3―3 お前はお前で俺は俺
ツバキミリ(♀)
一人称:わたし
特徴:無口。眼鏡っ娘
身長:1.45m
体重:33kg
好き:読書。甘いもの
嫌い:自分。苦いもの
特技:限界突破
備考:一年二組所属。仁井哉とは十年近い幼馴染。脳内に広辞苑の内容を全て敷き詰めてある。基本的に人と話すことは無く、ひとりぼっち。特務機関の派遣能力者。スタンドで例えるならメイド・イン・ヘブン
人はなにかに踏み切るときには、大抵きっかけというスイッチが存在しているものだ。そして、そのきっかけとやらも大抵たいしたことではない。晴れていたから、茶柱が立っていたから、なんていうのも立派なきっかけだと俺は思う。くだらないと言う奴も中にはいるだろうが、それは他人から見た感想であり、それをきっかけにした本人からすればとても重大な可能性だって否定できない。きっかけがくだらなろうが、お涙頂戴物だろうが、あとの可能性は本人次第である。
言いたいことを要約すると、始めたきっかけがたいしたことないならば、終わるきっかけも大抵たいしたことではないのではなかろうか?
正直に言えば、俺は一年前、自分の進路について軽く頭を抱えていた。平凡に進学するか、それとも真面目に音楽活動に取り組むか。そんなときに未梨の一言が身に染みわたったね。
――ニィは表舞台に立つことは出来ない。
別に未梨の話を全部を全部鵜呑みしたわけではないが、自分の道を決めるのには丁度いい“きっかけ”とはなったわけだ。だからと言って、未梨のことを恨んでいるわけでもなくば、感謝しているわけでもない。いままで通り、平凡な日常を過ごしていたのさ。
未梨の住まいである高級マンションは無駄に防犯システムに凝っている。そこがこのマンションの売りだとはいえ、敷地内に入るだけでもカードキーが必要なのはどうかと思うね。マンション関係者でない部外者は住人の誰かを付き添いに置かなければ、内側から扉が開くのを待ち、開いた隙を逃さずに忍び込むという姑息な手段しか残されていない。俺はそんなTPOに欠ける行為など行わずとも、マンション内に侵入する手立ては用意済みである。なんていったって今回の俺はカードキーを所持しているのだからな。愛沢さんから授かった愛沢産のカードキー。その辺はぬかりないわ。
と、気合を入れてカードキーを取り出したところに、ひとりでに正面玄関が開かれた。これはバスの停車ボタンを見知らぬ人に先取りされたときの脱力感によく似ている。なんて、一瞬思ってしまったのがそもそもの間違いだった。開け放たれたスライド式の扉から闘牛のような怒濤の勢いで飛び出してきた人物が俺の存在など気にも留めず、それとも見えてないのか、こちらに猪突猛進。唐突過ぎる奇襲攻撃に俺は回避動作を取れず、いい角度で腹部に体当たりを貰ってしまい、なるがままに尻餅をつく。
「前見ろよ……って――」
逆光の影響で顔は確認できないが、恐らく女性だと推測される人物は超前傾姿勢のまま、いまにもこちらに倒れます三秒前。もちろん、ここはエセ紳士として受け止めるべきなんだろうが、俺はどこをどうやって支えればいいんだ? 下手なところにでも触れてみろ。セクハラ容疑を掛けられ、多額の慰謝料を請求されるかもしれん。
などど自問していたら、すでに女性は俺の胸に顔を埋めていた。軽い衝撃程度と引き換え女性と密着できるとはいい見返りである。立場が逆だったらもっとおいしいと思ってしまったのは、男である以上仕方がないと言えよう。
