46・犬
「フーッ・・・終わった・・・」
集中し過ぎてどのくらいの時間が過ぎだかわからないが、体中から汗が拭きだし、体力も大分消耗していた。
帝王切開の手術は無事成功した。
手術中、何度か血管を傷つけてしまい焦ったが、手当魔法のお蔭で失血量も大した物にならなかった。
切開して子宮から取り出したゴブリンの子供は、大人のゴブリンの1/4程の大きさで普通のゴブリンと同じく濃い緑色をしていた。
2週間でここまで大きくなるとは、流石魔物と言ったところだ。
その後、胎盤や羊水を含めた子宮内容物を取り除き、子宮筋・腹膜・筋膜・皮下組織・皮膚の順で手当魔法を掛けながら丁寧に閉じていった。
全てを終えた後の切開部分は傷跡も残っていない綺麗な肌に戻っていた。
念の為、脈診をすると産脈(妊娠すると出る独特の脈)は無くなっており、正常に脈を打って、呼吸もちゃんと正常になっていた。全てが無事に終わったのだ。
脈診も含めてすべてが終わると俺は疲れ切って、女性を寝かせている台に寄りかかって座り込んでいた。
「お疲れ様です。ご主人」
そこに、鳥の姿に戻った鵺が声を掛けて来た。
「あぁ、何とか終わった・・・だが、疲れすぎて動けん」
「じゃあ、ギコさん達を呼んで来ましょうか?」
「あぁ、悪いが頼む」
「わかりました。それにしても、本当に成功させてしまうなんて・・・やっぱり、ご主人は凄い方です」
鵺は成功した事の感想を呟くと、ドームの外へ飛んで行った。
しばらくして、シンティラとギコがやって来たところまでは、薄らとした意識の中で覚えていたが、俺は疲労もあってそのまま眠りに落ちた。
「ウッ・・・重い・・・ん?シンティラか・・・」
胸に感じる柔らかさと圧迫感に目が覚めると、仰向けに寝ていた俺の胸にしがみ付く様にシンティラが乗かって寝ていた。
見れば、口の端から涎を垂らしながら気持ち良さそうに寝ていた。
「全く・・・これで、本当に16なのかね」
ため息交じりに苦笑いを浮かべながら、起こさない様にそっと退かして周りの様子を見る為に立ちあがった。
周りを見れば、救った女性は台の上で毛布を掛けられて眠っていた。しかし、ギコの姿が見当たらなかった。
ドームを出て洞窟の入り口へ向かうと、ギコの姿があった。
「お!起きたか!」
俺が近寄ると、気配にギコが振り向き声を掛けて来た。
「えぇ、すみません。寝てしまったみたいで・・・」
声を掛けてギコのところまで行くと、外はすっかり夜になっていた。
そして、入口近辺には10体ほどのゴブリンや他の魔物の死体が転がっていた。
「それに見張り番までして頂いて、すみません」
「いや、いいって。俺は今回、何もしてないからな」
俺が謝ると苦笑いして、何でも無い事をアピールするように手を振りながら言って来た。
「しかし、本当にゴブリンを腹から出す方法があったとはな・・・」
「えぇ、自分でも成功した事に驚きですよ」
「ハハハッ、なんだそりゃ!」
ギコの感心の言葉に肩を竦めて答えると、笑いながら言って来た。
「本当にお前はよくわからねぇな。鵺とシンティラに聞いたぜ。薬師・治療魔法師あと魔法具師でもあるんだってな」
「えぇ、まあそこまで専門的にやっている訳では無いですがね」
しばらくギコは考えるように沈黙した後、提案を口にして来た。
「ミツル。お前、魔法ギルドに入らないか?」
「魔法ギルドですか?」
「あぁ・・・その知識と経験があれば、お前なら『魔導師』になれると思うんだ」
「ん?魔導師って、魔術師と違うんですか?」
「あぁ、魔導師はその名の通り、魔導を極めた者の事だ。ここ30年はその存在は確認出来ていない奴だ」
ギコの簡潔な言葉である程度理解は出来た。魔術師よりも力が強く、希少なのだ。もちろん地位も上がるだろうが・・・。
「う~ん・・・やめておきます」
「はぁ!?なんで!?」
「だって・・・いろいろと面倒臭そうじゃないですか」
