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第二章 遊園地のカラス

遊園地のカラス

 金谷が涼風を遊園地に誘った真意は分からないまま、数日が経った。5月の中旬だが、今日はまだ肌寒さを感じる

 

 ―――遊園地。あまりにも小さい場所でもない限り観覧車は確実にある。男女の2人きりで、片方が想いを寄せている。観覧車に乗らない方が不自然だ。

 あと10回の観覧車で涼風が消える。今の時期に残り10回というのは、速いと今月中か、遅くても夏までには100回に到達できるだろう。


 涼風が高い景色が好きというのは、全く考えもつかない盲点だった。あの明るい性格で、一人でのんびり景色でも見ると言うのだろうか。


 正直に言えば、限界だった。このゲーム、もう既に鈴花側に王手を取られたようなものだった。しかし、このゲームは僕と鈴花の1対1の勝負って訳でもないと考えられる。そうでなければ、現時点で白峰圭と鈴花の2体1で不利だ。


 僕は彼女の研究室の前に立っていた。協力者を得ることにした。飲み会での金谷との会話でこの人の信頼度は8割、低くても7割。賭けに出るには高い数字だと踏んだ。


 コンッコンッ。「どうぞ」僕は中からの返事を聞いて扉を開けた。


 入った瞬間、逆光が眩しく目が(かす)んだ。


「おや、縁くんじゃないか。どうしたんだい」


 白衣を身に付けたくせっけの短髪の黒髪の女性がコーヒーを持ちながら立っていた。大学内ですれ違えば一度は見返す存在感と美形を持つ精神科医。金谷香さん。この人に頼む他なかった。




 僕は初めて会った時と同じように立てかけてあった椅子に座らされ、コーヒーを提供された。香さんがコーヒーを一口すすって、僕に話を促した。


 僕は香さんにほとんど全てを話すことにした。まず、頼まれていた金谷欣二について。


 金谷は二重人格はもちろん、白峰圭に何もされていないことを伝えた。それについては香さんは安堵の表情を見せた。しかし、金谷が苦手とするタバコと蝶の標本集めは演技で、白峰圭を追っていることには愕然とした様子だった。


「…欣ちゃんがねぇ」独り言のように香さんが呟いた。

 金谷が「欣ちゃん」なんて呼ばれていることに違和感があったが、歳の離れた弟をそう呼ぶのは必然とも思えた。人前では呼ばないようにしているのだろう。


 そして、涼風と鈴花および白峰圭によるゲームも伝えた。金谷にはこのことを言っていないので、香さんには金谷に伝えてほしくないことを念を押して言った。


「君が言うからには本当なんだろうね。君の前にしか現れないのであれば「鈴花」くんの存在証明はできないが、信じよう。欣二のことを調べてくれた恩もあるしね」


「ありがとうございます」


「しかし、二重人格…解離性同一性障害とはね。実際に聞いたのは精神科医の人生で初めてだ。私も経験が浅い。しかも、意図的に、か。もし、白峰圭が妖怪とかの人外のように超常現象を使えない普通の人間だと仮定するならば、マインドコントロールか催眠の(たぐい)か。白峰圭は精神の知識に通じている可能性がある。私と同じくね」


「精神の知識があれば、二重人格を意図的に引き起こせるのですか?」


「可能性は、知識がない人よりはできる「かもしれない」という所だね。催眠療法というのは実際の医療現場でも使われている。その応用――いや、悪用すればできなくはないだろう」


「そうなると、香さん、あなたが白峰圭である可能性は?」


「もし君が本当そう思っているなら、私の所には来ないだろう」


 笑みをこぼしながら間髪を入れずに返された僕は、香さんに信頼されているように感じた。もちろん僕は香さんが白峰圭だとは思っていない。


 今のは失礼なことを言ってもジョークで済まされるほど信頼を得られているかを試させてもらった。香さんもその意図に気づいているようだった。僕は「そうですね」と返す。


「君が私のことを信頼して来てくれたのは嬉しいが、すまない、すぐに助けられることはないな。その鈴花くんも私の前には易々とは現れてくれないだろう。白峰圭については本当に存在していることすら分からない」


「大丈夫です。今は一人でも協力者が欲しかっただけですから。僕のことを気に入っていて、頼りになるのはあなただけでした」


 僕のことを気に入っている人間と言った瞬間、美浦の顔が浮かんで消えた。美浦は香さんよりも頼りないかと言われればそうだと答えるが、迷惑をかけたくなかったというのもある。


