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ナインカウント  作者: 森崎緩
To the nines
112/205

決して絶えず、限りないもの(6)

 デートの翌日、俺は小野口課長に早速連絡を入れた。

「考えたのですが、改めて彼女とお見合いをしたいと思います。お願いできますか」

 そう告げると二つ返事で了承してもらえ、すぐに彼女へ尋ねてみるとのことだった。

 園田とは既に口裏合わせ済みだ。どんな答えが返ってくるかはわかっていた。だが次の連絡があるまで、俺はちょっとだけそわそわしていた。


 そしてそれから数日も経たないうちに、残業中の俺を小野口課長が訪ねてきた。

「安井課長、いらっしゃいます? 今ちょっとよろしいですか」

 ちょうどその時、人事課に残っていたのは俺一人で、パーテーションを隔てた向こう側の総務課にも人はいなかった。

「小野口課長。お疲れ様です」

 俺がかけていた椅子から立ち上がりかけると、小野口課長はにこやかにそれを手で制する。

「あ、そのままそのまま。すぐ済みますから。今いい?」

 辺りを見回してから敬語が取れたので、俺もそこで用向きを察した。仕事の手を止めて、椅子ごと向き直る。

「はい、構いません。例の件ですね」

「そう、お見合いのね」

 頷く小野口課長は機嫌がいいようだ。園田との話し合いもきっとスムーズにいったのだろう。大好きな見合いができると張り切っているようにも見えた。

「園田さんも是非君とお見合いがしたいと言ってくれてね。早速日程から詰めようと思ってる」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 予想通りの報告を受け、俺は軽く驚くふりをしながら礼を述べた。

 しかしそこで小野口課長は冷やかすような笑い方をして、

「君達、この件はもうお互いに織り込み済みだったんだね。そこまで仲がいいとは思わなかったな」

 と言った。

 どうやら俺達の口裏合わせは不発に終わり、園田はどういう経緯か、真相を上司へ打ち明けるに至ったようだ。

 その辺りは何となく想像もついたし、正直、驚きもほとんどなかった。俺ですら太刀打ちできない小野口課長に、いろんな意味で素直な園田が対抗できるはずもない。

「すみません、黙っていて。俺も安全策を取りたくて、お電話いただいた後に園田に連絡を取ったんです」

 あくまでも俺の都合でそうした、という体で弁解しておく。

 すると小野口課長は手をひらひらと振ってみせた。

「いやいや、謝ることじゃないんだよ。そこまで仲のいい君達のお見合いを手伝えるのは嬉しいよ」

「はは……。園田、何か言っていたんですか」

「君のことを言うつもりはなかったようだったけど、ついぽろっと言っちゃったみたい」

 やはりそうか。

 しかし小野口課長も『ついぽろっと』なんて軽く口にしたが、どうせかまにかけるようなことを言って園田を引っかけたに違いない。つくづく油断ならない人だ、という確信が一層強まった。

「日取りだけどね、来月のどこか週末でと思っているんだ。どうかな」

「構いません。来月でしたらほとんど空いているでしょうし、ご都合に合わせますよ」

「それはありがたい。十月は涼しいだろうし、温かいお茶を飲むのにもぴったりだろうからね」

「そうですね、奥様のお茶をいただけるのも楽しみにしています」

 俺が奥様について触れると、小野口課長は見るからに幸せそうな照れ笑いを浮かべた。

「妻に伝えておくよ。とびきりおいしいお茶とお菓子を用意しておくように、ってね」

 それから小野口課長は日程に当たりをつけたら連絡するよと言い残し、人事課から出ていこうとした。だがふと足を止めて振り向き、急に思い出したように言った。

「そうだ、安井くん。君は僕にお見合いを止めさせた話、園田さんに話しちゃったんだけどよかった?」

 悪びれるどころか、まずいことをしたと思ってすらいない口調だった。

 不意打ちだったらさすがに慌てたかもしれないが、俺はその話を既に園田へ打ち明けてある。なのでこれ以上恥をかく心配はない。ただそこまでこの人に見透かされるのも癪なので、苦笑いで応じた。

