第四話
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「ねぇ~、マリア、まだー?」
わたしは唇を尖らせ、マリアのシャツの裾を引っ張っていた。
場所は、自宅のリビング。お昼前の、ぽかぽかとした時間帯だ。
「もうちょっと待ってください、あなた」
「さっきから、そればっかり。暇だよーマリアー」
わたしが駄々をこねると、マリアはゆっくりと振り返り、困ったように眉根を寄せた。でも、彼女は完全に困り果てたというわけではなく、泣き喚く赤子を見守るかのように、穏やかな目つきだ。わたし、完全に子ども扱い。
それもそうだ。
だって、マリアは今、家のお掃除の最中。その間、わたしのことを構ってくれないので、文句をつけ始めたのがこの状況だった。
でも、しかたないじゃん!
マリアってば、もう10分以上、お掃除してるし。わたしが傍にいるのに、ずっと床を掃いたりしているんだもん、鬱憤も溜まるってもんでしょ。うちは新居だし、汚れなんて、そんなにないのにね。
とはいえ。マリアは綺麗好きだし、もとから実家では家事をそつなくこなしていた。なので、主婦の本領を発揮するのがマリアなのだ。いいお嫁さんをもらったよね、わたしって。ほんとに。
まあ。そもそも、この構って攻撃は、わたしの小さい頃からの得意技。マリアは慣れた様相で躱してしまうのである。
「あなたったら、いつも10分も待てなくって、可愛いんですから♡ はいはい、後は掃いたらお掃除終わりですからね~」
いつものように猫撫で声で、赤ちゃんをあやしているかのように語りかけてくる。
頭ではわかってはいるんだけど……お掃除を優先されて悔しい!
マリアに、「エステルもお掃除を手伝ってください」、って突っ込まれたら反論できないんだけど。でもね、マリアは女神さまよりも女神しているので、わたしに家事はおしつけないのである。といっても。わたしだってマリアと一緒にお料理するのはけっこう好きだ。お掃除は面倒なだけなのでご遠慮願いたいけれどね。けれど、本当に忙しそうなときには、しっかり手伝うよ。その辺はわきまえてます。
わたしは考え込む。どうにかして、マリアに構ってもらえないか、って。
極度の構ってちゃんをこじらせるわたしだけど、マリアだってそれが嫌ではなく、むしろマリアのことだから、わたしに構ってもらえるように、わざとお掃除を念入りにしているまである。
だからわたしは、すすすっ、と忍び足でマリアの背後にすり寄った。
「マーリア♡ 今日もいい匂いだね♡」
「あっ、あなたぁ、ダメです♡」
わたしはマリアを後ろからハグして、うなじに顔を埋めて、深呼吸したのだ。
マリアに構ってもらうには、これが一番。肌と肌を合わせるのは非常に効果的である。
しかし彼女は、なかなかに強情で、まるで食べ残しを泣く泣く捨てるような後ろめたい表情で、わたしから距離を置こうとしていた。
「何がダメなの? さっきもしたばっかりだから、汗の匂いけっこうしてるよ、マリア。とっても強くていい匂い」
「い、いけません。今はお掃除中ですっ。それに、そんなに立て続けにえっちなんて、できません……。この後、お買い物デートもあるんですから」
起き抜けでたくさんえっちしたからか、いつもより誘惑がきかないな。
マリアはぎこちない動きで、掃き掃除を再開させた。
わたしは、次の一手を思いつく。
マリアに後ろから引っ付いたままのわたしは、右手をもぞもぞと蠢かせ、エプロンの下にするりと侵入させた。誰がどう見ても、いやらしい手つきでシャツの裾近辺を念入りに弄る。
「あっ、あなた、何をしてるんですかっ!?」
途端に、マリアの焦りに満ちた叫びが飛んできた。
わたしはほくそ笑む。想像通りのリアクションをしてくれたのだから。わたしに構ってくれないとこうなるんだぞ、ってわからせてあげないとね。
「あはは、気にしないでお掃除を続けてていいよ。わたしは勝手にマリアを楽しむからさ」
「エステルに触られたら、お掃除に集中できません。もっと、じっとしていてください……って、んんっ……♡」
マリアが色っぽい声をあげる。なぜなら、わたしの手はマリアのシャツの中に滑り込み、彼女のとてつもなく巨大な乳房を揉み始めたのだから。
マリアはえっちの後ということもあってか、下着を着用していない。なので、思う存分、もちもちふわふわっとしたおっぱいを堪能することができた。たまんない。
「ほらほら、マリア、手が止まっているよ。早くお掃除終わらせてくれないと、ずっとおっぱい揉んじゃうからね」
「エステルったら、本当におっぱいが好きなんですから……。でも……今はダメです……もうちょっと待ってて……んっ♡」
マリアは、わたしがおっぱいを揉むたびに身体を硬直させ、腰をくねらせる。
かといって、掃除のためだから、とわたしを突き飛ばせないのも、マリアなのだ。わたしにされるがままを選択するしかないのだった。
わたしに構ってくれないからこうなっちゃうんだぞ、って戒めるように、おっぱいを触りまくる。
しばらくの間マリアを好き放題にしていると、彼女がもじもじと内股になるのを、わたしは見逃さなかった。
「どーしたの、マリア。お股がせつなそうにしているじゃん。じゃ、お掃除終わらせたらご褒美あげるから、欲しかったら早く済ませてよね」
立場を逆転させるべく、マリアの耳元に囁いてみる。耳たぶまで赤くしているマリアの内面なんて、算数のテストよりも簡単だ。きっと、マリアはわたしを欲しがっている。
