第二十七話
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第五章 魔族の国
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「うぅっ、すでにもう寒いんだけど。マリア、大丈夫?」
わたしは歯をカチカチと鳴らし、分厚い手袋に包まれた両手を擦り合わせていた。
隣に並ぶマリアも、ファーつきのコートを着込み、フードを被って防寒対策はばっちり。わたしと腕を絡めていた。体温も共有しているように感じる。
吐く息は白い。
周りには殺風景な剥き出しの崖がずらっと並んでいて、左の眼下には、真っ白の森が一面に映る。
わたしたちはトリトーネを北上し、山を渡っている最中だった。
山頂あたりから気温が急激に落ち込み、トリトーネとは反対方面の大地へ下っていくと、雪景色に包まれていったのだ。
天候は吹雪いているわけじゃなくって、むしろ晴れ渡っているのだが、寒さは相当なものだ。まだ暖かい季節で助かった。冬だったら凍死しかねない。まあ勇者のわたしが炎をいくらでも操れるから、誰も死にはしないだろうけど。
右隣にいる聖女さまも気候には抗えないのか、寒気を耐え忍ぶような辛い表情をしている。寒がりなのかもしれない。聖女さまはローブの上に厚手のコートを羽織り、ただでさえ隠れている肌がまったく覗けなかった。
「私はエステルで暖を取っていますから、これくらいなら平気です。ロゼリアさんも、エステルにくっつくとあったかいですよ♡」
マリアは、聖女さまとすっかり仲良し。特に嫉妬心とかも湧かないようなので、わたしのことをたびたび差し出していた。
聖女さまもわたしに関しては遠慮をしないようで、わたしは左腕にマリア、右腕に聖女さまを抱く格好となる。思い描いていた両手に華だ。
嫁公認だというのなら、わたしだって気負う必要はないし。ニヤニヤとしながら、ハーレム気分を満喫してしまう。まあ、さすがに、わたしとマリアのえっちには、聖女さまをお呼びしたことはないけどね。お風呂はたくさんともにしたけど。
「おほんっ!」
が、わたしのハッピーを打ち砕くかのような、どす黒い咳払いが背中に飛んできた。
ついでに、わたしは前につんのめる。足蹴にされたようだ。
「いったいなぁ、何すんだよ、リリ!」
こんなことするのなんて、魔族少女リリウェルしかいない。
わたしが仏頂面で振り向くと、わたしよりも更に顔をしかめさせている女の子がそこにいた。
黒のコートに身を包んだリリは、彼女もまた両隣に女の子がいて、華々しく映るのだけど。全然嬉しくなさそうである。
右の色白美少女アイシャは白のシャツとかいう、とんでもない薄着で雪山に挑んでいる。が、彼女いわく、全然寒くないそうだ。なんせアイシャはドラゴンの女の子。ある程度の気温差には耐性があるらしい。
左のボーイッシュな女の子は騎士の姫レーネ。彼女は分厚い鎧にマントをはためかせているけれど、それだけでは防寒対策は乏しいようだ。彼女の震えによって、鎧がガチャガチャとやかましい音を立てていた。まるでレーネの性格を表すかのような騒がしさである。
「この抜け駆けものめ! 素敵なお姉さんたちを独り占めするなんて、見損なったわよ勇者ちゃん!」
このやり取り、何度繰り返すんだよ。
リリの嫉妬が深すぎて困っちゃうよね。しかも、リリにとっての逆風もあって。聖女さま、リリにそこまで個人的興味がないのか、簡単にあしらっちゃう節があるのだ。そこがまた、リリの妬みを買う要員となっていた。
が。それが数日も続くと諦めもつくものなのか、リリも聖女さまには妄執はしなくなったのだが。かわりに、わたしへの当たりが強いのである。まあ、半分冗談じみてはいるんだけど。もう半分が本気なのが、困りどころだ。
「わ、わ、わわ、わたしはマリア一筋だし、そういうつもりじゃないって言ってるじゃん。ってゆーか、リリだって、いろんな女の子とっかえひっかえしてるんだし、自業自得でしょ!」
トリトーネを出発する際、何人もの女の子に見送られていたのがリリである。手が早すぎる。
しかも、それでも女の子に満足できずに聖女さまを狙っていたというのだから、欲が深すぎるってもんだ。
「勇者ちゃんも、この調子じゃあたしと似た風になるわね。魔族の国なんて、誘惑してくる女の子いっぱいなんだから。意志ヨワヨワ勇者ちゃん、浮気ものになっちゃうよ? どうするマリアちゃん?」
リリってば、わたしを脅すことで溜飲が下がるのか、ひとまずは満足そうに頷いている。
