緑を使う者
温室は、いつもより静かだった。
そして今日は珍しくその奥で、初老の庭師が黙々と枝を剪定していた。
ぱちん。
ぱちん。
規則正しいその音は、ここが“安全な場所”であるということを、無言のうちに保証している。
王子と王女はいつもの席で向かい合い、いつものように紅茶を口にしていた。
だが――
王子は、どこか落ち着かなかった。
カップを置き視線を彷徨わせてから、不意に切り出す。
「なあ……聞きたいことあるんだけど」
王女は、眉一つ動かさずに微笑む。
「何でございましょう?」
「……お前さ」
一瞬、言葉を探すように間が空く。
「使ってるよな」
王女は、ゆっくり瞬きをした。
「……はい?」
「いや、使ってないと絶対おかしいんだって」
王子は身を乗り出すでもなく、むしろ力を抜いたまま、ぽつりと続ける。
「だから、どこの筋から聞いたか分かんない話を、なんでそんなに知ってんのかって――」
王女は穏やかに首を傾げる。
「何が、でございますか?」
王子は溜め息混じりに言った。
「陰……使ってるだろ。緑守」
その瞬間。
ぱちん。
剪定鋏の音が、ほんのわずかに、狂った。
ほんの一拍。
気にしなければ気づかないほどの、乱れ。
王女はそれを見逃さない。
けれど、視線を向けることもしない。
「あら――そんなことですか」
声音も変わらない。
「何か問題でも?」
王子は、思わず額に手を当てた。
「マジかよ……やっぱりか」
王女は紅茶を一口含み、ゆっくりと喉を潤してから答える。
「王女の務めにございますから」
その言葉は、言い訳でも誇示でもない。
事実を、そのまま置いただけだった。
王子はしばらく黙り込む。
それから、ふと思い出したように言った。
「……母上は、存在自体、知らないよな」
王女は、一瞬だけ視線を伏せる。
「ご存知ないというより……」
少し間を置き、言葉を選ぶ。
「お父さまが、お知らせにならないと思いますわ」
「だよなあ」
王子は苦笑する。
「あの人、裏の力とか使わない質だろうし――何より表立って守られてるし」
王女は、静かに首を振った。
「お兄さまは――相変わらず、理解が浅くいらっしゃいますわね」
王子が、顔を上げる。
「お母さまは――守られていると思われがちですが」
一瞬、言葉を区切り。
「誰よりも、守っていらっしゃる方ですから」
その言葉に。
庭師の背中が、ほんのわずかに緩んだ。
ぱちん。
ぱちん。
剪定の音は、再び正確な間隔に戻る。
王女は何事もなかったように微笑み、ふと王子の方を見た。
「そうですわ……私の陰は“菫”ですので――以後、よろしくお願いいたしますね?」
王子は目を見開いた。
「……マジで使ってんのな……」
王女はただ微笑むだけだった。
温室には再び、穏やかな時間が流れる。
光。
緑。
紅茶の香り。
そして目に見えない気配が、今日も確かに――
二人を、そしてこの場所を守っていた。




