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――――もう、守屋さん。守屋さんってば」
カーテン越しに薄く差す日の光、セットしたアラームを止める俺……そんな想像はあっけなく夢の彼方へ。
目を開けずしてわかる居酒屋カウンター。時刻は夜9時30分。
やわらかい枕から硬い手の甲へ、そばに置いたはずのスマホは跡形なく消え……肩を揺すられる中、完全にループしていると確信。
反射的に出かけた舌打ちを寸前でこらえて顔を上げた瞬間、目の前にビール。今度は胸焼けを抑えながら天井に昇る煙をしばし見つめる。
ガヤガヤした店内で流れる『悲しき街角』は、もはや連続ドラマのオープニングテーマ。本編を前にワクワクするところだろうけど、実に神妙な面持ちでネクタイに手をかけて緩める。
毎度の手の痺れを治めながら、前回をふり返ってみる。
美夕と楽しく飲み、駅前でバイバイ。
翌日を見据え、しっかりフリースに着替えて布団に入った。いたって順当。波風を立てようなんて気さらさらない。いや、そもそも時間が戻ることじたいありえない。
顔を真上にして目を閉じ、両手でピシャピシャ頬をはたく。そして大きく息を吐いてからおしぼりをきっちり四分の一に折り畳む。
美夕が察し、肩からそっと手を離して待ちかまえる。俺は渦巻く心を悟られないよう「ふぅー、あやうく寝ちゃうとこだった」とボケる。
鼻からフッと息を漏らした美夕が、
「守屋さん、今寝てましたよね?」
「まさかたまさか。寝てない寝てない、断じて寝てない、ありえない」
リズミカルに「ない」を強調しながらフレミングの手まで作ったのに、今度はまったく笑わず、
「目が充血してますもん。おでこにも、めっちゃ跡ついてるし」
「おおッ、よくぞ気づいた額の跡。これは何を隠そうビール3杯飲むと出てきてしまう、守屋家代々受け継がれた、いわゆる家紋的な……」
俺はわけのわからない長話に引きずり込もうとしたものの、美夕は途中で遮り、
「守屋さんって、いつもこんな感じで飲んでるんですか?」
香ってくる匂いこそ夢のよう。
一向に晴れないどんより感から、つい恨めしげな目を向ける。少し斜にした顔の、やけにキラキラした瞳。
反射的に「いや、いつもなら……」といいかけて、手を上げる。
「ヘイ、マスター! 熱燗一丁!」
すかさず美夕は「日常で違和感なく“ヘイ”って使うの、初めて聞いたかも」と爆笑。持っていたグラスを空けると「サワーばっかり続いたから……」と、ちょうど横を通り過ぎた店員に烏龍茶を頼んだ。
そもそも明確なゴールがなかった。
何かを変えれば自ずと何かが変わると思ったまで。
ビール党の俺にとっては久々の日本酒。ひと昔前は大勢での酒席に欠かさなかった。中盤からグイグイ飲み進めては相手を泥酔させ、自身もフラフラになりながら家まで送ってあげたものだ……そんな当時を懐かしみながら、お猪口1杯飲み干す度に烏龍茶で中和。
とにかく面白話で場を盛り上げる。
まずは親友Yの体験談。
子供のころに流行った『団子落とし』。それは土で固めて作った団子を一定の高さから交互にぶつけあって戦う遊びのこと。
その日何度やっても勝てないKが、長らく無敗を誇っていた大将クラスの団子まで見事真っ二つに裂けた瞬間「ズルしてるだろ!」と叫んだという。
まったく身に覚えのないYは「ズルって何?」と切り返す。
するとKはとたんに口ごもり、
「中に……い、石を入れたとか」
再び鬼の形相になってYの団子を崩しにかかる。けれどどんなに粉々にしても土の塊。
そんな行動に疑問を抱いたYが、放置されていたKの団子をよく見てみると……めちゃくちゃ尖った巨大な石が入っていたという話。
次に、地元で古くから語り草となっている逸話。
田園都市線「たまプラーザ駅」の由来。なぜ“プラザ”でなく“プラーザ”なのか。
