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2―3 そふとぼーる

半径20Mエメラルドスプラッシュ!!

 ソフトボール。いつからそんな球技が出来たかなんて言うのはわからん。わかることはソフトボールを漢字で書くと「塁球」ということだけだ。ルールはほぼ野球と同じだろう。ボールの大きさがちょっと違うぐらいだ。更にウチの授業のソフトボールは使用する球は通常の球より柔らかい、「イエローボール」を使用する、らしい。もちろん通常の球よりお値段も高い。確かにあんな硬い球が当たって怪我人でも出たら大変だからな。最近文部科学省大変そうだし、これ以上問題を起こして欲しくないだろう。

 まぁ、勝ち負けなどはどうでもいいことだ。俺が今やっているソフトボールというものは、勝利したところでなにかを得るわけでもないし、ましてや日の丸を背負って試合しているわけでもない。得るものがある、と言えば肉体的疲労ぐらいなものだ。気合を入れたところでそれこそ無駄ってもんだ。なのに、どうしてウチのチームの連中はこんなに気合を入っているのだろうか。理解に苦しむね。

 そう考えての一回表。先攻後攻を決めるジャンケンで自信満々で名乗りを挙げた葉月は、あいこにさえ一回もならずに敗北した。そして負けた言い訳はこうだ。

「そんなときもあるわよ」

 そんなとき、とは、どんなときなのだろうか。本当に自分のことしか考えていない奴だな。おかげでこちらは守備からだろ。

 俺は一人寂しく外野の守備位置につく。一人にしては守備範囲が広すぎるのは気のせいではないだろう。

「プレイボール!」

 臨時メンバーとしてウチのチームのキャッチャーを担当している永田の声が響いた。もちろんプロテクターなどの装備は一切なしだ。

 ピッチャーマウンドに立っているのはエース?斉藤。名前負けしている上に、今の斉藤は挙動不審に陥っている、かわいそうな子だ。そしてバッターボックスに入っているのは坊主で筋肉質な男。斉藤は大きく振りかぶりアンダースローからイエローボールを投じた。

 金属バットが空を切る音が外野にいる俺にまで聞こえた、ような気がする。当たったら確実に外野まで飛んできそうだ。が、こちらまで飛んでくることは恐らくなさそうだ。斉藤が投げた球はスピードはないものの、コントロールはインコース低め、ストライクゾーンぎりぎりにと抜群に良かった。さすが腐っても斉藤と名乗るだけのことはある。

 続く第二球目。

 かきん。

 前言撤回。斉藤が投じたイエローボールはストライクゾーンど真ん中に入り、当たり前のように打たれた。これでは初球のコントールは偶然だったと疑えざる終えない。イエローボールは俺の頭上をあっさり越え、ワンバン、ツーバン……すげー飛んだな。

「こらーっ! 仁井哉! もっと必死に走りなさい!」

 葉月の罵声を浴びながら、歩くような速さでイエローボールを追い掛ける。ボールを発見したときには既に相手はダイヤモンドを一周していた。

 やれやれ。早くも1−0だ。大体外野が俺一人っていうことに問題があると思うけどな。

 二番打者がバッターボックスに入る。紹介はなし。勝手に想像してくれ。

 斉藤は早くも「俺はもうやだ、やりたくない、誰か替わってくれ」的なオーラが背後から沸き出ていた。

「俺はもうやだ、やりたくない、誰か替わってくれ」

 ていうか言ってるし。

「なに言ってんのよ! アンタウチのエースでしょ? せめて一回ぐらい投げなさいよ!」

 名前で決めたエースになにを期待しているのかね。期待すればするほど斉藤はみじめな姿を曝け出していくぞ。

「まーまぁー。斉藤さん。もっと打たしちゃっていいよん。ウチらがしっかり守るからっ!」

 龍円寺さんは元気良く斉藤のことを励ました。親指をビシっと立てて。その笑顔にはリアルに1000円の価値はあるだろう。請求されたらうっかり払ってしまいそうだ。それぐらい魅力的な笑顔だ。

「そうよ。アタシたちがしっかり守るから。外野まで飛ばされなきゃの話だけど!」

 お前の笑みは見ても背筋が凍るだけだ。体に悪い。少しは龍円寺さんを見習え。大体なんだ? そのあきらかに最後の言葉だけ強調されている喋り方は? 外野にいる俺にまではっきりと聞こえてきたからな。ホントに一言多い奴だ。少しは未梨を見習え。ほら、未だ一歩もサードから動いていない。未梨の前世がカーネルおじさん、と言っても誰も疑わない。それぐらい未梨は人形のように佇んでいた。