「話してしまわれたんですか……。園田、何か言ってました?」

「ん? そりゃ喜んでたよ。君がそこまで一生懸命になってくれてたこと、嬉しかったみたいでね」

 本当だろうか。にわかには信じがたかった。

 なぜかと言うと、先日俺が同じ話を打ち明けた時はそこまで喜びもしなかったからだ。顔は赤くしていたが、どう思ったかまでは上手く読み取れなかった。当然、その話を改めてされて喜ぶ園田なんて想像もつかない。

 小野口課長があえて大袈裟に語っているという可能性もあるが――怪しむ俺に、しかし課長はいい笑顔で言い切る。

「そういうわけだから君達のお見合いはきっと上手くいくと思うよ。よかったね、安井くん」

「あ……ありがとうございます」

 それをこの人から言われると、どうにもこそばゆい。

 俺がそう思うくらいなのだから、直属の上司にあれこれ吹き込まれた園田のこそばゆさは相当なものだろう。喜んでいた、嬉しがっていたというのもそういう照れからくる反応かもしれないと思いつつ、本当に彼女が喜んでいたらと思うと顔が緩んでくるのを押さえきれなくて困った。

「おや。君も随分嬉しそうだね、そんなに喜んでる顔は初めて見たよ」

 当然、小野口課長には愉快そうに弄られた。

 そうは見えないが、全く目敏い人だった。


 残業を終え、帰宅したことを園田にメールすると、折り返し電話がかかってきた。

『安井さん、ちょっとだけ電話しててもいい?』

「もちろんいいよ、ちょっとと言わずいくらでも付き合う」

 俺は大喜びでそれに応じた。帰ってきたばかりでまだスーツも脱いでいなかったが、園田からの電話は何よりも優先される。

 とは言え園田が電話をかけてきた理由もわかっていた。少なくとも俺が恋しいから、俺の声が聞きたいからという理由ではなさそうだ。

『ありがとう、実はね』

 園田は礼を言うと、電話越しにもはっきり聞こえる深呼吸の後で続けた。

『……お見合い、することにしました』

「ああ、聞いてる。小野口課長から連絡あったよ」

 予想するまでもなかった。俺が笑うと、彼女は驚きの声を上げた。

『早っ! 何かめちゃくちゃ段取りいいなあ、うちの課長』

「趣味なんだろ。早速日程から詰めるって超張り切ってたよ」


 小野口課長は俺が喜んでいる顔を見てからかってきたが、あの人こそ見合いが決まってとても喜んでいたし、嬉しがってもいたと思う。そのままスキップでもし始めそうな足取りで人事課を出ていく後ろ姿が、まだありありと思い出せた。

 しかし俺だって見合いが嫌なわけではない。

 それどころか相手が園田と来ればもうこれは千載一遇のチャンス、是非とも先日のプロポーズへの前向きな返事を引き出してやろうと思っている。できればもう少し将来的な話もしたいし、可愛い顔も見たい。

 お見合いなんてこれが最初で最後だろうから――そうでなくては困るから、園田と全身全霊で楽しんでやろうと思っていた。


「楽しみだな、お見合い。何を話そうか?」

 俺はまだスーツも脱いでいなかったから、肩に携帯電話を挟みながら彼女に水を向けた。

 上着をハンガーにかけていると、園田は少し考え込んでから応じてくる。

『そういうのって今から決めとくものなの?』

「いいのか、抜き打ちでいろいろ聞いてっても。答えに詰まらないか」

 こっちはいろいろ聞くつもりだぞ、と彼女を脅かしておく。

 実際、園田とは話したいことがたくさんあった。この間のデートの帰りもそうだったように、園田と話をしているとあっという間に時間が過ぎたし、話題が尽きるということもなかった。

