もはや彼女とのことは隠すつもりなんかなかった。別にばれてもいいと思っていたし、いつかおおっぴらにしてやろうという願望だって持っていた。それは嘘じゃない。

 だが真っ先にばれたのが石田だということに俺は愕然としていた。あいつの目敏さも確かになかなかのものだが、どうせなら酒でも飲みながら自慢がてら打ち明けてやろうと思っていた俺の計画が台無しだ。

 一体どこから漏れたのか。

 園田の性格上、彼女の口から石田に見合いの件を打ち明けたとはあまり思えないが――。

 そこまで考えたところでふと、不審なことに気づいた。俺は改めて石田からのメールを見直し、思う。

 石田なら、見合いの話を聞いたらまずそのことについて触れてくるのではないだろうか。

 そういう物言いではなく、園田がいるから社食に来いと奴は言った。つまり石田はまだ俺と園田が見合いをしたことは知らなくて、だが俺と園田がある程度親密な関係にあるということは知っている、感づいているということかもしれない。

 あいつに悟られるようなへまをした覚えはない。なぜばれたのか、突き止めておく必要がある。俺は社員食堂へ急行した。


 こんな時間の社員食堂が混んでいるはずはなく、中はがらんとしていて、三つ四つのテーブルに人影がある程度だった。

 石田と園田の姿もすぐに見つけた。二人は隅の方の六人がけのテーブルに向かい合って座っていた。こちらからは石田の背中と園田の顔しか見えなかったが、何事か話をしているようだ。石田が何か大げさな身振りをすると、園田が肩を揺すって明るく笑い出すのが遠目に見えた。愛想がいい彼女は誰に対してもあんなふうに笑うから、その時、少しだけ嫌な気分になった。

 何だか妙に楽しそうじゃないか。

 石田と園田だってもう九年の付き合いになる同期で、個人的な交友はなくても親しげに話をするのは当たり前だった。かつては同期でよく飲み会を企画した経緯もあり、俺達の代は割と横の繋がりが強かったようにも思う。

 だが――頭ではわかっていても感情がついていかない。むかむかした。

 大体、石田は俺に気を回すつもりで食堂へ呼びつけたんじゃないのか。あんな思わせぶりかつお節介なメールを送っておきながら、俺のいないところで園田と楽しくお喋りなんてどういう了見かと思う。そういえば以前も園田から上手いこと弁当のおかずをせしめていたが、まさか今日もじゃないだろうな。

 カップ麺の包装を乱暴に引きちぎり、無理やり剥がした蓋の中へポットの湯を注ぎながら、俺は石田と話をする園田の笑顔をじっと観察していた。二人がどんな話をしているのかは聞こえてこなかったが、お蔭で湯を注ぎ終わる頃には苛立ちがメーターを振りきっていた。


 割り箸を取り準備ができると、俺は二人に急襲を仕掛けた。

「――覚悟しろ。浮気の現場を押さえに来たぞ」

 二人のいるテーブルに足早に近づくなり、俺はガサ入れの気分で宣告した。

 途端に二人は弾かれたように顔を上げ、俺を視認するなり揃いも揃って目を丸くする。

「人の目盗んで楽しそうにしやがって。小坂さんに言いつけるぞ、石田」

 俺がそう続けると、石田は全く珍しいことに、その顔をぎょっと引きつらせた。

 まさか浮気というのが図星のはずもないだろうが、そう受け取りたくもなるような気まずげな表情をしていた。少なくともいつもの石田なら俺の不意打ちにも即座に対応できるはずだ。それが虚を突かれた様子で固まっているものだから、こちらも疑いたくもなる。