 そして、その後の斉藤のピッチングだが、二、三番打者に対して二者連続フォアボール。守るとか守らない以前にボールが飛んでこない。これでは守りようがない。まったく、空気が読めてない奴だ。

 続く四番打者は今までの奴らと違う。どのくらい違うのかと言うと、FFとドラクエのHPの差ぐらい違う。なんて言ったってあれは同じクラスの野球部くんだ。直接話したことはないが、「俺はイチローの生まれ変わりだ」と、自慢話をしていたのを何回か聞いたことがある。

 カキン!

 強烈なライナーが一二塁間を抜け………ない。龍円寺さんの華麗なダイビングキャッチによりアウト。更に、空中に漂っている体勢の中でセカンドベースに向かって投げる。ランナーが飛び出しており、既にベースカバーに入っている葉月がキャッチ、アウト。そこから葉月がノーモンションでファーストに向かって投げた。紙一重の差でアウト。……トリプルプレー?

「いててっ……無理しすぎちゃったよん」

 ダイビングキャッチ時に地面に身を叩きつけられた龍円寺さんは、ゆっくりと起き上がる。みんなが駆け寄って行くので、俺も続いた。

「大丈夫?」

 そう言ったのは意外にも葉月。どうした? 葉月? 表情まで心配顔じゃないか。お前は人の不幸を喜ぶ奴じゃなかったのか?

「ちょっと痛いけど、だいじょぶだよん。もーまんたいッ!」

 龍円寺さんは自分は問題ないというアピールでピョンピョン飛び跳ねる。

「ウチは平気だから、次の攻撃がんばろぉー!」

 とういことで、1回表終了の時点で1−0。1点だけで済んだのは全ては龍円寺さんのファインプレーのおかげだな。



 さて、今度はこちらの攻撃だ。一番の永田がやる気満々でバッターボックスに入った。驚いたことに敵チームのピッチャーは女子だ。なにを考えているのか? 勝負を捨てたか?

 相手ピッチャー、構えての第一球目。

 ストライク。

 これには二重の驚きだ。球威、コントロールともに申し分のない良さ。相手ピッチャーは100%ソフトボール経験者だ。そこまでして成績が欲しいか? この野郎。

 続く第二球目。

 容赦のないスイングがボールの芯を捕らえた。さすがは体育教師とたたえるべきだろうか、それとも生徒相手に本気になっているのは大人気ないと責めるべきだろうか。芯を喰ったボールはみるみる飛距離を稼ぎ、レフトの頭上を越えた。しかも永田は全力疾走でダイヤモンドを回っている。

「スイングといい、あの走塁といい……大人げねえな」

 ポツリと斉藤が呟いた。それには同意見だ。

 ということで1−1の同点。続くバッター、守備職人、龍円寺さん。

「みりりーっ! ウチの勇姿を見ててねっ!」

「………」

 未梨は黙って頷く。「がんばれ」ぐらい言ってやれよ。

 俺の隣で腕組みをしている葉月は、

「妙にテンション高いわね。あの娘」

 お前が言うな。

 かきん。

 初球、決して甘いコースとは言えないない球を龍円寺さんは綺麗に流し、ライト前まで運んだ。ライト前へのシングルヒット。今日のMVPは龍円寺さんで決定だな。

 ノーアウト一塁。続くバッターは人間大砲、葉月。

 葉月は金属バットの先端を相手ピッチャーに向けた。ホームラン予告? バカか?

「あの星の向こうまで飛ばすわよ!」

 勝手に飛ばしてろ。そのイエローボールは意外に高い物なんだからな。失くしたら弁償だからな。

「瀬尾さんかっくいーっ!」

 盛り上がっているのは葉月と龍円寺さんだけ。二人ともなんとなく似たり寄ったりの存在だからな。なにか共通する物を持っているかもな。どうせならそのまま友達になればいい。俺の負担も減るしな。

 カキン。

 またしても初球打ち。強烈なライナーがピッチャーの顔すれすれで横を抜けた。勢いはかなりあったが、飛んだ方向がセンター真正面と悪かったためにセンター前のシングルヒットで終わった。

 ここでノーアウト一、二塁のチャンスで続くバッターは未梨。左右の手に異なる金属バットを一本ずつ持っている。片方は永田、龍円寺さん、葉月、ていうか今まで全員が使っていた、どこにでもあるノーマルな金属バット。そしてもう片方のバットだが、色が違う以外には、普通のバットとなにも変わらない。

