第13話 魔女の心を反映した島
私は王太子妃と仲間たちを見送った。クロードの転移でここから去っていく姿を……爆弾発言した王子の背後でだ。
ちっ! この王子、一癖も二癖もある。あの奥様発言のとき、私の方を見ていた。絶対に私が部下ではないと気がついている。
そして国王の話は、恐らく答え合わせをしたかっただけだろう。この王子は自分の情報網を確立している。でないと、私とクロードの婚姻の話が耳に入るのは、アレン大叔父様が正式に発表したときのみだ。
なぜなら、外から見た現状は、私とクロードは昨日顔合わせをして、私は領地に戻るために、アズヴァール公爵邸に一泊している程度にしか見えない。
「それでアズヴァール公爵邸にお世話になってよいかな?」
金髪碧眼の王子がいい笑顔で言ってきた。それに答えられるのはアレン大叔父様のみだ。
「ジャンハルト殿下。これで貴方の愁いはなくなりましたね。ここで生き残れなければ、この国を治める資格はありませんよ」
ん? それは王子の質問の答えではないな。クロードはここで突き放つ言葉を言うのか。
「魔術師長は手厳しいですね。私を匿っていただけませんか?」
「ここで私の手を借りようものなら、国王陛下と同じですよ。今は亡き賢者様の亡霊に取り憑かれているのですから」
クロード。じじぃは生きているぞ。言うのなら、生霊に取り憑かれ……それはそれで怖い。絶対に飯はまだかと耳元で言い続けられるな。
「おや? これは魔術師長は建国の賢者様と肩を並べられるという自信がおありなのですね」
王子の言葉に王弟に逆らえないクセにという副音声が聞こえるような気がする。って何か変な言葉が聞こえてきたぞ!
「建国の賢者ってなに?」
あのじじぃ建国時からこの国にいるのか?今年で建国何年だっけ? どうでもいいことだから覚えていないな。
私の独り言に二人からの視線が突き刺さる。いや、私のことは空気だと思ってくれればいい。
「刑の譜系のグラシアール家ですか。敵には回したくはない家の一つですね」
私は答えないよ。紹介されていないからね。私はただの下っ端の魔術師だからね。
「さて」
クロードは私を王子から隠すように前に立った。そして、クロードの魔力が動く。これは転移か。
今日で転移は何回目だ? 普通はこんなにバンバンと転移は出来ないぞ。
「客も来たようです。我々は御前を失礼させていただきます」
「礼は言わないですよ」
「ええ、構いません。我々はある方の依頼で、王太子妃殿下に安全な場所に行ってもらっただけですので」
「では、ある方に伝えてください。最善は尽くしましょうと」
うん。この王子は大丈夫だ。今の彼には死は見えない。しかし敵は王族の三人だ。中々厳しい状況には変わらない。
私は亜空間収納から紙を取り出して、文字と絵を書いていく。これはぱっと見た目は何かの魔術の陣に見えるが、魔術としては意味を成さない。
「どうしても、困難に陥り、身動きが取れなくなったのであれば、城下街の北のウォール通りの裏通りで、これを持って歩いてください。一度だけ魔女の家に行き着くことができます。因みにこれを持っている人しか行きつけません。対価を支払えば、知を貸してくれるでしょう」
すると王子は紙を凝視してつぶやいた。
「本当にこの王都に魔女がいるのですか? 噂では聞いたことがありますが……そうですね。どうしてもというときに使わせていただきます。魔女の機嫌を損ねると国王陛下のようになってしまいますからね」
やはり、この王子は国王がどういう状況になっているのか知っているじゃないか!
その時、背後から数十人が駆けてくる足音が耳に入ってきた。どうやら王弟の私兵が来てしまったようだ。
「ではご武運を、ジャンハルト殿下」
クロードがそう言って転移を発動させたのと同時に、背後の扉が吹き飛んでいった。もしかして、ノックをしないのが常識だったりする?
しまったなぁ。前世の常識に引きずられると、こういう違いがあるから、困ったことになるんだよね。
そして転移でついた場所は、どこかの部屋だった。すごいな。じじぃの家並に片側の壁が本で埋まっていた。
因みにじじぃの家は足の踏み場がないほどの本が積んである。これを片付けようものなら、置いた場所がわからなくなるから動かすなと、怒られるのだ。
私には乱雑に本が積まれているようにしか見えないのだけど。
「ここはどこ?」
私は黒いローブを脱ぎながら尋ねる。服はやっぱりサイズが合ったものの方が良い。動きにくい。それにこれ、変な魔術が掛かっている。誰だ? こんな変なローブを作った奴は?
