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other Episode 04.5:Kenji & Karin

 蛍光灯から降り注ぐ光は狭い教室を照らしている。

 その教室で、愛沢恋は腐臭を放つ土塊の前にへたり込んでいた。恋は焦点の定まらない双眸で呆然と土塊を眺めている。

 思考を止め、ただ土塊を見詰めていた。思索を続け、最悪の結論に辿り着くことを恋は恐れている――いや、結論はもう出ている。ただ、今は、何も考えたくはない。

 先程、背後で扉が閉じる音を鼓膜が捉えたが、恋は振り向きもせず土塊に視線を固定させている。おそらくは空間創造主が意図的に恋を閉じこめたのだろう。その程度のことは思考を止めている恋にも把握できていた。

 能力者の目的も目当てがついてきた。

 だが、恋は動こうとはしない。動けば、否応なく脳が働く。それにより余計な感情が溢れ出すことを恋は危惧していた。

「ねぇ、恋ちゃん」

 背後に気配が降り立った。聞き慣れた声も今の恋には拷問の他ならない。

 望月もちづき華凛かりんが後ろにいる。

「華凛さま……ご無事でなによりです」

 振り向きもせず恋は答える。その表情は少なくとも華凛の無事を喜んでいるようには見えない。

「やっぱり、恋ちゃんは追い掛けてきてくれたんだね。危険を承知であたしを助けに来てくれた。あたし、本当に嬉しいよ。十五年間生きてきて、色々な人達と会って、友達になったけど、恋ちゃん以上に優しい人はいないと思う。恋ちゃんは優しい女の子。恋ちゃんのことはあたしが一番よく知っている。あたしの最高の親友、愛沢恋ちゃん。だけど、気付いちゃったんだ」

 恋は答えず、一顧した。

 蛍光灯に照らし出された華凛表情はどこまでも幸せそうに微笑んでいる。

「恋ちゃん……うんうん、人間は汚いんだよ。どこまでも都合のいい生物。なんで人間が食物連鎖の頂にいるのかあたしには解らないよ。恋ちゃんがどんなに優しくても、それは一時的な物、感情の迷いなんだよ。あたしはそれに気付いちゃった」

「……」

「だから、恋ちゃんはあたしと一緒になって貰う。優しいままの恋ちゃんでずっとずっと、どこまでも一緒にいよう」

 朗らかに語る華凛の周りに、数体の《影》が沸き出た。ヒトの形をした黒い《影》は不気味に身体を痙攣させている。恋には、その《影》たちの反応が悲痛の呻きにも聞こえた。助けてくれと泣いているようにも見える。

 恋は異形の《影》に驚愕も焦燥も、路傍に転がる石を見るような無感動の表情でそれを見据えていた。

 土塊に埋没した警察の制服を目撃したときから恋は全てを悟っていた。

 一連の事件は全て『華凛』仕業と。

 ここに恋を呼び出したのは? 行方不明者が学校で多発していると恋に促したのは?

 恋が正式に華凛を疑い始めたのは、健二の手紙が華凛の筆記体に非常に類似しているのを目にしてからだ。それも可能性の一旦として頭の隅に置いていただけで深くは考えずにいた。だが、土塊に埋もれる拳銃を発見したとき、恋の危惧は確信になった。

 銃身に刻まれた小さな文字の羅列。

『親愛なる恋ちゃんへ』

 恋は無造作に銘打たれた拳銃を標準を華凛に合わせた。

「けど、恋ちゃんは簡単にあたしと一緒になってくれそうにないよね。あたしの力のことも知っているみたいだし……《拳銃屋ガンスリンガー……だっけ? 敵に回したことを後悔させてくれるの?」

