第一話:俺は婚約者にふさわしくないようです
「いたわね、アラン! 昨日も夜更けまで新人の魔法指導に付き合ってあげたそうじゃない。面倒見がいいことは何よりだけど、自分の体を労ることもできない男なんて、わたくしの婚約者にはふさわしくないわ。よって、ここに婚約破棄を宣言するわ!」
癖ひとつないプラチナブロンドを背中に流し、専属メイドと護衛騎士を引き連れた状態で、蝶よ花よと育てられた王女が高らかに言い放つ。
彼女は白孔雀の羽扇を開き、形のよい薄桃色の唇を隠すと、長い睫毛に縁取られたアクアマリンの瞳をすっと細めた。勝利を確信したような眼差しだ。
普通の男ならば狼狽するか赤面するかの場面だが、勇者とともに魔王を倒したアランは穏やかな笑みを浮かべた。
「おはようございます、王女様。毎回お伝えしておりますが、この結婚はあなたのお父上──国王陛下からの命令です。王女様の一存で婚約は解消できませんよ」
「わ、わかっているわ。……あと、おはよう」
「ええ。今日もいい天気ですね」
以上の流れが、毎朝のアランと王女の会話である。
王女の後ろに控えていたメイドと騎士たちが、ほっと息をつくまでがセットだ。
◆◆◆
アランが勇者とともに異世界召喚されたのは、一年半前のことだ。
父はアランが生まれる前に交通事故に巻き込まれ、母は産後の肥立ちが悪く、ある朝、眠るようにこの世を去った。元から体が弱かったらしい。残されたアランは母方の祖父母に育てられた。
アランという名前は、妊娠が判明したときに父と母が決めていたと聞かされた。ちなみに、フルネームはアラン・九条=フェルヴェインという。
赤銅色の髪に灰色の瞳という見た目のため、日本生まれの日本育ちなのに、外国人から道を聞かれることが圧倒的に多い。ハーフの宿命だろう。両親は恋愛結婚だったそうだから、今さら文句は言うまい。
学費の負担を少しでも減らすべく勉学に励み、特待生を維持し続けて大学を卒業したアランは、新社会人の仲間入りを果たした。バイトを掛け持ちしていた経験が多少は役に立ったが、バイトと正社員は責任の重さが違う。
先輩や上司にこき使われながら社会の厳しさに耐えつつ、若さを武器に気力で乗り切るしかなかった。そんなある日、祖父の持病が悪化し、そのまま息を引き取った。祖母は後を追うように亡くなった。
二人の葬儀を終えたアランは、とうとう天涯孤独の身になった。
だが、感傷に浸る時間はなかった。生きるためにはお金を稼がなくてはならない。
彼らが残してくれた一軒家を守りながら、アランは社会人二年目もあくせく働いていた。なんとか終電に乗り込み、ふらふらと最寄り駅からコンビニに向かう途中、外灯がチカチカと点滅していた。寝不足ゆえか、目がくらみそうになったとき、異変は起きた。
「なんだ……!?」
知らない声に振り返れば、先ほどすれ違ったジョギング中の男だった。
三十代にしては若い。二十代後半ぐらいだろうか。凜々しい顔つきに短髪。肩幅もあり、背も高い。腕相撲で勝負すれば、向こうが圧勝だろう。
男はドンドンッ! と見えない壁を叩いている。アランもおそるおそる手を伸ばしてみた。記憶が確かならば塞ぐものは何もないはずなのに、目の前に壁のようなものがある。
ぽよんと柔らかい弾力はスライムのようで、頭の中が疑問符でいっぱいになる。
首を傾げていると、不意に浮遊感に見舞われ──次に目を開けたときは謁見の間にいた。玉座には王冠を被った国王が悠々と座っており、身長ほどの長い杖を持った魔法使いの集団、その後ろには身なりの整った貴族と騎士たちがいた。
ローブを深く被った魔法使いの説明によると、不運にもアランは勇者召喚の儀式に巻き込まれただけらしい。元の世界に返す方法はなく、滅びゆく運命にある世界を救ってほしいと涙ながらに訴えられ、勇者とアランは急かされるまま旅支度することになった。
幸か不幸か、アランには魔法使いの適性があった。