「あー、すみませんでしたー。お怪我はありますかー?」
マウントポジションから訊こえてきたのは、現実と大分かけ離れているアニメ的独特の声である。この微妙に間違えている日本語と聞き覚えのあるアニメ声は………
「あれー、仁井哉さまじゃないですかー」
「愛沢さん………ですか?」
疑問系にしたのは、他でもない。声こそ愛沢さんそのものだが、顔自体はまるで別人だ。目の前にいる愛沢さん?はどうみても戦闘力53万の綺麗なお姉さんにしか見えない。俺の記憶に存在する愛沢さんは、大人っぽい中学生で映画館代を安く済ますことができそうなほどの童顔なはずだ。
「はいー? わたしは愛沢ですよー。どうしたんですかー? そんな死んだミノムシみたいな顔しないでくださーい。わたしならだいじょーぶでーす」
この意味不明な比喩表現は、愛沢さんに間違いないだろう。
「………顔、変わりましたね」
「えへへー。ちょっとしたおめかしでーす」
いまだマウントポジションをキープしている愛沢さんは、顔どころか服装までも別人だ。俺の知りうる愛沢さんは、いつだって髪の毛ボサボサのうえに普段着は赤ジャージかネグリジェ姿。さらに使用人という名目でありながら、実質上は半引きこもり状態。趣味はゲームでゲーム機の電源は常時ON。やっている割には上達の気配が見当たらない。凶行に走ることも度々目撃される。これだけを聞けばただのダメ人間しか想像できないだろう。いや、実際にそうなのかもしれないけど。
しかし、そんなダメ人間の象徴となる愛沢さんはいまでは見違えるほど、もとい見間違えるほど美しい。いつもなら寝癖のたえない髪は、毎日海洋深層水で洗髪しなければ出ないような艶が出ており、綺麗に透き通っている。腕の長さを差し引いても裾がたっぷりと余る男物のパーカーに、見えちゃいかんものが見えている短いスカート。
やばいぞ。この角度は最高にヤバイぞ。戦闘力4万の俺ではあと一分も立たずに精神崩壊を起こすに違いない。
「あ、あの退いてくれますか?」
「すみませーん。重いですよねー。わたしの不注意でーす。あー、服汚してしまいましたねー」
糾弾する愛沢さんの動作はひとつひとつが緩慢で、この間にも俺の精神はタチの悪いウィルスが侵食しつつある。落ち着くんだ……『素数』を数えて落ち着くんだ……。2、3、5、7、11、13………って、ダメだ……無意識的に視線が走ってしまう。だって、男の子だもん。
「仁井哉さまー、だいじょーぶですかー?」
「なんとか………」
時間にすれば数秒の出来事に過ぎないが、俺にとっては永久にこの時間が続くのかと思えたぐらいだ。まさか愛沢さんは俺に精神崩壊を起こすことを目論む新手の敵か?
「起きてくださーい。仁井哉さまー」
愛沢さんは、傷ひとつない白魚のような手を俺に手を差し伸べてきた。振り撒かれる笑顔は、まるで俺の妄想が具現化したようにディ・モールト(非常に)良い。
「……ありがとうございます」
「貸し1ですねー」
ここで発言を問いただすのは大人じゃない。それに愛沢さんは、素で「貸し」と「借り」を間違えているんだから、弁解したところで無駄な時間を費やすだけだ。
ところで、愛沢さんは化粧までしてどこへ行くのだろう? 興味がないと言えば嘘になる。
「新作のゲームでも買いに行くんですか?」
「違いまーす。今日はお仕事でーす」
あれ、愛沢さんって無職でニートの居候じゃなかったっけ?
