第10話 心配性の剣士と大変だったという妻
「やぁ、剣士殿。昨晩は外にある小屋のような物置を作るのを手伝ったらしいじゃないか。どういう風の吹き回しかな?」
仏頂面の三十代ぐらいの男性に、嫌味のように尋ねた。この男はそんなことを手伝うヤツじゃない。
すると剣士は私に紫紺の瞳を向けて睨んできた。
剣士と呼んでいることから、彼が剣に長けた人物だとわかるだろう。その剣士が殺気を混じえながら睨んできたのだ。まるで自分の敵であるかのようにだ。
そして、私が座っている目の前のローテーブルに手に持っていた籠をドンっと置いた。
「長期間、留守にするのであれば、一言いうべきではないのか?」
とても低い声で私が聞いた答えではないことが返っていた。いや、私は物置を作るのを手伝う心境に、なぜ至ったのか聞いたのだけど?
「一週間ぐらい留守にしても、何も起こらないと思うけど?」
はっきり言って、島の日常は平和そのものだ。誰かと誰かが諍いを起こしたという話も聞かないし、島の魔獣が人を襲ったというのも聞かない。
何事もなくのんびりとした日常が流れていくのだ。
「リサが産気づいたらどうする気だ!」
……私はちらりと、リサを見る。困ったような苦笑いを浮かべていた。これが大変だった理由か。
リサのお腹は大きく膨らんでいる。それは新たな命が、そこに宿っているからだ。
リサと剣士はこの島で知り合って、夫婦になった。そして、島では初めての子供が生まれてくる。だいたい五ヶ月後に……。
そう! リサは妊娠五ヶ月。お腹の膨らみが目立ってきたなっというぐらいだ。まだ生まれるわけないだろう!
「剣士殿。普通はあと五ヶ月後に生まれてくる。もし、今お腹から出てくれば、赤子は生きていけない」
「しかしだ! 魔女殿は動けるようなら動けというから、リサは朝から畑仕事をしているんだぞ!」
いや、それはリサが剣士に任せられない作業をしていいかと聞かれたから、重いものを持たない、無理をしない仕事ならいいと言っただけだ。
「何かあったらどうする気だ。この島には医者が居ないんだぞ!」
医者は居ない。それはこの島が普通の島ではないからだ。それに大抵の薬は私が作れてしまう。多少の怪我も治せる。
重傷ぐらいまでなると、流石に無理だが、聖騎士にある程度まで治療させて、その後を私が引き継いで治療をすることもできる。
本当であれば、聖女がその役目を担ってくれればいいのだけど、彼女は呪われているので、聖魔術が使えなくなっているので仕方がない。
「緊急事態のときは、急喚鳥を使えと言っているじゃないか」
急喚鳥。これは、遠くにいる私に声を届ける方法だ。三十セルメルほどの魔力を持った黒い鳥に、自分の声を記憶させ、私に届けるというものだ。
この鳥は、元からこの終の島に生息していた鳥だが、私の魔力を覚え、どこに居ても私の元に飛んでくるという恐ろしい習性を持った鳥たちだ。
恐らくこの島がこの鳥たちをこのように変えてしまったのだろう。正に魔女の島と言っていい。
「しかし……」
剣士が何か反論しようとした言葉を止め、右手で剣の柄を掴み、剣をいつでも抜ける体勢になる。まるで、何かを警戒しているようだ。
そして私の側から瞬時に離れ、リサを背にかばうように立った。
「はぁ。警戒しなくてもいい」
私はため息交じりで、警戒を解くように言った。このため息は妻と腹の赤子を守るのに過剰になっている剣士に対して吐いたのではなく、勿論……
「レイラ。ただいま」
一時間前に仕事に行けと追い出したにも関わらず、直ぐに転移でここに来たクロードにである。
「仕事はどうした! 仕事は!」
「ああ、国王が発狂しているから、面倒だし帰ってきた」
凄く良いことをしたという感じに、笑顔を浮かべている。しかし、国王がどうだろうが、魔術師長の仕事には関係ない……いや、戦争をしようとしているのが、国王だから、国王が居なければ、仕事がない?
魔術師とはなに?
「カルムオールレイ閣下が面倒なことを言い出したし、クルーセイム殿下とヴァイレール殿下も俺のところにやってきて、つまらない話をしだしたから、面倒になった」
そう、グチグチと言いながらクロードは私の隣に腰をおろしてきた。後の二人が誰かはわかるけど、カルムオ……閣下って誰だ?