それは駅名を決める会議にて。
いくつかの最終候補から決めきれず、時間だけが経過。飽和した空気を打破しようと、進行役がトップの人に判断を仰ぐ。
おもむろに立ち上がった重鎮に一同熱視線。いったいどの名前を口にするのか……立場上、影響力は絶大。
ただその人は、ずっと静観していたことで喉が万全でなく、一部分がかすれてしまった。
「たまプラぁ〜ザで、いいんじゃないか?」
明らかに伸びた部分を誰も聞き返さず。当人も日本男児に二言はないと訂正せず。結果、いったとおりのままで申請されたという。
あとはポケモンのミューツーが好きだという美夕に、大人の雑学。
長らく人気を博す“ポケモン”ことポケットモンスター。国内にとどまらず世界的にも知られるその名称は、場合によっては隠語として理解される恐れがあり、あえて略したほうがいいらしい。
つまりズボン両サイドにあるポケットの中央部。男性ならわかる、変幻自在の世にも恐ろしい怪物……
けれど編集された番組ほどうまくはいかず。
手応えあり、ちょいスベリありと、俺の鉄板引き出しは早くもスッカラカン。尿意で席を立つ割合を増やしては、毎度おなじみの愚痴タイムに突入。
美夕のデスクが固定した要因は田原さんだ。
俺より3つ上の田原さんは数年前、大いなる野望を胸に突然会社を辞めた。当時は別部署だったのでほぼ関わりがなかったけれど、たまに会話すると噂どおり棘があり好感を持てず、どちらかというとせいせいしていた。
ただ1年もしないうちにあっさり復帰。
事情はどうあれ再雇用なのだから、やっぱり1からリスタートすべき。何で役職までついているのか。そんな思いに駆られたのはもちろん、直属の上司となったから。
とにかく周りの人間をやたらこき使う。上層部の受けがいいのが不思議。田原さんの隣のデスクの者は早々に辞め、俺の隣からは異動願いが出された……
日ごろ何げなく仕事をこなす傍らで、積年の鬱憤が溜まっているなと我ながら驚く。そして美夕の心から共感のこもった相槌もあり、あっというまに時間が過ぎた。
気づけば店内は俺たちだけになっていて、慌てて腰を上げる。ジワジワ威力を発揮しはじめた日本酒が、呂律を怪しくさせているのははっきりと自覚していた。
時折強く吹きつける風が、火照った感覚を冷ます。
敷き詰められた煉瓦の凹凸に本気で転びかけながら大通りに到達。スクランブル交差点を渡り、ターミナルまで何とか無事に歩き終える(その間、前回より割増の4500円を俺は拒否しきれずに受け取った)。
お決まりの立ち位置。
駅に向かう人はまばらになっていて、周囲はすっかり閑散。
ある意味新鮮さをともなう景色に思いのほか緊張を覚えたとき、タクシー乗り場から声がして顔を向ける。
列の先頭にて、両肩を抱えた白髪混じりの男を乗せようとして一悶着。
マフラーの結び目を直しながら静まるのを待つ間、澄んだ空気が遠くの声を運んできた。
「こんな酔っぱらってる人、ひとりじゃ困るよ。誰か一緒に乗ってもらわないと」
「ナカニシくんって、課長と家が近くなかったっけ」
「最寄り駅は鹿島田じゃないですから。今日サトミさんと楽しく飲めたラストがコレって、マジで勘弁してくださいよ〜」
「ちなみにナカニシの家って、どこよ」
「……新川崎です」
「何だよ、鹿島田とほぼ同じじゃねーか」
「はい相乗り決定ー!」
「ダメですダメです、ちゃんと公平に決めましょうよォーッ!」
他愛ない会話として聞き流し、ひとまずお礼。
そして面白いことをいって締めようと、出だしからつまずく。
「えーっと……美夕は、その……」
まともに目があった瞬間、用意していた言葉が一気に吹っ飛んだ。
どうした、俺。
何でもいいからとにかく美夕を笑わせるんだ……ただただプレッシャーをかけられまくった脳内では、今しがた交わした会話がプレイバック。
塚本さんのネイルって、趣味にしては本格的……え、かけ持ちの仕事?