「先月からー、アルバイトを始めましたー。週3で月二十万でーす。日本政治のようにぼろいでーす」
その例えはわかりにくいですし、自分の国なんですから嘘でも言っちゃだめですよ。
「仁井哉さまは、未梨さまに御用ですかー?」
「まあ……そんなところですね」
「そうなんですかー。だけどー、未梨さまなら、たぶんまだ寝ていると思いますよー」
早起きの化身みたいな未梨が、まだ起きていないと? 珍しいこともあるものだ。
「昨日、仁井哉さまは、未梨さまと出掛けていたんですよねー? それからの未梨さまは、ちょっとおかしいでーす。初めて未梨さまがわたしとゲームやってくれましたしー、大好きなはずのチョコレートを半分も残してましたー。極め付けにカルピスを薄めて飲んでましたー。信じられませーん」
最後のはともかく……確かに未梨らしくない。超甘党の未梨がチョコレートを残すわけがないし、いままで散々と拒否っていたゲームをやるとは、どうにもおかしい。
「なので呼び鈴鳴らしても未梨さまは出てきませーん。勝手にはいちゃってくださーい。未梨さまの寝顔は見てて癒されまーす。よかったら仁井哉さまも癒されてくださーい。未梨さまの寝顔は穢れた現代社会のなかにあるオアシスに等しいでーす。あー、ラクガキするなら枕元のペン入れに水性マジックがありまーすよー」
「そんな微笑ましいことはしませんよ。用が済んだらすぐ帰ります」
愛沢さんは、えへへ、とはにかむような表情でこちらを見つめている。真っ直ぐ過ぎる無垢な瞳をこちらに向けないでほしい。青少年の俺にとって、その瞳はどんなに神々しい光より眩しく映る。
「やっぱし、仁井哉さまは優しいでーす」
俺の反応を楽しんでいるように、愛沢さんは悪戯っぽく笑った。こんな子悪魔ならいてもいいかもしれない、と思ってしまった自分が情けない。
「……それより、お仕事行かなくていいんですか?」
「あー、そうでしたー。いまにも遅刻しそうだったんでーす。ピンチでーす」
とてもじゃないが愛沢さんは慌てているようには見えない。のろのろとパーカーの袖を捲り上げ、そこから顔を覗かせる可愛らしいクマさんの顔が付いた腕時計に目を落とした。
「んー。交通ルール無視すればまだ余裕で間に合いまーす」
「さらっと犯罪予告しないでください。車にでも轢かれたら大変ですよ」
「心配してくれるのですかー?」
「当たり前です。愛沢さんがいなくなったら寂しいですよ」
後悔先に立たず。つい真面目に答えてしまったが、いまの俺の台詞、どう考えても死語だ。
その証拠に、愛沢さんの頬はみるみるうちにりんご病患者のように赤く染まりつつも、あらゆる表現を駆使したような満面の笑顔を振り撒いている。
「………仁井哉さまのご命令は従いまーす。よーし、こうなったら命懸けで交通ルール守りまーす」
普段のトロい愛沢さんからは想像できぬスピードで、30メートルほど離れている駐輪場に駆けていった。自転車で行くつもりなのだろうか? 愛沢さんが自転車を漕ぐ姿のイメージはまったく湧かないな。転倒シーンなら、標準録画のような鮮明さでイメージできるけど。
年上とは思えない小柄な背中を見送くったところで、俺はマンションへと顧みた――時ならぬ爆音が平和な住宅街に鳴り響いたのはその時だ。しかも、あろうもことか心臓を震えさす爆音はどんどん俺に近づいてくる。
「仁井哉さまー、どうしたんですかー?」
振り返りざまに視界を埋め尽くしたのは、女性のフェロモンを存分に漂わせる愛沢さんの超どアップ顔。それだけでも俺の精神に後遺症を残せるほどの驚きなのだが、愛沢さんのまたがっている物にも驚愕を覚えずにいられない。
「……最近の自転車はすごい大きいようですね。知りませんでしたよ」
「自転車じゃないでーす。あー、確か仁井哉さまは見るの初めてでしたねー。紹介しまーす。わたしの相棒――モンスターちゃんでーす」
モンスターちゃん――恐らくこれは自転車ではなく大型二輪だろう。赤と黒で縁取られたボディは新車を思わせるほどの煌びやかな光が宿っている。それにまたがる愛沢さんの姿ほど滑稽な絵はそうそう見られるものじゃない。
「無免許はよくないと思いますよ」
「仁井哉さまー、さっきから微妙にいじわるでーす。ほらー、免許証ならちゃんと持っていまーす」
ビシッと目の前に突き付けられたのは財布……ではなく、財布の定期容れに収容されている運転免許証。用心深いことに生年月日の箇所は親指でしっかりと隠されていた。そこまでして歳を秘密にしたいものかね。
いま思えば、一年前の日に借りた服はライダースーツだった。よくよく考えればそれは愛沢さんがライダーということを裏付けていたんだな。
それにしてもこれほどバイクにまたがる姿が似合わない人が、この世に存在しているのかきわどいところだ。そして、極度の前傾姿勢により、スカート内部の花園も見えるかどうかも相当きわどいところである。もしかして、俺はムッツリなのだろうか?