「あの王弟が今度は何を言っている」
リサの側に居たはずの剣士が、いつの間にか向かい側の長椅子の背後に立って威圧してきた。
カルムオ……閣下は王弟の名前だったのか。あまり表に出てこない人だから、名前までは知らなかったな。
「剣士殿。王弟が何をしようが、剣士殿がここから出ることはできないからね」
殺気立っている剣士に釘を差す。私が彼に手を出した時点で、この島以外で生きることはできないと。
「剣士ラクス殿が、レイラに何か用なのか?」
何故にクロードも殺気立つ。お前らここで争い事をするなら、海に叩き落とす!
「剣士殿はそこのリサの旦那だよ。毎朝採れたての野菜を持ってきてもらっている。あと、ここで争い事を起こすなら、私が両成敗するから」
すると二人は殺気を抑えてくれた。しかし、剣士からはモヤモヤとした不満が漏れ出ている。
私は大きくため息を吐きながら、向かい側の長椅子を指し示した。
「剣士殿。お茶を出すから、リサをそこに座らすといい」
いつもは散歩がてら、ここに野菜を持ってきて直ぐに帰って行く。だけど、王弟という言葉が出てしまったのなら、剣士としては思うことがあるのだろう。
長話をするのであれば、妊婦をいつまでも立ちっぱなしにしておくのはいけない。
「ああ」
剣士はまだ玄関先にいたリサの手を取って中に進むように促した。リサはガツンガツンという足音をさせて、木の板の床を歩いてくる。
その足音にクロードは首を傾げていた。妊婦だとしても、重い足音がするほど体重があるように見えないと。
確かにリサは私より少し背の小さな細身の女性だ。だから余計に重い足音に疑問が湧いてくる。
リサ自身もクロードの困惑に気がついているのだろう。苦笑いを浮かべながら長椅子に腰を下ろした。
「私、両足が無いのですよ」
リサの両足はない。生まれつき無かったというわけではなく、貴族に両足を切られて、王都の郊外に打ち捨てられていたのを、私が手を差し出したのだ。
「この島には腕の良い魔工具技士がいるので、この足を作ってもらったのです」
無くなった四肢を元通りにできるなんて、神業と言っていい。それは聖女の仕事だ。
だから代わりに義足を彼女に与えた。作ったのは私では無いけれどね。
作れないことはないのだけど、ちょっと問題があるので、物に陣を描いて稼働する物を作る専門の職人に義足を作ってもらったのだ。
「あと剣士殿がこの島にいることに驚いていたけど、剣士殿も右腕がない。その王弟に斬られたからね」
「え? カルムオールレイ閣下にか?」
剣士として利き腕が無いことは致命的だ。剣士にとってそれは死を意味するほど。
だが、今の剣士の右手は普通に人の手のように見える。この辺りは魔工具技士の腕が物を言う。金属で出来ているにも関わらず、見た目は完璧に人の身体。ただし、重量は軽めの金属とはいえ、重くなってしまうのは仕方がない。
そして、クロードの驚きようから、王弟の趣味は知らなかったようだ。
「王族にはろくな奴はいない。身分という物がなければ、あいつの首は俺が斬っていた」
「まぁ、剣士殿は有名になりすぎたんだよ。きっとサイファの二の舞いを恐れたんだろうね。平民上がりの英雄は、王弟の趣味の被害者になった。お陰で私も嫌われているんだけどね」
民衆は身分がない者が成り上がっていくさまを見て、英雄視し、褒め称え、人気を博していく。
最初はいい。貴族共はその名を使い、いいように取り立てていく。
だけど、そのうち民衆からの指示が大きくなっていくと、英雄は貴族にとって目障りな存在に成り下がってしまうのだ。
「カルムオールレイ閣下の趣味なんて、おかしな魔道具集めと、無駄な夜会を開くことだろう?」
それは表向きのものだ。きっとクロードは一度たりとも、王弟が主催した夜会に足を運ぶことは無かったのだろう。
「俺はその夜会で見世物として殺されたのだ!」
「死んでないよ。王弟の下手な魔術の的にされていたんだよ。まぁ、ワザと苦しめるようにしていたのだけど」
夜会とは名ばかり。無抵抗な者をいたぶって、その惨たらしい姿を貴族共は狂観して楽しんでいた。その中心人物が王弟だ。
大抵は罪人を相手にしていたようだけど、剣士は何も罪をおかしてはいないのに、殺されそうになっていた。
だから、私が介入した。
王弟の魔術が暴発したように見せかけて、この島に剣士を引き込んだのだ。
満身創痍だったから、聖騎士にひどい傷を治してもらって、斬られた右腕以外の細かい傷は私が治した。
だけど、元から魔術師にいい印象を持っていなかったようだった。そこに、王弟に抵抗すると家族を殺すと脅され、無抵抗のまま殺されかけたことで、魔術師嫌いが悪化し、魔女である私も嫌っているのだ。
最近はリサが私の家に野菜を運んでくるので、ほぼ毎日、剣士と顔を合わせるけど、仏頂面が殺気を乗せてくる。
誰も助けてくれとは頼んでいなかったと言わんばかりに。
だから私は心の中で言い返してやるのだ。ここに来なければ、リサに会えなかったぞと。
「閣下が魔術が下手なのは知っているが……毎回来るように言われていた夜会で、そんなことが行われていたのか」
え? 素で下手だったわけ?