「・・・・・・・・・・クッ!ククククッ、め、面倒臭いか!・・・あはあはははははっ!」
俺の回答に、ギコは目を丸くして固まっていたが、次第に腹を抱えて笑い出した。
「なんか俺、可笑しい事でも言いました?」
「いや!・・・クククッ!確かに面倒臭そうだ!」
「まぁ、ギコさんと同じですよ」
「あ?あぁ、そうだな・・・気楽が一番だな」
「そういう事です」
二人で笑いながら話していると、突然嫌な予感が襲いそちらの方にバッと目線を向けた。
「ん?どうした?」
「何か来ます・・・」
「何かって・・・ッ!」
ギコも遅れて感じ取ったようで急いで立ち上がり剣を構えた。
その目線の先、距離にして1km程先から、草木をバキバキと倒しながらその巨体が姿を現した。
「・・・さっきから、血の匂いに惹かれて色んなのが来たが、こんな奴が来るとはな・・・」
ギコは剣を構えながら、すごい量の冷や汗をかいて呟いた。
「ワォーーン!」
推定でも高さ30m体重40tはありそうな巨大な黒い獣がこちらに向かって遠吠えを上げながら来ているのだ。
「あ、あれって・・・依頼書の『南の街道に出る大型犬の討伐』の犬ですかね?」
「はぁ!?あんなデッカイ犬が居る訳ねぇだろ!」
「そ、そうですが・・・肉食の哺乳類で鋭い牙を持ち、4本の足で行動してワンと吠える動物を犬と呼ばずして、なんと呼べば・・・」
「怪物で充分だろ!?」
ギコとやり取りをしている間にも巨大犬は俺たちとの距離を縮めていった。
「こんな所で、食われてたまるか!」
「あ!ちょ!」
ギコは突然、剣を構えて犬に向かって走り出した。
「うおおおぉぉぉぉ!・・・ぶはぁ!」
一気に間合いを詰めたギコは剣を振りかぶり、攻撃しようとしたところで見事に前足のみで吹っ飛ばされた。
「ギコさん!」
「ふんっ!獣人風情で俺に攻撃しようなんざ、500年早いんだよ」
ギコが吹っ飛ばされて名前を叫んだ瞬間、巨大な犬が喋りはじめた。
「お前・・・言葉が喋れるのか?」
「ん?お前こそ、俺の言葉がわかるのか?」
「あぁ、わかる・・・」
巨大な犬は俺を見下ろす様に、20m程距離を置いて立ち止まり、何かの匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。
「フンフン!なるほど・・・お前からは懐かしい魔力の匂いがする」
「懐かしい?」
「あぁ、我が故郷のフィヨルドに居た魔術師や魔法使いの匂いだ。もう4500年以上前の事だが、またこの匂いを嗅げるとは・・・少し嬉しいモノだ」
フィヨルド。
今、確かにこの犬は嬉しそうに尻尾を振りながらそういった。
フィヨルドとは、氷河による浸食作用によって形成された複雑な地形の湾・入り江のことで、ノルウェー語による通俗語だ。湾の入り口から奥まで、湾の幅があまり変わらず、非常に細長い形状の湾を形成する。
ヨーロッパ北部のノルウェー・スウェーデンからなるスカンディナビア半島が有名だ。
「一つ聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「お前はもしかして、太古から居る者なのか?」
「・・・・・・フンッ!」
俺の問いにしばらく沈黙が流れた後、鼻で笑われた。
「俺はつい最近まで封印されていた。忌々しい魔術師に呪いを掛けられてな。だが、封印魔石を壊してくれた者のお蔭で、外に出られる様になった」
(ひょっとしたらラークの言っていた遺跡か・・・)
「その獣人は俺が何者かも理解していないにも関わらず、俺を使役しようなどとした。そんな奴に俺は下る気は無いんでな!そいつを殺して、今は自由にさせて貰っている」
「今は?これからも自由にしないのか?」
「あぁ、続く限りはそうさせて貰うが・・・忌々しい魔術師に掛けられた呪いがある。俺の存在を知る者が現れれば、俺はその者に服従するようになっているのだ」
