第二章 時間制限
時間制限
飲み会が終わり、僕らはお会計をして外に出た。比較的、お酒を飲んでいない美浦を先に介抱し―――少し顔を叩いたが―――歩けるくらいまで回復させた後、由美奈さんを家に送らせた。
由美奈さんは歩けないぐらいまで酔っていたので、美浦が由美奈さんを背中に担ぐことになる。お酒の酔いが完全に周って何かぶつぶつ言っている由美奈さんを美浦がたしなめていた。美浦に対して惚気ていた言葉を発していたのは、由美奈さんの名誉のためにも誰も聞いていない振りをしていた。
香さんと金谷は同じ家なので、一緒に帰ることになる。帰り際、金谷はみんなに気付かれない声で、僕に「また後で」と言った。
必然的に僕が涼風を送っていくことになる。
「金谷と一緒に帰れなくて悪かったな」僕は涼風に問いかける。
「初めての飲み会で一緒に帰るなんてハードルが高すぎますよ。これで良かったです」
「そうか、それならいいが」
僕は安堵し、涼風の家の方向に足を向ける。その行動につられて涼風も歩き出す。もしかしたら、後輩の女性を家に送っていくなんて、付き合ってもいないとしないことだろうが、既に家を知ってるし、お互いにその辺の気まずさはなさそうだ。
「さっき、金谷先輩と喫煙室で何を話してたんですか?まさかずっと無言だったんですか?まぁ、それはそれでお2人なら想像つきますが」
「まさか、ただ雑談していただけだ。オカ研のこととかな。ちなみに、金谷は浪人してた。涼風とは2歳差だな」
「それはそれは。金谷先輩の貴重な情報をありがとうございます。やっぱり私、金谷先輩のこと好きです。今日の飲み会、空いたお皿をさりげなく廊下側に置いてたり、私の会話も面倒くさがらずに聞いてくれていました」
「あぁ、良かったな、再確認ができて」今の理由だと好きになるには割と弱い気もするが。顔か。
今日の飲み会はどうだったとか。金谷との進展の協力はこれからどうするだとか。そんな話をしていたら、もうすでに涼風のマンションの前だった。周囲に街頭もない夜のマンションは、オレンジ色の輝きを完全になくしていた。
「ゲーム」のことを考えれば、少しは涼風に好かれるような会話の話題を出すなど努力をしなければならないと思うが、その手法は持ち合わせていない。
今度、美浦にでも恋愛のコツでも聞いてみようと思ったが、妙に察しのいいあいつにバレて茶化されるのは癪だった。
「それじゃ…」
僕が見送りの言葉を言いかけた瞬間、涼風が時計を確認した。右手の手首を裏側にし、時計を見る仕草。しかし、右手には時計はなかった。それは当然のこと、涼風は左手に腕時計をしているのだから。
「『鈴花』の方か。君は涼風と違って左利きなんだな。ぼろを出すとは詰めが甘い」
「確かに私は左利きなので、右の腕時計を確認するクセがありますね。うっかりしました。でも、隠すつもりなんてないですよ。私が出てきたのは、灰本さんと話すためですから、どのみちすぐにばれます」
「ナルコレプシーはどうした。涼風が寝てる間に代わるんじゃないのか」
「寝てますよ。今日は疲れたみたいですので、マンションについた瞬間、涼風さんは安心してウトウトしました。その瞬間を見計らって出てきました。まぁ、そもそも寝てなくても私の自由意思で代われるんですけど、突然変わったら怪しまれますので」
「そうか」
僕はその体の決定権が鈴花にあると聞いた時から、ナルコレプシーは関係ないんじゃないかと思っていた。予測が当たる。そしてもう一つの予測を確かめる。
「その自由意思っていうのも、完全な自由じゃないんだろ?僕の予測は、僕を目の前にした時にしか君は姿を現せない」
「バレていましたか。そうですよね。そうでなければ、あなたのことを無視して観覧車に100回乗るだけでゲームに勝てます」
「白峰圭というのは、ちゃんとゲームのバランス配分をしてくれているんだな」
「でも、涼風さんは金谷さんと進展してしまいましたよ。どうしますか?」
確かに、連絡先を手に入れて、打ち解けた会話を飲みの席で行う。金谷と涼風の間は進展したと言っていい。
「そうだな。タイムリミットまでになんとかしないといけない。付き合わずに涼風を消されない方法を」
涼風の顔が少し曇る。その表情は何かを思い出したようにも見えた。
「…タイムリミット…?」
鈴花のそのつぶやきに僕は思わず驚く。
「まさか…ないのか?…タイムリミットが」
「え、えぇ。白峰圭からタイムリミット、つまりゲームの期限はきいていません。なぜ今まで気づかなかったのでしょう。でも、確かに。タイムリミットがないのはおかしいですね。失念しておりました。」