「ニィ」

「なんだ?」

「打って、いい?」

「ん? こっちが攻撃なんだから打っても問題はないぞ」

「……わかった」

 未梨は「今までみんなが使っていたバット」を俺に手渡し、バッターボックスに入った。

「みりりーっ! 無理しちゃダメだよっ!」

 敵チームのピッチャーはハンカチで汗を拭いでいる。試合でもなんでもないこの試合に何故そんなに熱くなるんだろうね。大体そのハンカチネタは斉藤のもんだろ。おい。

 汗を拭い終わったピッチャーはモーションに入り、一球目を投じた。


 ガッ!!


 色々な物理法則を無視したように速いスイングに、まるでバットが見えなかった。鼓膜が破れるような轟音と共に、ピッチャーが投じたはずのイエローボールの姿が消失した。イエローボールがどこへ消えたのかはすぐにわかった。なんせ黄色いからな。イエローボールはホームベースから100メートルは離れている、「校外にボールなどが飛ばないようにグラウンド全体を覆っているネット」に引っ掛かっていた。その間に龍円寺さんと葉月がホームベースに戻ってきた。未梨もダイヤモンドを回っている。

「みりりっ! 肩とかだいじょぶっ!?」

 ホームベースに帰還してきた未梨に龍円寺さんが飛び付いた。

「だいじょぶ」

「すごいわね! 未梨!」

 葉月も未梨の帰還を待っていた。喜んでいる中、悪いが、

「ちょい未梨。かもん」

 手招きをちょいちょい未梨にする。

「……?」

 無表情の中に疑問詞を作っている。わかる俺はすごい。

「今のバッティングはなんだ?」

「普通に、打った」

「普通の女子高生は、あのネットまでライナーで飛ばしたりしない」

「………バット、良かった、おかげ」

「バット?」

 既にバッターボックスには田村が入っていた。そしてバッターボックスのすぐ近くには「さっきまで未梨が使っていた」バットが地に附していた。何故みんなは、あのバットを避ける? 選ばれし物しか使えないすごいバットとか………ってバカか俺は。今のじゃ完璧葉月と同じレベルじゃないか。