「あ、そうだ」と、香さんが思いついたような声をあげた。


「提案なのだが」

 コーヒーを飲み干した香さんが席を立つ。コツコツという音をたてて僕に近づいてくる。ただ歩いている姿が絵になる。


「こういうのはどうだろう」

 香さんが自身のスマホを取り出し、何やら操作している。数秒、しばらくその姿を眺めていた僕に、香さんはオカ研のグループチャットを開いて見せてきた。


 僕は少し呆れた声で「信頼してますよ」と言った。





 僕と香さんはカスケードの前に3つあるベンチの真ん中に座っていた。


 カスケードを昇ったさらに奥にある観覧車が僕の不安など関係なしに回転が進む。


「実の弟のデートに同席するメンタルってどうやって養えるんですか」


 前回言ったことと同じような台詞を同じベンチに座っている香さんに投げかける。僕と香さんはベンチの端同士に座って2 m弱くらいの距離がある。少し遠いかなと思う距離だが、気まずさがあった。

 

 5月の下旬、日が高くなり始めたのもあって今日は暑い。カスケードに流れる水が日が昇っている今の暑さを少し涼しくする。


「そう言うなよ。現状を打破する一歩を踏み出すには良いアイディアではないか。2人のデートは止められる手段はなかったのだろう。まさか、欣二と涼風くんのデートをこっそり尾行しようとしていたわけかい」


「それはないですけど」とは言ったが、やる可能性は確かにあった。


 『全員で遊園地にいかないか』それが香さんがグループチャットに送ったメッセージだった。


 そして今、オカルト研究会の全員で遊園地に来ている。まさか全員が了承するとは思わなかった。幽霊部員が返信すらしてこないのはいつもことである。


 由美奈さんと美浦は付き合っていて、金谷は涼風の想い人。講師と生徒の関係といえども男女でベンチに座っている構図。今の構図をみるならば、ダブルデートか、客観的に見ればトリプルデートか。

 まるで、恋愛でうつつを抜かす大学サークルになってしまっている。


 構図だけで捉えれば月1の飲み会を厳守していた卒業した先輩たちよりもよっぽど青春っぽいことをしているのではないだろうか。


 ベンチから少し遠くのショッピングカーでクレープを買っている涼風と金谷に目を向ける。金谷は相変わらずの無愛想だが、涼風の笑顔に絆されているようにも見えた。


 付き合うとしたら、そう遠くはかからないだろう。それは涼風の消失と同義だ。


 由美奈さんと美浦はどこに行ったが分からないが、楽しくやっているのだろう。


「チュロスではなくクレープっていうのが、田舎の遊園地らしいな」

 もっと他に考えることがあるのに、癖でそんな余計なことを思ってしまう。カスケードも綺麗といえば綺麗だが、年季が入っているのが田舎っぽさを加える。



 金谷が涼風にクレープを渡して、どこかに行くのが見えた。多分トイレだろう。これから食べるというタイミングでトイレに行くのはムードが崩れるのではないだろうか。


 両手にクレープを持ち、ぽつんと取り残された涼風は辺りを見渡し、僕たちに気付いた。手を振ろうとして、高く上げた手からクレープが落ちそうになり、慌てて手を降ろした。涼風が僕たちに近づいてくる。


「涼風くんと話すチャンスができたね。欣二が戻ってくるまで有意義な会話をするといい。内容はあとで教えてくれ」

 駆け足で僕たちの方に向かってくる涼風を見て、香さんがベンチから立ち、金谷とは別方向に歩き出した。涼風が話しにくくならないようにだろう。気配りが上手い。


「あれ、香さんはどこへ?」いつの間にか僕の目の前に来ていた涼風に問いかけられる。


「あぁ、トイレだそうだ」


「へぇ、姉弟で同じタイミングで行くんですね。金谷先輩が行った方向の方が近い気がしますけど」


「多分、トイレで会いたくないんだろう。特に金谷の方が」


 そうかもですね、と涼風は屈託のない笑顔で笑った。


「先輩は、なんで香さんはオカルト研究会の皆を遊園地に誘ったか分かりますか?」


「知らないが、親睦を深めたいとか、そういう理由じゃないか」

 予想していた質問かつ事前に用意していた解答だったため、返答が食い気味になってしまった。面接の答えを丸暗記しているような不自然さがあった。


「そうですか」涼風は何かを疑ったような反応をしたが、深くは踏み込んでこなかった。僕に興味がないのか、ただの気遣いか。


「デートの調子はどうだ?」


「順調ですよ!金谷先輩も楽しそうに見えますね」


 遠くから見ても楽しそうな感情が伝わってきたのだから、ずっと金谷の近くにいた涼風はよりそれを感じ取れているのだろう。


「今日は最後に観覧車に乗るんです。ちょっとこれ、持っててください」両手に持ったクレープを同時に前に出して、僕はクレープを受け取る。


 涼風はショルダーバッグから黄色い手帳を取り出した。パラパラと何ページかめくった後に、あるページを僕に見せた。


 『累計観覧車数』という文字の下に、「どんぐり」という文字の横に、そのままどんぐりの絵が右に描かれている。その一まとまりが9個、見開き1ページ分ある。


 タイトル的に観覧車に乗った回数なのは推測できるが、どんぐりの意味は理解できなかった。素直に、これは?と涼風に聞く。


「観覧車に乗った回数ですよ。先輩でも分かりませんか?私の発想が先輩を上回りましたね」


「そうみたいだ。教えてくれ」


 勝ち誇ったような顔した涼風だったが、それほど悔しがっていない僕を見て涼風はがっくりした。


「いつかは先輩の悔しがった顔を見てみたいですね。これは10回分のカウントですよ。『どんぐり』という文字が9画、そして最後にスタンプ替わりのどんぐりの絵を描いてちょうど10回分です」


