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第5話「向井命と桧笠秋穂③」

 桧笠秋穂は生まれつき、ある特異な力を持っていた。

 それは、『彼女に向かってくるものの軌道を逸らす』事。


 それに初めて気付いたのは5歳の時。

 近所の小学生が投げた野球のボールが、たまたまぶつかりそうになった時だ。

 誤って彼女の方へ真っ直ぐ飛んできたボールが、どんなプロ野球選手にも投げられないような変化を描いて逸れて行った。

 その話を聞いた大人は口を揃えて『運が良かっただけだ』と言ったが、秋穂はそう思わなかった。


 実際この現象は、これ以降にも度々起こる事になる。

 ドッヂボールをすれば絶対に負けなかったし、彼女をからかおうと男の子がバッタを投げつけても、彼女には当たらずバッタは野に帰って行った。


 その事に対し、秋穂は得意になっていた。

 自分は超能力者なんだと思っていい気分になっていた。

 遊び程度の事でしか役立たないとも思ったが、それでも他人と自分は違うという優越感があった。


 最初は信じていなかった両親も、次第に認めざるを得なくなった。

 特に父親は、表面的にはこれまで通り娘に接したが、内心とても不気味がった。

 秋穂は気づいていなかったが、いつしか父親の心は娘を避けていた。


 逆に母親は、ありのままの娘を愛した。

 どんなに不思議な事があっても、自分の愛する娘である事に変わりはないという確固たる心を持っていた。


「ねえねえお父さんお母さん、わたし凄いんだよ! 超能力者だよ!」

「そうね、凄い凄い! 自慢の娘よ、秋穂」

「……ああ、そうだな」


 秋穂は幸せだった。

 自分の持つ力を楽天的に考え、危険な物だなんて微塵も思っていなかった……。


 6歳になった秋穂はある日、母親と一緒に出かけていた。

 夕飯の材料を買いにスーパーに行くだけの、なんて事ない普通の出来事だ。

 その帰り道、秋穂は母親と笑って話しながら歩いていた。

 今日寝る時はあの絵本を読んでほしいとか、明日はこうして遊びたいだとか……ありふれた幸せな会話だった。


 だが秋穂のありふれた幸せは、あまりに唐突で悲惨な終わりを迎える。


 不意に車のエンジン音が近づいてきた。

 そんなスピードが出せるような道でないだけに、秋穂たちはすぐ違和感を覚え顔をそちらに向けた。

 その時には既に……車は猛スピードで歩道へと乗り上げ、2人の方へ突っ込んできていた。


 手遅れだった。

 躱せるはずがなかった。


 暴走した車は容赦なく、秋穂の母親を刎ねた。

 その衝撃で、鈍くて酷く耳障りの悪い音が響く。

 全身を強打して血を大量に流し、無惨な姿になった母親は、もうピクリとも動かなくなった。

 場は瞬く間に騒然とする。


「え…………?」


 一瞬の出来事だった。

 秋穂には何が起きたか分からなかった。

 気づいた時には、車がすぐそこまで来ていた。

 気づいた時には、母親が血だらけになっていた。


 そして自分は、傷一つ負っていなかった。

 それどころか、飛び散った母親の血痕や肉片、砕けた車のガラスすら、彼女には掠りもしていなかった。


 秋穂の能力には欠点があった。

 それは、自分の意思でコントロール出来ない事。

 危害あるものは全て、自動的に軌道が逸れる。

 逸れた方向に誰がいようが御構い無しに、秋穂を勝手に守ってしまう。


「……う……あああ…………」


 秋穂は立ち尽くしたまま、徐々に状況を飲み込み始めた。

 同時に足が震え、涙がボロボロとこぼれ、絶望が心をズタズタに蝕んだ。

 血塗れた母親だった残骸が、自分を責め立てている気がした。


 すぐに救急車とパトカーが来た。

 しかし母親は即死だった。

 車が突っ込んで来た原因も聞いたが、秋穂は忘れ去ってしまった。


 病院に、父親とその姉——秋穂の叔母が来た。

 待合室の椅子にポツンと座る秋穂に、父親は何があったのか我を忘れて問いただした。

 叔母はそれを諌めようとしたが、父親は聞かなかった。


「車が……わたし達の方に来て……」


 秋穂はうわ言のようにそう答えた。

 それを聞き、父親の顔色が変わった。


「……お前は無事だったのか。一緒にいたのに」

「……‼︎」

「2人一緒に並んで歩いてたんだろ? なのになんで、お前は無傷なんだ?」

