第9話「苗字は師藤」
放課後の帰り道。
1人で先々と歩いてきたので、わたしの他に下校中の生徒はいない。
3連続で頭部にダメージを負った事を除けば、今日はわたしの人生の中でも指折りのいい日になっ た。
一時はどうなる事かと思ったけど、伊代ちゃんとは仲良くなれそうだ。
前向きに考えろって、それは期待していいって事だよね?
背中を押されて、今は何歩目位かな?
ほんの一歩か二歩でも、わたしは前に進めているだろうか。
だったら嬉しいな。
朝にも増して気分良く、わたしはあんまん(コンビニで買った)を頬張りながら歩いていた。
よく買っては食べてるけど、今日のは一段と美味しく感じる。
皮もあんも甘い。
今日はちょっとやりたい事があって早めに帰ったけど、伊代ちゃんと一緒ならもっと美味しいんだろうか。
うん、きっとそうだ。
……命さんなら?
わたしはふと足を止めた。
あの人は友達という括りに入るのかな?
一瞬よぎったその疑問を引き金にして、昨日の事が芋づる式に思い出される。
初対面で転けたところ見られて、しかもその時泣いてて。
一緒に喫茶店入って。
町の案内するなんて約束して……。
……ちょっと一悶着あって。
また泣いて…………。
あ……頭撫でられて……。
「……!」
瞬く間に顔が熱くなってきた。
今のわたしを見たら、蛸が仲間と勘違いするかもしれない。
なにこれ!
ザッと思い出しただけで結構凄い事してる⁉︎
昨日会ったばっかりなのに……。
かなり気恥ずかしいけど、全然嫌な気分とかじゃない。
むしろ胸が温まる。
けれど、変なしこりが残るというか……。
「……いやいや」
ブンブンと頭を振り、浮かんだ考えを振り払う。
もしかしたら『そういう事』なのかなと思ったけど、いくらなんでも早すぎる。
あんまり早くに結論を出すのはよくないって誰かが言ってた。
仮にそうだとしても、もうちょっと時間が必要だ。
うん、思い込みよくない。
……いや決して後回しにしてるとか嫌がってるとかじゃなくて、あくまでも時間が必要ってだけで!
そもそも人付き合いなんてほとんど未知のものなわたしがそんな……ああもう。
「……早く帰ろ」
誰に向けてでもない言い訳を静めて、わたしは帰路につく足を速めた。
丁度その時。
「あれあれ〜? なあんか見た事ある奴がいるな〜?」
おちゃらけたような男性の声が、後ろから投げかけられた。
「⁉︎」
一見明るい雰囲気のその声に、わたしは逆に不安感を激しく掻き立てられた。
体が悪寒でブルリと震え、背中を冷たい嫌な汗が流れる。
聞き覚えがある声だった。
昔聞いた事があるんじゃない。
ほんのつい最近聞いた、狂った声色……。
「ククッ。なんてわざとらしいか? こんな偶然ないって思うかい? それがあるから生きるのは楽しいんだぜ?」
「……なんで?」
「今ので汲み取ってくれよ。たまたま見かけたか ら、ちょっと声かけたくなったんだ」
後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、ローブとフードで全身真っ黒に着飾った、あの男だった。
昨日、わたし達の前に突然現れた。
車を暴走させた。
……町の変死事件の犯人で、ブレード使いを生み出している。
「無傷だな」
「……?」
「まあそれは不思議じゃない。あの時車はお前の横を避けて突っ込んだからな。けどあの時誰かが怪我したんなら、そんなのうのうと道を歩けやしねえ。家にこもって、この世の終わりって気分に落ち込んでるのが自然だろ?」
「…………」
「あの男は確かに強い。それは聞いてるし見て分かる。だがあの状況で、自分とガキ2人を無傷でやり過ごすのは無理があった筈だ。でも察するに、両方無事らしい」
男は数歩歩き、わたしの顔をフードの奥から覗き込んだ。
「……お前だろ? 何かやったの」
「……!」
素顔は見えなかったけど、その視線はとても気味が悪かった。
口角を吊り上げつつ歯を見せて笑うその口が、わたしの恐怖心を増幅させる。
「だがお前を斬った覚えは無え。生まれつきか?」
「……だったらなに?」
なんとか絞り出した言葉は、少しどころじゃない位頼りなかった。
今すぐ逃げたい。
この人から離れたい。
「へえ……。あ〜チクショウ〜、昨日ちゃんと見とくんだった。惨劇から少し経った後の空気感、それを遠巻きに眺めようなんて欲が湧いた昨日のオレが憎いなあ〜」
「な……」
その言葉に、わたしは恐怖心が少し薄れた。
代わりに、別の嫌な気持ちが湧き上がってくる。
「なんて事を……!」
あれだけの事をしておいて……。
まるで『売れ切れるんなら、昨日買っておけばよかった』位にしか思ってないの⁉︎
「なに? 怒んの? オレが気に食わないってかあ?」
「だって……あんな事して、誰かが死んでたかもしれないのに……!」
「ああ。たまんねえよな……すっげえワクワクする」
「え……?」
男は顔を手で覆い、喉の奥で笑いをこらえているように見えた。
人が死ぬような状況をたまらないと言って、笑っている。
「ククッ……ククククッ! ヤッベエ、今想像しちまったよ。仮に昨日、あの2人が轢き殺されてたらってシチュエーションをさあ! 場に立ち込める陰鬱な絶望感! ああ、見たかったなあ〜‼︎ 想像でこんなに興奮するんだぜ⁉︎ 生で見れりゃあ最ッ高だったのになあ〜‼︎」
「……っ」
わたしは後ろへとたじろいだ。
薄れた筈の恐怖が、洪水のように押し寄せてく る。
この人と一緒にいてはいけない。
この人は狂ってる、今すぐ離れろ。
体がそう警告する。
「まあそうビビるなよ。オレは面白いモンが見たいんだ。ここでお前をただ殺しても、そんなに面白くないからな」
「う……」
「だが、オレはまだこの町にいるぜ。何処かでブレード使いを増やしてるかもしれないし……何処からかお前を見てるかもなあ」
怯えるわたしを煽るように、男はわたしに耳打ちした。
背筋に蛇が這うみたいな感覚が襲ってくる。
思わず固まるわたしの横を通り過ぎようとした 時、男はもう一度口を開いた。
「ああそうだ。オレの事を知りたいなら、アイツに聞いてみろよ。昨日のジャージ着て顔に傷のあるアイツだ。……『師藤』って何? って聞けば、多分面白い反応してくれるぜ? ククッ」
そう言い残して、男は今度こそ通り過ぎて行く。
数秒遅れて振り返った時には、もうわたしの視界の中にいなくなっていた。
「……『しどう』?」
苗字?
あの黒づくめの男の?
命さんは何か知ってるの?
「…………」
わたしは家まで走った。
到着した頃には、食べかけのあんまんはすっかり冷え切ってしまっていた。




