Rhapsody in the Rain 3
ニイヤ(♂)
一人称:俺
特徴:独り言が多い
身長:1.75m
体重:66kg
好き:ボーリング。ビリヤード
嫌い:冗談のわからない人
特技:ボーリング。ハーモニカ。飛んでいるハエを捕まえられる。楽器を自由自在に演奏できる。
備考:一年二組所属。本編における主人公。基本的にめんどくさがりやなダメ人間。楽器を自由自在に操れる不思議な能力が持っている。スタンドで例えるならスティッキー・フィンガーズ。
さて、この緊迫した空気の中悪いが、俺はひとつ考えなければならない。
このときの《俺》は正真正銘ここで記憶が飛んでいる。にも拘わらず、《俺》が気絶した今、なぜ俺の意識があるのだろうか? これまでの出来事は寸分の狂いもなく、まるで記憶のビデオでも鑑賞しているかのように、俺の心境など哀れられるほど無視され、どんどん進行していった。しかし、ここからの記憶は一秒たりとも録画されていないはずだ。録画されていないビデオで再生されるものはせいぜい砂嵐ぐらいだろうに。空白の記憶。その部分が今まさに再生されている。
夢だから、って一言じゃそろそろ納得できなくなってきたぞ。そもそもこれが夢かどうかすら疑わしく思えてきた。忌々しい記憶をこれほど忠実に再現しといて、あとは俺の大脳が創造するフィクションか?
「彼氏を気絶させて、どうするのかな?」
正直な感想を言えば、このとき、目覚めることに一縷の望みを持っていたが結果はこの通り。
俺の大脳はなにを見せたいんだ?
「………」
未梨は、その痩身からは想像できない膂力で《俺》の身体を片手で抱え上げると、校舎に向かって淡々と歩を進める。針のように鋭い殺気を放つ視線に、一瞥すら与えず、男の傍らを無言で通り過ぎた。
屋外で唯一屋根がある昇降口玄関に意識のない《俺》の身体を仰向けに寝かせると、純白のダウンジャケットを脱ぎ、それを《俺》の身体を覆い隠すように被せる。そして、未梨は胸の前で小さな十字を切り、祈るように両手を重ねた。まだ《俺》は殉教したわけじゃないぞ。
黒いノースリーブに革手袋という奇抜なファッションは未梨の不思議少女さをより強めている。立ち上がった未梨は、50メートルほど先にいる男を強く肉薄した。未梨と男の狭間には、見えない何かが激しく蠢いているように、一定間隔を開けて、ふたりはそれ以上近づこうとしない。
俺はこんな状況など知らなければ、知りたくもない。たとえ、この状況が実際に起こった話だとしても、俺にとってはパナウェーブ研究所より興味の沸かない事柄だ。
「一応訊くけどさ、なんで椿は僕を追いかけるのかな?」
「あなたをとめるため」
「とめるって……僕のなにをとめようとしているんだい?」
「あなたには一週間前に五十五歳の男性と二十五歳の女性に悪意的に?能力?を使用し、内臓を始めとするあらゆる臓器機能を麻痺させた疑いがある。そこからここに至るまでの逃走経路からは?能力?が原因と見られる臓器機能麻痺者が152名。これもあなたが禍根であると見られている」
「それで? 椿は僕をどうするのかな?」
相変わらずの気味悪い笑みを崩さずに、男は嘲弄の言葉を吐き出し続けた。
「わたしの役割は、あなたがこの事件に関与しているか。その真偽を調べること」
「真偽もなにも、椿の言ったことは全部本当のことだよ」
ウソツケ。
「………あなたのしたことを見過ごすことはできない」
普段から無口少女で貫き通している未梨は、人が変わったかのように言葉を紡いだ。
「刑法204条及び能力の無断使用により、あなたを逮捕する」
「僕がね……もともと、ここに寄ったのも、椿、キミと話をしたかったからなんだよ。僕がこの地域に潜伏すれば必ず現れると思っていたからね……どうだい椿、いまからでも遅くない。僕と一緒に来ないか? もともと神に選ばれた僕たちが無能な人間に従う必要なんてなかったんだ。この?能力?さえあれば、僕たちはなんだってできる。そう思わないか?」
「思わない」
未梨は明確な敵意のこもった視線を男に送り込みつつ、一歩前に進み出た。
「わたしもあなたも無能な人間のひとりに過ぎない」
「僕が無能だって……? それは、笑えない冗談だね。あんな人間と僕を一緒にしないでほしいな」
いかにも心外げに肩をすくめ、にこやかな笑顔――だが、どこか棘のある表情で未梨を見据える。
「もう一回だけ訊くよ? 僕と一緒に――」
「断る」
ちなみに俺はというと、考え込むのもだるくなったので、この深夜二時ぐらいに放映されていそうなアニメ的光景を体育座りをしながら遠くで見守っているのだ。この際、もう夢でも妄想でもなんでもいいから、早く現実世界に帰りたい。これなら、スカラー電磁波について学ぶほうが幾分マシだね。
均衡状態を崩したのは男だった。
男は独特な歩調で一歩、また一歩、未梨に歩み寄る。
