第八話
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「と、いうわけで、お城の周りには、な、何もなかったよ……」
夕刻の時間帯、領主邸は香ばしい匂いに包まれていた。どうやらディナーの準備をしているらしく、調理場が賑わっているようだ。まあ、これだけ大きな館なんだから、働いている人たちのご飯を用意するとなると、数もすごそうだもんね。匂いに釣られて、わたしまでお腹が減ってきちゃうよ。
高級料理が漂わせる空気を鼻で楽しみながら、わたしは領主の娘・フィオーネに本日の結果を報告していた。
虚偽の報告をしているだけに、わたしの心臓はドキドキしっぱなし。マリアいわく、わたしってばわかりやすいらしいし、嘘がバレないかは心配だ。平常心平常心。
「そうでしたか……。勇者さまがご無事で何よりですわ」
フィオーネは嫌疑の眼差しはなしに、胸を撫で下ろしていた。
どうやら彼女は、わたしの力を見くびっているらしいね。わたしってば、どこからどうみても子どもらしいから、しかたないっちゃしかたないんだけど。どうせなら、実力を見せてわからせてあげたくもなる。
といっても、リリウェルたちのことを隠し通せるのならば、今はそれでいい。ボロが出る前におさらばしたいね。マリアも帰りが遅くて心配してるだろうし。
「わたしなら、魔物だろーが強盗だろーが、瞬殺できるから心配いらないよ。ああ、フィオーネさんも、個人的な依頼があればどんどん言ってよね。わたし、なんだってできるし!」
人見知りのわたしも勇者生活一ヶ月ほど経たお陰か、営業トークがだいぶ上手になったものだ。個人的な依頼、なんて言っちゃうと、女の子にモテモテのわたしは、デートのお誘いとかされちゃうかもしれない。丁重にお断りする練習もしておかないといけなさそうだ。
「頼もしいですわね……。では、お暇なときにはお庭の手入れでもお願いしようかしら」
庭の手入れ!? 勇者のわたしに、何をさせようっていうんだ。子どものお手伝いじゃないんだからさ。庭いじりなら、むしろマリアの領分だ。マリアと一緒になら、やってあげてもいいかもだけど。マリアが隣にいるんじゃ、仕事が手につかなくなりそう。
わたしは溜息をこらえる。もっともっと、魔物退治の成果をあげないことには、勇者としての実力を認めてもらえなさそうだよね。リリウェルたちだって、捕まえるわけにはいかないからなあ。
となると、魔族の国とやらに行って、両国の架け橋になれば、わたしはさらに英雄として見てもらえるかもしれないね。頑張らないと。
「あはは……庭の手入れは、また今度で……。というわけで、今日は帰るね」
「では、本日の報酬ですが……」
フィオーネは、まるで今日のお駄賃、とでも言うようなニュアンスで革袋を取り出した。中身は貨幣がこすれ合う、耳障りの良い音を奏でている。大金だ。お駄賃とかいう雰囲気ではない。
ただお城に行って、しかも何の成果も得られなかったというのに、お小遣い程度ならまだしも、大金を受け取れるわけがない。
わたしは慌てて両手を振って、後ずさった。
「いや、お金は結果が出てからでいいよ!」
「勇者さまは、たしか若くしてご結婚をなさっているとか。生活の足しにでもしてくださるといいですわ」
なんていい人なんだ!