 緩慢な動きで数体の《影》たちは近付いてくる。

「……警察官と行方不明の生徒はどこです?」

「小野君」

 華凛は巨漢の《影》を指差した。

「矢部君」

 輪郭の細い《影》

「祐理ちゃん」

 小柄で矮小な《影》

「藍ちゃん」

 女性らしい曲線を描く《影》

「岬ちゃん」

 頭ひとつ飛び出ている《影》

 そして新たな《影》が華凛の横手に沸き出た。

「警察の人」

 どの《影》よりも頑健そうでたくましい《影》

「みんな目の前にいるよ。みんなあたしの力になってくれたんだ」

 訊かされた名前はどれも聞き覚えがある物だった。

 先月まで何事もないように会話は交わした級友たちだ。

「……その人達は自主的にそのような姿になったのですか?」

「うんうん、違うよ。みんな怖がっていたし、嫌がっていた。最初はここに呼び出したあたしを貶していたくせに、力を使えばみんな怖がって、泣いていたよ。助けて、みんなそう言った。あたしのことを化け物って言ってた。みんなヒドイよね。岬ちゃんなんて3年間同じクラスなのに、一皮剥がせば平気で殴りかかってきた。小野君なんかには強姦されかけたよ。みんな汚い。だから、器を消して、魂を顕在化させた。こうすればみんななにも言わない」

「……わたしもそうするつもりですか?」

「恋ちゃんはこんな「できそこない」にさせないよ。恋ちゃんは恋ちゃんのままでいてほしいから。だから……じっとしていてよ」

 華凛が言い終わるのを合図に6体の《影》が一斉に飛び掛かる。

 刹那、6度の銃声が響いた。

 恋は携える拳銃を《影》に定め、引き金を引く。神業的速度で五発放たれた銃弾は五体の《影》の頭蓋を打ち抜いた。頭部を穿たれた《影》たちは空中に制止したまま、傷口から黒い煙を噴出させ、その身を闇に霧散させた。

 恋は無機質な表情で煙越しにいる華凛に銃を構える。

「……すごい、すごいよ! 恋ちゃん!」

 あまりに無邪気で純粋な賞賛の言葉。

「恋ちゃん……うんうんッ! 《拳銃屋ガンスリンガー》さん。あなたもあたしと同じなの?」

「……同じです」

 構える拳銃を投げ捨て、恋は虚空に諸手を捧げた。淡い燐光をまとい恋の手元に現れたのは二丁の機関拳銃マシンピストル。それを手に取り、恋は身構えた。

「今なら華凛さまの弁護ができます。白旗を挙げてください」

 そう言った恋の態度は弱々しく、要求というよりは懇願に近かった。

「……なんで? なんであたしが降参しなくちゃならないの? ねぇ、恋ちゃん。教えてよ。交渉っていうのは、相手より強い立場にあって初めて成立するんだよ? 恋ちゃんはあたしより強いの? そんなわけないよね? さっき恋ちゃん、自分で言ってたじゃん。あたしの?能力?は強い、厄介だ、って……弱い癖に……調子に乗らないでよ」

「……そう、ですか」

 恋はうつむき、小さく、悲痛に呟いた。

 とりとめもなく湧き出る負の感情を押し殺し、うつむいた顔を上げる。その表情に迷いはない。今の恋は『愛沢恋』ではなく、戦闘委員《拳銃屋ガンスリンガー》だ。

「《拳銃屋ガンスリンガー》……行きます」



「多分、俺らを閉じ込めている人は姉貴っすよ」

「……肉親を疑うとなると、何か確信があるのであろうな?」

「いや、なんもないっす。直感っすよ。姉貴ならこんな悪趣味なイベントやりかねないし、最近妙に上機嫌だったから何か悪巧みでもしてんのかなー、って思っていただけっす。それに手紙の筆記体なんて姉貴その物――っつうか……こいつらいい加減にウザイんっすけど」

 悪態をつき、健二は《影》の胸元に潜り込んだ。

「ハロー、そしてグッバイ」

 銀光が煌めきは不可解な気圧変化を起こした。健二が繰り出すナイフは五月雨のように《影》を切り刻み、更にその後ろに構える《影》たちも切り刻まれてゆく。肉眼では確認出来ない斬撃が大気までも切り裂き、急激な気圧変化により真空刃を生んでいるのだろう。文字通り見えない斬撃。健二であるが故に可能である産物だ。

