春に訪れる君 ―蕾―
王城に本格的な冬が訪れると、時は毎年のように慌ただしく流れていった。
雪への備え、年越しの儀、軍の再編、諸侯からの年始の挨拶。
王子にとっても、新年とは“気づけば過ぎているもの”だった。
――その冬が、終わった。
王都に吹く風はまだ冷たい。
だが硬さの奥に、確かに別の匂いが混じり始めていた。
花の、気配。
その頃には王子と将軍の娘は、何度となく手紙を交わしていた。
派手な言葉はない。
領地の近況、天候、弟の成長、軍での出来事――
それでも王子は、一通一通を指先でなぞるように読み返した。
そしてある日届いた手紙には、こう記されていた。
《もう少し暖かくなったら母とともに、王都へ参ります。弟が、軍の師弟訓練を受けることになりました》
王子はその一文を読み終えたあと、しばらく動けなかった。
――来る。
それは当然のことのはずだった。
軍高官の子息が訓練を受ける。母と姉が付き添う。
何一つ、不自然ではない。
それでも胸の奥が、ひっそりと騒いだ。
「……春、か」
誰に聞かせるでもなく呟いて、王子は窓を開けた。
まだ冷たい風が頬を撫でる。
けれど確かに、冬のものではなかった。
*
数週間後。
将軍夫人と、二人の子たちが王城にやってきた。
王妃は将軍夫人を見つけるなり、心から嬉しそうに微笑みその手を取った。
「まあ……!」
「お久しゅうございます、王妃陛下……変わらずお美しく」
二人は自然に言葉を交わし、互いの無事を確かめ合う。
その様子を見て、王子は少し距離を取った。
「では」
王妃が、ふとこちらを見る。
「王子」
「ご令嬢のことは、あなたにお任せいたしますね」
一瞬、視線が合う。
それだけで、言外のすべてが伝わってきた。
「……承知しました」
将軍の娘は少しだけ驚いたように目を瞬かせ、すぐに一礼した。
*
庭園は、冬の名残をまだ留めていた。
だが枝先には――確かな変化がある。
「こちらです」
王子は歩調を合わせながら言った。
「冬の間は、どうでしたか」
「例年より雪が多く……弟は、それでも訓練に出たがって、母に叱られておりました」
「想像できる」
王子は苦笑する。
「でも……手紙を書く時間は、増えました」
将軍の娘が、そう付け加えた。
「……そうだね」
王子は、一瞬言葉を探し、それから素直に答えた。
「俺もだ」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
「実は……」
王子は、少しだけ声を低くした。
「見せたいものがあって」
庭園の奥、石畳を抜けた先。
そこには一本の若木があった。
「極東の神国から分け与えられた桜なんだ。まだ蕾だけど……」
そのときだった。
将軍の娘が、わずかに足を取られた。
「――っ」
石畳の段差。
小さな躓き。
王子は、ほとんど考えずに手を伸ばしていた。
「危ない…っ」
その身を支え、引き寄せる。彼女の体重が、確かに腕の中にあった。
「……申し訳ありません」
「いや、俺が……」
言葉が、途中で途切れる。
近い――思っていた以上に。
春の気配をまとった髪の匂い。少し早くなった互いの呼吸。
王子は、ゆっくりと手を離した。
「……怪我は?」
「大丈夫です」
けれど彼女は、ほんのり頬を染めていた。
二人の視線が、自然と桜の木へ向く。
「まだ、咲いていませんね」
「……ああ」
王子は、静かに言った。
「でも――もうすぐだ」
風が吹く。蕾が、わずかに揺れた。
「――春に、君が来てくれて」
王子は勇気を出して、続けた。
「俺は……嬉しいよ」
将軍の娘は、少し驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。
「……私もです」
まだ花は咲いていない。
けれど確かに、始まりの季節は、ここにあった。
春は、もうすぐ――すぐそこまで来ていた。