「仕事いくんじゃなかったんですか?」
「ちゃんと行きますよー。仁井哉さまに挨拶だけしようと思ってましてー」
愛沢さんは話ながらも、首に掛けていたハーフタイプのヘルメットを装着し、付属品たるゴーグルを瞳に被せる。ゴーグル越しに笑みを浮かべる愛沢さんの姿は、もはやウケ狙いとしか思えん。
「……気をつけてください」
「はーい。いってきまーす」
再び爆音が空間に轟いたときには、大きな車体はひとりでにスピンターンを始めている。華麗なハンドルワークでターンすると、まばたきひとつの間に巨大な鉄の塊は路上へと突進していった。文字通り風のように消えていった愛沢さんがいたという余韻を残すように、摩擦熱によって溶けたタイヤの臭いで辺り一帯を包み込んでいる。
見た目はてんで似合ってはないが、腕は達者のようだ。
人は見かけによらない、とはよく言ったものだな。ところでこの格言の第一人者は誰のだろうか?
「お邪魔いたす」
電子ロックを無事解除した仁井哉は、前人未踏の大地――未梨家へと脚を踏み入れたのであったー。
……ついウルルン風に実況してしまった。愛沢さんとの会話の影響で、知らず知らずのうちにテンションが「ハイ!」ってやつになってしまったのか。恐るべし、愛沢さん。
未梨さまは寝ていますから、勝手に入ってくださーい、と言った愛沢さん。いまさらなんですけど、俺、男ですよ? 性欲をもてあます若い男女がマンションでふたりきり。陽イオンと陰イオンを近づけるようなものだ。まあ、俺と未梨に限って卑猥な出来事はなにひとつ起こらないだろうがね。例えるなら、俺が水で、未梨が油。同じ容器に入れたところで決して混ざり合うことはない。火種が飛んできたら、爆発する恐れがあるけど。
リビングに繋がる蝶番を引いた瞬間、食欲をそそる溢れんばかりの芳しい香りが俺の鼻腔を強く刺激した。匂いの源に視線を走らせれば、芳しい湯気を充満に発するプラスチック容器があるではないか。この匂いは……みんな大好き日清のインスタントラーメン。察するに愛沢さんの朝食の残滓といったところだろう……ってダメだ。食べ残しとはいえ、常識的に考えて勝手に食べるのはNG。本来の目的は、ナイフを未梨に届けるこということを忘れてはならん。
俺はインスタントラーメンの甘い誘惑を振り払い、リビングの一角にある襖を軽くノックしたのだ。反応は……………ない。
「未梨、起きてるか?」
念を押して声を掛けてみるが、やはり反応は返ってこない。ここまでやったのだから、無断で入ってもマナー違反ということにはならないだろう。勝手に部屋に上がり込む自体が、マナー違反かもしれないが、そこは考えないことにしたい。
襖を開ける際、接着面となる木と木とが擦れ合う音を最小限に抑え込むようにする俺は臆病者の域を極めつつある。
畳に独特の匂いが充満する部屋、愛沢さんの言う通り、未梨は布団上に倒れこんでいた。小さな寝息を立てている未梨は猫のイラストがプリントアウトされたパジャマに身を包み、無地の抱き枕にしがみ付いている。未梨は意外に女の子らしさを持ち合わせているので、そこらへんは驚くに値しない。それより………
未梨の両頬にドラえもんみたいな三本線のヒゲがペイントされている件について。
こんな小学校低学年レベルの悪戯をする人なんて、考えずとも自ずと思い浮かぶ。ズバリ、愛沢さん。本当にラクガキするとは、きっとあの人の脳内では広大な地平線がどこまでも続いているんだろうね。
「…………ニィ……」
「起きてたのか――」
って寝言かよ。夢に俺でも出てきたのかね?