歩調といい、様子といい……あの男はなにかがおかしい。このやり場の無い違和感は、夢だからなんとかの理由ではなくて、気絶する前の俺でも実際に感じていた。気のせいではない。違和感の正体…………ああ、わかった――
――あの男は身体が一切濡れてないんだ。
衣類を始め、髪の毛一本すら男は濡れていない。豪雨のなかでそれは常識的に分析してありえないことだ。
付け加えて男の歩き方。いや、別に男の歩き方は風変わりではなく、ごくごく普通だ。違和感の正体は、男の歩いている場所にあった。男は文字通り?水の上?を歩いている。豪雨により発生した水溜りの表面上を揺ぎ無い歩調で進む。既に人間技ではない。
「椿も無能な人間のひとりだったんだね」
男は氷上を滑るような足捌きでさっそうと未梨の背後に回り込むと、皮肉たっぷりげに呟いた。同時に、ナイフのように鋭く突き立てられた手刀が未梨の腹部に繰り出される。しかし、それはわずかに脇腹を掠め取っただけだ。未梨は男の凶行あたかも予知していたように身体を傾け躱すと、素早く身をひるがえす。そのまま軸足だけを男の足元に滑り込ませつつ身体を旋回させると、握り締めた拳を迷い無く撃ち出した。女子中学生――人間とは思えぬ疾さを持った拳は、男の顔面に突き刺さり、辺り一帯を轟音で轟かせた。
「ざんねん……。あと十センチ足りないね……」
甲高い音が空間を木霊する中、男は抑揚のない声で呟いた。その声色は、とても顔面を潰された男とは思えないほど透き通っている。いや……拳など最初から届いていない――男の眼前で完全に静止しているんだ。まるで、見えない壁にでも阻まれたように。
ところで、こいつらはなにをやってるんだろう? 未梨から話は多少訊かされていたが、ここまで人間離れしているとは………いやいや、これは夢だ。所詮は俺の大脳が創り出している完全妄想フィクションに過ぎない。たぶん。
俺が考え込んでいる最中、未梨は次の行動に出ていた。ただでさえ一連の動きについていくのが精一杯の俺をよそに、未梨は間髪容れる隙を与えずに、握り締めた逆拳を男の下顎に跳ね上げる。コンクリートが砕けたような破砕音とともに水飛沫が激しく飛び散った。にも拘らず、未梨の拳はまたしても男に触れる直前で停止している。男は相変わらずの笑みを浮かべたままで、なんらかのアクションを起こしたとは考えられない。未梨が意図的に攻撃を止めたと考えるのならば、轟音の説明がつかなくなる。
「今日はいい天気だね。椿。こんなにも素晴らしい天気じゃなかったら今頃の僕は顔面を潰されていただろうね」
顎の手前で停滞していた拳に、突如ラファエルブルーのなにかが絡み付いてきた。一体どこから沸いて出たのか、あたかも意思を持ったように蠢くそれは、アメーバを連想させる。蠢くアメーバ状のものからは、無数の触手が飛び出し、か細い腕に纏わり憑き、蝕むように侵食してゆく。
「無駄だよ。キミじゃあそれを取り払うことができない」
絡み付いてくる触手をひっぺ剥がそうとする未梨に、男は子供をあやすような口調で淡々と言い放った。このアメーバ状のものはどうやら強い粘着性があるらしい。無理に剥がそうとすれば、無きに等しい肉までもが取り除かれることになるのは目に見えている。手の施しようがないという奴だ。
既にアメーバは肘までを覆い尽くし、なおもその浸食が衰える気配はない。
そこで、初めて男の微笑が消え失せた。
未梨は自分のか細い腕に絡み付いてくるアメーバを雑草でもむしり取るかのように引っ張り始めたのだ。アメーバと一緒に剥がれ落ちる皮と肉は、ぶちぶちと痛々しい音を鳴り響かせる。
「あなたは自分の?能力?を過信しすぎている。この間、わたしに攻撃を加えれば殺せなくとも、決定的な損害を負わせることができたはず」
腕とアメーバが完全な形で別々に分離すると、アメーバは未梨の手中で、どろり、と溶け落ちた。大部分の肉を削り取られた腕は、豪雨にも負けずとも劣らない大量の血で赤く染まっている。にも拘わらず、未梨は痛みに顔を歪ませるどころか、眉ひとつ動かさずに男との間合いを取るように素早く後ろに飛び退った。
俺の大脳はリアリティを求める場所がおかしい。これはC指定どころかZ指定にしたほうがいいだろう。あの肉が削ぎ落とされた腕を見ていると夢の中だっていうのに、吐き気が押し寄せてくる。
「確かに……ちょっと僕は油断していたかもしれない。けど、そんな腕でなにができるんだい? 攻撃が届かないキミになにができる?」
男は自分が優位であることに気づき、一度崩した表情に再び機械的な笑みをこしらえた。
「椿。僕がなんの考えもなしにキミの前に現れたと思うかい? 正直に言って、僕はキミに勝てる気がしなかった。だから緊急事態――ちょうどいまみたいな状況になったときのことを考えて、今日にしたんだ。僕の?能力?が最大限に発揮できる今日に……」
「………」
未梨は足元の泥を蹴りつけ、豪雨を振り払いながら兆速で男に向かって飛翔した。あまりの疾さに俺の動体視力では、未梨の影を捉えることが限界だ。わずかに映し出される未梨の姿も幻のように忽然と消え失せた――刹那、四度に渡る破砕音が鳴り響いた。同時に男の背後に雨とは違った紅い水飛沫が爆散し、長身の影をよろめかせる。