「それから、これを返す。こんな変なローブさっさと捨てろ。魔術を使うと位置を発信する術が仕込んであるじゃないか」
「やっぱり、気がついたか?」
クロードはローブを受取りながら答える。これは普通は気が付かないで魔術を使ってしまうということか?
「普通は気がつくよね。自分がここに居るって宣伝するローブなんて、趣味が悪すぎ!」
「あの場ではレイラに魔術を使ってほしく無かったからな。因みにこれは魔術師団の正規のローブだ」
もしかして、魔術を使うと王弟に居場所がわかってしまうという仕様か! そして、離宮にも何か仕掛けがしてあったということ?
王弟の手は思っていた以上に長いということか。あの王子は王弟に敵うのか? これは相当に厳しいだろうね。
「で、ここはどこ?」
未だに答えをもらって居ないけど?
「俺の私室だ。この部屋の物を全部持って行こうと思ってな」
「どこに?」
「島に」
……この部屋は非常に物が多い。一番目を引くのが本棚いっぱいに詰められた本の数々だが、薬草や何かしらの素材が棚に置かれており、何かを作っていたのであろうよくわからない物も、広めのテーブルの上にそのまま置かれている。
私室というより実験室と言っていい部屋だ。
「今から、これ全てを?」
「ん? 一瞬で終わる」
「一瞬で?」
私が疑問に思っているとクロードはパチンと指を鳴らした。すると本当に一瞬にして部屋は何も無い広い空間に変化した。
え? 何が起こったわけ? 全く私がわからなかったなんて……。
「何が起こったわけ? こんな大量な物を移動させる魔術なんて無かったはず!」
私はクロードに詰め寄って聞く。
こんな魔術が一般的にあるのなら、先程の老人の言葉は出てこなかったはずだ。十分で必要な荷物を用意することはできないと。
「賢者様が教えてくれたものだ。俺はイズミを探していて、イズミと一緒にあの島で暮らすことが目的だったからな」
じじぃの魔術か。それはあり得るかもしれない。じじぃは趣味の大量の本と一緒に、島に来たのだから。
「簡単に荷物を移動できるように部屋に仕込んでいたんだ」
しかし、この執着も問題だな。魔女イズミにそこまで執着する心。一応、島の出入りが可能と呪で縛ったけれど、島に囚われる可能性があるな。何がクロードが執着することになってしまったのか。私には未だに理解ができない。
「今の私と過去のイズミは同じではない。あまり魔女に執着すると島に囚われるよ」
あれから十七年が経っているのだ。私もずっと同じではない。五歳から成長しているんだからね!
「うん。俺に冷たくなった」
それは否定しない。十七年前は私を引き取ってくれてたお祖父様の友達であるアレン大叔父様の頼みだったから、生きながら死んでるクロードを生かせてやろうと思っていたからね。
「でも優しいことには変わりはない……ちっ!」
クロードは舌打ちをして、私を引き寄せて転移を発動させる。この魔力は昨日見た、金髪の魔術師の副長という女性。
「クロード様! 閣下がお呼びで……!!」
ノックもなしに扉を開け放つ魔術師の女性が、驚いた表情をしたことを目にした私は、次の瞬間見慣れた青い空が瞳に映し出された。
やっぱり扉をノックはしないのが普通なのか……礼儀は必要だと思うよ。
それにクロードは王弟に呼び出されているのを無視しているようだ。良いのか?
「どうせジャンハルト殿下が錯乱したから捕縛しろとか言われるんだろう。ジャンハルト殿下はその辺りの魔術師では敵わないだろうからな」
あの王子か。確かに体格が良かったから、鍛えているんだろうなとは思った。このまま上手く魔術師をあしらって逃げてくれたらいい。
「そうそう、さっきの続きだ」
「え? 何の続き?」
しかし、変わったところに転移してきたな。ここは島が一望できる一番高い山の上だ。
「俺はこの島で、生きる楽しさを知った。それを与えてくれたのはイズミだった。だから俺は返そうと思っていたんだ」
「返す? 何を?」
「時々どこかここではないところを見ているイズミに、イズミの生きる場所は島ではなく、俺の隣だっていうことを知ってもらおうと思っていた」
生きる場所はこの島だよ。それは今も昔も変わらない。魔女とはそういう存在だ。
「それはレイラも同じだ。ふと空と海の境界線を見て、ここではないどこかを見ている。レイラの本当に行きたい場所はどこかな?」
……この言葉。昔も聞いた記憶がある。
『イズミはどこか行きたい場所でもあるの?』
その後にこう続くのだろう?
