表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/51

春に訪れる君 ―蕾―

王城に本格的な冬が訪れると、時は毎年のように慌ただしく流れていった。


雪への備え、年越しの儀、軍の再編、諸侯からの年始の挨拶。

王子にとっても、新年とは“気づけば過ぎているもの”だった。


――その冬が、終わった。


王都に吹く風はまだ冷たい。

だが硬さの奥に、確かに別の匂いが混じり始めていた。


花の、気配。


その頃には王子と将軍の娘は、何度となく手紙を交わしていた。

派手な言葉はない。


領地の近況、天候、弟の成長、軍での出来事――

それでも王子は、一通一通を指先でなぞるように読み返した。


そしてある日届いた手紙には、こう記されていた。


《もう少し暖かくなったら母とともに、王都へ参ります。弟が、軍の師弟訓練を受けることになりました》


王子はその一文を読み終えたあと、しばらく動けなかった。


――来る。


それは当然のことのはずだった。

軍高官の子息が訓練を受ける。母と姉が付き添う。

何一つ、不自然ではない。


それでも胸の奥が、ひっそりと騒いだ。


「……春、か」


誰に聞かせるでもなく呟いて、王子は窓を開けた。

まだ冷たい風が頬を撫でる。

けれど確かに、冬のものではなかった。



数週間後。

将軍夫人と、二人の子たちが王城にやってきた。


王妃は将軍夫人を見つけるなり、心から嬉しそうに微笑みその手を取った。


「まあ……!」

「お久しゅうございます、王妃陛下……変わらずお美しく」


二人は自然に言葉を交わし、互いの無事を確かめ合う。

その様子を見て、王子は少し距離を取った。


「では」


王妃が、ふとこちらを見る。


「王子」

「ご令嬢のことは、あなたにお任せいたしますね」


一瞬、視線が合う。

それだけで、言外のすべてが伝わってきた。


「……承知しました」


将軍の娘は少しだけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに一礼した。



庭園は、冬の名残をまだ留めていた。

だが枝先には――確かな変化がある。


「こちらです」


王子は歩調を合わせながら言った。


「冬の間は、どうでしたか」

「例年より雪が多く……弟は、それでも訓練に出たがって、母に叱られておりました」

「想像できる」


王子は苦笑する。


「でも……手紙を書く時間は、増えました」


将軍の娘が、そう付け加えた。


「……そうだね」


王子は、一瞬言葉を探し、それから素直に答えた。


「俺もだ」


二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。


「実は……」


王子は、少しだけ声を低くした。


「見せたいものがあって」


庭園の奥、石畳を抜けた先。

そこには一本の若木があった。


「極東の神国から分け与えられた桜なんだ。まだ蕾だけど……」


そのときだった。


将軍の娘が、わずかに足を取られた。


「――っ」


石畳の段差。

小さな躓き。


王子は、ほとんど考えずに手を伸ばしていた。


「危ない…っ」


その身を支え、引き寄せる。彼女の体重が、確かに腕の中にあった。


「……申し訳ありません」

「いや、俺が……」


言葉が、途中で途切れる。


近い――思っていた以上に。


春の気配をまとった髪の匂い。少し早くなった互いの呼吸。


王子は、ゆっくりと手を離した。


「……怪我は?」

「大丈夫です」


けれど彼女は、ほんのり頬を染めていた。


二人の視線が、自然と桜の木へ向く。


「まだ、咲いていませんね」

「……ああ」


王子は、静かに言った。


「でも――もうすぐだ」


風が吹く。蕾が、わずかに揺れた。


「――春に、君が来てくれて」


王子は勇気を出して、続けた。


「俺は……嬉しいよ」


将軍の娘は、少し驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。


「……私もです」


まだ花は咲いていない。

けれど確かに、始まりの季節は、ここにあった。


春は、もうすぐ――すぐそこまで来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