黒猫の牽制
軍の訓練場からの帰り道。
王子の肩には、当然のように黒猫が乗っていた。
「……なあ」
黒猫は知らん顔で、しっぽを王子の首元に垂らしている。
「俺、さすがに疲れてんだけど……」
当然の抗議にも、黒猫は一切動じない。
むしろ、わざと体重を預けてくる。
(絶対、分かってやってるだろ……)
そう思いながら回廊に差し掛かった、そのとき。
「まあ」
やわらかな声がした。
王妃だった。
「訓練お疲れさまです、王子」
「……あ、はい」
その瞬間だった。
黒猫は、王子の肩から音もなく跳び降り、
王妃の足元へ一直線にすり寄った。
「……え」
王子が声を出すより早く、王妃は笑顔になる。
「猫ちゃん。お久しぶりね」
そう言いながら、迷いなく黒猫を抱き上げた。
(頼むから――)
王子の内心は、すでに必死だった。
(父上が……父上だけは来ませんように……)
だが黒猫はそんな願いを知ってか知らずか、王妃の腕の中でくるりと向きを変え――
ぺろっ。
王妃の頬を、遠慮なく舐めた。
「あら」
王妃はくすくすと笑う。
「くすぐったいですね」
(あああああ……)
王子は天を仰いだ。
(終わった……完全に終わった……)
そのときだった。
「――何をしている」
低く、重い声。空気が一瞬で凍る。
(……もうだめ……)
魔王が回廊の向こうから姿を現していた。
王妃は、何事もなかったように振り返る。
「陛下。久しぶりに猫ちゃんに会ったものですから……」
しかし黒猫は、さらに事態を悪化させる。
王妃の腕の中で、魔王を見上げ――
――シャアッ!
はっきりとした威嚇。
挙げ句の果てには、王妃の胸元で――
ふみ、ふみ。
魔王に見せつけるように――
ふみ、ふみ。
「…………」
王子の内心は、もはや断末魔だった。
(猫……!!!)
王妃は状況を理解していない。
「まあ……甘えん坊さんですね」
魔王は無言だった。
一歩、近づく。
黒猫は王妃の腕から動こうとしない。
むしろ、より一層密着する。
――次の瞬間。
魔王は、黒猫の首根っこを掴み、
無言で、だが確実に引き剥がした。
「……お前の猫だ」
そう言って、王子の方へ差し出す。
「きちんと管理しろ」
「……は、はい」
王子は条件反射で受け取った。
その直後。
魔王は、何事もなかったように王妃の肩を抱き寄せる。
「……行くぞ」
「はい」
王妃は王子に手を振りながら、二人はそのまま去っていった。
残されたのは――
王子と、腕の中で満足げに喉を鳴らす黒猫だけ。
「……」
王子は、黒猫を見下ろした。
「お前さ……」
黒猫はゆっくりと瞬きをする。
悪びれる様子は、皆無。
「……絶対、分かっててやったよな」
黒猫は返事の代わりに、王子の腕の中で丸くなった。
(……俺、いずれ殺される気がする)
そんな予感を胸に抱きながら、王子は重いため息をついたのだった。