「どうみても普通の――ってあれっ!」

 持ち上げてみて、思わず変な声を出してしまった。このバットは………異様に重い。通常の金属バットより2倍……いや3倍の重みはありそうだ。

「未梨さんはすごい人だ。そんな重いバットを軽々使うんだから。僕には到底真似できないよ」

 うざいハンサム面が視界に入った。言うまでもない、田村だ。

「このバットはなんだ?」

「それのことかい? そのバットは普通のバットより重いんだよ」

「そんなのは持てばわかる。このバットと今、お前が使っていたバットの違いはなんだ?」

「違いねえ………簡単に言えば、そっちのバットの方がよく飛ぶってことだ。けど、まぁ、重いからね……無理して振ると肩とか外れるかもしれない」

 ………。

「それにしても、このチームはすごい。あのピッチャーの球を軽々打ってしまうんだから。僕には球の軌道さえ全然見えませんでしたね」

 なんだ。打ち取られたのか。情けない奴だ。

「打ち取れた、というのは表現方法としておかしいな。なんせ僕は彼女の投げる球にかすりさえしなかった」

 余計に情けない。

「いやいや、彼女の投げる球は高校生の中でもトップクラス、と思われる。あの球威といいコントロールといい……どれを取っても一流だと、僕は思う」

 あぁ、そうかい。お前はコメンテーターにでもなればいい。

「できれば、そうさせてもらいたいところだ」

 話が終わったら、さっさと消えろ。お前のその顔は性的に受け付けん。

「キミから話し掛けたんじゃないか。まったく、僕もひどく嫌われたものだ」

 そう言うと、田村が俺との距離をとった。

「なぁ、未梨」

「なに?」

「……肩、平気か?」

「へいき」

「そうか……じゃあ言っとくがな――」

「仁井哉ぁ……さっさと打席に着きなさい!」

 俺と未梨の間に葉月が入り込んできた。

「もう俺の番か? 斉藤はどうした?」

「そんなの聞かなくてもわかるでしょ!」

 ひどい言われようだな。斉藤。

「いいからさっさと行きなさいよ!」

 葉月から繰り出された蹴りが、俺の尻にかなりの衝撃を与えた。美脚なところが余計にうざい。

「ってぇな。子ども産めなくなったらどうすんだよ」

「なに? 今の冗談のつもり? アタシはそういうのが一番嫌いなの」

 冗談が通じない奴だな。お前は。

 俺は至ってノーマルな方の金属バットを握りしめ、左打席に入った。

 敵ピッチャー(女)の眼は激しく燐光りんこうしており、相当マジだ。

 斉藤に至っては「お前が打てるはずない」と言わんばかりに、既にグローブを装着しており、次の守備に備えている。ウザい奴だ。

「仁井哉さぁんっ! がんばれっ!」

 よし、龍円寺さんの声援のおかげでやる気が出たぞ。……俺って結構現金なのかもな。

 一球目。ストライク。ちょい待て。いくらなんでも早すぎだろ。黄色い線が通ったことしかわからん。上位打線の奴らはこんなのを打ったのか?

 二球目。勘に任せ、とりあえず振ってみたが、ストライク。今の球、すげー落ちたよ。やべーよ。

 追い詰められた俺はというと、昔野球漫画で見たことを必死に思い出していた。なんだっけな……ピッチャーの肩を見ればボールがどこに来るかわかる、だっけ? やってみるか。

 ピッチャーはモーションに入り、第三球目を投げた。

 俺は驚愕した。マジで見える。これなら……打てる、ってあれっ!

 渾身の力で振り抜いたバットは無残にも空を切った。ストライク。誰が見てもストライク。審判に講義しようのないほどストライク。インパクトする瞬間にイエローボールはホップアップした。これが噂のライズボールというものか? なにも素人にそんなもん投げなくていいのにな。

「なーにやってんのよ!」

 葉月は自分まで打席が回ると思っていたのか、重い方のバットで素振りをしていた。

「しょうがないだろ。ボールがホップアップしたんだから。あんなの打てねえよ」

「そんなのアタシだってやられたわよ!」

 それじゃあ、あれを打ったってことか? それはピッチャー自信なくすわな。

 まぁ、一回終了の時点で4−1。永田を除けば、男性陣の活躍は今のところは皆無だ。



 続く二回表。ピッチャーは一回に引き続き斉藤。ドントマインド。

「どんどん打たしちゃっていいわよ。内野の守備は完璧よ。まさにゴールデントライアングルだわ」

 意味わからん。大体ゴールデントライアングルってのは、麻薬の原料がよく採れる地帯だろ。まぁ、バカだからしょうがないか。

 一人目のバッターの当たりはサードへの強襲。それを未梨はなんなく取りワンアウト。二人目。三遊間への強烈な打球。葉月がスライディングキャッチ。そこからすぐさま立ち上がり、持ち味の強肩でファーストに投げ、アウト。三人目。セカンドへのゴロを龍円寺さんが守備のお手本のようにゴロを救いあげ、軽快に捌き、アウト。チェンジ。ここまで守備が堅いと相手チームが気の毒に思えてくる。

 二回表終了の時点では、変化なしの4−1。変化したものは斉藤の自信がレベルアップしたぐらいだ。



 打者を一巡したウチのチームは、永田からの攻撃だ。

「未梨」

「なに?」

「さっきの話の続きだけどな………お前がなにしようが、勝手だが………」

 眼鏡越しに二つの眼が真っ直ぐこちらを見ている。

「まぁ、なんだ……無理はすんなよ」

「………」

 そして、この回、またしても俺まで打順が回ってきた。しかも一回とまったく同じパターンで。

 バッターボックスに入ろうとすると、監督になりきっている葉月に止められた。

「いい? 仁井哉? アンタにあの球の攻略法を教えるわ」

 そんなもんあるんだったら最初から教えろよ。

「切り札は最後まで取っとくもんよ」

 あぁ、そうかい。それで攻略法ってのはなんだ?

「まず、相手の手をよく見るの。いい? 毎回微妙に球の握り方が違うわ。それで何を投げてくるかわかるのよ」

 手のひらはいつ見ればいいんだ?

