狂気
「君は美月が創りだした、美月の心なんだ」
突拍子もない話を広田友樹は真剣に話している。田代加那慧は呆然とし、そして笑い出しそうになった。
深層心理の具現化? ファンタジーの世界じゃあるまいし、そんな不思議なことが起きるはずがない。ここは魔法なんて一切無い、過酷な世界だ。
「……何だそりゃ。そんな見え透いた嘘つくなんて、お前らしくねえな」
広田友樹はムッとした顔で「嘘じゃありません。本当です」と言った。
「そんな話あるわけねえじゃねーか。俺はあの日、クラスメイトの奴と一緒に教室に行ったんだ。お前にそんな冗談を言う暇なんて無かったんだよ。それに、お前が言う通り、俺が美月の心の具現化した存在だとしてもだ。その『美月の心』ってのはどこに行っちまったんだ? それに、俺には北山美月って奴との共通点がない」
傘に隠れて表情は見えなかったが、広田友樹が妖しくにやりと口角を上げて笑ったのは、見えた。
「シュレーディンガーの猫だよ」
「?」
「中が見えない箱に閉じ込められた一匹の猫がいる。けれど中身が見えないから、その猫が生きているのか死んでいるのか分からない。だから箱の中には生きている猫と、死んでいる猫の二匹が存在する。俺たちが置かれている状況はそれと同じだよ。俺は箱の外にいる人間で、鼎は箱の中に閉じ込められている猫。俺たちを隔てる箱に当たる存在が美月。『箱』が『猫』を閉じ込め、不確かな存在にした。『箱』が蓋を作ったから、箱の中にある不確かな存在は確かな存在へと変わった。だから、確かな存在のカナちゃんを俺が見ることができるのは至極当然なこと」
そこで一旦、広田友樹は言葉を切った。
「美月の死がきっかけで、『箱』の蓋は創られた。……蓋が創られれば中身を覗くことができる。中を覗いてしまえば、片方の『猫』の存在は消えてしまう。つまり、片方の猫が持っていただろう記憶は消滅してしまう。だからカナちゃんはあの日までのことを鮮明に覚えていない」
他に何か質問は? というように、広田友樹は田代加那慧を見たけれど、当の田代加那慧は唖然としていて質問をするどころではなかった。とても信じられるような話ではなかった。そのため田代加那慧は、広田友樹はあの日を境に、どこか狂ってしまったのではないかと思った。
「そン時の記憶が無いってんなら、反論のしようがねえな。……けどよ、それが何だってんだよ。俺は俺だ。お前が言う、美月の心が具現化したそいつが俺だったとしても、今の俺に繋がらないのなら、そいつは俺じゃない。……お前は何が言いたいんだ? 何を期待してやがる」