結婚祝いというならば、受け取ってあげたくもなるけれど。やっぱり、引け目を感じちゃうよね。
「それこそ、庭の手入れの後にでもいただくよ……。しばらくは調査を続けるから、よろしくね」
「あっ、勇者さま!?」
わたしは逃げるように、フィオーネの館を飛び出した。
なんだかわたし、尻尾巻いてばっかりだな。勇者なのに、情けないよ。早く帰ってマリアに慰めてもらお。
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「ただいま、マリア。今日は仕事が大変で遅くなっちゃったよ……」
わたしは、労働に疲れた中年のようなげっそりとした声で自宅の扉を開けた。
肉体的な疲弊ではなく、精神面でやつれそうなほどくたくただったのだ。わたし、もしかしてメンタルよわよわなのかも。いじめられたとかでもないのに、今すぐベッドに転がり込みたいんだもん。
すると、リビングのほうから、ドタドタとけたたましい足音が鳴り響いてきた。マリア、わたしのことを相当待ちわびていたらしい。普段よりも幾分か、慌てて走っているようだ。それもそうか。いつもならば遅くとも昼下がりには帰っているのに、今日に限って言えば陽も落ちる頃合い。お仕事が始まって、初めてこんなに遅くなったからね。
「あなたっ、おかえりなさい! 帰りが遅くって心配したんですよ……。どこも怪我していないかしら……?」
マリアは、わたしを視界に収めるや否や、踵に射出器でもついているかのように飛びついてくる。そして、わたしの全身をくまなく触診してきた。
くすぐったいし、えっちな気分になっちゃうほどには、念入りに弄られた。だってマリア、わたしの胸はもちろんのこと、腰やら太ももの内側とかもベタベタ触れてくるんだもん。しかも本人は、至って真面目に怪我を探しているときたものだ。無自覚天然どすけべ女なのがマリアである。
「もー、マリア、心配性すぎ。わたしは勇者さまだからね、怪我なんてしないよ。マリアのほうこそ、ずっと一人で平気だった?」
マリアの気が済むまで身体を弄らせてから、わたしはやんわりと訊ねた。なんせマリア、わたしが留守していると、わたしの下着で一人えっちしちゃうくらいには寂しがり屋だ。一日中お留守番させていて、辛かっただろうな、って思う。暇潰しのお散歩くらいは、出歩かせてもいいのかなあ。でも、お外は危険がいっぱいだしなあ。
「ふふっ、エステルのほうこそ、心配性ですよね。私は……エステルと八時間も離れていて、寂しくて寂しくてしかたなかったですよ……」
マリアってば、時間を数えながらわたしを待ち続けていたらしい。愛が感じられるよね。わたし、やっぱりマリアが好きだ。顔とか、おっぱいとか、それ抜きにしても、マリアの大きな愛が、やっぱり好きなんだなあ。
「うん、ごめんね。今日は色々あって。マリアの寂しさ、いっぱい埋めてあげるから、許して?」
言って、わたしはマリアにキスをした。マリアはわたしよりも、背が高い。だから、わたしはいつも背伸びしてキスを贈る。マリアはその際、毎回屈んでくれて、わたしを受け入れてくれるのだ。もうね、以心伝心。どうすればお互いが、より深く絡み合えるか、言葉に出さないでもわかるのである。
長い長い口づけ。
キスの終わりを告げたのは、わたしのお腹が鳴らしたはしたない音だった。
わたしは照れ笑いしながら、マリアの唇から離れる。わたしたちのリップには、まるで、いつでも行き来ができる橋がかけられているかのように、唾液が伝っていた。
「エステル、たくさんお仕事してきたんですよね? ふふ。安心してください、エステルの大好きなシチュー、できていますからね」
「ほんと!? 領主さんのお家でいい匂い嗅いできちゃったから、お腹ぺこぺこだったんだよ。でもね、わたしはマリアのご飯が世界で一番好きだから!」
「まぁまぁ、エステルったら。いつも嬉しいこと言ってくれるんですから///」
マリアは頬を赤らめて、わたしの腕を引っ張ってリビングにまで連れ込んでくれる。ほんと、強引な娘だ。マリアは多分、早くご飯を食べて、早くえっちしたいんだろう。だって、わたしがそうだからね。考えていることは同じなはず。
本来ならば、ご飯にするかシャワーにするか、はたまたマリアにするか聞かれるのがふーふ生活の定番なはずだけど。わたしたちに関しては、マリアをいただくことは確定しているので、聞くまでもないのだ。お風呂だって、入らないでえっちすることも多い。マリアは汗も舐めてくれるからね。いいことずくめだ。
わたしはリビングのテーブル周りに着席して、マリアが夕飯のお皿を並べてくれるのを傍観していた。てきぱきと料理が並べられていく様は、もはやふーふ生活うん十年のようにもみえる。わたしたちは生涯、こういう暮らしを送っていくのだろう。例えそれが、魔族の国であろうとも、変わりはないはず。