 だが、その人間離れした動きが更にアリアにわだかまる謎を一層と深くした。

 なんらかの?能力?が健二に働き、超人的動きが可能としても説明出来ない部分がある。

 健二は明らかに戦い慣れていた。

 それを証明するように健二が《影》に繰り出す攻撃は、全て人間でいう急所を寸分なく穿ち、または切り裂いている。まるで数多の人間をそのように駆逐していたかのように。

「アリアさーん。手伝いましょうか?」

「無用だ」

 アリアは眼前に迫る《影》の頭部を掴み、そのまま握り潰した。

「これで、一応全部か」

「そうっすね。また出てきそうっすけど……」

 アリア同様、息一つ切らしていない健二だが、もう動けないと言わんばかりのボディランゲージでその場に大の字にへたり込んだ。

 確かに何体の《影》を駆逐したことかアリアは覚えていない。一度全滅させたと思った《影》は再び沸き上がり、それを倒してもまた沸き上がり、また沸き上がりまた倒し……それを繰り返していき、ようやく一段落がついたところだ。とは言っても《影》を八割方始末したのは健二であり、アリアは仕留めぞこないのおこぼれを頂戴しただけだ。

「それで、さっきの続きだが……お前の姉がこの発端の因果人物だというのか?」

「ほぼ、間違いないっすね。そこに愛沢を閉じ込めたのも多分、姉貴。今頃はふたりで何かやってるんじゃないっすかね? そうなると…………マジでやばいじゃないっすか!」

 弛んだ顔を厳粛引き締めた健二が天井にぶつかりくらいまで高く飛び上がった。

「やはり、恋は窮地に立たされているのか……」

「そうっす。このままじゃあ愛沢の貞操が危ない! くそぉ、姉貴の奴、抜け駆けとは卑怯な手段使いやがって。せめて鑑賞ぐらいさせろよなぁ……」

 見当違いなことをこの世が破滅するかのような悲愴に呟き、健二は壁を殴りつけた。

 健二という男がアリアには解らない。どこまで本気でどこまでが冗談か、その境界線さえも埋もれている。

「今は一刻をようする。だが、ひとつだけ確認しておきたい」

「……なんっすかぁ?」

「お前は敵か?」

「あっは。んな訳ないじゃないっすか。俺は可愛い女の子を救う為にいる正義のヒーローっすよ。よってアリアさんには手を出さない! よって愛沢にも手は出せない! あいつは傲慢だが顔は良い。俺が目をつけているだけあって、最上級でビードゥーイング。そうだ、吊り橋効果って奴っすよ! 今ここで愛沢をさっそうと救い出せば、きっと愛沢は俺に恋心を芽生えさせるは可能性も……!」

 正義の味方、健二が持つ正義の水準は低いらしい。

 敵ではない。それを鵜呑みする訳はないが、確かに健二が敵愾心を燃やしているようには見えない。完全とは言い切れないが、場合が場合だ。健二が助力してくれるとなれば、敵からの滞りを最小限に抑制できる。事実、《影》をアリアひとりで相手にしてたとなれば相当な疲弊を伴い、最悪のケース、《影》に飲み尽くされていたかも知れない。

 それだけ、健二の動き常軌を逸している。

 ぶるんぶるんとナイフを握る手を回し、健二は意気込んだ。

「よっし、まずはー……この壁をぶち破らないと」

「可能なのか?」

 教室内には薄い壁を隔たりに恋が閉じ込められている。

 アリアはあらゆる手を尽くし、教室内への侵入を現在進行形で試みていた。扉から壁まで破壊可能な箇所を全身全霊で殴りつけたが、そこには傷一つつかずに終わっている。今ではアリアの右拳からは赤い液体が指先を伝い地面に滴り落ちている。

