シュレーティンガーの猫2
広田友樹は先に階段を上っていく。田代加那慧よりやや小さい広田友樹も、この時だけは彼より身長が高く見えた。この階段の先にあるのは、『六年三組』。
「あの時あの瞬間までは、俺たちは何も知らなかった。『六年三組』という箱の中で何が起きているのか知らなかった。シュレーディンガーの猫と同じだ。どうなっているか分からなかったからこそ、二つが存在していた。だけど―――」
田代加那慧は広田友樹を睨むように見た。
「……うん。そうだったね、ごめん。もうその話はしないって約束だったもんな」
「ああ。あの時見たものは忘れろ。覚えてたってしょうがないって、お前だって分かってんだろ?」
広田友樹はポケットから教室の鍵を取り出した。鍵穴に差込み、回す。カチャリと音がした。
「お前、いつの間に鍵なんか持って来たよ?」
「職員室に行った時に決まってるじゃないですか。加那慧が学級写真を見ている間に拝借して来たんです」
「拝借って、先生一人もいなかったのか?」
「ええ」
時計を見る。五時三十七分。まだ先生が帰宅するような時間帯ではない。本当に誰もいなかったのだろうか。自分で確認しに行けばいい話だが、いちいち職員室まで戻るのも面倒くさい。友樹は当たり前だろうと言いたげな口調だった。もし仮に先生が誰一人いなかったとしたら、それはおかしいだろうと普通は思うはずだ。どうしてそれを疑問に思わないのかが、鼎には分からなかった。
広田友樹は窓際に行く。夕陽を見て、懐かしそうに目を細めた。気付くと、辺りは薄暗くなっていた。
「友樹。そろそろ鍵を返しに行こうぜ」
「そうだね。あ、いいよ俺が返してくる。加那慧は外で待ってて」
生徒がいない学校はあの賑やかな喧騒がなくて、正直薄気味悪い。ユウレイが化けて出てくるとかは流石に思ってはいないが、違和感があるのは確かだ。
田代加那慧は広田友樹が戻ってくるのを校門のところで待っていた。ふと手洗い場を見た。中学校ではほとんど見かけなくなった如雨露が数多く散乱している。しょうがねえな、と彼は如雨露を片付け始める。どうせ、友樹を待っている間は何もすることがないのだから。