加速する予感
将軍が王妃に呼び出された瞬間、胸のざわめきを隠しきれなかった。
(……よりにもよって、王妃陛下と二人きり、だと?)
将軍は、数多の修羅場をくぐり抜けてきた男だ。
だがこの王城で唯一、正面から向き合うことを本能的に避けたくなる存在がいる。
王妃陛下。
もっと言えば――“陛下が正気を失う原因そのもの”。
だが控えの女官から告げられた言葉は、将軍の警戒心をほんの少しだけ和らげた。
「陛下には、すでにお話が通っております。ご安心ください、と王妃陛下より」
(……あの陛下に?)
その一点だけで、将軍は深く息をついた。
許可があるのなら、少なくとも命の危険はない。
そうして通された応接室で、将軍は王妃と向かい合った。
やわらかな光。穏やかな微笑み。
そして――戦場よりも静かな圧。
「お忙しい中ありがとうございます、閣下」
「いえ。お呼びとあらば」
将軍は、きっちりと礼を取る。
王妃は紅茶を勧めながら、ふと懐かしむように言った。
「領地にいらっしゃいますから、夫人になかなかお会いできず……残念です」
軍高官の直系家族は、政治的・軍事的な観点から王都に常住できない掟がある。
それは、誰よりも将軍自身が承知していることだった。
「いえ。頻繁に手紙のやり取りをしていただいて……妻も感謝しております」
王妃は、少し嬉しそうに目を細めた。
「それを聞いて安心しました」
一拍、間が空く。
「感謝と言えば……」
王妃は、視線を将軍に向ける。
「閣下には、王子が大変お世話になって」
将軍は即座に首を振った。
「とんでもありません。あの方は……ご自身で立たれるお方です」
それは、決して建前ではなかった。
剣を振るう背中。部下に向ける目。
そして時折見せる、どうしようもなく疲れた笑み。
王子は、確かにあの二人の子だ。
話題は自然と王子のことから、第二王子のことへと移る。
「第二王子殿下は、ずいぶんと愛嬌がおありですね」
「はい。末子ゆえと申しますか……」
王妃は、どこか困ったように微笑んだ。
しばらく、和やかな会話が続いた後。
王妃は何気ない調子で、ぽつりと口にした。
「――そういえば」
将軍の背筋が、わずかに伸びる。
「お嬢さまは……何か、おっしゃっておいででしたか?」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「いえ、王城の感想などです」
王妃は、あくまでやわらかく続ける。
「緊張はされていないご様子でしたけれど……王子とも、お会いになられたと」
将軍の内心が、音を立ててざわついた。
(もしや――)
(王妃陛下、もうそこまで……?)
一瞬で、娘の顔が浮かぶ。
王城での短い滞在。
緊張を隠しながらも、真っ直ぐに前を向いていた姿。
(……このお方は……)
(さすがあの陛下を、一瞬で虜にされただけはある)
悟られぬよう、将軍は慎重に言葉を選んだ。
「娘は……城は落ち着かない場所だ、と申しておりましたが」
「まあ」
「ですが、王子殿下については……」
一瞬、間を置き。
「とても誠実なお方だ、と」
王妃の指先が、わずかに紅茶の縁をなぞった。
「そうですか」
それ以上、王妃は何も言わなかった。
だがその沈黙は、十分すぎるほどだった。
ほどなくして、将軍は退出を許された。
王城を後にし軍へ戻る道すがら、将軍は空を見上げた。
(……まだ、何も始まっていない)
(だが――)
娘の未来。王子の立場。
そしてあの王妃の、静かな問い。
(始まるとしたら……きっと、穏やかでは済まん)
将軍は、苦笑とも覚悟ともつかぬ息を吐いた。
だが同時に胸の奥で、かすかな予感が芽吹いているのを否定できなかった。
――あれは、ただの雑談ではない。
王妃は、すでに“気づいている”。
そしてその気配は確実に、次の物語のはじまりを告げていた。