「『僕が連れて行ってあげようか?』」
その答えは以前と同じだ。私は空と海との境界線を見る。そこは青い色が広がっているだけ。
「私がこの島を見つけて、魔女の島と決めた。だから、ここが私の居る場所だ」
ここの海は綺麗過ぎる。荒れ狂うことも少なく、周りに小島があるわけでもない。ただこの風景を見ているのが好きだ。
子どもの頃、砂浜で家族と潮干狩りをした記憶。夏の暑い日に自転車で通学路の海辺を通った記憶。紅葉の赤い色が映える山と少し青みを失った海。そして、冬の黒い海を眺めながら、雪が積もるかなぁなんて話をしていた記憶。
そう、全て記憶でしかない。だから、行きたい場所なんて、どこにもないのだよ。
すると身体ごと向きを変えさせられてしまった。
「ここが居る場所と言いながら、一人でここではない場所を見ている。だから、これからは隣に俺がいる。俺がレイラの居場所になる」
「……馬鹿なことは言わないことだね」
私が何の為に、この島を見つけたと思っているんだ。いや、最初はなぜ島を見つけてここで暮らそうと思ったのかわからなかった。
それが魔女の本質だと、わかったときに理解した。魔女は、世界から何かしらの役目が与えられる。そのため長命なのだ。ほとんどの種族より長く生き、ほとんどの死を見ることになる。
きっと誰かを愛せば、苦しむのは私自身だ。
だから、私は伴侶を持つのも嫌だった。でも内心、淋しいと思っていたから、この島に人が増えてしまう結果になったのだろうな。
最初は何年、生きるか定かではないハイエルフのじじぃと、長命種の竜人のサイファだけだったのに。
それなのに、クロードは私を好きだと馬鹿なことを言い、私の居場所になるとか馬鹿なことを言う。
だから私は魔女だと言っているだろうが!
「私は黒橡の魔女だ。それが全てだ」
するとクロードは私を抱きしめてきた。ちょっと力が強いのではないのか?
「賢者様と話し合ってみたのだが、魂の束縛と記憶の維持の魔術を構築するのには、時間がかかりそうなのだ」
「おい。それを本気でするな」
「だからこの場で言っておく」
……なんだか嫌な予感しかしないのだが。
「終の島よ。黒橡の魔女の伴侶は未来永劫、クロード・アスク・アズヴァールの魂を持つ者だ……」
「待て! 島にそのようなことを誓うな!」
「それ以外は魔女の伴侶としては認めてはならない」
これが言いたくて、私が邪魔しないように強めに捕獲していたのか!
ポツと青い空から何かが頬に落ちてきた。自由になった手で、頬に触れると色がない水だった。
雨?
晴れているのに雨が落ちてきたのか?
そう思っていると次々と雨が空から落ちてきた。
「天泣だ」
クロードが空が泣いていると言った。まぁそう言えるな。雲がない晴天の雨……あ?
「狐の嫁入りか! ふざけんな! 誰が狐だ! っていうか認めるなよ!」
私が島に憤っていると、下の方で歓声が上がっているのが聞こえてきた。なんだ?
何かが起こったのかと、声が上がった方を遠見の魔術で見るけど、いつもと変わらない風景が広がっている。平和そのものだ。
ん? 何処かを指している?
その方向に視点を持って行くと、私達がいる一番高い山を指していた。
そこには山を覆うようにオーロラのような光が空に漂っている。は? 初めて見る現象だけど?
ん? じじぃが口パクで何か言っているけど、これは音は拾えないからなぁ。
「何を言っているんだ? じじぃ」
「『魔女さんが喜んでおるのぅ』と言っているな」
「勘違いだ! 島に怒っているわ!」
ってクロードも見えているし、音も拾えているのか。二つの魔術の同時併用は面倒なのによく普通に使うな。
それはじじぃも可愛がるはずだ。
補足
賢者が言ったセリフは
「島は魔女さんの心を反映しておるからのぅ。魔女さんが喜んでおるのぅ」
です。