「相手が腕を回している途中に決まってるじゃない」

 見えるわけないだろ。それができるのはお前ぐらいだ。大体球種がわかっても根本的にあのピッチャーの球は速すぎる。

「心の眼を使いなさいよ。心眼よ。それならばっちし見えるし、絶対打てるわ」

 うるさい。ゲーム脳。

 一応葉月の言う通りに相手の手をよく見てみるが、まったくわからん。すべて同じ手の形に見える。しかも今回はピッチャーの肩を見てもまったくコースが読めない。打てるわけない。

 なんだかんだで結局、セカンドフライ。球に当てただけでも俺にとっては大健闘だ。

 最終的に8−1で、チャイムが鳴り試合終了となった。はい、ゲームセット。

 永田は後満悦の様子で、

「久しぶりにいい汗かいたなー!」

 さすが体育会系。俺なんて1滴も汗かいてないですよ。むしろ寒い。



 教室に戻り、女子の眼など気にせずに着替えを即刻に済まし、俺は机の上に伏した。そして深い眠りに落ちた。

 さて、ここからの記憶は一切ない。目が覚めたときには、教室は闇に覆われていた。頭がはっきりしていないが、無意識で携帯を取り出し、ディスプレイを覗いた。

 19:20

 これには驚き。俺は弁当も食わずに半日も寝続けたというのか。

「………ったく、誰か起こせよな」

 愚痴を零しながら寝ぼけた体を起こす。体中の間接がポキポキ鳴り、おおきく背伸びをした。

「……すぅー………すぅー」

 背後からの声に反射的に振り向いた。

 闇の中に溶け込んでいる人が一名。携帯の明かりをやると……未梨だ。しかも珍しいことに未梨が寝ている。いや、別に寝ていることは珍しくはないが、初めて見る寝顔………眼鏡を外し、机に伏している。金髪のショートヘアが、だらしないことにぐしゃぐしゃになっている、が、そんな未梨は、かなり……可愛かった。無表情以外に初めて見る表情、それが寝顔。ただ眼をつぶっているだけなのかもしれないが、いつもの未梨とは違い新鮮味がある。

「すぅー……すぅー………」

 ………やばい。つい見惚れてしまった。なんとなく名残惜しい気持ちもあるが、そろそろやめておこう。寝顔を見られるなんてのは女の子にとっては嫌なことだろう。コイツはどうか知らんが。

「おい。未梨。起きろ」

 未梨の背中を軽く摩る。閉じた眼が、ゆっくりと開かれていく。

「…………ニィ?」

「おう」

「……」

 未梨は「きゃっ」とか「いやっ」みたいな、声は出さずに、いつもの無表情、ノーリアクションで体をゆっくり起こした。

「わたし、寝てた?」

 眼鏡なしの裸眼が俺を見つめてきた。

「あぁ。寝息まで起ててな。なかなか可愛かったぞ」

「帰宅」

 鮮やかにスルーされた。

 未梨は寝癖などは一切直そうとはせずに、いつものリュックサックをしょい込み、机に置いてある眼鏡を掛けた。別に眼鏡は掛けなくてよかったのに。

「なんで寝てたんだ?」

「ニィ、待ってたら、熟睡」

 やっぱり待ってたのか……。

「別に起こしてくれて良かったんだぞ?」

「ニィ、気持ちよさそうに寝てた。起こすの、悪い」

「じゃあ、次からは容赦なく起こしてくれ。次があるかどうか知らないけどな」

「わかった」

 それにしても、人気のない校舎はなかなか不気味なもんだ。しかも夜ということが、余計に気味悪くしている。そんじょそこらのお化け屋敷より確実に「緊張感」というものはあるだろう。この際だから校舎そのものをお化け屋敷にすればいい、きっと客が殺到んじゃないか?

