終わりの予感
再び静寂が訪れた。
広田友樹はあの日のことを思い出していた。思い出していた、という表現の仕方は少しおかしい。広田友樹がそのことを忘れた日など一日たりとも無かったのだから。彼は思い出していたのではなく、その日から逃げるのを止めた。
現実を見つめなければならないのに、薄々気づいていた。気づきたくなかった。
箱の中にいる猫は、箱の中を調べなければ生きている猫と死んでいる猫の二匹が存在する。調べなければ、二匹の猫は存在し続けるのだ。だが箱の中を調べてしまうと、そこには現実しか存在しない。虚実は消え失せ、現実を目の当たりにするしかない。だから広田友樹はあの日という箱から目を背け続けていた。けれどそれももう限界に近づきつつある。
「あのさ、カナちゃん」
「何だよ。……ってか、お前本当に口調がコロコロ変わるなぁ。やりにくくてしょうがねえよ」
「例の話、してもいい? 俺、今どうしても話したい気分なんだ」
田代加那慧は途端にしかめっ面になった。その話はするな、と言葉に出さずとも言っているのが分かる。
「俺さ、いつまでもこのままじゃいけないと思うんだよね。逃げてばかりはいられないし、それに―――。カナちゃん?」
田代加那慧はスタスタと前を歩いて行ってしまう。広田友樹もそれに続いた。
「わざわざ通らなくても良い橋を渡ろうとしているのは分かってるよ。分かってるけどさ、やっぱり放っておく気になれないし。今は大丈夫でも、何十年経ったときにきっと後悔する」
そのとき、前を歩く鼎の歩みが止まった。
「カナちゃん?」
「後悔なんざ、もうしてるだろうが。これ以上どう後悔しろってんだ」
田代加那慧が振り返る。瞳には、もうこれ以上この話をするなという意が込められていた。だが、あえてそれを無視する。
「何を後悔してるわけ? あの日、カナちゃんがしなくちゃいけない後悔なんて一つもないよ。君には一つも後悔することなんてないんだ。……正直に言って。カナちゃんはあの日までの記憶が本当はあまり無いんでしょ?」
「馬鹿言え。ちゃんとあるに決まってる。……あの日、お前が教室に行ったらあいつが死んでたんだろ」
「真実はそれだけじゃないよ、カナちゃん。やっぱり、覚えてないんだね。予想通りだ」
「……?」
「田代加那慧。君は思い出さなくてはいけない」
「何でだよ。別に知らなくても良いことだろ」
「俺が教室に入ったとき、彼女は既に死んでいた。もし仮に殺されたのだとしたら、凶器が必要だろう? 凶器じゃなくて、何らかの毒薬でも良い。だけど現場に凶器なんてなかったし、殺された痕もない。彼女が薬を服用した痕跡もなかったし、持病があったわけでもなかった。自殺の線を疑って警察は様々なことを調べてくれたけど、彼女の死因が何だったのか何一つ分かっていないうちに警察は他の事件に追われ、次第に人員は減り……彼女の死は、迷宮入りとなった」