食事の時間が始まって、わたしはマリアと隣り合ってシチューを口に運んでいた。向かい合って食べるときもあるけれど、基本、並んで食べることばかり。だって、肩が触れ合っているのも幸せだし、口元についた食べ残りを拭いてもらったり、舐めてもらったりもできるからね。距離が近いほうがお得なのである。
それで、いつものようにイチャイチャした雰囲気が流れ……。
話題は、今日の仕事についてに向かっていった。
「それでね……お城の地下に魔物がいたんだよ」
「まぁ……。エステル、本当にお怪我なかったんです?」
マリアは、魔物と聞くやいなや即座にわたしの太ももを撫で擦ってきた。口に含んだシチューが喉につっかえるかと思った。だってこんなの、触診じゃなくって、あからさまにセクハラまがいの手付きだし。でも、マリアは真剣に痛いところがないか探しているんだよなあ。
「マリアって、えっちだよね……」
「? いきなり、何を言い出すんですか。エステルったら、もうベッドに行きたいのかしら」
まだ料理は残っているのに、ってぼやきつつも、否定的ではないのだから、マリアのほうが絶対にえっちである。
わたしは彼女を宥めつつも、シチューの残りに取り掛かった。
「触り方がえっちだったの。ってゆーか、怪我どころか、戦いもなかったよ。だって、地下にいたの、女の子型の魔物だったし」
「女の子の?」
途端、マリアの穏やかな瞳は切れ味が増したような気がした。
すっと細められた双眸は、普段がたおやかなだけに、突然氷河期になったようにも思える。
マリア、女の子、ってワードを聞いただけで、わたしが浮気していないか見定めているのかもしれない。鼻も動いているし。匂いでも嗅ぎ分けているのだろうか。
「なっ、何もなかったって。マリア、何を疑っているんだよ」
「はっ。いえ、すみません。魔物で女の子、ってなると、悪い誘惑でもされたのではないかと不安になってしまって……」
マリアは無意識下での行動だったのか、正気に戻ったかのごとく、咳払いをしていた。
しかし。マリアの独白は、当たらずとも遠からずというか。誘惑はされてきたんだよなあ……。
あと一歩のところで、えっちになってしまった、とは言えるわけがないよね。
顔に出さないようにしないと……。
わたしはマリアのモノマネみたいに、咳払いをするはめになった。
「それでさ、その魔物がすごくってね。人間とほとんど変わらないんだよ!」
「あらあら、そうだったんですね。エステルは魔物さんとお友達にでもなってきたのです?」
わたしが今日の出来事を身振り手振りで具体的に伝えると、マリアは相槌をくれながら、にこやかに話を聞いてくれる。マリアってば、本当に話の内容を理解できているのかな。おっとりとしすぎているせいで、たまにマリアの考えが読めない。以心伝心とは思っているけれど、相手のことがわからないことだってあるよ。
「まあ、たしかに仲良くはなったね。それでね、魔族の国、ってところがあるんだって。そこだとね、女の子同士の結婚が普通でね、しゃかいほしょー? もしっかりしているんだってさ!」
「あらあら、エステルったら。そんなに興奮しちゃって、可愛いんですから」
笑みを崩さないマリアは、今にも頭を撫でてきそうだ。食事中なので、スプーンを置いてまでして撫でてくることはなかったけれど。
しかし、だ。マリア、わたしの話、まるで絵本の内容でも聞かされているみたいな反応である。
ま、しかたないか。だって、おとぎ話だと思われても不思議じゃないしなあ。
「それでね。魔族の国を見学してみないかって誘われたの。勇者のわたしならば、歓迎してくれるっていうから。でもでも、すごい遠い場所にあるらしくって、マリアも旅行がてら一緒に行ってみるのはどうかな、って思って」
わたしは辛抱強くマリアに説明を続けた。本気なんだぞ、って目で訴え続けてみるが、マリアのおっとりとした表情に変化は訪れなかった。
「エステルと旅行♪ いいですね、私なら、いつでもご一緒しますよ♡」
くっ、マリア、事の重大さ、わかってるのか? 彼女は、両手を合わせて嬉しげにはにかんでいる。旅行という単語しか聞き取れていないんじゃないのかな? わたし、不安でたまらないよ……。
「あのね、マリア。わたしが誘っているのは、魔族の国だよ? もしかしたら、危険もあるかもしれないからさ。マリア、怖くないの? それとも、嘘だと思ってる?」
溜息混じりに聞いてみると、マリアは瞳の優しさを些かも失わずに、小首を傾げる。うーん。マリアの顔をじろじろと見つめているけれど、どの角度でも美人だから困る。顔を見ているだけでムラムラしちゃうし、好きって気持ちが高まっちゃうよね。うんうん。
「エステルは、勇者さまですから。私たちの身に危ないことなんて、何もないですよね?」
そうか。マリアに恐れというものがないのは、わたしの強さを心の底から信頼しているからなんだ。ああ、マリア、好きだ!