荒くれ者を一発で伸す陽気な格闘家、治癒魔法のスペシャリストの神官を仲間に迎え、アランたちは各地を旅した。寡黙な勇者はいつも難しい顔をしていたが、攻撃力と守備力は群を抜いており、さすが世界に選ばれた人物だと納得した。
何を考えているかわからないという欠点はあるが、仲間のピンチには誰よりも早く駆けつけ、敵を屠る様は鬼神のごときであった。頼もしい背中に信頼感は増し、仲間との連携もスムーズになっていった。皆が静まる夜中、勇者が一人抜け出す夜もあったが、いつも翌朝はちゃんと宿屋に帰ってきていた。
だから、油断していたのかもしれない。
アランたちは誰一人欠けることなく、魔王を討ち果たし、王城に戻ってきた。
祝いの宴が開催され、国王から勇者への褒美に王女との婚姻話が出るのも当然の流れだった。彼はきっと断らないだろう、とその場にいる誰もが思っていた。
しかし、勇者は「すでに妻がいますので」と丁重に辞退した。国王はぽかんと口を開けたまま硬直し、その横に座っていた王女は大粒の涙を浮かべていた。
彼が妻帯者だったなんて、一年も旅をしてきた仲間の誰一人知らなかった。もちろん、大臣や騎士にとっても寝耳に水だ。
勇者は言うだけ言うと颯爽とマントを翻して退室し、謁見の間は大混乱に陥った。
(……夜中にたびたび抜け出していたのは、旅の疲れを発散させるためではなく、元の世界に戻る手段を探すためだったのか……)
真面目な彼のことだ。諦めず、地道に聞き込みをしていたに違いない。
(俺はバカだな。誰よりも勇者らしい彼に、いつしか自分の幻想を押しつけていた。彼ならば、これからも困っている人たちを助けていくのだと決め付けて……。元は、同じ一般人だったのに)
今すぐ元の世界に帰りたかっただろうに、世界の危機だと訴えられて、勇者は一体どれだけ葛藤しただろう。期待通りに魔王を倒してみせた彼をこれ以上、引き留めるわけにはいかない。
アランが自分に言い聞かせている間に、王女が赤い絨毯の上でぺたりと座り込み、はらはらと涙をこぼしていた。
「どう、して……? わたくしは勇者様の妻にはなれないの?」
「……王女様」
悲しみに暮れる王女は、勇者に恋心を抱いていたのだろう。
その気持ちはわかる。さらさらの黒髪、精悍な顔つき、引き締まった体。
背筋はピンと伸び、モデルと言われても納得の堂々とした立ち姿。時折見せるアンニュイな表情は、同性ながら何度ドキリとさせられたことか。
周囲に目を配っていなければ、とっさに仲間をかばうことなどできない。口数こそ少ないが、彼は仲間思いの優しい男なのだ。もしパーティーに複数の女性がいれば、勇者をめぐった泥沼の昼ドラが始まっていたに違いない。男所帯でよかった。心からそう思う。
(寡黙な年上の男が醸し出す色気は……いろんな意味で危ない)
平社員のアランと違い、勇者はエリート街道まっしぐらの男だ。
そういうオーラが出ていた。
彼は着目点が違っていた。噂に惑わされず、黙々とダンジョンの詳細マップを書き込み、何度トラップで閉じ込められても、冷静に脱出ルートを見つけ出していた。アランは何度心が折れたかわからない。
本人に確認したことはないが、大企業に勤める営業マンだったのではと推測している。
(現地で女を誑かしていた素振りはなかったから……おそらく、彼の妻は元の世界にいるんだろうけど。まったく罪作りな男だよ)
アランが王女の前で片膝をつくと、精霊のローブの裾を王女がつかんだ。
「あなたは知っていたの……?」
「いいえ。彼は自分のことを一切話しませんでしたので」
「……そう……」
勇者が自分の伴侶について、数々の死闘をくぐり抜けた仲間にさえ明かさなかったのは、同情されるのがわかっていたからだろう。彼は背中で語る男なのだ。
その後、王女はアランのローブをつかんだまま、幼子のように泣き続けた。国王や大臣がなだめすかしても、まったく意味がなかった。