「そうだったのか・・・」
「フンッ!まぁ、そんな奴が現れるとは思えないがな!まぁ、懐かしい匂いと久方ぶりの会話、楽しかったぞ。また、会う事があればその時にでもまた話そう」
そう言うと心なしか寂しそうにその場を去る様に踵を返そうとしていた。
何故だかわからないが、俺もこのまま別れるのが少し寂しくなった。
「なあ!俺じゃあ、お前を使役出来ないのか?」
声を掛けると、犬はピタッと止まり体ごと再度体を向けた。
「ほう、お前が俺を使役するのか?・・・フンッ!面白い!では、問おう!俺が何者なのか、名を言ってみろ!」
俺はその言葉に口元が少しニヤけた。正直、その問いを待っていた。
故郷のフィヨルドと言った時点でこの犬が何者なのか大体わかった。
北欧神話や北ヨーロッパ。いや、世界中の神話や伝承の中でもこれほど巨大な犬は1匹しかいない。有名な三つの頭を持つ、地獄の番犬であるケロベロスでさえここまで大きくないのだ。
「彼の有名なロキの長男だろ?違うか?」
「ッ!」
その言葉に、犬は目を丸くして驚いた。
まさか、自分が何者なのかを言い当てられたのだ。もう、名前を呼ばれずとも目の前の男が自分の事を知っているのは明確だった。
「フッ!フハハハハハハッ!まさか、俺の事だけでなく親父の事まで知っているのか!?」
「もちろん、弟や妹の事も知ってるぞ」
「ククククッ!そうか・・・そうか!お前が俺の主とは!俺がここに来たのはノルン達の仕業だったとは!」
巨大な犬は、俺の言葉に運命を司る女神の名を口にして笑いながら納得していた。
「クククッ!ここまで言われれば、もう明白だが・・・改めて聞こう。それが俺に掛けられた呪いだらからな。俺の名を呼べ」
「あぁ、ラグナロクのヴァナルガンド(破壊の杖)、フェンリル!・・・あ゛ァ!」
俺がフェンリルの名前を呼んだ瞬間。俺の右肩に焼けるような痛みが走った。
見れば、フェンリルも眉間にシワを寄せて痛そうにしていた。その巨大な体の右前足の肩部分から湯気のような物が上り、魔法陣の様な模様が光っていた。
その光も少しすると痛みと共に治まった。
「忌々しい魔術師め!もっと痛くない様にすればいいモノを・・・」
「あぁ、それには俺も同感だ・・・」
「お前は俺の主となった。主の名を教えてくれ」
「ミツルだ!よろしく頼むよ!」
「ミツルだな。こちらこそ頼む、我が主よ」
魔獣・・・と言うより神獣に近いフェンリルを従えたのはいいが、一つ問題があった。
「しかし、フェンリル。そんなにデカいと街に入れないんだが、俺が街に居る間はどうする?」
「それならば、小さくなれるから心配はいらない」
そう言うと見る見るフェンリルの体は小さくなって行き、高さ1.5m体長3m程の超大型犬程の大きさになった。
「それに少々退屈ではあるが、主の肩に刻まれた魔法陣の中に入る事も出来る」
(おう・・・まさにファンタジー。なんでもありだな・・・)
「そうか・・・まあ、この位の大きさなら問題ないから入る必要もないだろう」
「そう言って貰えると、俺も助かる」
「さて、フェンリルが吹っ飛ばしたギコさんを回収しに行かなきゃな」
「そ、それは済まなかったな」
俺が洞窟の入り口を土魔法で檻状に塞いだ後、ギコを回収しに行こうとするとフェンリルが頭を下げて謝って来た。
「気にする事じゃない。そもそも、何も考えずに突っ込んだギコさんが悪いんだから」
「ふむ、起きたら謝って置こう」
「まあ、そうしてくれ・・・。そう言えば最初に言葉わかる事に驚いていたが、ギコさんには言葉が通じるのか?」
「それは問題ない。主と契約を結んだ時に魔力を通じて、言葉が通じる様になっている筈だ」
何とも便利な事だが、一瞬なにか疑問と言うか違和感を覚えた。しかし、それがなんなのかが思い出せない。
必死に思い出そうとしながらも、とりあえず吹っ飛ばされたギコを探しに森の中にフェンリルと一緒に入って行った。