 そう思いながら、電気の点いていない、真っ暗な廊下を歩いていると、未梨が突然立ち止まった。

「誰か、来る」

「なんだって?」

 冗談でも笑えないな。こんな夜の学校に俺ら以外の誰がいるって? 教師or警備員or幽霊か。どれにしても会いたくない存在なことは変わりない。

 少しずつであるが、確かに足音が聞こえてくる。前方から近づいて来ている。そしてだんだんと姿がはっきり………。

「あれ、アンタたち、なんでいるの?」

 先に相手の方が口を開いた。まだ顔がはっきりと見えないが、今の声とツインテールと言うことでたやすく推理できる。

「お前こそなんでいるんだよ。葉月」

 闇から現れた人物はまぎれもなく葉月だった。ブレザーを腰に巻き着け、サラリーマンが営業に行くときに持って行くようなカバンを腕にぶら下げている。

「アタシはさっきまで授業受けてたのよ」

「こんな時間までか? なにやってんだ?」

「音楽。音楽推薦で来た人たちは、みんな毎日これぐらいまでやってるわよ」

 毎日、ですと? 遊ぶ時間はいつあるんでしょうか。

「それで、アンタたちはなにやってんの?」

「さっきまで寝てたんだ」

「……寝てた?」

「あぁ。気付いたら真っ暗だったからな」

 葉月の視線が未梨に移る。

「未梨も?」

「ん? 未梨も寝ていたな」

「まさか、アンタ……昼からずっと寝てたの?」

 そんな、親父の浮気現場を発見したときのような顔しなくてもいいだろ。

「あぁ。昼前からだけどな」

「信じらんない! 時間の無駄遣いよ!」

 悪かったな。

「じゃあ、俺らは帰るな」

「ちょっと待ちなさいよ。アタシも、もう帰るから校門辺り待ってなさいよ」

「お前と帰る方向違うじゃないんか?」

「途中まででいいの。ちょっと教室まで楽譜取ってくるから先に行ってて。すぐ行くから」

 来る季節を間違えたことに気付いた木枯らし一号のように、葉月は去っていった。



 夜道。そこら中の家からは、夕ご飯のいい匂いが漂っている。昼飯を食べていない俺にとっては、そこらへんの家に突撃したい勢いだ。なんでもいいから暖かい物が食べたい。それぐらい寒い。マフラーが欲しくなるような厳しい寒さに、俺の体は芯から冷え切っていた。吐く息が白くなり、肉眼で確認できる。

「寒いな……」

 俺は自分の手に息を吹き掛け、温める。

「男がそれやるのはキモいわよ」

 そうなのか? けど、寒いんだからしょうがないだろ。

「やるんだったら……」

 と、いきなり手を取られた。

「こっちの方がいいわよ」

 俺は葉月と手を繋ぐような形になった。

 俺としたことが、少しグラっときた。俺的女子にやられるとググっと来るランキング第一位「こっちの方が暖かい」の必殺技をやられてしまった。前にも葉月には手を取られたことがあるが、その時はなにも感じなかった、はず。シチュエーションが違うだけで、葉月に対してグラっと来るとは……。

「どうかした?」

「……いや、お前の手って温かいなって思ってな」

「そう? アンタの手は冷たすぎるわよ。まぁ、手が冷たい人は心が暖かいって言うもんね」

「じゃあ、お前の心は冷た………イテッ! イテェ! 俺の手を握力で潰そうとすんな!」

「バカ」

 と、言われて手をほどかれた。

「アタシはこっちだから。また明日ね」

「葉月」

「なによ?」

「明日は休みだ」

「えっ? ……あっ。アンタたちはゴールデンウイークなのね。アタシは明日も学校なのよ。アタシ、というか音楽推薦で来た人たちね」

「休みはないのか?」

「土日は普通に休みよ。祝日が学校なのよ」

「大変だな」

「もう慣れたわよ」

 葉月は一息付き、

「ま、アタシはそろそろ帰るわね。また今度。じゃあね、仁井哉と未梨」

「じゃあな」

「……」

 そしてここからまた未梨と二人きり。ここからはもう未梨家の高級マンションが見える。無駄にでかいからな。

 今日の夕飯のメニューはなんだろうか。カレー辺りが妥当な線かな。それともおでんか、いや、うどんっていうのもアリだな。

 寒さを紛らわす為に暖かい食べ物を想像していると、唐突に手を引っ張られた。

「………」

 未梨が突然、手を握ってきた。俺の手より遥かに冷たい。人形のように体温が感じられない。

「どうした?」

「……別に」

 ただ無表情で俺の顔を見つめており、手を握り締められる。別に、と、言うわりには、一向に手を離そうとはしてこない。この時ばかりは未梨が、なにを考えているかわからない。

 それからは一言も話すことなく、手を握られたまま、家の前まで来てしまった。

「ニィ」

「なんだ?」

「あした、9時」

 そういえば、明日は未梨と出かけるんだっけ?

「あぁ、了解した」

 未梨は俺の手を握る力を緩め、物が落ちるときのように手が離れた。

「また、あした」

 向かいのマンションまで、歩く未梨の後ろ姿はどこか機嫌が良いように見えた。




 結局明日はどこにいくのだろうか。未梨主催はまったく想像がつかない。

 まぁ、




 楽しみにさせてもらおうじゃないか。


前書きでいきなり意味不明なことを書いてすみません。個人的にすごい書きたかったんです。

さて、物語の方は大分進んできました。が、今だ「音楽の能力」がまったく出てきておりません。忘れてるわけじゃありませんよ(笑。そろそろ音楽物語を始めたいと思っています。

ここまで読んでくれた皆様、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

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