 それを目の当たりにしていたにも拘わらず、健二はおちゃらけな笑みを崩さず言った。

「愛の力に不可能はない。この程度の憚りは一瞬で開通――」

 ノーモーションで繰り出されたナイフは鼓膜に残る甲高い音を発し、あえなく壁に拒まれた。

 拍子抜けだ。心のどこかで期待していた分、アリアの落胆ぶりは大きかった。

「お前でも無理か」

「予想以上に硬いんっすよ……よっしゃ、本気だしちゃる」

 そう言った瞬間、健二の纏う空気が一変した。

 表情は相変わらずふざけた笑みを湛えている。

 ただ、周囲の空気が震えていた。

 殺気では無い。形容し難い空気が空間を満たしていく。

 健二の傍らにいたアリアは、その変貌ぶりに意識とは無関係にたじろいだ。一歩、また一歩、距離置こうと後退る。

 静寂が満ちるこの空間では心音さえも明確に聞こえる。

 頬から脂汗が浮き出る。心臓の鼓動が速まっている。

 健二は微動さえせず、壁を見据え、いや、壁の奥を見据えている。おちゃらけの笑みが場を満たす空気と対極なためか不気味に映る。

 アリアは頬に伝う汗を腕で拭う。強烈なプレッシャーに当たり過ぎたのかと、アリアは思ったが、すぐにそれは違うと気付いた。

 熱い。

 健二を中心とし、急激な温度上昇が起こっている。

 何も言わず、ただ笑みを浮かべたまま、健二は構えた。左足を主軸とし、ナイフと共に腰を引き、右足を引きずりながら後ろに下げる。

 注意深く見ると、ナイフは薄く、見過ごしそうなほどだが、赤く燐光している。ナイフに何を付与したのかアリアには解りかねない事だが、おそらくあれが温度上昇の原因だろう。それがどのような効果をもたらすのかは想像の範囲外だ。

 考えずとも答えは目の前にある。

 健二は、唐突に動いた。

 赤の軌跡が走った。人外の動体視力を備えるアリアでさえ健二が繰り出す攻撃をその目で視認することが出来ない。ナイフの銀択とは無関係な赤の軌跡が無数に走っている。金属と金属が衝突しあうような音が廊下の壁と反響する。音が音と認知する前に矢継ぎ早に音が響く。鼓膜に残るその音にアリアは眉間にしわを刻み、凌いでいる。

 完全なる鉄壁に一筋の亀裂が走った。

 そして、

「ムリ」

 健二は腕をとめ、降参と言わんばかりにその場に倒れ込んだ。激しい息づかいをしているところ、疲弊に満ちた表情は演技ではないのだろう。

「……もう少しであろう」

「いやぁ、あとちょっとどころか後3時間は掛かりそうっすよ。アリアさんは動体視力が良すぎるからそう見えるだけで……ほら、壁見て下さいよ」

 仰向けの状態で健二は言う。

 促され、アリアは視線を壁に移した。

 そこには健二の努力により刻み込まれた亀裂が……ない。

 亀裂が消えている。

「そういうことか」

「そういうことっす」

 亀裂の消失。

 この壁は強力な保護力を備え、更に甚だしい修復機能までついている。

 その事態に、いち早く気付いた健二は壁への抵抗を放棄した。そういうことだろう。

「ちまちま壊そうとしても、壁の修復スピードが早すぎっす。あんだけ頑張って亀裂一本とかふざけてるなー。一撃で大穴開けないとダメっぽいっすね」

「一撃、でか」

「アリアさん、何か方法持ってないんすか? 隠された力とかあったら出し惜しみしないで見せて下さいよ」

「出し惜しみなど――」

 隠された力?