主導権は握れたみたいだね、満足満足。
「もう、エステルったら……。お買い物遅くなっても、知りませんからね……? エステルがいけないんですからね」
するとマリアは、何か覚悟を決めたのか、意外なほど力強く振り返ってきた。
強固な意思を携えた瞳は、激情の炎が灯っている。わたしに発情している双眸だ。
やりすぎてしまったのかもしれない。
わたしたちは今日、お買い物デートできるのだろうか。一抹の不安はあったけれど、欲望に身を任せるのも、わたしたちの日常だった。
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結局、隣町に出かけたのは夕刻になってからだった。
二人でシャワーを浴びて、汗を流したあとの、石鹸の匂いを漂わせたわたしたちは、マーケットで食材を眺めているところだ。
夕飯時が近いこともあってか、食品売り場には女性客が多く集っていた。
その全員が、わたしたちを視界に収めては、頬に手を当てて感嘆の吐息をついている。
……わたしは、まがりなりにも勇者。田舎という狭い界隈では有名人なのである。
そして勇者さまには、女の子の恋人――ううん、お嫁さんがいる、ってことも周知の事実だった。
なので、勇者カップルが本当に女の子同士であることを認められ、黄色い歓声が沸き起こるのである。最初の頃は、マリアは人目にさらされることに怯えてもいたが、今では慣れてきた様子。わたしと恋人繋ぎで手を握りながら、夕飯の食材を真剣に選んでいる。
マリアも、かなり主婦らしくなってきていた。家庭を持っている女性の目をしているのだから、周囲の奥様方と比べても違和感はない。
毎日、特売品を探し出したり、新鮮なお野菜を選別してきた結果、主婦としてレベルアップしていったのだろう。時間帯によっては食品売り場なんて、戦場みたいなもんだしね。
「エステル、今日のお夕飯は何がいいです?」
「今日はカレーがいい!」
「はいはい、エステルの好きな玉ねぎたっぷりのやつにしましょうね♡」
マリアはいつだってそうだ。食事は、わたしの好みに絶対に合わせてくれる。だから、たまにはマリアの好きなもの食べなよ、って促すんだけど、マリアの好みは長年の生活をともにしてきた結果か、わたしと似通っている。
マリアの好みが、大人が嗜むビターなものじゃなくてよかったよ。好きなものが同じ、っていうのは感覚を共有しているみたいに感じて、嬉しくなるからね。
マリアは玉ねぎの山をじっくりと眺めては、一つ一つ手に持って観察している。
普段はぼんやりとしているマリアにしては珍しい、突き刺すような眼差しだ。そのギャップに、胸がきゅんとする。わたしだって乙女だしね、愛する人のキリッとした佇まいには、心臓がドキドキするものだよ。
だからわたしは、愛する奥さんがお尻を突き出して玉ねぎを選定しているのを見て、ムラムラとしてしまうのだった。
ロングスカートの上からでもはっきりと窺える、なだらかな曲線をした、ふっくらとしたお尻を鷲掴みしてみる。
「ひゃっ!? え、エステル!? なにするんですか!」
マリアは、周囲の主婦が振り向くくらいの大きな声で驚いていた。
毎日身体を触っているお陰で、反応も良くなっている。わたしはいたずらが成功した童女のように、へへへ、って笑ってみせた。
「ねね、マリア。おっぱい揉みたくなっちゃった」
マリアに、こっそり耳打ちで伝える。
すると、愛しい我が奥さんは、周囲に聞かれたわけでもないのに大げさに首を左右に巡らせ、慌てていた。
「こ、こらっ、エステル。こんなところで何を言い出すんですか」
「えー、だって、マリアの隣にいるといい匂いするし、触りたくなっちゃうんだよ。ね、いいでしょ、ちょっとだけ」
「お家まで我慢してくださいっ。こんなに人がいる場所で、無理に決まっていますっ」
マリアは汗を飛ばしそうなほど焦慮して、わざとらしく、ぷいっと顔を反らして玉ねぎに注意を向ける。が、集中できていないのは一目瞭然。玉ねぎを取っ替え引っ替えしてはいるものの、選別できるような精神状態ではないらしい。強がっちゃって、マリアってほんと綺麗だけど、可愛いなあ。
「えー、いいじゃんいいじゃん。女の子しかいないしさ、おっぱい揉むくらい大丈夫だから。いいでしょ?」
わたしは、いつものように駄々をこねる。こうすると、マリアは渋々ながら頷いてくれるのを知っているからだ。
けれどマリアにも譲れないものはあるのか、わたしに目を合わせようともせずに、首を横に振って拒否を示す。
「もうっ……。困らせないでください、エステル。今日はあんなにたくさんしたのに、エステルったら元気いっぱいなんですから」
「だってしょうがないじゃん。マリアのこと、いくらでも欲しくなるし」
「そ、そういうこと、大声で言わないでくださいっ///」
そう言いつつも、頬を緩めちゃって、口元を綻ばせているマリア。こんなの、おっぱいを揉みたくなるに決まっているじゃんか。
「ねー、おっぱい揉みたいっ! 揉みたい揉みたい揉みたいっ!」
「ああっ、もう、泣かないでくださいっ、エステル。困ったわ、どうしたらいいのかしら……」
わたしの嘘泣きに、マリアはおろおろと狼狽える。まあ、嘘泣きなのはバレバレだとは思うけど。でもね、おっぱいを揉みたい、っていう強固な意志は本気だから、マリアも困っちゃっているのだろう。
「エステル……? こ、ここではさすがにまずいですから。おトイレでも探して、そこで、ね……?」
マリアの妥協案、えっちすぎ!
