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過去の出来事
一度だけ、私は彼の家を尋ねたことがある。小さい頃の出来事だったから、あまり鮮明には覚えていないのだけれど、これだけは覚えている。
あれは真夏の時。人通りの少ない場所に建っている、昼間でも薄暗いアパート。その一室に彼は住んでいた。
とても静かなところだった。他の住民は皆外出しているようで、窓は全て締め切ってあったし、駐車場には一台も車が止まっていなかった。私はチャイムを押した。
「どちら様?」
不機嫌そうな声が玄関ごしに聞こえる。
「こ、こんにちは。……遊びに来ちゃった」
私は初めての事にどきどきしながら言う。カチャリ、と鍵が開く音がした。そして彼が出てくる。
「よぉ。俺ン家に来るなんて珍しいじゃんかよ、美月」
彼は優しく笑い、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。……この微笑みが、何気ない仕草が、私を安心させてくれた。