最近は高木くんがロックオンと思ってたから、今日はうっかりしたもらい事故。だいたい田原さんは、後から文句いうなら最初から自分でやればいい。
そういえば……どうして美夕だけ名前で呼ばれているのだろう。ありふれた苗字だから?
「美夕は……たとえば、名前とかあだ名で、誰か呼ぶことある?」
「女子同士ならときどき。でも、基本いないですよ」
唐突な質問に驚くも即答。いい終えると恥ずかしそうにスルスルと口元をマフラーで隠す。
美夕の手の動きを追いながら、
「俺はそうだな、冷酷非道の出戻り上司、田原さんはタワーさん。最近は高木くんとムカついたレベルによってランドマークとかスカイツリーとか、高さで使い分けてて……」
「スカイツリーさん呼ばわりして、もし田原さんがふり向いたら絶対笑っちゃうからやめてくださいよ。あと、全然関係ないですけど」
ためらいがちに美夕は、
「わたしを初めて名前で呼んだの、守屋さんですよ」
思わず「マジで?」と聞きかけ、すぐにもちろんとうなずく。わずかに目が泳いだものの、美夕は気にすることなく、
「守屋さんから、周りの人も真似して呼びだして……今はもう浸透しちゃってますよね」
最後はしみじみと、いい聞かせるような口調。
何かコメントしなければとまごつくうち、
「あッ、高木くんのゲラで誤植見つけたとき『コラ、タカギマサトォー! ここ違うだろー!』って呼び捨てにしてます、わたし」
5年前。俺がまだ彼女とつきあっていたとき、美夕は入社してきた。
売り上げは右肩下がりのワンマン零細企業。定年で人が減るごとに補充をかけたところでたいてい続かない。多岐に渡るクライアントの要望とアナログな連携体制。そのためルーチンワークは時給制にて賄おうと、美夕は塚本に続く現役学生でのアルバイト採用だった。
去年、美夕自身乗り気ではなかった社員登用を受け入れるとともにデスクが固定。半年前に中途入社した高木くんは、美夕と同い年。
日ごろ見ていればわかるだろうにと、俺はことごとく落胆。自ら招いた事態を表情には出さず、弱々しく手を上げた。
「じゃあ……また」
「はい。また、明日」
今度は美夕と一緒に反転。ベルトが食い込んでハッとし、背筋をピシッと伸ばす。
歩きはじめようとして、たまらずふり返る。
エスカレーターにちょうど乗り込む美夕。こちらに気づいては軽く会釈し、上の階へ消えていった。
再び進行方向へ体を向けたとたん、不意によろめく。緊張が解け、吹きつける風がただならない悪寒を走らせる。
何なんだ俺。
何なんだこの状況。
本当に今は現実に起きていることか? 気づいたらガバッとベッドから起き上がる夢オチじゃないのか?
足下が尋常でないくらいグワングワン揺れだしている。考えごとで気を紛らわそうとするも「んなこと、もうどうだっていい」と脳が拒否。いよいよエマージェンシーシグナルが体中に鳴り響く。
とにかく歩こう……途中のコンビニでエビアンを買って飲めば少しは落ち着くかも。もし明日休もうものなら、どんな噂をされるかわかったもんじゃない。
家に着いて、また寝て、案外ちゃっかり朝を迎えて……だとすると、これがもともと決まっていた本当の明日?
フラフラ彷徨ううち、ついに視界が白い靄に覆われはじめた。どうしようもない気持ち悪さ。
俺はちょうど目に入った自販機の横へしゃがみ込む。誰かが見ているかもしれないと、余裕アピールをかます。
「フゥ~、よっこらしょーイチ」
長年勤めるベテランたちが腰かけるときに使う台詞。
今まで何とも思わなかったのに、いざ自分でいってみると妙に面白い。ククッ、クククッと笑いをこらえつつ、額からは汗が玉状に噴き出す。のぼせたような感覚で、なぜか身震い。
おいおい、いいトシこいて自分の酒量もわからなかったのか? 駅の壁際にうずくまって、たまに介抱されている横を通り過ぎながら軽蔑していたけれど、今まさに同じ状態になりかけているじゃないか。何晒してんだよ……
界隈から少し離れた場所。
深夜でもまだ人の気配をわずかに感じる。車の通る音はやけに大きく聞こえる。ロングコートとスラックスの汚れにかまえなくなるほど意識が朦朧。
俺はすわりたくてすわってるだけなんだ。心配そうに「大丈夫ですか?」なんて声をかけずに放っておいてくれ――――
神様がいたとして。
今日は世にいう人生のターニングポイントだろうか。
明日から少しずつ何かが変わってゆく。再び向かう理想の未来への起点。
そう、以前のように異性に対して少しずつ積極的になろうと思っていた。
まさか、最後のビッグチャンス?