人気のない場所でなら、何をしてもいいってことだよね?
わたしたちのひそひそ話は、周りの女の子たちも興味深げに聞き耳を立てている。けれど、さすがに、おっぱいを揉むための計画を話し合ってるとは思わないことだろう。
マリアと愛し合うようになってからは、毎日が楽しくってしょうがないよ。
15歳にして、人生の変化に感動するわたしだった。
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マリアが食材を選んで、わたしが荷物を持つ。そして、空いた手ではマリアとしっかり握り合って帰宅する。
これもまた、日常なんだけど。でもね、お買い物行って帰って、っていうのは、わたしが勇者になる前からもそうだった。頻度は高くなかったし、以前の貧弱だったわたしには荷物を全部持つ、っていう芸当はできなかったけどね。
だけど"ふーふ"としてお買い物するのって、昔よりも遥かに幸せだった。片思いしていたときとはまるっきり別物。――ううん、実際は両想いだったんだけど、お互いすれ違っていて、片思いだと思い込んでただけだったんだよね。
周りに人家が存在しない、ひっそりとした我が家に帰還する頃、空は黒と赤のグラデーションに染まっていた。
今からカレーを仕込むのだから、夕飯はちょっとばかり遅くなりそうだ。
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「――あのね、エステル」
夕飯を終えて、お風呂を済ませて、ベッドでの情事を終えて。
翌日に備えようと眠りに落ちる直前になって、マリアがいつになく真剣な声音で聞いてきた。
「どうしたの、マリア」
わたしはもう瞼が落ちる寸前。お互い全裸で、愛する人と肌と肌が合わさった温もり感満載のお布団の中は、安眠効果が絶大に感じるのだ。
「あのね。そろそろ、私とエステルの赤ちゃんがデキてしまってもおかしくないと思うんです」
「……は?」
唐突に、わけのわからないことを口走るマリア。わたしの眠気も、大砲を放たれたみたいに吹っ飛んでしまった。
が、マリアは、わたしが目を丸くしていることなど気にも留めず、いたって真面目な面差しで語り続ける。
「だって、エステルと毎日ちゅーとかえっちしているんですもの。だから、もし……授かってしまったら、赤ちゃんの名前をどうしようかな、って毎日考えていたんです」
わたしはベッドから転げ落ちそうになりながらも、突っ込みを入れることができなかった。
だって、マリア、本当にその未来を切望している目をしているんだもん。
わたしたちは女の子同士だから、えっちしても赤ちゃんなんてできないよ、って教えてあげることができなかった。ってゆーか、マリア、わたしより8つも歳上なのに、生殖関連のお勉強してなかったのかよ。まあ、そこがまた、マリアらしいけれどもさ……。
「それでですね、エステルの"エ"と、マリアの"ア"がついた、"エレア"、っていう名前はどうでしょうか? エレノアとかも、可愛いですよね、あなた♡ あなたは、どんな名前がいいです?」
弾むような声でウキウキと尋ねられるのだから、わたしの乾いた笑い声は心の中だけに抑え込んだ。マリアを失望させたくない。
「え、エレアが、いいと思うよ……」
「じゃあ、私たちの赤ちゃんができたら、名前はエレアですね♡」
感極まった様子のマリアに、抱きつかれてしまう。このままもう一戦、始めてしまいそうな空気すらある。
んー、でも……。わたしって、勇者になったんだし。女の子同士でも、子ども作れたらいいのになあ。
もし、女神さまとお話できる機会があったら、相談してみようかな……。
っていやいや。わたし、まだ15歳なのに、何を考えているんだろ……。人の親になっていい年齢じゃないよね。性格だって、お子様だし。
でもね、マリアを幸せにするためならば、わたしはどんな願いでも頼み込めるだろう。それに、子育てを経験すれば、精神年齢だって成熟するかもだし……。
どうすれば、女神さまに会えるかな? 勇者としての異能を授けてくれた女神さまなら、女の子同士で子どもを作れる能力だってくれるかもしれないし。
わたし、勇者なのになんにも知らない……。現状に、不満さえ募らせてしまう。
その日から、勇者とはなんなのかを毎日考えてしまうようになった。