男が細長い腕を自分の背後を無造作に突き出したのは、それから一拍遅れてのことだ。伸びきった指先には、上体を仰け反らせている未梨が男を睨み据えている。それを男は気味悪い笑みで一瞥すると瞬時に軸足を入れ替え、体勢のままならぬ未梨の顔面に手刀を鋭く突きだした。耳が痛くなる風切り音は雨を伝って広く響き渡る。だが、結果的に手刀は未梨を捉えることはなかった。額に男の爪先が触れる直前に、未梨は仰け反らせた上体をさらに仰け反らせ、コリバノフさながらの後方回転で間合いを大きく空けたのだ。
「一秒で四発……前よりキレが増してきたね? けど、いくら疾かろうと、僕の前では無力だよ。椿。いくらキミとはいえど、僕の?壁?を破くことはできない。現にキミの攻撃は一撃も僕に届いていない」
「………」
男と対峙し合う未梨の前髪比率はどこかおかしい。雨に晒され瞳を完全に封鎖していたはずの前髪は、右側部分だけが綺麗に切断されて右目が露出されている。恐らくこれは男の手刀によるものだろう。
まあ、夢だもんな。手刀が剃刀ほどの切れ味を持っていたって別におかしくない。と思う。
「けど、僕の攻撃もなかなか決まらないのが現実。このままじゃ、椿を倒す前に増援が到着しちゃうかもしれないなぁ。その前に……勝負はつけさせてもらうよ!」
男は空を仰ぐように両手を大きく広げると、そのまま、掌を足下にある水溜まりへと躊躇なく突き入れた。
校庭のほとんどを埋め尽くしている水溜まりが、川面に反射する夕日のように目映いばかりの光を放ちだした。発光し出した水は、幻想的な世界を想像させたが、それも一瞬のこと。発光し続ける水溜まりが、もぞもぞと微生物のように蠢き始めたのだ。まるでそれは獲物に群がるハイエナのように男の手元へと群がってゆく。それどころか、降り注ぐ豪雨でさえも男の手元へ吸い込まれている。全ての水という水が男の手元に吸い込まれていき、数秒前までぬかるんでいた土は、まるで水気が吹っ飛び、枯れた大地に亀裂が入り込んできている。
超常現象のように男の手元に集った液体は、ひとつの鞘に収まり巨大なスライム状のものが出来ていた。発光は弱まることを知らないのか、放つ光は強さを増してゆき、さらになんらかの形を構成し出している。
――彼の?能力?は液体を自分の意思である程度まで自由に操ることができる。
そういえば……未梨はそんなことをうそぶいていた………恐らく男の言う?壁?とは雨水で作り上げた物。そして、あの巨大な塊は男の?能力?使用による物。そして………
いやいやいやいや、これは夢だ………。俺の大脳が創り出した完全妄想フィクションである夢だ。
「これが、僕の切り札さ。じっとしていれば楽に逝けるよ?」
形があらわになったそれは、あまりにも非現実的なものだ。
男が「切り札」と呼んだそれは、一見すればヒトの形に見えなくもない。それは、長身の男よりも頭ふたつみっつ分ぐらいはゆうに超えており、未梨と比較すれば、縦も横も二倍近くはあるだろう。その巨躯に先程まで宿っていた強い白光は嘘のように消え失せ、いまでは半透明の身体に蛍火程度の灯りをその身に灯していた。雨水の集合体だけにその巨体は若干青みかかっている。
未梨は超常現象の塊を目の前して、驚きの言葉どころか表情にさえ変化が見られない。ただ、巨躯の出現と同時に、反撃のできる構えをとっただけだ。
いくら人間味が激しく乏しい性格とはいえここまで無反応で貫き通すとは……ってこれは夢だ。何度も言うようだが、これは俺の大脳が作り出した完全妄想フィクションである。あんなものが現実に存在するはずがない。
本来ならば人間の顔にあたる箇所には、なにも存在していない。肩から足下にまで架けて長く伸びた豪腕は小刻みに痙攣をしている。次第に痙攣は腕のみならず全身に広がりを始め、巨躯は前のめりに倒れそうになる身体を自分の両腕で支え、体勢を保つだけで必死そうだ。
「椿……キミならわかってくれると思ってたのに。僕は……椿のことを忘れないよ」
男が詭弁を言い終えたときには、既に未梨は地を蹴っていた。
未梨は瞬間移動さながらの疾さで巨躯との間合いを一瞬で消失させる。予備動作なしに蹴り上げた爪先は巨躯の胸部に直撃し、その巨体を宙に浮かび上がらせた。空高く舞い上がった巨躯を追いかけるように、未梨も冗談のように飛翔する。
落下を待つことしかできない巨躯の胸部に、旋回する踵が突き刺さった。慣性の法則プラスアルファの速度で落下した巨漢は、受身さえ取れずに背中から大地に叩きつけられた。柔くなった大地ではその衝撃に耐えきれず、なるがままの地盤沈下を起こす。
轟音の反響が鳴り止まぬうちに、弾丸と化した未梨が追い討ちを掛ける――巨漢の胸部に小さな膝が喰い込まれた。膝が押し戻される反動で、未梨は巨躯から離れるように飛び去る。一連の攻撃が巨躯に損傷を負わせることができたかはわからないが、先程よりも痙攣の強さが増していることは確かだ。