指折り数える交際歴(2回)において、プロセスは何ら変わっていない。相手の好反応を積み重ね“続行可”と判断しては、アピールできる土壌を地道に広げてゆく。種を蒔き、芽が出たら水をやり、太陽の下で育ちゆくさまを愛でる……といっても、ずっとさら地のままなのがほとんどだけど。
だとすると、逆だ。
明日から俺は絶食男子への第一歩を踏み出すわけか。
5年後、10年後。
どうしてこんなにつまらない日々を送っているのかと突き詰めたとき、思い当たるのが今日というわけだ。
せめてもの慰め?
明日も明後日も、ひょっとすると後期高齢者に突入してまでも、ひとり仕事三昧。
たまに誰かを誘い、仕事の不満や芸能人の不祥事を肴に馬鹿笑い。毎日少しずつシワを増やし、頰をたるませる以上に手の施しようがないほど心を歪ませてゆく。
内容や順番が入れ替わろうと同じ。やりきれない思いを、これから何度も懲りずにくり返し続けるのだろう。
今日のことは忘れない。
おそらく30歳以降、一番インパクトあるできごとじゃないか。もっといえば、残り半分ある30代の中でも相当上位のエピソードになりえる。
だからくり返しているとしたら十分納得できるし、どうしたって悔いは残したくない。
美夕が笑うと何だか楽しくなる。だからもっと笑わせたくなる。
あの笑顔をいつでもそばで見られれば、どんなイヤなことでも弾き返せる……
そろそろ身を固めようとしたプランが無残に崩れ落ちたあの日。
「将来のことなんて、何も考えてなかったから……」
確かに9ヵ月のつきあいでは少し急だったかもしれない。
映画は月1回ペースで半年続いた。その間遠出を2回、彼女の誕生日も盛大に祝った。それから3ヵ月は特に目立ったことなく過ぎたブランク明け。
久しぶりにファミレスで食事がてら、7本目の映画は何を観ようかと話す中、俺はこれからの展望のひとつを口にしただけ。
お互いひとり暮らしを続けるより、一緒に住んでみるのはどうだろう……さりげなくも真剣さを混ぜたことで彼女は瞬時に反応。露骨に表情を曇らせると「いきなりそんなこといわれても」と枕詞をつけ、迷わずいい切った。
前向きな気持ちが聞けるとばかり思っていた俺は、一気に奈落の底へ転げ落ちた。あまりのショックで、いつもペロリと平らげる食事がぴったり止まってしまった。
それまでつきあってきたのはいったい何だったのか。
イケメンじゃないからか?
お腹周りの脂肪か?
せめてやんわり返してほしかった。
空白の3ヵ月が答えだったと解釈してしばらく塞ぎ込んだ。
当時、職場では俺のやつれ具合が取り沙汰され(決して痩せたわけではなく)、変に同情されても嫌なので、あらゆることを肯定し、笑って受け流した。楽しげに仕事を終えてはストイックな私生活に拍車をかけてゆく。
プライベートな人間関係は次々切った。
切ったというと聞こえはいいけど、つきあいが悪くなり愛想を尽かされただけ。単にプライオリティーが家族に変わった者もいる。
ベストな未来のため?
