緑を守る者
午後の温室。
半日の視察が急遽中止になり、王子は珍しく何も考えずに休んでいた。
寝椅子に身を預け目を閉じ、陽のぬくもりを感じる。
腹の上には、いつもの黒猫。
少しの重みは感じつつも、そこに在るというだけで妙に落ち着く。
少し離れた場所で、初老の庭師が草花を剪定していた。
ぱちん。
ぱちん。
乾いた、しかしやさしい音が、一定の間隔で響く。
王子は目を閉じたまま、ふと口を開いた。
「……あなたはさ」
剪定の音が、止まる。
「――あの二人を陰から見守ってて、胸やけとかしない?」
一拍。
「……剪定官」
空気が、わずかに張った。
「殿下」
低く、慎重な声。
王子はしまったと思って、片目を開けた。
「ああ、ごめん。つい」
――剪定官。
それは庭師としての顔の裏にある、王権直属の諜報部隊『緑守』――司令官としての“影名”だ。
庭師は何事もなかったかのように、再び鋏を動かした。
「両陛下を陰ながらお守りできますのは……光栄の極みです」
淡々とした声音。
「このような任務の身ですから、結婚など縁遠いと思っておりましたが……」
鋏の音が、少しだけ間を空ける。
「恐れながら――お二人を拝見し」
王子は、嫌な予感を覚えた。
「私も、結婚を決めたものでございます」
「は?」
王子は勢いよく上体を起こした。
腹の上の黒猫が、迷惑そうに尻尾を揺らす。
「マジで!?」
庭師は、穏やかに頷いた。
「はい」
王子は額に手を当てた。
(いや……あれを見て影響されるとか……)
(変わってるだろ……)
思わず深く息を吐く。
庭師は剪定を続けながら、ふと話題を変えた。
「ところで殿下。先日、ガゼボへ行かれたとか」
王子の肩が、ぴくりと跳ねた。
「……聞いてたんだ」
「緑守の耳は、城の隅々までございますゆえ」
王子は、少し考えてから尋ねる。
「そういえば……緑守たちは、ガゼボまで行けるの?」
庭師は即座に、はっきりと首を横に振った。
「いいえ。陛下より、そこには極力近付くなと……」
王子は苦笑した。
(父上なら言いかねない)
「それゆえ城内で一番安全な場所にしておけと、厳命がございます」
「……安全、ね」
王子は、どこか遠い目をした。
庭師は何気ない調子で続ける。
「殿下がお生まれになる前、夜のガゼボで――」
王子の思考が、ぴたりと止まる。
「お二人が、星をご覧になることがございました」
「……」
「私が進言いたしましたら、王妃陛下がご興味をお持ちになり……」
その瞬間、王子の脳裏に、先日の記憶がよみがえる。
(――そして、お前が生まれた場所でもある)
魔王の、あまりにも自然な言葉。
王子は口を開いたまま、固まった。
「あ、ああ……そう……なん、だね……」
返事は、ひどく弱々しかった。
内心は、嵐だった。
(……え)
(……外でも?)
(あの二人……外でも……?)
視線が虚空をさまよう。
庭師はそれ以上踏み込むことなく、再び剪定に集中した。
ぱちん。
ぱちん。
音だけが、優しく流れる。
王子は寝椅子に深く沈み込み、天井を仰いだ。
(俺の苦悩、深まる一方なんだけど……)
その足元で、黒猫が大きく欠伸をした。
まるで「今さら何を言っている」とでも言うように。
温室には、今日も穏やかな光に満ちていた。




