第四話:惚れた弱み
塞ぎ込んでいた王女に笑顔が戻ったのはいいことだ。
ただ、この婚約に納得していないらしい彼女は毎朝、一方的な婚約破棄を突きつけてくる。特別講師から魔法兵団長という最高責任者になったアランは、慣れない仕事に追われ、王女とティータイムをする時間も作れなくなってしまった。
翌朝、王城の庭で日課のジョギングに勤しんでいると、柱の陰からタオルを勢いよく差し出された。白魚のような手の主を見やれば、頬を赤らめた王女だった。
「ありがとうございます、王女様」
「汗は早く拭かないと風邪になるとメイドが言っていたわ。それより、あなたとの婚約の話なのだけど、白紙にしましょう。よろしくて?」
アランはタオルで額や首筋に浮かぶ汗を拭き、柔らかく目を細めた。
「残念ながら承諾はできませんね。……王女様が勇者に惹かれていたことは存じております。見目麗しい勇者と比べて、俺はパッとしない容姿ですし、あなたが落胆されるのも無理はありません。ですが、一度決めた婚約を簡単に取り下げれば、王女様の評判にも悪影響があるかと」
「ふ、ふん。言ってみただけよ。アランも今日のお勤め、せいぜい励みなさい」
「仰せのままに」
早歩きで回廊を戻っていくドレス姿を見送り、アランは前髪をかき上げた。
(まったく脈がないってわけじゃないんだろうけど、むしろ、会話や仕草から好意が滲み出ているぐらいだけど。……他の男に振られたのに、ずっと慰めてきた相手がいきなり婚約者になったら、そりゃ複雑だよな。素直に認めたくない気持ちもわからなくないし)
だが、ずっとこのままというわけにもいかない。
とはいえ、思春期の王女への対応を間違えると、だいぶ厄介なことになる。大事にしたい相手だからこそ、慎重にならざるを得なかった。
◆◆◆
「アラン・九条=フェルヴェイン! あなたとの婚約は破棄させてもらうわ」
小鳥の歌声を効果音に、王女がバッと片手を突き出す。
その強い口調は、さながら臣下に命令する悪の女王のようだ。しかし、この光景を見慣れているアランにとって、今さら驚きやショックはない。
「王国一の可憐な花である王女様におかれましては、ご機嫌麗しく……」
「白々しい挨拶は不要よ」
「……王女様の望みはできるだけ叶えたいと思っていますが、その願いだけは聞き入れることはできません。うちの勇者が王女様を振っちゃって、本当にすみません」
「〜〜その話を掘り返さないで! 不敬よ!」
「申し訳ございません」
しおらしく謝ると、「ふん!」と王女がそっぽを向く。
(ああ。こんな姿も可愛いと思ってしまうなんて、恋って恐ろしいな……)
アランは王女とティータイムを重ねるうち、健気な彼女に惹かれていった。一目惚れのような電撃的な恋ではなく、ゆっくりと静かに育む恋だった。
そもそも、好きになる予定のなかった相手だ。
好みのタイプでもない。身分も違うし、彼女は勇者に恋をしていた。恋愛対象外だった存在が気になりだしたのは、気晴らしに散歩に連れ出したときだろうか。
王女の一番のお気に入りである空中庭園を訪れるのは、人間ばかりではない。
空から来るのは色鮮やかな鳥たち。
王女は鳥の名前をすべて言い当てた。「博識ですね」と褒めたら、「わたくしは籠の中の鳥だから、自由な彼らがうらやましいのよ」と微笑んだ。
アランは衝撃を受けた。
見惚れるほどの美しい笑みなのに、どこか儚げで。
そのときから目が離せなくなった。気づけば、彼女の姿を目で追っている自分がいた。
(きっと、これが惚れた弱みってやつなんだろう)
王女は美しいドレスや宝飾品で着飾り、一見、何の不自由もないように見える。
だが実際は、外の世界に行きたくても行けないのだ。常に専属メイドや護衛騎士に見張られ、自由気ままに過ごすことすら叶わない。鳥籠に喩えた彼女の心境を慮ると、苦々しい思いが募る。
図鑑を読み込んで名前を覚えるほど、青空を翔る姿に憧れる王女を自由にさせてあげたい。そう思ったとき、唐突にこれは恋だと自覚した。
(勇者に張り合って、ジョギングなんか始めて……くそダサいな俺。もともと筋肉がつきにくい体なのにさ。どんなに頑張ったって、勇者になんてなれないのに)
アランは魔法使いだ。魔法に関してなら、誰にも負けない自負もある。
しかし、人は恋をすると臆病になるものらしい。
ありのままの自分では受け入れてもらえないのではないか、と今までは気にもしなかったことが気になり出す。少しでも相手によく思ってほしくて、身なりに気を配り、相手の一挙一動を注意深く観察する。その結果はというと──
(……どう考えても嫌われてはいないんだよな。なんで毎回、婚約破棄の言葉を突きつけてくるかは謎だけど)
そもそも、難解な乙女心を理解できるはずがなかった。
アランはため息をつく代わりに、にこりと笑みを浮かべる。
「王女様。もしや、俺の心をお疑いでしょうか?」
「…………」
「俺の心を占める女性はあなただけですよ」
普通なら、こんな恥ずかしい台詞は死んでも吐かない。
しかしながら、今は彼女との未来がかかっている。万が一にも、この婚約が破談になってしまえば、死んでも死に切れない。恥も外聞も捨ててしまえ。
恋人に囁くように甘い声で返したはずなのに、王女はきっと眉をつり上げた。
「お黙りなさい! この期に及んで、下手な言い訳なんて見苦しくってよ」
「……困りましたね。嘘偽りない本心なのですが。俺の言葉は信用に足りませんか?」
「当たり前でしょう。だって、あなたってばすごくモテるもの! わたくし、知っているのよ。こないだの夜会もファライア公爵令嬢に迫られていたでしょう。あんな胸が大きいだけの女に……っ」
「王女様。本音がそのまま口から出てしまっています」
思わず苦言を呈すると、王女は持っていた扇をきつく握った。彼女の憤りを表すように、ミシミシと音がする。
「出しているのよ……っ! どうせ、どうせ……男なんて皆、胸が小さい女には興味がないのよ! どうしてよ。お母様はふくよかな胸をお持ちだったのに! 絶対おかしいわ」
「元気を出してください。まだ希望はありますよ」
「どこに希望があるというの。努力でどうにかできていたら、こんな苦労していないわよ」
「…………」
「あなた、沈黙は肯定だと習わなかったの?」
「……いやぁ、今は何を言っても逆鱗に触れそうで……」
「こ……っ、こんな失礼な男が婚約者だなんて! わたくしは認めない。断固拒否よ。わたくしの夫に到底ふさわしくありませんわ……ッ」
王女は涙を流しながら駆け出してしまった。
どこぞのヒロインのような、鮮やかな退場シーンである。一人残されたアランは後頭部に手を当て、ため息をついた。
(逃げられるとつい追いかけたくなるが、嫌がる王女を俺が追いかけ回しているように見えるのはマズいよな……)
婚姻前の女性に無理やり迫ったという悪評が立てば、下手したら冷たい牢獄行きになる。よくない噂ほど、すぐに広まる。こういうときほど、慎重にならねば。
王女の心を推し量るのは、どんな入試の難問よりも難しい。





