独占欲の果て ―頬擦りの章―
午後の光が、王宮の応接間にやわらかく差し込んでいた。
窓辺の丸卓には紅茶と焼き菓子。
向かい合って座るのは十八歳になった王子と、その母である王妃だった。
妹と、年の離れた弟はそれぞれ勉学の時間。
この静けさは、今では少しだけ貴重だ。
王子は紅茶に口をつけ、ふと視線を上げた。
王妃が――じっとこちらを見ている。
「……どうかしましたか?」
問いかけると王妃は一瞬だけ言葉を探すようにして、微笑んだ。
「いえ。ただ……ますます、陛下に似てきましたね」
その言葉に、王子は思わず瞬きをする。
黒耀の髪に、紫銀の瞳。
これは王の直系であれば必ず現れる、避けられない色だ。
しかし鏡を見れば、否定などできないほど顔面の造形すべてが父譲り。
――その瞬間。
脳裏をよぎったのは先日、つい読んでしまった女官長の過去の日記だった。
《赤子の王子殿下に、王妃陛下が頬擦りをされた。それを目撃した魔王陛下、明らかに機嫌を損ねる。「余のものだ」と言わんばかりの視線。対策:胃薬。》
(……あれか)
王子は、思わず小さく息を吐いた。
「――確かに。頬擦りされるほど、似てますもんね」
何気ない調子で言ったつもりだった。
だが。
「……?」
王妃は、きょとんと目を丸くした。
「どういう意味ですか?」
「あ、いえ。なんでも」
誤魔化すようにカップを持ち上げた、そのとき。
「――何をしている」
低く、よく知る声がした。
王子が顔を上げると、入口に立っていたのは魔王だった。
黒衣のまま、気配だけで部屋の空気を変える存在感。
「陛下」
王妃が立ち上がろうとすると魔王はそれを制し、視線だけで王子を捉えた。
「……随分と、長く話しているな」
「午後のお茶ですよ。母と息子の」
王子は肩をすくめ、半ば呆れたように答える。
魔王の視線が、わずかに細くなった。
「二人きりで、だ」
(出た)
王子は苦笑した。
「今さらですか。俺ですよ?」
「それが何だ」
即答だった。
王妃が困ったように微笑む。
「陛下、王子は――」
その言葉を、魔王は遮った。
「王妃は」
静かだが、揺るぎのない声。
「――お前の母である前に、余の妻だ」
王子は一瞬だけ目を伏せた。
そして、諦めたようにくすりと笑う。
「……はいはい」
立ち上がり、椅子を引く。
「じゃあ俺は退散します。これ以上いると、女官長の胃薬が足りなくなる」
魔王は何も言わなかった。
ただ、その場を譲ることを当然のように受け入れる。
部屋を出る直前、王子は振り返った。
二人の距離は昔と何も変わっていない。
言葉は少なく、視線だけで通じ合う世界。
(……まったく)
王子は小さく息を吐き、扉を閉めた。
廊下を歩きながら、ふと思う。
――赤ん坊の頃の俺に、頬擦りして、嫉妬して。
その延長線上に、今があるのだとしたら。
「……強すぎるだろ」
呆れと、少しの羨望を混ぜて呟き――王子は歩き出した。
午後の王宮は、今日も穏やかだった。
――おまけ――
王子が退出した後。
「陛下――」
「……やはりあれは。姉上と、お前の弟に似ている」
「まあ。お嫌ですか?」
こんな夫婦のやり取りが、あったとかなかったとか。