未梨は脈打つ巨漢から視線を逸らし、再び男と対峙する。
「さすがは、椿だね。いまの一連のコンビネーションには感嘆の言葉しか思い浮かばないよ」
男は両手を合わせ、他所の国の貴族っぽい拍手で未梨を讃えた。その態度はいかにも余裕の表れであり、巨躯が倒された動揺は微塵に窺えない。あるいは動揺するほど出来事ではないのか――意味深な笑顔が消え失せたのはそのときだ。
「だけど……まだ終わってないよ」
あと半秒、未梨が上体を屈めるのを遅れていたら、小さな頭部は吹き飛んでいただろう。頭上を通り過ぎた‘なにか’は、湿った黒髪を数本持って行き、空気の壁を爆砕させた。
未梨は頭上を通過したものを巨躯の拳と視認すると、なおも痙攣を続ける足元に攻撃を試みた。上体を屈めたまま身をひるがえし、巨躯の軸足に回し蹴りを叩き込む。蹴りは決まる直前に、青い半透明の巨躯は音もなく消え失せた。目標物を失った蹴りは衰えることなくそのまま空だけを切り裂く。予想外の手応えがなく未梨の身体は体勢を保てずに尻餅をついた。
まるで無防備な未梨の頭上に、青い巨躯が舞い踊る。
天から襲い掛かる巨躯を黙認して、未梨は立ち上がろうとはせず、両の手に力を込め始めた。腕の力のみで痩身の身体をわずかに浮かびあがらせ、振り子のように勢いをつけると、後方に飛び退る。巨躯が舞い降りたのは一泊遅れてのことだ。
巨躯の着地は大地に軽い地響きを起こさせた。着地とほぼ同時に繰り出されたのは巨躯の逞しい豪腕。自分の頭より大きい拳を未梨は足を巧みに捌き、紙一重でかいくぐる。そのまま巨躯の胸元に身を滑り込ませると、未梨は自分の腰元に手を回した。
「えっ………」
この場に似使わない恭しい声は未梨の口からほとばしったものだ。瞬きひとつさえしなかった漆黒の瞳は、わずかだが小さく見開かれ、驚愕と動揺の入り混じった複雑な表情に豹変した。ただ、背後に回した手はなにかを捜し求めるように激しく動かされている。
その瞬間を巨躯は見逃さなかった。
未梨は瞬時にいつもの冷静さ、もとい無表情を取り戻すが、そのときにはすでに巨躯は撃鉄を振り被っている。今度こそ躱せるタイミングじゃない。そう悟ったのか、未梨は顔面を覆い隠すように両腕を持ち上げた。しかし、その分腹部はまるで無防備だ。
そこに、コンクリートさえ砕きそうな巨躯の拳が撃ち放たれた。
強烈過ぎる一撃をまともに浴びた未梨の身体は、つむじ風に煽られる木の葉のように軽々と浮かび上がり、空中で放物線を描きながら地面に叩きつけられ、ぬかるんだ土の上を転がり続ける。いくら泥が衝撃を緩和してくれたといっても、未梨の身体を貫いた衝撃は計り知れない。
それでも必死に起き上がろうとする未梨だが、泥だらけの身体は痙攣が発症しており、うまく立ち上がれないでいる。
「今度こそ、さよならだね……椿。そんな無理しなくてもいいんだよ」
身悶える未梨の姿に見かねた男は、背後に巨躯を従えながら未梨に歩み寄った。
やっとのことで立ち上がった未梨は、眼前にいる男を睥睨する。しかし、痙攣の治まらない身体はとても痛々しい。
「椿………もう、キミの負けなんだ。最後ぐらいじっとしていたほうがいいよ」
男が雄弁に語っている最中に、背後に控える巨躯はその豪腕をいつでも繰り出せるように構えを取っていた。
「わたし……は……………」
未梨がぐぐもった声で一言一言言葉を吐き出すたび、開閉される口からは血が溢れ出している。
「ゆっくりでいいよ。最後の言葉ぐらいはちゃんと聴いてあげるよ」
男が窘めるように言うと、未梨は咳払いひとつし、血塊を吐き出した。
「わたしは、あなたの?能力?を甘くみていた。だから……」
「だから?」
「わたしも?能力?を使用する」
「………笑えない冗談だね。それじゃあ、今まで?能力?なしであの動きをしてたのかい? ありえないね。負け惜しみもいいところだよ………もう、死んでいいよ」
男が言い終えると、巨躯の拳が雷撃の如く振り下ろされた。
唸りを上げる拳を目の前にして未梨は俯いたまま、呟いた。
「制限解除レベル1――限界値三〇パーセントの引き上げを申請――六〇パーセント――承認完了」
刹那――暗雲を切り裂き、稲妻が大地に突き刺さった。轟音と同時にやってきた落雷は凄絶な闇夜を青白く染め上げ、視界と聴力の機能が停止に陥る。
だが、それも一瞬。一瞬だったはずだ。
回復した俺の視界に映るものは、佇む未梨と仰向けに倒れている男。数秒前までいたはずの青い巨躯の姿はどこにも見当たらない。
あの一瞬の間になにが起こったんだ? いままで起こっていた出来事は全て俺の白昼夢だったのか? ……って、深く考える必要はないな。これは夢なんだから。だいたい夢のなかで白昼夢を見る奴なんていないだろうな。
「左腕橈骨筋、左橈側手根屈筋を及び三十二箇所負傷。代謝速度の引き上げを申請――承認完了」