「……それは…………」

「ご自慢の超能力とやらのお陰か?……そうか。車が逸れて、母さんだけを轢き殺したのか」


 父親は淡々と容赦なく、秋穂に恨みがましい言葉をぶつけた。

 秋穂へ抱いていた不信感が、この時一気に爆発していた。

 もう彼自身にも止められない。

 そして遂に、決定的な言葉を吐いてしまう。


「……お前さえいなけりゃ」


 秋穂は全てに絶望した。

 頬を伝う涙の温度すら感じられない程、その時の秋穂からは生気が抜けていた。

 父親と叔母が目の前で言い合いを始めたが、全く耳に入ってこない。


 これ以降、秋穂は心という心を遮断した。

 これから間もなく小学校に入学したが、友達は作らなかった。

 これから一生作れないだろうなと思った。

 これまで仲のよかった友達も突き離した。

 自分が隣にいるだけで、その人は害を被ると信じ込んだ。


 父親とは事実上の絶縁状態となった。

 それからは叔母が面倒を見てくれたが、秋穂は積極的に関わり合う事を避けた。

 それでも優しく面倒を見続けてくれた事に対し、感謝しきれないと同時に心苦しくなった。


 そして高校進学と同時に、1人暮らしをする決心をした。

 理由づけのためにわざと遠い場所を進路に選び、なんとか叔母を納得させた。

 そしてその高校でも以前と同じ、誰とも仲良くなろうとはしなかった。


 これでやっと本当に独り。

 誰を傷つける事もなく、ずっと独りでい続ける。

 死ぬまで、独り——


 そう思っていたのに……。

 あの時の事故と同じく、なんの前触れもなく不意に、その人物は秋穂の前に現れた。


 彼の名は向井命。

 秋穂と同じ、超能力を持つ青年だった。




*




 何かの縁だと、あの人は言った。

 わたしもそう思った。

 だって、たまたま会った人がわたしと同じ超能力者だなんて、単なる偶然で片付くようなものじゃない。


 そしてこの縁は、わたしを救ってくれるかもしれない。

 何も知らなかった馬鹿なわたしを、渦のように巻き込んで溺れさせたこの呪いから引っ張り上げてくれるかもしれない……。

 そうだと信じたかった。


 でも……‼︎


「駄目だった……‼︎ わたし……は……誰かといちゃいけなかったんだ…………ずっと独りでいなきゃ駄目だった……‼︎ また……傷つけた…………」


 わたしは嗚咽しながら、誰に向けるでもなく感情を吐き散らしていた。

 期待した罰なのかな。

 救ってほしいと思っちゃったからかな……?

 だから『お前はこのままでいろ』って、この呪いが警告してきたのかもしれない。


 あの人はとてもいい人だ。

 初対面のわたしに、あんなにも親身になってくれた。

 誰かとちゃんと話したのは凄く久しぶりだった。

 とても楽しかったし、嬉しかった……。


 でもだからこそ、もう駄目だ……!

 わたしが隣にいるだけで、あの人が傷つく。

 そんなの見たくない‼︎


「うっ……うう…………ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……」

「…………」


 わたしは地面を向き、顔を両手で覆った。

 止まる気配のない涙が、指の隙間からポタポタと落ちる。

 あの人の表情が見れない。

 見れるわけない。


 わたしは渦の中心に沈んでいくしかない……。

 わたしは独りでいるしか——


「秋穂ッ‼︎」

「⁉︎」


 突然、力強い声で名前を呼ばれた。

 久しぶりに名前を呼ばれた事と、そこに篭った感情に驚いて、わたしは思わず顔を上げる。


 あの人が目の前にいた。

 さっきよりわたしに近づいて、へたり込んだわたしを屈んで見下ろしている。

 痛そうに脇腹を押さえる姿に、わたしは目を背けてしまいそうだったが、あの人の真っ直ぐな視線はそうさせてくれなかった。


「……俺は昔、自分の事が大嫌いだった。勝手に絶望して、勝手に妬んで……そんで、取り返しのつかない事をした」


 あの人が静かに語り出したのは、自分の過去のようだ。

 なんで急にそんな事を言い出すのか分からなかったが、あの人は続ける。


「あの時はもうどうしようもないって思ったよ。ひょっとしたら、俺は一生こんななのかって本気で考えてた。けど……」


 あの人はここで1度目を閉じて、一呼吸間を空けた。

 そして再び目を開いた時、おかしな事を思い出したように笑った。

 