「……すぅー………すぅー……」
とりあえず座ってみたが………起こすタイミングが見つからん。睡眠を妨害される気持ちは、人一倍わかっているだけに、なおさら起こしにくい。ま、まだ慌てるような時間でもないし、寝顔を存分に咀嚼させてもらおうじゃないか。
「…………ニィ………ニィ…」
ニィニィ連呼するな。
未梨の夢の中は何人の俺が存在している異次元空間なのだろうか? ………想像するだけで気持ち悪いな。
「…………すぅー……」
こういう寝顔だけを見れば、一介の女子高生にしか見えないんだけどなぁ。人間離れした奇怪な“能力”など備え持っていなければ、もう少し人間らしさを身に付けた女の子になったかもな。そう考えると、未梨は果てしなく勿体無いことをしている。もし、未梨が穢れを知らない清純の乙女だったら、今頃はしがない俺となんて登校しないで、性格も成績も運動も首席のどこぞや社長の息子をやってる奴とリムジンで登校している可能性だって否定できない。特務機関やら世界機密の能力やら知らないが、そんなもんは最初から存在しなければいいんだ。
それはそうと、世界機密とかうそぶいていたわりには、未梨は結構人間離れした動きを度々見せている。まだ記憶に新しいのは一昨日、未梨がソフトボールの授業中に二打席連続ホームランを出した日のことだ。筋肉剥き出しの男子が打ったならばともかく、身長、体重、胸さえ平均以下の女子高生が飛距離の伸びにくいソフトボールをネットまでかっ飛ばすとはありえないだろう。しかし、これはまだ序の口な話だ。
………
……
…
それは中学生時代、クラス対抗球技大会の日であった。
当時一年生の俺はクラスは未梨と別々――しかも、仇敵であるクラスだった。そして、俺と未梨が選んだ球技はお互いにドッヂボール。可能性的には充分にありうる話だ。
とまあ、話を飛ばして球技大会決勝戦。我がクラス対未梨のクラス。我がクラスの圧倒的な実力で、仇敵たる男女を薙ぎ倒していき、残りが未梨ひとりになったときのことだ。当時の未梨は根暗美少女として男子からの人気がなかなか高く、もの好きな男子も何人かウチのクラスにも潜伏していた。そして、もの好き一名、未梨がボールを拾う姿を見て「ハァハァ」と俺の隣で気持ち悪く喘いでいると――。
「ヤッダーバァアァァァァアア!」
甲高い奇声が俺の鼓膜を叩いたときは、隣にいた男は地面に倒れ伏していた。男の顔にもボール独特のあとがくっきりと捺印されている。そして、俺の足元に転がるボール。以上のことをふまえて、計算式に当てはめ、aを求めましょう。
a=未梨じゃね?
