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予感が本物になる日

次の地方視察地を告げられたとき。

王子は一瞬、思考を止めた。


「……辺境伯領?」


魔王国は、守りを以て立つ国である。


――地底に眠る魔力を鎮める――という特異性ゆえに。


その防衛の要。

王都から一番近い、北方の盾。

そして、将軍の兄が治める土地。


脳裏に、即座に浮かぶ顔がある。


(……ああ、そうだ)


将軍の娘。

あの短い挨拶だけで、記憶に残ってしまった少女。


(これはもう、逃げ道がないな)


王子は資料に目を落としたまま、小さく息を吐いた。


そんな彼の内心を知ってか知らずか。


王子の執務室を訪れた王妃は、いつもと変わらぬやわらかな笑みで言った。


「ちょうどよかったです」

「……何がです?」

「辺境伯夫人と将軍夫人に。こちらをお渡しいただけますか?」


差し出されたのは丁寧に封をされた手紙と、いくつかの贈り物。


「それから……」

「ご令嬢にも。くれぐれも、よろしくお伝えくださいね」


王子は一瞬、視線を逸らした。


(……母上)

(絶対、分かっててやってるだろ)


だが断れるはずもなく、王子は静かに頷いた。


「……承りました」


内心で覚悟を決めながら。



辺境伯領は、空気が違った。


城壁は分厚く、兵の動きは無駄がない。

この地が“最前線”であることを、否応なく実感させる。


到着した王子一行を迎えたのは、辺境伯夫妻。

そして――その少し後ろに控える、将軍夫人と娘、息子だった。


「遠路お疲れさまでございます、王子殿下」


将軍夫人は、穏やかに礼をする。


その隣で娘もまた、完璧な所作で頭を下げた。


「お久しぶりにございます」


その声を聞いた瞬間、王子の胸がわずかに跳ねた。


(……ああ)

(やっぱり、覚えてた)


ただの挨拶。それだけなのに、なぜか心がざわつく。


形式ばった歓迎の後。

辺境伯の提案で、領内の案内役を将軍の娘が務めることになった。


「……よろしいのですか?」


王子が尋ねると、辺境伯は豪快に笑った。

その笑い方は、将軍とよく似ていた。


「この地のことなら、この子が一番よく知っております」


将軍夫人も、静かに頷いた。

逃げ道は、完全に塞がれた。



馬で巡る領地は、広く、厳しく、そして美しかった。


「こちらは見張り塔です。夜間は、交代で火を絶やしません」


娘は淡々と説明する。

だが、その横顔は誇りに満ちていた。


「……詳しいんだな」

「幼い頃から、この地で育ちましたから」


振り返った彼女と視線が合う。


一瞬。だが確かに、心臓が音を立てた。


(……ああ、そうか)


王子は、その瞬間に気づいてしまった。


令嬢たちのお茶会で、なぜ彼女の顔を思い出したのか。

なぜ、再会を無意識に避けようとしていたのか。


(俺は――)

(もう、始まってたんだ)


彼女は、王子の沈黙に首を傾げる。


「……なにか?」

「いや」


王子は苦笑した。


「ここは――いい場所だね」


それは嘘ではなかった。

だが同時に、自分の心に言い聞かせる言葉でもあった。


案内が終わり、城へ戻る途中。

風に揺れる草原を見つめながら、王子は思う。


(予感ってやつは)

(気づいたときには、もう“本物”なんだな)


横を歩く彼女は、何も知らない顔で前を見ている。


それが、なぜか――

どうしようもなく、愛おしく思えてしまった。


王子は、静かに息を整えた。


(……厄介だな)

(でも)


逃げるつもりは、もうなかった。


予感はこの日。

確かに、形を持ってしまったのだから。

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