両手で口を覆った鈴花の目が僕と地面を交互に見る。鈴花は今までで一番、困惑した表情をしていた。普段の冷静な性格の鈴花も明らかなに動揺しているのが分かる。
「案外、鈍い所があるんだな。それは失念してはいけない大事なことだろう。ルール説明もなしに新しいゲームは始められない。白峰圭が突然やって来て、はい時間切れです。なんて言われたら、僕も理性を保っていられるか分からないぞ」
「えぇ、それはごもっともな指摘ですね。私もそんな形で勝利して、涼風さんとして生きたとしても、怒りを買った貴方に何をされるか分かりません」
「僕は女性に手を上げるような人間にでも見えているのか」そう言ったが、昨今のジェンダー問題からすれば女性は守られる側と言う考えはステレオタイプだろうか。
「君もゲームの参加者の一人なんだろ。被害者仲間だ。君には怒りをぶつけないよ」台詞を付け加えてそう言う。被害者にジェンダーは関係ない。君には、か。白峰圭に対してはどうだろうか。
「そうですね、なんとか確認を取ってみます。こちらからは連絡ができませんが、白峰のことですから、どうせどこかでこの会話も訊いているんでしょう」
服の中にでも発信機か何かを付けているのか、それとも体の中。鈴花の魂そのものが発信機として機能している可能性もあるか。その問いを聞くには、それこそセクシャル的な配慮が足りていないだろうと思った。
「それも大事なことですが、今日はもう一つ大事なことをお伝えしなければいけません。これを知らせないのはフェアではないと思って私の独断で話します。独断と言っても白峰は基本的にゲームには干渉してきませんが」
「なんだ?手短かに頼む。この後、予定が入っているんだ」金谷からの電話がそろそろかかってくる気がして、鈴花を急かす。
「そうですか。では簡潔に。竹下涼風さん、これは私も知らなかったのですが、彼女は高い所、高台からの景色が好きなようで…」
いい淀んだ鈴花は申し訳ないような声色で続ける。
鈴花に限らず、こういう言葉を濁した言い方をした人間から発せられる次の言葉というのは、良いニュースではない。
「彼女、既に人生で90回ほど観覧車に乗っています。まぁ、ですので、あと10回の観覧車で彼女の人格は消えます」
「ちょっと待て」言葉を遮るまでもなく、鈴花の言いたいことはそれで全てのようだった。
「君とのゲームは、つい先日始まったばかりのはずだ。それがなぜ涼風の人生で観覧車に乗った累計になっているんだ。ゲームが始まる前に乗った回数もカウントされているのか」
「そのようです」
僕の質問に対して不確実な返事をしたのは、やはり鈴花もゲームの詳細なルールを把握できていないようだ。
「なので、フェアではないと言ったのです。お伝えできてよかったです」
僕はなんの言葉を返すことができなかった。返したところで意味もないだろう。
「それでは、そろそろ涼風さんに怪しまれますので、人格を戻します。ご健闘をお祈りします」
そう言って、鈴花は目を瞑った。相変わらず、ゲームに勝つ雰囲気が感じられない。
「あれ、先輩?電話、なってますよ?」
人格が戻った涼風が不思議そうに顔を傾けて、問いかけてきた。僕のポケットからバイブレーションが鳴っている。金谷からの連絡がきたようだ。
「あぁ、気付かなかったよ。ありがと」
僕は涼風に別れの挨拶をして、階段を上っていく涼風を見送った後、マンションから離れるためにしばらく歩いた。
誰かに話を聞かれるとまずい可能性もあるため、駐車場まで移動して車に乗り込む。その間、電話が切れてしまったので、金谷に折り返しの電話をする。
『縁先輩ですか?今、大丈夫ですか?先ほど出られなかったようですが』
「あぁ、問題ないよ」
問題ない、というわけではない。ここ数日で嘘をつくのが洗練されてきた気がする。
「何の話からする?」
『それが、自分から電話すると言っておいて申し訳ないですが、すっかり夜が遅くなってしまったので、詳しいお話はまた後日お話したく…』口ごもった金谷が言いにくそうにする。
「気にするな。金谷の事情はできるだ考慮したいからな。僕も白峰圭を追わなくちゃいけない」
『やっぱりそうですよね。それでは、遠慮なく言わせてもらいますが』
僕は金谷を甘く見ていたかもしれない。金谷に対してはまだ疑心はあるが、敵ではないと踏んでいた。
「近々、俺は涼風さんを遊園地に誘います」
残り10回の猶予しかない、観覧車に乗る可能性は潰しておかなければならない。だが、その提案を引き留める口実を僕は持ち合わせていなかった。僕は、「そうなのか」とだけしか返せなかった。
限界に達しそうな僕の心を落ち着かせるための、ボックスの形をしたタバコの中身は空だった。