「ある時、それが一瞬で変わったんだ。ほんの些細な事でだ。ただ偶然会った奴のお陰でな」

「え……?」

「それまでは全然、赤の他人だった奴がだぜ? 俺が死ぬまで引きずってたかもしれないものを、ソイツはあっさり取り払っちまった」

「…………」


 偶然会った人?

 一体この人は何を……。


「お前が引きずってるものは、多分俺なんかのよりもっと重いものだろう。比べるのも失礼な位にな。けど偉そうな事を言わせてもらうぞ」


 そう前置きして、あの人はわたしの頭にポンと手を置いた。


「『独りじゃなきゃいけない』? そんなわけあるか。逆だろ? 自分じゃどうする事も出来ないものでも……『誰か』がなんとか出来るかもしれねーだろ?」

「…………」

「辛い時こそ『誰か』がいなきゃいけねーんだよ。独りじゃなきゃいけないなんて……そんな事があるわけねーよ」

「……う」


 そうかもしれない。

 でもわたしの場合、それは当てはまらない。

 頭でそう思いつつ、薄っすら光る希望に手を伸ばしそうになる。


「わたしは……あなたも傷つけた。わたしにはこの力の制御が出来てない……だから独りじゃなきゃ」


 わたしは突っぱねようとした。

 本当はすがりたい。

 助けてほしい。

 でも、また傷つけてしまうのが怖かった。


「これはお前のせいじゃない。トラウマがお前の能力のコントロールを失わせてるのなら、俺がお前の『誰か』になってやる。背中を押してやる」

「……!」


 わたしの弱々しい拒絶が、徐々に綻びを見せはじめた。

 彼は「その先はお前次第だけどな」と締めくくって、笑いながら頭をクシャクシャと撫でた。


 この人は本気だ。

 ただの同情とか、それっぽい事を言ってるわけじゃない。

 この人はわたしの事を、本気で助けようとしてくれている。

 鈍いわたしでも、その言葉にこもった心が流れ込んで来るように理解出来た。

 とても暖かくて心地いい……。


「俺がブレード使いで、お前の能力を理解できるから言うんじゃない。俺が向井命で、お前の力になりたいって思うから言うんだ」

「っ……!」

「独りでなくていい。俺が一緒にいてやるから」


 渦の中に、この人が飛び込んできたような気がした。

 わたしに向かって手を伸ばしてくれている。


 今まで流れていたのとは違う涙で、目頭が熱くなるのを感じた。

 自分の体に温度が戻ってきた。

 頬を伝う涙が熱い。


「うう……わ……わたし……!」


 うっかりするとまた泣き崩れてしまうそうで、うまく喋れない。

 あれっきり芽生えた事のなかった希望が、わたしの中に生まれていた。

 そんなわたしの心情を察してか、彼は優しく笑った。


「さて」


 そして立ち上がり、黒い影のような物で縛られた相手の方に向き直す。


「ところでお前……」

「ヒッ! 待って、今度こそ本当に悪かった!」

「さっきも同じような事聞いたぜ。そんなのが2度通じるほど、俺は甘くねーぞ」


 その言葉は、わたしに向けられた温かくて心地よいものとは全く似つかなかった。

 静かだけど、凄く怒っているのがビシビシと伝わってくる。


「お前は危険な奴だ。このまま見逃すわけにはいかねーな」

「うぐ……」

「と、その前に聞いておきたい事がある」


 相手のすぐ近くまで歩き、彼は言った。


「お前はそのブレードをどうやって手に入れた? かなり重要な事だ。喋ってもらうぞ」

ブレード名:クリアー・フック

所有者:殻田空(からたそら)

身体強化:スピード型

形状:手甲からマフラー状の筒が数本伸びる鉤爪。

能力:空気を球状に固めて飛ばす。

・軌道は基本的に直進だが、空気を抜いて方向転換は可能。ただし微調整は効きづらい。

・空気弾発射の際は、両手の平を向かいあわせる構えが必要。

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