 その言葉がアリアにあることを気付かせた。

 アリア自身、自分が?能力者?であることを忘れていた。使いどころが今の今まで無かったので、無理もないといえば無理もない。

「そこをどけ」

 健二を足蹴にして、なるべく多くのスペースを確保できるようする。

 アリアは自身の?能力?については把握仕切れていない。むしろ解らないことだらけだ。暴走時のアリアは?能力?を滞りなく行使していたらしいが、現在正気を保っているアリアは?能力?を発動させることさえ至難の業と思える。応用以前の問題で、アリアは?能力?を発動させる能力者なら当然とやってのける基本すら漠然と理解しているだけだ。

 日常では使う機会はない。あったとしても恋と機関に?能力?行使を厳重に止められていたので、どのみち日常の世界に能力が及ぶことはなかっただろう。

 アリアの?能力?――第三級指定『性質変化』

 生命の宿らないモノなら、有機物無機物問わず、形状や性質を組み替えられる使い勝手が良い?能力?。そう機関の研究員に訊かされたが、人事のようにしかアリアには思えなかった。

 壁に両手を当て、アリアは瞑目した。

 イメージ。まず、この壁をどうしたいのかを思い浮かべる。

 開け。開け。開け。開け。開け。開け。開け。開け。開け…………

 少しずつ、小さな穴が生まれ、やがてその穴が拡大していくイメージ。やがてそれは扉大にまで領域を広げ――

「いらっしゃい、健二。あと、アリアさんだっけ?」

 明るい印象を根強く残っている――望月華凛の玲瓏な声にアリアは開眼した。

 イメージ通り、本来壁のある場所は関取さえも通れるほどの入口が形成されていた。その奥には華凛が黒い瘴気を羽衣のように纏い、朗らかな笑みを浮かべている。蛍光灯に照らされたその表情は見る者を戦慄させるだけの要素は充分にあった。赤い液体を制服一杯に付着させ、長い黒髪も赤く染まっている。

 アリアの傍らをすり抜けた健二は変わり果てた華凛の姿を見て、率直な感想を漏らした。

「やっぱり、姉貴か。地味な癖にずるがしこいやり方は姉貴の専売特許だもんな」

「そうかな?」

 どこにでもありそうな姉弟の軽い皮肉の応酬。

 血塗れの姉とそれを見てなお態度を変えることのない弟。

 完璧に狂っている。

「愛沢をどこだ?」

「ふふ、どこでしょう?」

 華凛の視線をアリアの真横に定められている。釣られてアリアも視線を横に移動させた。

 そこには、ずたぼろの漆喰のロングコートに身にまとい、壁にもたれ掛かる恋の姿があった。

「恋!」

「わたしなら大丈夫です」

 物怖じしない態度で、恋は血塗れのコートを脱ぎ捨てた。所々怪我を負っているが、どれも見過ごせる程度で命に関わるようなものはない。恋は諸所こびり付く血痕を振り払い、華凛を肉薄した。両手に携える機関拳銃を華凛に標準を合わせる。爛々と輝くその双眸はまだ勝負が終わっていないと言いたいのであろうか?

「もうやめときなって、恋ちゃん」

「それを聞き入れることは、わたしには出来そうにありません」

「じゃあ、どうしてほしい?」

 一瞬、表情を曇らした恋の代わりに健二が言葉を引き継いだ。

「答える必要なんてないぜ、愛沢」

 健二は恋をなだめるように言う。

「姉貴はやっちゃいかん事をやりすぎたんだろ? なら、それ相応の罰を受けるべきであって、それは絶対甘やかしちゃいけない。それに愛沢、お前、怪我がないからって調子乗って動けば、それこそ姉貴の思うつぼだぜ? あとは、俺がやる。肉親の不始末ぐらい俺が掃除しなきゃなんか示しがつかないからなぁ。っと、今の俺ヒーローっぽいかも……」

 呆然する恋に健二は満足そうに鼻を鳴らし、獰猛どうもうなナイフの柄をあたかもペン回しのようにもてあそびつつ、華凛と向き直る。数秒前まで朗らかな笑みの浮かべていた華凛の表情は一変し、怒りが浮き彫りに出ていた。

「なんで……なんで健二は恋ちゃんを庇うの? 好きだから? 可愛いから? なんであたしの味方にはなってくれないの? あんだけ……あんなに可愛がってあげたのに……ひどいよ……」

「前々から思ってたけどさー……姉貴、俺の正体、知ってたよな? 姉貴が俺に対する愛情は姉弟愛から来るモノじゃなくて……なんだろうな、もっとギスギスとして、猛獣を餌付けしようとしているみたいな、そんな感じだった。あの手紙も姉貴の差し金で、どうせ見返りは俺の助力とかだろ? いかにも悪者がやることだよなー。はっきり言って、ダサイぜ」