閻魔の呼び掛けのように呟いた未梨の左腕からは、腕そのものを覆い隠すほどの白煙が立ち昇り、肉の焼ける音が響き渡る。未梨はその不可解な現象を鮮やかにスルーしつつ、気絶している《俺》へと視線を転じた。
一方、なにも知らずに九死に一生を得た《俺》はといえば、アホ丸出しのアホ面で気持ちよさそうに寝息をたてている。ここにいる《俺》は正真正銘の自分なのだが、アホ面を見ていると無性に苛立ってくるのは何故だろうか。もし、殴れるのだったら、今頃《俺》は違う意味で眠りこけてるに違いないね。
やがて、未梨の左腕から立ち昇る白煙は勢いを弱めつつ、消え失せていった――現れたのはほぼ無傷な左腕。未梨は感触を確認するように、再生した左手を開閉させる。しかし、治癒された傷は左腕だけであり、額や頬などにちらほらと視認できる生傷は痛々しく残されていた。
これが、未梨の?能力?なのだろうか? 実際に見たのは初めて……ってこれは夢だ。俺の大脳が(以下略)
未梨はどこからともなく取り出した縄で気絶している男を手際よく束縛すると、それを乱暴に担ぎ上げ、校舎へと向かった。
消しゴムでも投げるように男を石畳に落とすと、無表情のまま《俺》のアホ面に一瞥し、血で染まった額を拭うように前髪を掻き上げた。
「ニィ」
未梨は萎れた花のように力なくへたりこむと、まだ微かに朱色の残った繊手で《俺》の身体を小さく揺する。アホ面から徐々に険しい表情に変わっていき、ゆっくりと瞼が捲り上げられた。
「………」
眠たげな瞳には本来ならば、額や頬が裂け赤い液体が滲み出ている未梨の蒼白な顔で埋め尽くされていることだろう。まあ、それは《俺》が一般人と過程しての話だ。重度の低血圧を持っている《俺》の瞳には濃霧にでも覆われているように白一色に世界全体染まり、実際のところはなにも見えていないだろう。まったく状況が把握できていない《俺》は、あくびを噛み殺したような吐息を漏らし、腹筋のみを使って上体を起こした。ぼーっとする脳を叩き起こすように頭を大きく左右に振る。
「……………」
靄が外れ視力を明晰に取り戻した《俺》の視界に映し出されたものは、どしゃ降りの雨だ。
「ニィ」
《俺》は、消え去るような囁きよりも、耳たぶに直接吹きかかった熱い吐息に敏感に反応した。ぞくぞくとした悪寒が背筋全体に走る。耳朶に吹きかかる熱い吐息の第二派が来る前に、首を機敏に動かしたそのとき。《俺》の表情は豹変した。
「………未梨? お前……それ、どうしたんだよ!」
未梨の姿を一目見た瞬間、ヒステリックに喚いた。同時に途切れた記憶が鮮明に蘇える。しかし、今はそんな悠長に追求している時間はない。
「ま、待ってろ、今ひゅぐ119を……!」
呂律が回りきってない口調で喚き、立ち上がろうとした瞬間、小さな手がレザージャケットの裾に絡み付いてきた。あまりにも唐突な出来事に反応しきれずに体勢を崩した《俺》は、情けなく尻餅をつき、転倒した禍根を凝視する。
「わたしなら、だいじょぶ」
裾を握り締めたまま応じる未梨は、日常会話の声色と寸分の違いもない。だが、口調とは対照的にその風貌は喧嘩類のものでは、付かないような傷ばかりだ。いくら本人が「だいじょぶ」と言おうが、「無事で良かったな」とは誰も言えないだろう。
「……どうみても大丈夫じゃないだろ、変な意地張るなよ」
「だいじょぶ」
今の「だいじょぶ」は先程よりも強みを帯びていた。未梨は頬から滴り落ちる血を舌で舐めとり、更に言葉を紡いだ。
「わたしの身体は普通じゃない。だから、へいき」
お前が普通じゃないのは身体じゃなくて性格だろ。混乱状態などに陥っていなければ、入学したての小学生のように元気よく発言していただろうに。状況の把握ができていない《俺》は、未梨の発言をくそ真面目に問い正した。
「お前が普通であろうが、普通じゃなかろうが、怪我をしたら病院に行くもんなんだ」
いまだ裾を握り締める未梨を振りほどこうとするが、反則的な力を持つ未梨を動かせるはずがない。《俺》が徐々に力を強めているにも拘らず、未梨は座った姿勢からピクリさえ動かない。
《俺》は嘆息し、肩を小さくすくめた。
「……本当に平気なんだな?」
うなずく。
幾分落ち着きを取り戻した《俺》は、小さく罵りながら石畳に腰を落とした。
雲の裂け目からわずかに顔を覗かせる月が、唯一の証明器具だ。それを思想家のように見上げる《俺》は訝しげに眉間に皺を寄せている。実際のところは話すタイミングがなかなか見つからなく、脳内人格に召集呼びかけ、きっかけを立案していたところだ。
「人間ひとりひとり、必ず何かの才能を持っている」
沈黙と闇が空間を支配するなか、未梨はまるで的外れな会話の切り出してきた。未梨は《俺》の反応ひとつさえ窺わずに、言葉を続ける。
「生涯に自分の才能に気づける確立は八千万分の一。だけど、これは確認できただけの数値。才能を開花させた人間は、人外の能力を手に入れることができる。それが《能力者》」
「………」