先程まで「パスパスパース!」とセックスピストルズみたいに騒がしかった外野どもは、ヤクザにでも睨まれたように黙り込んでしまった。未梨のレーザービームを顔面に直撃した男といえば、うつ伏せのまま身体をヒクヒクと痙攣させている。凍りついた空気を崩したのは、学年の中でもドッヂボール最強と称えられていた男子――荒木だ。荒木はセクハラまがいの顔つきとは裏腹に、投げる球には球威があるうえに微妙なクセがあり、学校全体から見ても捕球できる人物は数名に絞られる。それだけではなく、荒木の投じる球に勇敢にも捕球しようとした男子の小指を持っていったという、ちょっとした武勇伝まで創っていた。
「俺は女子供だろうが、容赦はしねぇんだぜ」
いかにも小物っぽい台詞を唾と一緒に吐き捨て、静止したボールを爪先で蹴り上げ、自分の胸元へと運んだ。普通に拾えばいいものを、ここぞとばかり男を上げるつもりだろう。が、敵チームはおろか味方である内野人まで荒木に生温い視線を送っている。
「くそぉ……なんで神はいつも俺に冷たいんだぁ!」
嘆かわしい捨て台詞とともに荒木の豪腕が炸裂した。なんてセコイ奴なんだ。
コートのど真ん中に佇んでいる未梨に凶弾が襲い掛かる。すくなくとも女子に投げるスピードじゃない。芯から腐りきってやがる。
「ぬぅわんだとぉ!」
荒木が小物の象徴となる絶叫をあげたのは、もちろん未梨が迫り来る凶弾を捕球したからだ。それだけならまだ人間としてギリギリ許される範囲なのだが、ありえないことに未梨は荒木渾身の一撃を片手で受け止めている。ボールのサイズよりも二回り以上小さい掌で片手キャッチとは、破ってはいけない人間の物理法則に逆らいすぎだろ。
「あんまりだ……HEEEEYYYY!」
すでに荒木の発言が日本語ではなくなっている。ダメ人間なりにショックだったのだろう。唯一の特技であるドッヂボールで必殺の一撃を女の子――しかも、片手で捕られてしまっては、身も蓋もない。まだこれが筋肉質の女子ならば幾分報われたものの。
あっけなく終わった荒木に対する世間の風当たりは低温火傷が発症しそうなほど冷たい。行動から発言まで醜い工作をしこんでおきながら、あの結果では責められて当然と言えば当然であろう。残念ながら俺も同情する気にはなれん。
「う、うろたえるんじゃあないッ! ドイツ軍人はうろたえないッ!」
確かに敵味方含む全員が一目でわかるほど動揺しているが、一番うろたえているのはどうみてもお前だ。それにここにいる誰一人、ドイツ国籍を所持している奴はいない。
どうこう騒いでいるうちに、未梨はゆっくりとボールを天に翳していた。来るのか?
「よし、今度は俺があいつの凶弾をとっちゃる。しょせんは女子の投げる球。とるにたらんわッ!」
こいつの澱んだ瞳には倒れている男が映っていないのか? いや、荒木のことだ。見えていてなお、その意思を貫き通しているに違いない。バカは偉大だな。
しかし、いくらウサギが気合を入れたところで、ライオンに白旗を挙げさせることは不可能である。
俺は未梨の手元に全神経を収束させていたが、リリースポイントすら見分けることができなかった。未梨の手元にボールが消えていると、俺の中枢神経に電気信号が伝わったときには、荒木はチェ・ホンマンにでも殴られたかのように後方へと吹っ飛んでいる。
ライオンに噛み殺されたウサギの死に顔は妙に幸せそうだった、とさ………
………
……
…
と、まあ、こんな感じで未梨はときおり、自然の物理法則を無視している。ちなみに、その後の荒木は一体どのような心境の変化があったのか知らないが、未梨にベタ惚れ。とことん救いようのない奴だ。
てゆうかそろそろ駅に向かわないと、斉藤との待ち合わせ時間に間に合いそうにないぞ。未梨には悪いが、ここは強硬手段の処置をとらざる終えない。
・予めアラーム設定を済ませておいた携帯を枕元に忍び込ませておきます。
・そのまま一分間待ちます。
・一分後、携帯のバイブレーション機能がフルに発揮されます。
・脳を直接揺さぶられるような感覚に捉われ、どんな眠気もイチコロです。
……とゆうはずなんだが、一向に目覚める気配が見られない。よほど疲れているらしいな。だが、ここで黙って帰宅では、俺の無きに等しいプライドが許されない。
とりあえず、鼻をつまんでみた。
「…………………………………」
10秒経過。
「…………………………………」
30秒経過。
「…………………………………」
60秒経過。
そろそろやめとかなければ、幼なじみを殺害してしまうかもしれん。
愛らしい鼻から手を引いた直後、再び未梨は「すぅー」と寝息を立て始めた。それが必然的でも故意的にせよ、どうにかして未梨を起こさなければ………。どうする? 俺?