「……じゃあ、いいよ。せめて邪魔しないで。恋ちゃんはあたしのモノになるんだから」

「それはムリな相談だなー。ここで、はいそうですかと引くほど俺は墜ちたつもりはないし、久しぶりにカチンと来ちゃってる。ここは正義のヒーローとして諸悪の姉貴に天誅しなくちゃね」

「お姉ちゃんにそんな物騒なモノ向けるの?」

「おう」

「なんで?」

「この場合、姉貴に同情の余地がないからである」

「あたしは、健二を傷つけたくないよ」

「俺も」

「じゃあ、やめようよ」

「姉貴が降りるなら、やめてもいいぜ」

「……引く気はないんだ?」

「少しはある」

「じゃあ、引いて」

「どうしよっかなー?」

 健二の視線がちらりとこちらを見詰めてきたのがアリアには解った。その視線はアリアだけが気付き、恋は健二の不可解な言動に戸惑いを隠しきれずとも機関拳銃を真っ直ぐ華凛へと向けているので、気付いているとは思えない。

 健二の視線が動く。アリアから開通した大穴に移る。

 逃げろ、ということだろうか?

「逃がさないよ。恋ちゃんも健二も、アリアさんも」

「あっちゃ、バレた」

 バレるバレない以前の問題に、アリアは健二がなにを促していたのか解らなかった。たかだか数十分時間を共有した相手とアイコンタクトを交えたところでそれが何を促し示す合図なのか理解出来やしないだろう。軽率な男を装った深謀遠慮の男と健二を値踏みしていたアリアにとってはその見識を改める必要がありそうだが、そのような猶予が残されていない。どんなに軽率な人物でもそれくらいは解る。

 華凛が謡い始めた。

 それは訊く者を恍惚とさせる魔性の声。謡う華凛は天井、いや、その隔たりを超えた大空を仰ぎ見据えている。

 これはまずい――野生の本能がアリアに危険を訴えかけていた。今すぐ、謡を止めさせなければならない。そう思うほど全身が脱力する。華凛の声に耳を傾けていると意識だけが安寧の地へ飛びそうだった。


  墜ちる者は異端者。謡う者こそ全てを司る者なり。

  異端は墜ち、謡い手は滅びぬ。

  赤は封印。

  緑は隔絶。

  黄は謡い手に滅ぼされん。

  色は連なり、我が道に導く。

  謡い手は異端へと断罪をなさん。


 上げていた両手を下ろすと同時に華凛は謡うことをやめた。

 同時に静寂が訪れた。

 結局、華凛が歌い終わるまで誰一人動けずじまいだ。

 恋は唖然と、健二は腹が読めぬ、しかしどこかいらついている様子でもある。

 そしてアリアは自分の不甲斐なさに腹を立てていた。この場に来てからというもの、足を引っ張ることはあっても決定的な活躍は皆無だ。そして今も、打破出来る状況であったのにアリアは動けなかった。甘い誘惑に打ち勝てなかった。

 現実味が無くなりつつある空間に、銃声が鳴り響いた。

 無数の銃弾がアリアの横手を通り過ぎ、華凛へと飛翔する。

 意表を突いた銃撃、華凛の視線は迫り来る銃弾をあたかも見えているよう焦点を定めている。いや、見えているのだろう。しかし、銃弾を視認出来ようが、それを捌くにはそれ相応の反射神経と身体能力が必要だ。アリアはそう思っていた。