「ち、違うよ安井さん」

 園田の方が先に我に返ったようで、石田に代わって弁解を始める。

「石田さんには私が声をかけてね、仕事の、社内報の話をしてたんだよ。どう考えたって浮気とかする人じゃないよ、石田さんは」

 彼女が石田を庇うと、それはそれでちょっといらっとした。

 が、それを園田にぶつけても仕方がない。俺は首を竦める。

「俺だって本気で言ってるわけじゃない。随分と楽しそうに見えたから割り込んでやっただけだ」

「何だ、そういうこと。そりゃ石田さんなら、誰とでも楽しそうに話すよ」

「お前もそうだろ」

 誰とでも楽しそうに話すのは園田だって同じだ。お蔭でこっちは気になってしょうがない。

 それはさておき、俺は石田に視線を戻して尚も攻め立てた。

「石田は本気で浮気見つかったみたいな顔してるけどな。何だよ、まさか図星だったってわけじゃないだろうな」

 ここまで来ても、石田はまだ驚きから立ち直れていないようだった。俺がここに現れたのが予想外だとでもいうように目を泳がせ、うろたえていた。

「や、安井……お前、何でここに来てんだよ」

 おまけにようやく口を開いたかと思えばこれだ。自分であのお節介なメールを送りつけてきたことを忘れてしまっているのか。

 俺は顔を顰めて応じる。

「何でじゃない。お前が『飯まだだったら食堂来い』って誘ってきたんだろ」

 さすがに園田の前で、石田からのメール全文を口にするのは気が引ける。だからその辺りは端折って告げると、なぜか石田は自分の額に手を当ててがくりと俯いた。

「あ、そっか。そうだったよな……うわ、やべえ」

 力ない呟きもまた引っかかった。一体何がやばいというのか。何かやばいような話でもしてたのか、その辺はこれからじっくり聞き出してやることにしよう。


 俺は石田の隣の椅子を引き、そこに腰を下ろす。

 そして奴をじろじろ見ながらカップ麺の蓋を開け、割り箸を割った。

 その間も石田は困り果てた様子で項垂れている。何か必死に考え込んでいる様子でもあるが、何か言い訳が必要なことでもしたのか、こいつは。

 ずるずると麺を啜ってまずは腹を落ち着けてから、俺は石田を問い詰めにかかる。

「で、石田は婚約者以外の女と何を楽しそうに話してたんだ。この浮気者め」

「何言ってんだ。浮気なわけないだろ、人聞き悪い」

 石田は即座に反論したが、やはりいつもと違って煮え切らない答え方だった。

 いつもならもっとあれこれ言ってくるはずだ。ついでに小坂さんがどんなに可愛くてよくできた婚約者かをでれでれと語った挙句、だから浮気なんぞするはずがないときっぱり言い切るはずだった。

 だから今日の石田は何かがおかしい。

 俺はその違和感の理由を石田の様子から見出そうとしたが、どうにも読み切れなかった。

 代わりにテーブルに目をやると、石田の前にも園田の前にも弁当箱が置かれているのがわかった。園田の弁当箱は彼女愛用の丸い、小豆色の可愛いやつだが、石田の弁当箱は青いストライプのこれまた可愛いやつだった。どう見ても男物ではない。

 そういえば近頃の石田は時々、小坂さんにお弁当を作ってもらっているはずだった。

 もしかしてこれのことか、と俺は改めて尋ねた。

「それともまた他人のおかずをせびってたのか。婚約者にお弁当を作ってもらっておきながら」

「してねえって。いいから安井、お前は黙ってそれ食えよ」

 面倒くさそうに石田は言い、俺のカップ麺を指さしてくる。

 片や最愛の彼女の手作り弁当、片やインスタントのカップ麺とはえらい昼食格差である。俺は内心むっとしたが、石田がそこで深く溜息をついたので言い返す気も失せた。癪だったが言われた通りに麺を啜り、そして内心で首を傾げる。


 やはり今日の石田はおかしい。

 何か隠しているみたいな態度だが、それでいて怪しさを隠しきれていないところが石田らしくなくてますます変だと思う。

 一方、園田も少しばかり様子がおかしかった。俺と石田の顔を代わる代わる見ては、どこか気遣うような面持ちをしている。そわそわと落ち着かない様子にも見えて、そちらはそちらで気にかかった。