 ただ今回はせっかくの見合いだ。いつもは聞けないようなことを聞き、彼女がいつもは言ってくれないような答えを言わせたい。そう思う。

『答えに詰まりそうな質問、しなきゃいいじゃない』

 そんな俺の企みを見越してか、園田が釘を刺してくる。

「せっかくだから普段聞けないようなことを聞きたいだろ」

 ネクタイを緩めながら俺が言い返すと、彼女はまた考え込むような間を置いた後で言った。

『うーん……やっぱ石田さんとの馴れ初めとか、ファーストインプレッションとかかなあ』

 俺に何を聞きたがってるんだ、園田。

 今まで感じていなかった疲労感が押し寄せてきて、俺はワイシャツの襟からネクタイを強引に抜き取った。

「何でそこで石田の話だよ」

 リビングのソファに座り込むと、思わず溜息が出た。

「と言うか馴れ初めって単語を使うな、気持ち悪いから」


 俺と石田の出会いなんて特別人に話すようなこともない。

 石田は初めて出会った時から全く変わらず、ずっと通常営業の石田だ。思い返せば何にも変わっていなくて驚かされるほどだ。

 そういえば、園田と初めて出会った時はどう思ったっけな。まだ二十歳なんて若いな、なんて感想は持った覚えがある。三十になった今なら、二十だろうと二十二だろうと同じくらい若いとしか思えないが。


『あとは恥ずかしい失敗談とか、人に言えない秘密とかそういうの?』

 園田は何やら楽しそうにネタを並べている。

 そういう話がしたいなら、自分に跳ね返ってくることも考えて欲しいものだ。

「お前にも同じことを聞いてやるぞ。包み隠さず答えろよ、黙秘権はない」

『じゃあ安井さんも黙秘とかしないでよ。こういうのは公平じゃないと』

 もう一度脅しをかけると、園田は負けず嫌いの精神を発揮して応じてきた。

「いいよ、何が聞きたい?」

 俺はすぐさま余裕の態度で問い返した。

 園田に知られたくない、恥ずかしいネタは既に打ち明けた後だ。あれより恥ずかしい失敗談も秘密も他にはそうそうないだろう。だからもう、俺には彼女に知られたくない話なんてない。

「お前のどこが好きか、とか? それとも今はどのくらい惚れてるか、説明して欲しいのか?」

 畳みかけるように重ねて問うと、そこで園田は黙り込んだ。今度は思案に暮れているという様子でもなく、押し殺した息だけが聞こえてくるような、実に不自然な沈黙が続いた。

 俺には今の園田がどんな顔をしているか、手に取るようにわかる。

「あれ、この程度で照れるのか。昔はこういう話も普通にしてただろ」

 だから俺は彼女をからかい、

『してたけど! 昔からこういうこと言われたら照れるって、知ってるくせに』

 園田は慌てたように文句を言ってくる。

「じゃあ今から慣れとけよ。お見合いではそういう話も出るかもしれない」

 小野口課長ご夫妻の前ではしにくいかもしれないが、できればそういう話もしたい。将来の話をするに当たって、彼女を口説く必要だって当然あると思うからだ。

『ねえ、お見合いってそういう趣旨のものだった? 思ってたのと違うんだけど』

 すると彼女がもっともらしく異を唱えてきたから、俺もツッコミを入れておく。

「園田が先に脱線したんだろ。石田の話を聞くとか言い出して」

『あ、そういえばそうだね』

 一転、園田が朗らかな笑い声を立てる。

 彼女の笑う声は電話越しであっても耳に心地いい。さっきまで肩にのしかかっていた疲労感が雲散していくようだった。それどころか俺まで釣られて笑ってしまう。

「お見合いの最中に他の男の名前なんて出すなよ。俺がかわいそうだろ」

 たとえ石田の名前であっても、見合い当日にはあまり聞きたくない。その日は本当に俺だけを見て、俺だけに興味を持ってもらいたかった。

 そうしたら俺も、園田が知りたいと思う俺について、いくらでも快く答えてやれることだろう。

「けど、こうして園田と見合いができるなんて思わなかったな」

 ソファの背もたれに寄りかかり、俺はしみじみ息をつく。


 四月の段階では彼女からきっぱりと断られていた。

 結婚詐欺ならぬお見合い詐欺だともっともなような、大袈裟なような物言いをされて、俺は俺で仕方ないかと思っていた。あの頃の俺達はようやく二人で飲みに行く約束ができるようになった程度で、いろいろと難しい関係でもあった。一歩間違えば取り返しのつかないことになりそうな、慎重にならざるを得ない繊細な間柄だった。