脳内人格たちが咄嗟に集合し、緊急会議を開き始めた。
――殴れ。
却下。
――キス。
白雪姫ではありません。
――大人のキス。
お前は消えてなくなれ。
――香ばしい匂いで釣れば?
「グッド!」
そうだ、そんな単純で効率の良い手があったではないか。
俺は足の力だけで素早く立ち上がり、台所へ足早に向かう。お目当ての物は他でもない。とりあえず、甘い食べ物ならなんでもいい。甘党の未梨のことながら、何気にチョコレート辺りを買い溜めしているに違いない。
予想はズバリ的中。冷蔵庫をひとたび開けてみれば、数種類に及ぶチョコ、チョコ、チョコ。言いたくないが、あえて言ってやる。チョコっと貰って行くぜ。俺は適当な数週類をポケットにくすねて、畳の部屋へ、わざとらしくスライディングをかます。
「………すぅー……」
誠心誠意込めてのスライディングも無反応だ。結果はわかりきってたんだが、心なしか虚しいのはなぜだろうか。こうなったら俺もラクガキでもしてやろうか? 書くとしたらおでこに「肉」辺りが定番だが、あいにくそんな時間はないんでね。やめといてやろう。
「ほれ、未梨。お前の頭文字、MとTが印されたチョコだぞ」
「…………ニィ?」
躾のなっているペットのように目を覚ました未梨は、納まりの悪い金髪を片手で抑えながら、上体をゆっくり起こす。
おもしろいほどわかりやすい反応だな。まさに予想を上回る効果だったと言えよう。
「まあ、食え」
半開きの口にMとTが捺印されているチョコを投げ込む。
「…………」
未梨はしっかりとチョコを味わいながらも、なにか言いたげに虚無的な視線をこちらに向けている。
「えーっと。とりあえず俺がここにいる理由はお前に渡すものだからであって、別に寝顔を覗こうとか寝込みを襲おうなんて疚しい気持ちは一切ないぞ。ここまでに到る経緯は、あとで愛沢さんにでも問い詰めてくれ」
「渡したいもの、なに?」
そう、これだ。この二語文形式の喋り方こそ本来の未梨である。
「もしかしたら、お前にとって大事な物かもしれんし、まったく関係ない物の可能性もあるな。これ、見てみ」
俺は緑色に縁取られたアタッシュケースをヤクザが警察に裏金を渡すように見せ付けた。
「これ、どこで?」
「一年前、あの雨の日。ウチの前に落ちていたもんだ。……やっぱ、お前のなのか?」
「うん」
懐かしむような無表情で、違和感なくナイフを手に取る。
「これ、大事な物。ずっと、捜してた」
「……そうだったのか。なんだか、渡すの遅くなって……悪いな。あん時はなんてゆうか、それの存在を海馬組織に留めることすらままならないぐらい動揺しっぱなしで……とりあえず、すまん。もっと早くお前に言うべきだった」
建て前上ではなく俺は心底「すまない」と思い、頭を下げる。
「ニィ」
すぅーっと視界に入り込んだ白いふたつの手が俺の左手を優しく包み込んだ。
「仲直り、した。わたしは、気にしてない」
左手を包み込む白い指が、小指へと移動する。そこにある物……『指輪』だ。
「これ、仲直りのしるし。元気、だして」
日常と変わらない淡白な喋り方。初めて出会った時から十年間、こいつはなにひとつ変わっていない。無口だし、無表情だし、学校では友達を作ろうともせず読書に打ち込みっぱなしだし、なにかと無愛想だし……未梨に対する不満なら山ほど出てくる。
