粉砕を知る
軍の訓練場には、乾いた音が満ちていた。
剣と剣が打ち合わされ、足運びと呼吸だけが世界を形作る。
王子は将軍と向かい合い、無駄のない動きで刃を振るう。
年若いながら、その剣筋には迷いがなかった。
やがて合図がかかり、休憩となる。
汗を拭い水を口に含んだ王子のもとへ、将軍が歩み寄った。
「殿下」
低い声で、将軍は言う。
「女官長の日記を、読んだそうだな」
王子は一瞬だけ視線を逸らし、苦笑した。
「……ええ。偶然ですが」
少し間を置き、それから。
胸に引っかかっていた言葉を吐き出す。
「将軍。実は――あの日記で、一番衝撃だったことがあります」
将軍は急かさない。
ただ、王子の言葉を待った。
「陛下が……父上が」
王子は剣の柄を見つめながら言う。
「母上に初めて会ったその日に “世継ぎの王子を産むまでは、王妃を名乗れない”という制度を――壊した、と」
将軍は小さく鼻で息を吐いた。
「読んだか」
「……正直、理解できませんでした」
王子は率直だった。
「会ったその日にすぐさま制度を壊す。普通じゃないでしょう」
将軍は少しだけ笑った。
戦場でも滅多に見せない、やわらかな笑みだった。
「その通りだ。普通じゃない」
そして、真っ直ぐに王子を見る。
「だがな、殿下。その“普通じゃない”選択をした男はその後――愛おしくて不器用な日々を、もう二十年近く続けている」
王子は言葉を失った。
政治を裁く姿、剣を振るう姿、家族を前にしたときの、沈黙。
それらが一気に繋がる。
「制度は人を守るためにある。だが、人を縛るなら――壊されることもある」
将軍の声は重く、しかし誇らしげだった。
「宰相は頭を抱えた。それでも我々は、その背中を見て決めたんだ――この王に従おう、と」
王子は、ふと気づく。
女官長の日記に記されていたのは、甘さや困惑だけではない。
その裏側には、剣を取り、声を上げ、踏みとどまり続けた人々がいた。
(……俺は)
王子は、自分の手を見る。
守られてきた。
両親だけでなく、将軍も、宰相も、名もなき兵たちも。
(王位継承者として――俺は、何を返せる)
答えは、まだ形にならない。
だが考え続けることだけは、決めた。
休憩の終わりを告げる合図が鳴る。
「行くぞ、殿下」
将軍の声に王子は顔を上げ、はっきりと頷いた。
「はい」
訓練場の端で紫銀の瞳をした黒猫が、静かにこちらを見つめていた。
まるで、すべてを知っているかのように。
剣が再び交わる音が、空に響く。
砕かれた制度の先に続く道を、王子は今。
歩き始めていた。