 華凛の身体が黒い霧に包み込み、それは襲い来る銃弾をも包み込み、闇へと消化した。

「……恋ちゃん、あとで遊んであげるから」

 闇と化した華凛の声は凛と響くようだ。

「今すぐで結構です」

 恋は機関拳銃マシンピストルに新たな弾倉を装填し、再び華凛――闇に照準を合わせる。

「待てよ、愛沢。ここは俺に任してくださいな」

「健二さま、あなたが何者か把握出来ない以上、助力は入りません」

「信用されてないなぁ、俺。だけどこればっかは愛沢といえど譲れないぞ」

「足手まといです」

「あ、そりゃNGワードだぞ。知ってるか? このシュチュエーションは銃よりも刀剣なんかのほうが有利と相場が決まってるんだ」

「邪魔をしないで下さい」

「引き際を知らない女はイジメの対象になんぞこら」

 状況を忘れているように罵り合う恋と健二。

「恋ちゃん、健二。ふたりは退場だよ」

 華凛を包み込む闇が弾けた。人間の可聴域を超えた爆発音とともに黒の個体が教室中に散乱し、周囲を黒一色に染め上げられ――恋と健二の姿が消失した。ふたりは一瞬にして黒の霧に包み込まれ、教室上から姿を消したのだ。黒い斑点が点々と烙印された教室にアリアだけが取り残された。それとも『取り残された』のか?

 どういうことだ? アリアは先行する気持ちを抑制し、冷静に辺りを見渡した。やはり恋と健二の姿はどこにも視認できず、アリアの真正面で華凛が作り物と解る笑みを静かに湛えている。

「恋をどこにやった?」

「安心して、移動させただけ」

「我を残してか……。お前の目的は恋ではなかったのか? それともお前の目的には我も含まれていたのか?」

「違うよ」

 華凛は押し殺した声で、言う。

「本当のことをいうと、アリアさんは元々ここに連れてくる予定は無かったんだよ。けど、連れてきても大したことは出来ないと思って連れてきた。別にあたしの邪魔になるとは思わなかったから……けど、アリアさんは今のあたしにとってすごく邪魔なんだよ」

「……なるほど、我はお前に過大評価しているというわけか」

「うん、そうだよ。健二でさえ壊せなかった壁をアリアさんは軽く開通させてきた……すごく邪魔なんだよね。あたしがいくら恋ちゃんを隔離してもアリアさんの?力?なら追ってこられる」

「我を先に消し、後々恋の元に向かう。ふむ、なかなか賢い方法だ。お前は頭が切れるようだな。だが、ひとつだけ誤算がある……頭の良いお前なら言わずとも解るな?」

 アリアは残骸と化した机を無造作に持ち上げ、容赦なく華凛に投げつける。華凛は、それを受け止めるように細い腕を前方に突き出し、そこに黒い霞が集う。そして黒い霞に机が触れた瞬間、爆音が鳴り響いた。ガラスのように机の残骸は粉末状に砕け散り、アリアの身体にそれが降り注ぐ。砕いた、というよりは机そのものを消失させたのだろ。

 驚異的な恒常性を備え持つアリアでも一撃で対象物を消失させる攻撃を受ければ、そこで終わりだ。

「あたしの誤算? 教えてよ、アリアさん。あたしのどこに誤算があるの?」

 だだをこねる子供のように華凛は問い詰めてくる。自分に誤算などひとつもない、そんな華凛の心中が手に取るようにアリアには解った。

 確かに華凛は強い。黒い羽衣は鉄壁を誇り、膨大なエネルギーを秘める黒い霞は攻撃を無効化させると同時に対象物を跡形もなく消失させる冗談ではすまされない破壊力だ。さらに人型の《影》も召喚可能だとくれば勝算は無いに等しい。極めつけには戦いの地が華凛の絶対領域とも言える教室だということだ。恋と健二をこの場から消したように、アリアを闇に葬り去されたらひとたまりもない。が、それを実行してこないのを見ると、それは出来ない事柄か、それともなんらしかの前条件が必須なのだろう。それはおそらく、後者だ。そして前条件とは華凛の詠唱に近い「唄」だろう。

