14.灰日
七月十二日。時刻は十時。
時節は夏、彫りの深い雲の泳ぐ蒼く広がっているはずの空には、一面を覆う厚い雲がかかっていた。ほのかに見える隙間から漏れた陽光が田園に差し込んでいる。雨は降らないとの予報だったが、如何なものか。
一足先に荷解きに入ろうかという時、リビングの方から兎と廻琉の話す声が聞こえてきた。
「本当にこれで全部か?合ってるか?」
「うん!全部、だよ!」
どうやら廻琉の荷物も届いたらしい。
「……手伝うか」
手に取ったばかりのカッターと手袋を置いて、リビングへと足を運ぶ。長い廊下は昼前だというのに薄暗い。襖の脇のスイッチを押すと、ぱちりという軽い音に続いて壁際から仄かに明るくなる。一段、一段と階段をおりていた時、後ろから騒がしい足音と共に碧の声が近付いてきた。
「荷解きサクッと終わらせちゃおうねぇ〜っ!」
後ろから駆け下りてきた碧は勢いそのまま私に飛びかかり、力いっぱいに抱きしめてきたかと思えばそのまま浴室の方へと駆けて消えていった。
しばらくして、扉の向こうから水の音が聞こえてきた。朝風呂だろうか。
良いかも、私も入ろうかな。なんて、一人暮らしの時はとてもじゃないがそんな事は考えられなかった。が、兎曰く「水道代光熱費は気にするな」との事だし、少しだけ甘えてみるのもいいかもしれない。
少しずつこの暮らしにも慣れていこう。そう思いながらリビングへと歩を進めた。
***
「いいかお前ら。こういう時はな、まずは大きいやつから手を付けんのが定石だ」
「Yes, sir!」
「いえっ………発音うまっ!」
異様なほど少なかった廻琉の荷解きを早々に済ませた三人は私の荷解きに取り掛かっていた。
「凪乃の荷物も少ないねぇ!」
「廻琉ほどじゃねーけどな、なんだよダンボール二個て。凪乃のと混ざって早く来ちまってたじゃねーか」
「えへへ、いやホラ。……ね!?」
なにが「ね?」なのかわからない。
すっかり私の部屋となった和室に運び込んだ荷物の山を開封しては畳の上に広げていく。
教科書に参考書に論文集、着替え、貸与品のデバイス等々が詰め込まれたダンボール。そこから少し離れたところにいちばん小さい箱が一つ。
三人手伝って貰って作業に終わりが見えた頃、ふっと一息つく。妙に遠くに感じる広縁に備付けの本棚、押入れと、ぐるりと部屋を見渡してみる。
「………このくらいでいいよ。あと一個だけだし、これくらいなら一人でできるからさ。皆ありがとね」
残すところあと一つとなった箱に目を見遣る。中身は大切なアルバム、五歳までの私の。
「おう、足りないもんあったら言えよ」
「じゃっ!わたし買い出し行ってくるねぇ!今日はご馳走だよぉ!」
「あっ!わたしも!ちょっと出掛けてくる、ね!!」
騒がしい背中を見送り、部屋に静寂が訪れる。さっきまでの賑やかさがまるで嘘みたいだった。
「……ん、しょっと」
残された箱を抱える。埃を払って、テープで閉じたまま。不思議と、今までも開けた事はなかった。ずっと押入れの中にしまい込んでいた。今日からも開けないままでいようと、そう決めていた。
静かに押入れの奥にしまい込む。なにも乗せず、なににも乗せず、形は綺麗なままに。それでも、隠すように。隠れるように。見えないように。下段の奥のさらに奥へと。そっとしまい込んで、襖を閉じる。
襖同士が小さく音を立てた時、広縁の大窓から陽が差し込んできた。ちょうど足元の畳が陽を反射して、少しだけ目を細めてしまう。
鈍色の幕が拓けて太陽が顔を覗かせ始める。
今日から始まる四人の生活。
戻らない三人の生活、帰らない二人。
事故、事件。私も。……なにも。
「………わからない」
『昏』まで、あと一日。
***
午前五時。
同日に『昏』を迎える空は、蒼を遮る雲を流している。遥か蒼穹、見下ろすように鎮座する煌々たる太陽に照らされて、鹿々桜の街が動き出す。『昏』の訪れに浮かれる人々の声が、『世杖』を通して脳へと届く。
『落涙』、『白閃』、『地影』。ひいては界桜樹を始めとする世界樹の数々を括る"異常"。
その一つ、『昏』。無害が故、そしてその神秘性から鹿々桜の文化として受け入れられた異常の来訪を、この街は望んでいる。
違和感を抱くこともなく。数多の異常にすらもだ。
「……気味の悪い」
抱く嫌悪は人々にではなく、この世界に。
継ぐ記憶は僕の意思に応えない。僕の護るべくは世界ではなく、愛すべくは後世に継ぐ意思にあるのだから。
「羽々斬に言えた身ではないな」
自嘲気味に、『世杖』越しに見上げた空はいつになく雲足が早い。まるで無理矢理時計の針を進めているかのように、不自然な程に流れて消えていく。
『予兆』である。
「先に九十五回、継いで四回」
狭い部屋で独り言が小さく響いていた。
手にした『世杖』を机に立て掛けて硬い座面へと腰を下ろす。
「此度も、恙無く」
六年に一度訪れる、空の刻を止める二ヶ月間の宴。
一寸先も朧む夕の刻、黄昏時。
暮れない夕焼け、明けない宵闇。常の黄昏。
曰く、『昏』。
「と、そう言えるならば……結構なのだが」
直に空は止み、
────『昏』が訪れる。