ループ中、リセットされないものがただひとつ……そう、俺の感情。
たとえばもっとヨレヨレになっていいワイシャツの袖口やスーツも、きっちり折り目が戻っている。夕方に目立ちはじめる首周りの髭も伸び続けていない。
ただひたすらくり返している。夜9時30分から深夜1時、頑張って3時くらいの間を、くだらない考えばかり巡らせて。
悲惨な翌日も覚悟し、果敢に攻めてみた。
美夕をさんざん笑わせて別れた後、家に帰って即LINE。
「今日は本当にありがとう」と送ると秒で既読、まもなく「こちらこそ」と返信。
「また今度飲みたいな」と送ると「前もっていってくれればあけておきます」と再び即レス。何回かラリーし、勢いあまって「美夕のこと、好きになっていい?」と打ってからはピタッと返事が止まる。
さすがに攻め過ぎたかとハラハラしていると、だいぶ間を開けてから、やはり短文で、
「いいですよ」
読んだ瞬間ガッツポーズ。たった5文字を何度も読み返し、興奮冷めやらぬままようやく眠りについたと思えたつかのま、あっさり『ばるーん』へご帰還。
言葉でなく行動だと、ついに禁断のエロ視点。といっても、日本国刑法における不同意性交等罪に抵触しない範囲内で。
セオリーどおり、好きな俳優やイチ押しの映画を長らく語りあったあげく、
「じゃあ、今から一緒に観ない?」
いきなりのどストレートに美夕はキョトン顔。
どう返すのかドキドキして待っていると、少しして「わたしの部屋で観ます?」と、逆に誘われてしまった。
想定外であり悪くないむず痒い気持ちの中、さっそく美夕の住むマンションへ向かう。ひと駅乗ってから15分くらい、平坦な夜道を並んで歩く。
年が10近く離れた今の若者は、こんなにも気軽に異性を部屋に上げるものなのか。いや、いくら何でも分別はつくはず。
いいんだな、美夕。
野獣になったらもう俺自身、止められないからな。あ、そういえば帰りはどうしよう。電車なんてとっくに終わってるだろうし……最悪駅まで戻ってタクシーで帰るか。
微妙な距離を保って歩きながら、妙に冴えまくる頭の中でいろいろ考えを巡らせていると、美夕はエントランスにて、立てた指1本を口元に当て、
「両親、隣の部屋で寝てますから」
軽いトランス状態のまま淡々とエレベーターに乗り、玄関に足を踏み入れたときにようやく意味を理解。心はすっかり借りてきた猫に豹変。
想像と違ったごくふつうのカーテン。ぬいぐるみはミュウツーでなくイーブイ。むしろそれ以外のキャラがポツポツ置かれた意外と殺風景な部屋。男子高校生のように何げに空気を堪能していたところ呼気が酒臭く、すぐにやめた。
一時期は友達と遊んで終電を過ぎてはよく泊めていた、というだけあって手際がよく、お兄さんのフリースを着てくつろいでいるうちにうつらうつら。
もうどうにでもなれと「始発まで寝かせて」といってゴロ寝。息を潜めて睡魔に耐えた後、音を立てずにそっと立ち上がりベッドに近づく。
窓側を向いてスースー寝息を立てる美夕はあまりに無防備。ただ布団を引っぺがしてことをおっぱじめる度胸なんてなかったし、寝顔を見ただけで一定の満足感はあった。
夢うつつの中、考える。
明日からどうこうというより、今必要な何かが欠けているせいではないか。
片やいくら思いを募らせたところで相手の感情は現状維持。限られた時間内で変えるにも限度がある。
だとしたら、やっぱり……と、ようやく辿り着いた。
今さら気づくのも、というより気づきたくなかったのが本音。
美夕が今、俺をどう思っているか。
それにより撒いた種を本気で育てるかどうかを決めたかった。まともに聞くのは恥ずかしい、しっかり気持ちを伝えるにはまだ早いと頑なに避けていた。
俺はいつも自分勝手で(というか誰でもそうだろうけど)、こと異性との関係は日々ポーカーフェイス。そうかと思えば溜め込んでいた気持ちをいきなり相手にぶちまける。
そんな悪手こそやめるべきなんだ。だから5年前も急にギクシャクしてしまった。
思っていたことが違うと変に重く受け止めてしまい、ひとりで落ち込んでいた。
いろいろ話しあって修正できた可能性がいくらでも残されていたことに、まったく気づけなかった。
明日にならない理由がわかった。今できることをできるかぎりする。
気持ちを素直に伝えてみればいい、それだけだ――――