だけど、それはそれでいいのかもしれない。未梨はおしとやかな清純乙女風よりも無口、無表情、無感動で謎の組織を裏に構える不思議な能力を持った女子高生の方が数倍似合っている。それに未梨は未梨なりにいいところも少なからずある。ただ、表現する術を理解してないだけだ。事実こうして励ましてくれているじゃないか。
「未梨」
未梨がどれだけ危険な存在であろうが、未梨は未梨で俺は俺だ。
「……ありがとな」
「別に」
なにはともあれ、俺の任務はこれにて終了である。
「じゃあな、未梨。俺はちょっと用があるから、帰るわ。起こして悪かったな」
「気にしてない」
会話を打ち切ったところで、俺は早足で玄関へと向かうと、未梨は律儀にも見送るつもりなのか、パジャマ姿のまま背後霊のように憑いてきた。
「また、今度」
「………なーんか言うこと忘れてるような気がするな。まあ、忘れるぐらいだからたいした用事でもないか。じゃあな、未梨」
出たところで、携帯の時計チェック。よし、全てが予定通りに進んでいる。この時間帯なら慌てずとも斉藤を待たせることにはならなそうだ。そういや、今日はどこに行くのだろうか? 斉藤は傲然な態度で‘俺が喜ぶ場所’とは語ってはいたが、見当すらつかない。そもそも俺が喜ぶ場所というのは範囲が広すぎて具体性に欠ける。しかし、斉藤のあの態度を見る限り、相当すごいところに行くんだろうな。あそこまで宣言しておいて、まさかなんの変哲もないアミューズメントパークという選択肢は芸がなさ過ぎる。
ところで全然関係ない話なのだが、ラクガキの件について未梨に指摘するのを忘れていた。いや、だってあまりにも違和感無さ過ぎたもんだから。一応ここは偽善者としてメールぐらい送っとくべきだろうな。
タイミングを見計らったように携帯が震え出した。
なになに………今日のあなたの運勢は絶好調。思いも寄らぬ出会いがあるかもよ? ラッキーアイテムは黒いサングラス。もっと詳しく知りたい方は下記のアドレスまで………新手の広告メールか。そもそも占いなどという科学的立証のないものは信じるに値しない。恐らくこれと同じ内容のメールは俺以外にも多数の人間に送られていることだろう。その大勢の中の何人かがもしかしたら占い通りの一日になるかも知れん。しかし、それは偶然に偶然が重なり、結果、占い通りに事が進んだだけである。たとえ、この胡散臭い占い通りに今日が終わったとしても、俺ならば「ふーん」の一言で流すけどね。
俺は携帯を尻ポケットに滑り込ませた。
なんか忘れてるな。
未梨編終了です。
今回のお話ですがJOJOネタ9個あります(笑)。もし、おもしろいと感じた人(いる?)がいるならば、それは私ではなく全て荒木先生のおかげです(笑)
そんな感じで書きましたけど、とりあえず未梨編終了です。次話は……がんばります。
段々小説と掛け離れてゆく余談をします。
小説や漫画やゲームが、アニメ化するとしましょう。人気が出るの条件はなにかと、考えたとき、やはり、声優さんの上手さで決まるのではないでしょうかね。どんなに原作が超大作でも声優さんが棒読みだったり、キャラにあってない声ならば、ファンはさぞがっかりでしょう。そう考えると堀川りょうさんはやはり偉大です。かくいう私は、アニメはほとんど見てません(笑)。ハマるとすごいみちゃいますけどぇ。
しばらく修行します! なので次話の更新日は未定です(いつものことですけど)
これからもぽーかーふぇいすをよろしくお願いします