ま、信頼っていっても、女の子との浮気に関しては、けっこう疑り深いけどね。それもこれも、酒場に通っていたせいだろうけれど。
「ま、まあ、そうだけどね。マリアのことは絶対に守るから、そこは安心していいよ。マリアに触っていいのは、わたしだけなんだから」
「うふふ、エステルったら、小さい頃からそればっかりですね。一生、守ってくださいね、あなた♡」
「うん、任せてよ!」
結局は、イチャイチャな方向に誘導されていってしまうのだ。わたしたちは食事中にもかかわらず、ちゅーをしてしまっていた。口移ししている気分になる。
「それでさ。明日、その魔族の子に会いに行ってみる? 出発の日時とか決めたいし。あ、でも、気をつけてよね。身体触ってくるかもしれないし」
「あら、それは構いませんけれど……。どうして、身体を触ってくるって……。あ、エステル、もしかして色々触られたんですか?」
マリアは唐突に頭の回転が素早くなったのか、わたしを不安げに見つめてきた。いつもはおっとりのくせに、わたしに何かがあったかもしれないと危惧したときのマリアは、急変化する。そこも、マリアのいいところだけどね。
「さ、触られてないよ! ちゃんと拒否したの! 偉いでしょ」
「エステル、また嘘ついてます?」
マリアは、まるで裁判官にでもなったかのような、厳粛な目つきだった。
わたしは背筋に脂汗が走り、無意味に座り直して姿勢を正してしまう。お説教をされているわけでもないのに、気分は叱られているつもりになってしまった。
けど! けど! わたしだって、悪いことをしたわけではない。ただ、ちょっと、リリとえっちしそうになっちゃったなあ、って罪悪感があるだけだ。
「嘘ついてない! 触られようとしたけど、きちんと拒否したの! 偉いでしょ!? 相手の子は、いきなり脱ぎだしてきて大変だったんだから!」
だから、わたしは真っ直ぐに気持ちをぶつけた。最初は断ろうとしていたのは事実だし、無理矢理迫られても、頑張ってマリアを想って、リリを退けようとしていたのも本当のこと。ただ、リリウェルがそれを無視して誘惑してきたわけで……でも、でも。わたしだって限界まで踏ん張っていたし。うん。やっぱり、どう考えてもわたしは悪くなかったや。
「まあ、そうだったんですね。エステル、可愛いですから……迫られちゃうのも無理はないですよね。でも、いけない魔族の子ですね、その子ったら」
マリア、表情は穏やかに戻ったけれど、不安げな吐息をついている。
明日、リリと会わせて平気だろうか? マリアは温厚だから、さすがに取っ組み合いとかはしないだろうけど。手を出すマリアなんて見たことはないからね。見たくもないし。マリアは優しいからこそ、マリアなんだ。
「うーん、まあ悪い子ではないと思うけどね……。結局は、えっちなことにはならなかったし」
「じゃあ、明日は魔族さんとお話できるんですね。エステルの可愛さについて、語れるかもしれませんね」
よかった、やっぱりマリアは優しいや。彼女は、すでに明日のことを楽しみにしているのか、上機嫌に食事の残りに取り掛かっていた。
マリアならば、リリとは仲良くなれそうだよね。仲良くなりすぎても困っちゃうけど。相手はえっちだし。やっぱり、わたしが常にマリアを保護してあげないといけなさそうだ。
「後ね、危険ではないんだけど、ハーピーっていう魔物も一緒にいたよ。全然攻撃的じゃないけれど、驚かないようにね」
「あらあら、明日は貴重な体験がいっぱいできそうですね」
マリアは何を聞いても驚嘆することがないのだから、ある意味すごい神経の持ち主だ。彼女が驚倒するのなんて、虫くらいだけじゃなかろうか。
明日の予定を決め終えたわたしたちは、以後、何も憂うことはなく、イチャイチャとした空気で過ごした。えっちもいっぱいした。
そして、えっちで疲れた二人は、快眠を貪れるのだ。いつものわたしたちの在り方である。