第11話 さよならエレーネ
あれから俺は冒険者ギルドへとやってきた。伯爵邸でのあのロビーの光景、アランがエレーネを抱き締め、小さく可愛らしい身体を撫で回している光景が自分の視線の隙間から見え続け、ヨシタカの網膜を焼き尽くし、全ての思考を麻痺させ、エレーネにお別れの声を掛けることすらできずに踵を返して外へ出てしまった。その結果がいつの間にか冒険者ギルドまでやってきたことで心への衝撃が分かろうというもの。
ヨシタカは想っていた。想像以上にエレーネの存在が大きくなっていたことに。婚約者のアランがやったのは、たかが家族ハグ、恋人ハグじゃないか。キスだって唇にしていないレベル。首筋やうなじへのキスは家族ハグならあってもいい、しかもアランとエレーネは婚約者同士だ。今まで俺は勘違いしていただけ、てっきりエレーネは俺の事が好きで、ちょっとした義理の兄貴ゴッコでも喜んでくれていたのだと。実際は吊り橋効果が無くなってしまえば赤の他人だ。俺の心は、想像以上に氷の楔で打ち抜かれ、思わぬ激痛に凍てついていた。
さて、とにかく故郷に帰ろう。最初のルートは故郷で妹のユアイと合流することだ。とんだ道草になってしまった。俺を待ちわびているであろう妹を想うと心が痛い。人助けと言ったって優先順位がある。
アレコレと考えてはいるものの、庇護欲を刺激されてどっぷりと世話を焼いてしまったエレーネに首ったけになってしまったのは自分が悪い。妹ユアイよりも歳下なのに。そもそも俺には聖女ミズハという恋人がいる。あまり思い込むと彼女に対する列記とした裏切り行為じゃないか。しかし恋人みたいにエレーネの事を思っていたわけじゃなかった。あくまでも親愛での間柄であり、恋人のような関係ではなかった。実際に以前の町の宿でその気であれば関係を深めることも出来たが、俺はしなかった。
ただただ仲良かった友人と別れることに対する寂しさや、別れの挨拶すらしなかったタイミングに残念に思うだけである。エレーネには妹のような可愛らしさがあっただけに、その点もユアイと別れてしまったかのような寂しさも連携となって感じた。
「ふぅ、未練は残さず、故郷への旅に出るか。早速明日には出立しよう」
冒険者ギルドでやる事は、故郷への道順確認や馬車の手配だけで、特に用事というものはなかった。このリンドバーグ伯爵領の様子は微妙に怪しく感じるが、正直、それぐらいで悪いことを行う悪徳貴族という証拠となるものや今すぐ対処しなければならない緊急案件のような気配はなかった。それに何かを対処するという動機に繋がるもの=エレーネ=が消えてしまったことも大きい。ヨシタカの代わりに婚約者アランが、また伯爵に言われた「俺の首と胴体を切り離す」という恐ろしい言葉、こんなことを娘の命の恩人に言った伯爵が常識はずれなだけで、もしも問題が領内にあるのならばご自身で対処すればいいだけだ。その元凶が彼ら自身に在ろうとも、何の問題も冒険者ギルドへ情報として入っていない。
形だけ見ると領内は表面上は何の問題もないのだ。税金が高くなり、領民たちに覇気がなく顔色が悪いだけ。税金なら国が対処すべきだ。商店はやってるし、酒場も宿も経営している。騎士や兵が荒っぽいと言っても他の領地でも時々見られるパターンだ。大きな問題とはいえない。エレーナは父親はじめ何かが狂ってきたから住み易く無くなったと言っていた。領内事情に暗い俺では想像がつかなかった。ありえない妄想が、必死に現実を塗り替えようとし、ヨシタカの危機管理能力を鈍させていた。
馬車を手配した後で、酒場を探して入った。飲んだ後で宿で寝て、明日の朝早くに帰路に就こう。ヨシタカは最低限エレーネの幸せを祈ることにした。神官の仕事頑張れ、結婚して子供をもうけて幸せになれよ、と思う次第だ。……こんなことを考えている段階で、まるで失恋みたいじゃないかと思い返して苦笑した。
朝、宿の朝食を食べた。宿は昨夜遅くに突然現れて宿泊させてくれと女将さんに頼んで迷惑をかけた。酔いが醒めると大変な恥ずかしさが込み上げてきた。女将さんに迷惑をかけたお詫びをし、その後、馬車の駅へ行った。
馬車に乗り込み、故郷へと向かう。今は水筒を出して「喉が渇きませんか?」、「香草をブレンドしました」、「あなたの美味しいと喜んだ笑顔が好き」だと声を掛けてくれるエレーネはいない。付与魔法も馬と自分と御者、他の乗客にかけるのはいつも通りだ。
昨夜はエレーネと婚約者のアランは一緒の部屋で泊ると父親が言っていたな。まるで俺を邪魔だとばかりに言っていた。俺達はそういう関係ではないのに、まるで関係があったかのような責め方だった。
彼女は一晩どう過ごしただろう。婚約者と一緒の部屋であれば、初めてを散らしたのだろうか。あの可愛い娘を自由にしたアランはちゃんと結婚してあげるのだろうか。どうもアランはイケメンとはいえチャラいイメージであった。やはり来客や娘の両親、メイドたちがいる目の前なのに恋人ハグは普通にしないよな、と思うわけで。唇にはしなかったキスは、夜更けにファーストキスへと昇華したのだろうか。
脳内でエレーネとアランの行為を想像し明滅を繰り返す。自分の妹が汚された気がした。
ふぅ、馬鹿な事ばかり考えている。結婚するまではキスを一年に一回という約束をした聖女ミズハはどうしてるだろうか。無性に会いたくなってきた。故郷へ帰って妹のユアイと合流後、王都へ行って冒険者ギルドの長と会い、教会本部のミズハと会い、聖剣を賜っているサトシとミキオに騎士団で合流し、懐かしい話でもしたい。
みんな、どう過ごしてるかな。女神様はどうかな?教会本部で会えるだろうか。
気分を切り替えて旅立つ。もしかしたら最後に会いに来てくれないだろうかと思い、いつも以上に周囲を観察していた。宿、馬車の駅、出入りの門でもエリーネは見送りに来なかった。これで二度と会う機会はないだろう。「君のお茶と飴ちゃんは本当に美味しかったよ、ご馳走様でした。お幸せに」と独り言ちする傷心ヨシタカであった。