「それで俺を殺した王弟が次は何をしようとしているのだ?」
「いや、死んでないからね。あと何度も言うけど、この島から出られないからね」
まるで今からでも、王弟の首を取りに行こうとしているかのように、殺気立っている剣士に言う。魔女が手を出して死から救い出した者は、島に囚われてしまっているのだと。
「教主の魔女に呪われているという言葉は、一部の者たちにしか通達されなかったのだが、娘から聞いたようで、次の王位の簒奪に躍起になっているようだ」
簒奪か。次の王位は順番でいうと王太子だ。その王太子から王位を奪おうとしていると。
ん? でもその話になぜ、クロードが絡んでくるんだ? 関係ないと思うのだけど?
「名ばかりの魔術師団の統括長が王にか? それは国が滅ぶな」
「トウカツチョウ? なにそれ?」
剣士が言った名に覚えがなく、魔術師長本人に聞いてみた。
「魔術師団は三つの部隊で構成されている。一つは魔術師長が率いる攻撃部隊。一つは結界や回復などの防御、トラップなどを仕掛ける補助部隊。ここも魔術師長の管轄だ。最後に統括長が率いる特殊部隊と言いつつ私兵化している部隊だ。その三つの部隊をまとめているのが、魔術師団統括長だ」
……何それ? 魔術師長が全て管轄すればいいんじゃない?
「これは前任者の時からだな。各部隊に自分の手駒を入れているから、実質カルムオールレイ閣下のいいように動かされる魔術師団だ」
「え? 魔術師長の役目は?」
「閣下が面倒だと放り投げた書類関係の仕事と移動砲台の役目だな」
魔術師長とは名ばかりの雑務を押し付けられている! 王弟ということは、じじぃがいた頃からなのだろう。
それは魔術師長になることを勧めないな。
「それで第二王子と第三王子が貴殿のところを訪ねたのは、王弟の首を討ち取ろうという密談でもおこなわれたか?」
剣士よ。どれだけ王弟を殺したいのだ?
クルーセイム第二王子とヴァイレール第三王子は仲が悪いと噂に聞くから違うと思う。
「俺の執務室で密談は無理だぞ。閣下の娘が監視しているからな」
「は? クロードを監視する意味はないと思うけど?」
一応組織の中の人物になるじゃないか。そこを監視する意味は無い。王弟に対して敵意をクロードが持っているということか?
そうであれば、納得する。
「あれは絶対に監視だろう? 仕事中どこに行くのにも付きまとわれているぞ」
ストーカー! 王弟の娘にストーカー説が出てきた。
「あばずれの娘の方はどうでもいい。あの王弟を殺すのに共闘しようという話ではないのなら、第二王子と第三王子は何をしに貴殿のところに来たのだ?」
もう剣士からは王弟の殺意しか感じられない。
殺気をまとっている剣士の横ではリサが困ったような顔のまま固まっている。恐らくここまで機嫌の悪い剣士を見たことが無かったのだろう。
そんなリサに、魔術で淹れたリラックス効果のあるお茶を出す。浮遊してトレイに乗ったマグカップに、驚いたようだったけど、ニコリと笑みを浮かべて、受け取ってくれた。
「ありがとうございます。魔女様。ラクスに蹴りを入れて黙らせた方がよろしいかしら?」
「リサ。その足、ドラゴンも蹴り殺すことができるから、注意するように言われていたよね?」
「勿論、手加減はしますよ」
いい笑顔でリサは言った。リサの義足は偏屈と有名な魔工具技士が作った作品なので、その仕様も普通ではないのだ。
「……悪かった」
剣士は素直に謝る。いくら愛する妻だとしても蹴り殺されるのは嫌だよね。