「《能力者》の能力は3つに分けられる。肉体強化系能力。感覚系能力。精神エネルギー変換系能力。。いままでに、なにかを達成した偉人たちは、才能を開花させた《能力者》。古来より《能力者》は表向きには能力を使用することは禁じられている。?能力?の存在が公になれば人々に壮大な影響を与えることになる。世界最大機密事項。ときには、故意に?能力?の存在を公する人も現れている。それ以外にも能力を利用し、何も知らない市民に危害を与える人――彼のような人も出てくる可能性もある」
未梨は視線を横移動して、俯せに身悶える男を一瞥した。
「彼は自分の?能力?に溺れ、自我を失い、その結果、?能力?を持たない大量の人間に危害及ぼすようになった。彼のように暴走した人物が出没したとき、一般人に悟られず隠密に処理しなければならない。それを執行するのが、特務機関。わたしはその特務機関の《能力者》」
「………」
「わたしの任務は彼を必ず確保すること。ニィと鉢合わせになったのは、わたしの身体が彼の?能力?に侵されたとき。体内に流れる血中水素イオン指数を変動させられアシデミアに陥った」
そこまで言うと、未梨は大きく息を吐きだした。
未梨からすれば全て明晰に伝えた、安堵のため息なのだろうが、《俺》は素数をひたすら数えているように、小難しげな表情だ。むしろ《俺》の表情には「こいつ頭おかしいんじゃね?」と顔にはっきりと、しかも斜体で書かれている。
「じゃあ、なんだ? お前のそのヤバイ怪我は、あの男が抵抗してきたからか?」
肯定。
「彼は精神エネルギー変換系能力者。自分の意思である程度まで液体を操ることができる」
そんな売れない漫画によくありそうなありがちな能力があるわけないだろ。
「それで……お前の?能力?はどんなんだ?」
「身体能力の限界値増量。遺伝子レベルの情報操作により、一時的に運動能力をあげることができる」
いかにも胡散臭さを代表する胡散臭い話である。未梨の横顔を窺う《俺》の表情は心配と嘲笑のふたつが入り混じった複雑の面持ちだ。
「……俺にわかるようにその能力とやらを見せてくれよ」
そう言い終えたときには、小さな少女の姿は幻のように消え失せている。一拍遅れて《俺》は未梨が消えたことに気づき、驚きに目をしばたたいた。
「遺伝子レベルの引き上げにより、いまのわたしには人外の疾さを出せるようになった」
背後から現れた未梨により、《俺》の開きかけていた口は一文字に閉した。
「これがわたしの?能力?」
未梨はあまりに近距離で呟き、またしても耳朶に熱いものが吹きかかる。しかし、後ろに身体を向きなおした《俺》は身震いひとつ起こしていない。目の前で行われた瞬間移動さながらの高速移動に、身震いを覚えることすら忘れているのだろう。
「……ちょっと待て。もう一回なんかやってくれ。今のだけじゃ、信用できない。信憑性に激しく欠けるぞ」
「別に信じなくてもいい。ただ、覚えていてほしい」
さっきから未梨は、ありがちな台詞でしか会話が交わされていないような気がする。
いまのところ《俺》の気持ちは半信半疑といったところだろう。まあ、無理もない。わたしの特技はイオナズンです、と言ったところで誰も信じない同様、わたしは能力者です、と言われたところで信じられるはずもない。せめて、ユリゲラーやそっちの系の方々が言えば、まだ《俺》はなんとなく信じ込んでしまうかもしれない。ユリゲラーじゃなく、ユンゲラーだったら間違いなく信用するだろう。
とゆう冗談はさておき、未梨はごくごく普通の幼なじみの女の子だった。幽霊が見えるとか、ESP能力が使えるとか、そんな人類普遍的能力の欠片さえ見せなかったノーマルな女の子。でも、性格はアブノーマルな女の子。
いままでそんな関係だった幼なじみに、いきなり「わたしは能力者でーす」などと、とんでもカミングアウトされ、信用する奴がいるだろうか? これは断言できる。信用する奴などいるはずがない。もし、信用する奴がいるとすれば、そいつは現実見てない奴ぐらいだ。
だが、目の前で行われた瞬間移動さながらの動きは、説明しようがない。なにか不思議な能力が働いているとしか見ようがないのでは。
「ニィ」
「……………なんだ」
脳内人格フル召集の俺には、もはや未梨の怪我など見えてないだろう。現状を把握することに全ての組織を費やしている。
そして、それは俺にも言えること。夢の中に入り込み、俺の体内時計では既に4時間が経過している。
「いまから言うことを訊いてほしい」
「……いまさら前振りなんてするな。ズバッと言え。ズバッと。そのほうが俺も楽だ」
「わたしはいままでニィを騙していた」
確かにズバッと意図不明なことを言ってくれた。しかし、語る未梨は至ってはいつになく真面目な声色である。虚無的な表情にもどこか沈鬱なものが入り混じっている。
「なにをだ? 性別でも偽ってたのか?」
今の台詞は《俺》なりに気を使ったつもりなのだろうが、俺の眼には空気の読めない人にしか映らない。我ながら情けないことよ。