「それは、おかしい。『どんぐり』だけで10画だ」


「へ?」と、とぼけた声を上げた涼風は顔を上げて指を折る。頭の中で、画数をよくよく数えているようだった。数秒経って「あっ」という気付いた声をあげた。


「涼風は『り』の文字を繋げて書くんだな。だから一画少ない」


 一本とられたような顔をした涼風だったが、「り」を繋げて書くか、分けて書くかの2パターンの違いなので、別に涼風が間違っているというわけでもない。大学の教授に「と」を1画で書く人もいた。


 ばつが悪そうに顔が少し赤くなっている涼風に、フォローの言葉をかける方が余計恥ずかしがるかと思い、そのことは言わないでおいた。


「それで、100回に到達するまで、残り10回って訳か」僕は話をそらした。


「どんぐり」の文字列が9個、つまり、100回までは残り10回ということ。鈴花はこの手帳を見たのだろう。真実を言っていたということは、本当にフェアな勝負をしたいようだ。


「そうです、それが言いたかったんです」

 単純に僕は「すごいな」と言った。人生で乗った観覧車なんて、数えられるくらいしかない。子どもの頃もあまり遊園地には行かなかった。褒められて、嬉しそうな涼風がまた笑う。


「思ったんだが、涼風はリスが好きなのか?どんぐりとか、アイコンの絵もリスだろ」


 今日の涼風の恰好は喫煙所で倒れた時と同じ、リスを想起させる茶色のオーバーオールに白いシャツを着ている。明るい栗色の髪は頭頂部に少しながら黒色が見えてきている。


「んー、私が好きというよりは、それが好きだった人がいたような…」


「リスが、好きだった人…?」



 不思議と、心の中がざわっとした。黒くうごめく何かが体の中に入ったような、そんな感覚。



「小学生の頃、植物とか動物の写真が表紙の学習帳があったじゃないですか。その人が確か、よくリスの学習帳を使ってた気がするんですよね。私も初めは、リスとか好きでも嫌いでもなかったんですけど、その人の真似をしたらリスが好きになってました。」


「好きな物のきっかけをくれた人なのに、どことなく歯切れが悪いな。覚えていないのか?」


「実はそうなんですよ。記憶が曖昧(あいまい)なんですよね。思い出そうとすると、その人の顔に(もや)がかかっているみたいな。もしかしたら、()のことだったなのかなとも思うんですよ。子どもの頃って夢と現実の区別がつかなかったことってありませんでした?」


 夢、その単語を聞いた時、最近見た夢を思い出した。誰かとナイター営業の遊園地で観覧車に取り残される夢。心のざわめきがまた膨れ上がる。


 黒い――――。


「僕はあまりないな。夢は夢だ」

 さっきから湧き上がってくる心のもやもやを振り払うかのように台詞を吐き捨てた。夢と現実の区別ができないなんてことは僕の経験にはなかった。


 だから、あの夢は夢でしかない。


「先輩は現実主義みたいなところありますからね。てか、人の形をした現実主義って感じです」


 いつもなら流すような涼風の茶化すような言葉も今はなぜだか引っ掛かる。黒いもやもやが膨張する。日の高い暑さもあいまってから視界が歪んでくる。


 涼風は僕の体調の変化に気が付いていないようだ。普段から達観した性格が災いしたか。涼風の目に僕は比較的、頑丈な人に見えているのだろう。


「んーー」と涼風が考え込んだような顔をした。


「先輩になら話してもいい気がするんですけど」前置きをした涼風が言葉を続ける。


 なぜ涼風がこのことを今、この瞬間に言ったのかは分からない。



「実は私、小学生の頃、植物状態になったんです。火事で」



 その言葉を聞いた瞬間、黒いもやもやが僕の全身を覆った。うごめく黒の(くちばし)と羽をもった群衆の生物に囲まれ身動きが取れない。幻覚のはずだが、現実味があった。


「あ!金谷先輩、戻ってきました。この話はまた今度、話しますね」


 こちらにゆっくり歩いてくる金谷に涼風が駆け寄っていく。僕から遠のいていく。


 涼風と金谷が合流したのが見えたタイミングで僕はベンチから転げ落ちた。額に汗、いや全身が汗で服が滲んでるのを感じた。


 初め、方向的に視線がベンチに向いてる金谷が驚いた表情をし、遅れて涼風が僕の方を振り返って見て驚く。大切にしていたクレープが涼風の手からスローモーションのように地面に落ちていく。


 ぼやけた視界で2人が僕の方に走って向かってくる光景を最後に、僕は気を失った。


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