 しかしその半年後、本当に園田とお見合いをすることになるとは、わからないものだ。

 半年前の俺はとにかく園田を取り戻したい渇望で必死になっていた。気持ちの余裕なんてほとんどなくて、五月の時点ではほぼゼロになった。取り戻せる自信なんてつい最近までないも同然だった。

 それでもひた走ってこられたのは、やはり彼女が好きで、忘れられなかったからだ。


『私も安井さんとお見合いするなんて思わなかったよ』

 園田がくすくす笑っている。

 その笑い声は、今はとても近くに感じられるようだった。

「俺としては最終手段のつもりだったんだけどな」

 振り返りながら俺は呟く。

『何それ。どういう意味?』

「お前が婚活するとか言うから、もし口説き落とせなかったら無理やり見合い相手に立候補しようかと考えてた」

 それは本当に最後の手段だと思っていた。あまり強引に話を推し進めればかえって逃げられてしまう。

 だがもし打つ手がなくなったら、俺がいくら彼女を誘っても、言葉を重ねても、園田が振り向いてくれそうになかったら――そう考えてもいた。

 あの頃考えていた最悪の事態よりも、現実はいくらか明るかった。そして今は幸せだった。

「けどこういう形で、お互い同意の上でお見合いに臨めてよかったよ」

『そうだね……』

 園田も同じように、半年前のことを思い起こしていたのかもしれない。その時、深く息をつくのが聞こえた。

 それから明るい声になり、

『いっぱい話しようね、ハーブティも楽しみだし』

 と言ってくれたから、俺も心から答えた。

「ああ、そうだな」

 それからリビングの壁にかけられている時計を見れば、もうじき日付が変わるところだった。

 俺はまだワイシャツも脱いでいなかったし、片手には外したばかりのネクタイを握り締めていた。


 明日も仕事だ。あまり長電話はできない。

 最近はこうして園田と電話で話す機会も増えてきたが、代わりにこうして通話を終える時間に切なさを覚えるようになっていた。もっと話したい、もっと声が聞きたいと思っても、時間には限りがある。

 園田も同じように思ってくれているのだろうか、お互いに通話の切り上げ時を察すると、こうして沈黙が落ちることがよくあった。


 だが、大抵は彼女の方から切り出してくれる。

『じゃあ、また明日ね。安井さん』

 優しい声音で園田が言うから、俺も優しい気持ちが込み上げてきて、そうなるとどうしても告げずにはいられなかった。

「ああ。――園田、好きだよ」

 彼女が同じように応じてくれるとは思っていなかった。

 ただ、まんまと息を呑むのが電話越しに聞こえたから、俺は今の彼女の表情に思いを巡らせながら最後の一言を口にする。

「おやすみ」

『お、おやすみなさい……』

 予想通り、園田は息も絶え絶えになって、声を震わせながらそう言った。

 そんな彼女を可愛いなと思いつつ、俺は電話を切った。


 通話を終えて携帯電話を充電器の上へ置くと、急に部屋の中が静かになったようだった。

 一人暮らしを始めてからもう三年以上が過ぎているのに、近頃はまたこの静けさが耳に痛く感じられるようになってきた。誰か一緒に住んでくれる相手でもいれば、そうも思わないのだろう。相手に望むのは、当然一人きりだけだ。いつかそういう日が本当にやってくればいいと思う。

 園田の気持ちはもう知っているのに、幸せなのに、一人でいるのが切ないなんておかしな話かもしれない。

 でも俺はもう四年も彼女を想い続けてきて、決して絶えないその想いが四年間の間に随分深く、限りないものになってしまったようだ。

 四年前よりも、半年前よりも、俺は園田を好きになっていた。

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