「本来のわたしが命じられている役割は監視」
「なんのだ?」
「ニィの」
「俺の?」
「うん」
「なぜに?」
「ニィはわたしと同じ存在――能力者の可能性がある」
未梨の何気ない一言は、《俺》の脳内に核弾頭級の深刻な損害を与え、脳内人格半数以上が不毛な死を遂げることになった。
「………ない。それはない。ありえん。俺は遺伝子をどーのこーのできる特技など持ち合わせてない」
「能力者の能力が他者と同じになることは、ごく稀にしかない。ニィの能力では遺伝子操作はできない。ニィの能力は、《音》」
「…………詳しく」
「ニィのハーモニカを始めとする楽器での演奏。本来の音源とは別である不特定多数の音の唸りが存在している。普通ならばそれはありえないこと。ハーモニカ本来の音源とは別に発生した唸りは、もとである音波と重なり合い、特殊な形のフランジ効果を起こしている。どれもひとつの楽器からは起こりえないこと」
思い当たる節のあった《俺》は一言一句聞き逃すまいと必死に耳を傾けていたが、小さな口から吐き出される言葉は全て新鮮味のあるまるで訊いたこと無い単語だ。
「悪いが広辞苑はいま持ってないんでね。残念ながら理解不能だ」
「ニィは気づいてるはず。自分の?能力?に」
さりげなく誤魔化そうとする《俺》の言葉に、未梨は的確にイタいところを突いてきた。
「……ぶっちゃけるとな、確かに俺には変な能力が備わっているかもしれないな。未梨の言う通りそれもちゃんと自覚している。けどな、お前の言っていることはさっぱりわからん。ただ、俺は楽器を触れると……なんていうか、そいつの演奏方法がわかるんだ」
「それは能力の一端に過ぎない。ニィの能力の真髄は違うところにある」
「真髄って……なんだよ?」
「わたしにはわからない」
「なんだよ、それ」
未梨が非の打ち所のない無表情から発せられる言葉に、《俺》も非の打ち所の無いおかしな表情で対抗する。
「ひとつだけ言えることは、ニィの演奏により発生する音波には不思議な能力が付加されていること。それが人体や自然にどのような影響を与えるか、まだ解明されていない」
「影響なんてなんもないんじゃねーのか?」
「必ずある」
普段からあやふやな返答でしか応じない未梨が、こんなとき限りはっきりと言い切る。
「………話を戻すけどな、お前は俺の、えーっと、その、能力とやらを監視してどうするんだ? 気がつけば、黒いライダスーツ着た筋肉質な集団に囲まれてたりしないよな?」
「襲われることは……ない。わたしはどうもしない。上に報告をするだけ」
いまの三点リーダーはなんだったのだろう。とても気になるところであろう。
「ニィの能力を知っているのは、特務機関のなかでもごくわずか。情報がリークされていない限り、ニィの身の安全は保障される」
「それって、逆を言えば情報が出回ったら俺の安否は保障されないってことだよな?」
「うん」
「………そうですかい」
もはや驚くことすら忘れたかのように、《俺》は悠然な態度で落ち着き払っている。ニヒルな主人公なら「やれやれだぜ」とか言うのだろうが、生憎《俺》はニヒルでなければ主人公でもない。自分が一番可愛い――臆病者心を持ったひとりだ。
内心では暴走状態しつつも、《俺》は必死に冷静な表情をとりつくろう。
「それで、俺はこれからどうすればいいんだ?」
「いままで通りにしてくれればいい。今回の出来事は緊急のもの」
のっそりと立ち上がった未梨は、縛られた男を肩に担ぐと足早に校門に身体を向ける。
「わたしには、まだやること、ある」
「待てよ。最後にひとつ、いいか?」
「なに?」
「もし………もしの話だが、俺が本格的に音楽活動しようとしたら、お前はどうする?」
「ニィの能力はまだ判明されていないこ箇所が多い。それに能力を悪意的に行使するつもりなら、確実に特務機関からの圧力が掛かる。詳しいことが判明されるまではニィは表舞台には立てない」
未梨は淡白に結論だけを述べると、振り向きもせずに揺ぎ無い歩調で足を運び始めた。
「………十年前、お前は特務機関とやらの命令で俺に近づいたのか? 最初っから能力とやらを調べるために話しかけてきたのか?」
死刑人の最後の懺悔ように《俺》は喉に詰まった言葉を搾り出した。《俺》の問いに未梨は歩みをとめ、ゆっくりと身体をこちらに向き直した。
「わたしは――」
世界が白一色に染まった。そうとしか言いようが無いこの状況。しかし、三度目のこの現象だが今回は奇妙な違和感を感じる。気持ち悪くなる浮遊感、それに加え身体が妙にダルい。
白い世界にどこからともなく差し込む眩しい光が、徐々に景色を構成し出している。そこには、見慣れた天井があった。
もしかしなくても、俺の部屋だよな?
地球の重力が二倍になったと疑いたいぐらい重たい身体に鞭を打ち、普段から貯めておいた気合で上体を起こし、首を左右に捻った。俺が寝ていた場所は間違いなくいつものベット。そして間違いなくここは俺の部屋。
夢はもう終わりか?