 三人のテーブルに奇妙な、重い沈黙が落ちかかった時だ。


 意を決したように園田が口を開きかけ――まるでそれを制するように、石田がうって変わって明るい声を上げた。

「そうだ安井。俺もうじきノンフィクション作家としてデビューするからな」

 俺に向き直るなりにやりと笑い、寝ぼけたような発言を繰り出してくるものだから、今度は俺が困惑する番だった。

「はあ? 何を寝惚けたこと言ってるんだ」

 なぜにノンフィクション作家。石田が作家というだけでも不似合いすぎて違和感しかないが、おまけにノンフィクションとは。何を書く気だ。

 俺が鼻で笑ったからか、石田はどこか得意げに食い下がってきた。

「いやマジで。ついさっき広報から社内報のコラムを依頼されたんだよ」

 もしかして、それで園田と一緒に飯食ってるのか。昼休みを利用して園田が石田に仕事の話を持ちかけた、というところだろうか。

 合点がいくと同時に少し安堵したが、それでも石田の態度が不審なことに変わりはない。

「そんなことで作家デビューなんて言うのか石田は。小学生みたいだな」

 あしらうつもりで言ってやると、むしろ待ってましたと言わんばかりに石田はにやにやし始める。

「わかんねえだろ。俺の類稀なる文才を、どこぞの出版社が見出してくれるかもしれん」

 石田に類稀なる文才があるなんて知らなかった。

 確かに喋りは上手い男だが、この場合の上手さとは他人を煙に巻く技術のことで、それをノンフィクションと言う分野でも生かせるとは思えないのだが。

 と言うか、どこまで本気なんだか。

「お前がノンフィクションなんて出したら即座に発禁処分を食らうよ」

 どこの雑誌にも載せられない過激かつ赤裸々な作品に仕上がるに違いない。雑誌に載せたら全部黒塗りだ。石田の頭の中なんて常にそんなものでいっぱいだからな。

「何でだよ! その辺はあれだ、表現の自由ってやつだろ」

 すぐさま石田がわかったふうな物言いで反論してくる。

「石田の場合、自由すぎて野放図な表現になるのが想像つくからな」

「ノンフィクションならリアルさは重要だ。そりゃもう細部に渡って克明に書いちゃうぜ」

 そのノリで社内報を書く気じゃないだろうな、俺は半ば本気で戦慄した。

「やめとけ。お前は誰から声をかけられようとその桃色に爛れた脳内を表に出すな」

 そう言って石田に釘を刺した後、俺達の会話を聞いている園田にも言っておく。彼女は先程までの落ち着きのなさもどこへやら、俺達の会話にくすくす笑い始めていて、その顔を見たら俺の心もいくらか和んだ。

「園田も、石田に頼むならちゃんと釘刺しとけよ。下ネタはお断りだって」

 俺と目が合った途端、園田は頬を赤くした。それから慌てて答えた。

「う、うん。さすがにわかってくれてると思うよ」

「いいや。石田なんて面白半分でタブーに挑戦する類の男だ。厳しく言ってやった方がいい」

 園田への忠告半分、石田への挑発半分で言ってやったつもりだった。

 ところが、隣に座る石田は俺を見て、先程まで浮かべていた妙に自信ありげな笑みを消していた。代わりに俺を、いやに心配そうな目つきで見ていた。同情しているようでもあり、そんな目で見られる謂れもない俺は戸惑うしかない。

「何だ、どうした石田。微妙な顔して」

 俺の問いに、石田は弱々しい声で答える。

「お前の顔が最近緩んでるように見えてしょうがねえなって」

 密かに、ぎくりとした。

 実際、心当たりがあった。園田との関係もこれまでになく順調で、遂に将来の話をするようにもなったし、久々にキスもした。近いうちに俺の部屋を見に来てもらう約束もしていて、それが上手くいけば二人で暮らせる未来もそう遠くはないはずだった。

 プロポーズを済ませた石田の後塵を拝する格好ではあるが、俺だって今は幸せだった。

 ただそれを言わないうちから気取られるのはいい気分がしなかった。石田にはあんなメールも送られているし、もしかしたら感づかれているのかもしれないが――問い詰めるのは園田がいないところでだ。

 ひとまずは取り繕って答えた。

「緩んでないよ失礼な。色惚けのお前と一緒にするなよ」

「……どうだか。ったく、こっちがへこむわ」

 石田が、言葉通りへこんだ様子で深く溜息をつく。

 今のやり取りのどこに、石田がへこむ要素があるというのか。俺はますます訳がわからず、思案に暮れている様子の石田をしばらく眺めた。だがいくら観察しても、自分で考えてみても、石田のこの一連の態度の理由が全く掴めない。


 俺達の向かい側で、園田は自分の弁当を大急ぎで食べ始めている。

 スプーンで弁当を掬いながら、使命感にでも駆られたような凛々しい表情をしている。今度は一体何だと思っていたら、ふと目が合い、そのまま彼女はテーブル越しにじっと俺を見つめてきた。

 何かを訴えたがっている眼差しに見えた。

 焼けつきそうなほど熱い眼差しにも見えた。

 しかしそういう目を社内で、昼休み中に、石田もいる前で向けられると少し照れる。悪い気はしないが、どう応じていいものか。


 どうせなら二人きりの時にしてくれないかと思いつつ、俺は彼女に尋ねた。

「何? 園田」

 園田は俺に話しかけられると思っていなかったのだろう。慌ててかぶりを振ってきた。

「う、ううん、何も」

 あれだけ見つめてきておいて、何もないということはないだろうに。突っ込んで尋ねたかったのはやまやまだったが、やはり石田の前ではためらわれた。仕事の後にでもじっくり聞き出すことにしよう。

 俺がそんな算段を練っていると、

「やっぱだらしない顔してんじゃねえか」

 隣から石田が毒づくのが聞こえた。

 それが単なる冷やかしなら聞き流せたが、どこか咎めるような口調だった。

「何だよ石田、さっきからカリカリして。マリッジブルーか?」

「んなわけあるか。そもそもカリカリしてんのは安井の方だろ」

 予想外の答えが返ってきて、俺はすぐさま聞き返す。

「俺が? いつそんな態度を見せた?」

「忘れたんならいい。そのまま一生忘れてんのがお前の為だ」

 特に心当たりはなかったが、石田は本気で何か悩んでいるようだ。眉間に皺が寄っていた。

 そして園田は弁当を食べながら相変わらずそわそわしていて、伝えたいことでもあるみたいに時々俺を見てくる。

 もはや何が何だかわからないというのが、俺の率直な感想だった。

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