 つまり、華凛に謳わせなければ良い。

 しかしそれは、華凛を「倒す」条件ではなくアリアが「倒されない」最低限の条件だ。たとえ唄を封じたにしても、華凛はまだまだ強力な武器を保持している。

 それに対してアリアの手持ち武器は、人間離れした身体能力と操作のままならぬ『性質変化能力』ぐらいだ。?能力?は実戦に持ち込めるほど使いこなせない。そして、自慢の身体能力も、華凛の黒の羽衣に阻まれる、もしくは黒いかすみにより攻撃を試みた箇所が粉砕されるのだろう。

「解らぬか? なら、教えてやろう」

 アリアはバンダナを締め直し、一歩前へ出た。あくまで泰然を装いながら、華凛との距離を狭める。

 華凛に誤算などは無い。

 全てはアリアのブラフだ。

「我がお前より強いということだ」

 アリアは不敵に笑い、地を思い切り蹴りつけた。



 ただっぴろい体育館で恋は健二とふたりきりでいた。

「あちゃー、姉貴にしていいようにやられたな。これはお手上げだ」

 健二の言葉も耳には入ってこない。

 恋は重厚な鉄扉に背中を預け、小さく体育座りをしていた。

「愛沢ぁー。なんか打開策ないの?」

「……」

「姉貴に何吹き込まれたか知らんけど、あんま深く考えようとすんな」

「……」

「あぁ、もう! 女々しいな! 悲劇のヒロイン気取っても王子様はこないんだぞ!」

「……」

「そんなはしたない座り方じゃスカートの内部が見えちゃうぞー」

「……」

「……あれだ、愛沢。俺はお前のことが好きだ」

「……意味が解りません」

 恋は小さく吹き出し、ゆっくりと立ち上がった。下劣尻軽男だと思っていた健二、やはりそれは揺るぎない事実だ。しかし女好きもここまで極めれば笑ってしまう。恋は少し、ほんの少しだけ健二に好感を持つことが出来た。

「わたしは、自暴自棄になってました」

 華凛は強大な能力者。いつ開花させたか解らないが、自分の?能力?を隅々まで把握している限り、そうとう年季が入っているのだろう。しかし恋には華凛の?能力?などどうでも良かった。問題は何故今となり、このような非行に走ったのか、だ。

 理由はともあれ、親友の嗜虐的行為をとめなければならない。

「ところで……健二さま。あなたは何者ですか?」

「ただの正義のヒーロー希望だ」

「今時のヒーロー希望はそのような危険極まりないナイフを携行しているのですか?」

「武器がなきゃ悪と対等に戦えないの。愛沢なんか俺より物騒なもん持ってるじゃんか」

 ナイフを携える健二に対し、恋は今だ硝煙の匂いを発する機関拳銃を二丁携えている。ナイフと拳銃、比べるまでもなく拳銃を携行する女子中学生の方が奇異だ。

「わたしはいいのです」

「じゃあ、俺も良いのです」

 健二の子供じみた発言に恋は頭を抱える。

 ――これ以上の言及は時間を無為にするだけです。

 恋は健二の素性は後で詰問すると心中誓い、現状分析に取りかかった。

 体育館滞留しているのは紛れもなく恋と健二のふたり。人間や、人間以外の異質な気配は微塵に感じられず、無駄に広い体育館はふたりの貸し切り状態になっている。出入り口に当たる鉄扉は物理的力以外の何かで閉鎖されているらしく開けようにも壊そうにも出来ない。

「アリアさまがこの場にいないとなると、華凛さまと同室していると考えるのが妥当です」

「だな。なるべく速く行かなきゃ、ヤバイぜ。手遅れになんぞ」

 健二は靴の裏で鉄扉を蹴り飛ばしたが、そこに傷は付かずに鐘のような重々しい音が木霊した。

「そうですね……アリアさまなら多少持ち堪えてくれるでしょうが――」

「逆だ」

「はい?」



「姉貴が殺されないために急ぐんだよ」


 今回、一般的に出回っている文庫本サイズにページ数を換算すれば24ページと17行ほどの長さです。今回の番外編を統計すると100ページほど。

 それはおいといて、この回で終わると前話で宣言しましたが、ちょっとムリでした(笑)

 今度で絶対終わります。終わらせます。


 では、失礼しました。

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