とりあえず、こういう悪夢から解放されたときにやることはひとつ。俺はベットから立ち上がり、部屋にひとつしかない窓に手を掛け、勢いよく開け放つ。差し込む朝日は、きっと俺だけのために輝いているんだ。
「スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォーッ」
よし、いまので完璧に目が覚めた。なにやら下の住人が俺に向けて嘆かわしい視線を送っているが、それはここが現実である証拠を裏付けてることになる。
……それにしても、あれは一体なんだったんだ? 夢、なのだろうか? いや、そもそも悩むことが間違えているな。もとより夢以外に選択肢がないじゃないか。昨日未梨があんな話を盛り返すから夢に出てきたんだ。そうに決まってる。
――わたしは……あの時、本当にニィの演奏が好きで近づいた。だけど、結果的には騙していることになる……ごめんなさい。
未梨……ね。
あの台詞は俺の妄想が創り出した幻想だろうか? それとも………いや、感傷に浸るのはやめとこう。俺らしくもない。
なにはともあれ俺はこうして無事目覚めたんだ。喜ばしいことだ。それに今日は斉藤と出掛ける予定が入っている。あいつは意外にもめざといやっちゃからな。無駄に勘ぐられるのは好きじゃない。テンション上げ気味でいかなければ。
気合を入れたところに、枕元に放置してある携帯が唸りを上げていた。
発信元斉藤。
『ふと思ったんだが、カントリーマアムっていまのうちに買占めといたほうがいいんだろうな』
「藪から棒に……なんだ?」
『お前が朝弱いって自分で言ったんだろ。俺の熱いモーニングコールしてやったんだよ』
「……ああ、すまんな。起きてるから平気だ」
『よし、いい返事。いつもの仁井哉に間違いないな。ところで、お前は昨日眠れたのか?』
「もう、ぐっすりとな」
夢の世界で彷徨ってはいたが、そんなことを斉藤に説明したところであしらわれるだけだ。それに嘘はついていない。
『俺なんて昨日から一睡もしてないぜ? もう興奮しちまってさ、眠れなくて………だが、気分は最高に「ハイ!」ってやつだアーッ!』
斉藤の性格は段々と把握できてきたような気がする。遠回しに言えば、アホだな。
『それではここでひとつ、お前に問おう。てゆうか答えてくれ。頼むから』
「……なんだ?」
『俺が尊敬する偉大な男は言ったんだ。男が備え持つ召還獣は、どんなに鋭いナイフよりもキレがある、とな。だけどよー、この言葉の良さをわかる奴は、大抵みーんな男なんだ。それでよ、昨日一字一句間違わずにこの台詞を女に言ったわけよ。さて、どうよ。みるみるうちに女の顔は紅しょうがといい勝負ができるほど赤くなってゆき、俺は顔面をグーで殴られた。今でもズキズキするぜ………で、殴られた理由を考えていたんだが、経験豊富な俺でも一向にわかる気がしない。ということで、お前はわかるか?』
「……悪い、急用を思い出した」
電話の向こうで喚く斉藤を構わず、俺は一方的に通話を終わらせた。
別に斉藤のアホ丸出しの質問に答えるのがおっくうになったわけじゃない。冗談抜きで急用を思い出したからだ。斉藤の質問にはあとでゆっくりと答えてやりたいと思う。てゆうか、答えてやらなきゃならん。あいつがあのままの性格で人生を突っ走れば、近い未来に警察にお世話になっているに違いないからな。
現在時刻、九時三十分。十二時までに駅前、ということは、間に合わせるためには十一時までには家を出なきゃならんな。
まあ、イザというときはドタキャンでもなんでもするが、極力約束事は守っていきたい。このポリシーを守るためには、いますぐ行動を起こさなければならないな。
俺はベット下にある引き出しを乱暴に開け、小さな緑色のアタッシュケースを取り出した。このケースに麻雀牌を収容するのがケース本来の用途なのだが、いまではその役割は果たしていない。入っているものは――
――あの日に拾ったナイフだ。
あの日、混乱を通り越して狂乱しそうになっていた俺は、あろうもことかナイフを家にまでお持ち帰りしてしまった。しかも、俺はなにを血迷ったのか、スネークもご調達しそうなナイフを箱に押し詰め、そのままベット下の引き出しに収納したのだ。
もともとこのナイフが誰の物なんてのは、わからなかったし、所有者候補の未梨はなにひとつ尋問してこない。警察に届けるにしても、人間すら三枚に卸せそうなナイフだ。そんなナイフを警察に持っていった日には、すくなくともアフタヌーンぐらいは失うことを約束されることだろう。
しかし、まあ、このナイフは未梨の所有物と見て間違いなさそうだ。改めて見てわかったが、あのときの俺と会話していた未梨は、いつもと違い視線が固定されていなかった。いわえる挙動不審。あんな状況なら誰でもそうなるかも知れないが、感情の欠落が激しい未梨に限り、その行動は現代社会におけるこどもたちがカマキリの腹を突っ突き、肛門から出てくるハリガネムシを観察するキテレツな遊び現場を目撃することぐらい珍しい。
それに、あのチャウ・シンチー顔負けの非現実戦闘中に未梨は腰辺りを探り回していた。あの瞬間ほど未梨が動揺したシーンを俺は知らない。あんな声帯変わったんじゃね的な初々しい声を上げて、一体未梨はなにに驚いたのか。憶測だが、あの時の未梨はナイフを探していたのでは?
うん。夢について真剣に考えてる俺。葉月並に頭悪い。
それにいかんせん。頭痛をもよおしてきた。普段から使わない脳みそをフル活動させた代償だな。もう、考えるのはやめだ。どうせ、俺の前頭葉では知恵という知恵を搾り出したところで真実に辿り着くことはない。なら、最初から考えずに行けよというのは、まあ、正論だろうな。
なにを始めるにせよ、まず未梨に合わなければ今日は始まらん。
いま祈ることはひとつ。
愛沢さんがいませんように、と。
今回のお話。長い上に意味不明ですみません。未梨の発言は読まなくていいです。
そして、前回。一週間以内に更新するといいつつ、ぜんぜん間に合いませんでした。テスト勉強もとい溜まった小説読んでました。すみません。
あと、今回のお話どこかに必ず誤字があると思います。あとで直すつもりでしたが、その場所を忘れてしまいました(笑)。見つけられたら教えていただければ幸いです。
ちょっとだけ余談。
前回の更新からこの日までにライトなノベルを5冊ほど読破しました。わたしにとってはかなりハイペースです。そこで残りの本を意味無く発表。
○界○○物語、4巻
○・ヴィンチコード、上中下巻
○様ゲーム、1巻
○シウタ、1巻
○○天使○クロ○ゃん、2〜4巻
○issing、1〜13巻
はい、泥沼です。
次話はひさしぶりにほのぼのと書かせていただきます。これからもよろしくお願いします。
アリーヴェデルチ。