「そこは、ちょっと不安ですね。エステルってば、可愛い女の子を見ると、すぐ目で追っちゃうし。ほいほい付いていきそうになってますから。でもね、今まで我慢できていたので、きっと大丈夫ですよ。ロゼリアさんも、一緒に見張っててくれますし」
マリアってば、わたしを信用しているのかいないのか、どっちなんだ。
もしもお目付け役がいなかったとしたら、浮気しちゃうとでも思っているのかな。甚だ遺憾である。
「勇者さまは奥さまがいるのに、女性には目が無いのですね。あ……だから、あのときも……」
聖女さまが、あのとき、といって目を細める。
わたしは、ドキッとした。
おそらく彼女が言っているのは、大浴場での出来事。わたしが、聖女さまのおっぱいにかぶりつき、関係性が変化したあの日のことだろう。
リリたちどころか、マリアも知らない事実。
「あのとき?」
だから、マリアはすぐに食いついた。
わたしが隠し事をしていると知って、目つきを鋭くしている。普段はたおやかなのに、この急変っぷりだ。マリアってば、わたしに関しては感情の起伏が激しすぎるよ。
「あ、ああっ、いえ……。勇者さま、お風呂のとき、裸をじっくり見ていたな、って思いまして……」
さすがの聖女さまも、おっぱいを吸われちゃいました、とは口が裂けても言えないのか、うまくはぐらかしていた。
ううむ。とはいえ、やはり聖女さまも、わたしの視線には気づいていたか。
でもしかたないんだよね。マリアの複製かと思うような爆乳おっぱいなんだもん。ガン見しちゃうってば。顔も美人だし。優しいし。匂いだって最高。
いや、だけど、マリアのほうが全部上回っていると思ってるけどね!
それはほんと!
「そうですよね……。エステル、おっぱいが大好きですもんね……。私のおっぱいだけでは物足りないのかしら……?」
マリアの憂いを含んだ吐息が、白いモヤとなって宙を舞う。まるで、マリアの憂慮が具現化したかのようである。やばいやばい、マリアを励まさないと!
「確かに聖女さまもおっぱいは大きいけど。マリアのおっぱいがあれば、わたしはいーよ! 変な心配しないでよね、もう」
おっぱいという単語が飛び交い、聖女さまは顔を染めている。冷気で鼻が赤くなっているのとはわけが違い、湯気をあげそうな頬の上気っぷりだ。
そしてわたしたちのやり取りを聞いて、アイシャはポケットからメモ帳を取り出して何やら書き込んでいる。
女の子同士の関係性に興味津々なアイシャは、たびたびこういった行動に出ることがあった。何をメモしているのかは、見せてもらったことがない。はたして、わたしたちを観察して、何か学べているのだろうか。親心ってわけじゃあないけれど、気にはなるよね。
おっぱい論を語り終えると、先の様子を覗いてきたハーピーが上空から戻ってきた。
ハーピーは翼があって体毛も人間よりは濃いけれど、それでもセーターのような厚い衣類を纏っている。とはいえ、寒そうに見えないのは、服のおかげというよりかは、冷気に耐性があるからだろう。
「人間どころか生き物も見つからなかったよ~。魔物もいないし安全にテント張れると思う」
ハーピーの報告に、わたしたちは一様に頷く。
トリトーネを出発した際に、次の人里が遠いというのは織り込み済み。なので、食料やら何やら、買い込んでおいたので困っているわけではない。
が、念の為、それ以外の懸念点である魔物がいないのか、ハーピーが見回ってきてくれたのだ。
わたしが、トリトーネに魔物をおびき寄せてしまった、っていう経緯もあるしね……。
魔族領に近づいているからか、野生の魔物も凶暴度は高いらしいし。警戒するに越したことはない。
といっても、勇者のわたしに加えて、ドラゴンのアイシャと騎士のレーネ、それから聖女さまもいるし、何が出てこようと怖いものはない。
わたしが怖いものといえば、マリアに怒られることくらいなものだ。
当然、浮気をしているわけではないので、マリアに叱られることもなく、平穏にテントの中で過ごせるのだった。
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それから何日か経過すると、人間領最北端と噂の集落に到着する。
人類側は魔族の国が現存しているのなんて知らないから、この集落より先は未開の地、ということになっている。
雪に埋もれた街並みは、トリトーネと比べると大幅にひっそりとしていた。人口比でいえば、どれだけ差があるのかもわからない。
日差しはまあまあ強く、雪を反射させて目が痛くなるほどだ。が、建物に積もった雪からもわかる通り、天候が崩れると、吹雪くこともあるらしい。
この集落には宿といった宿泊施設はなかったけれど、そこに住む人々は、よそ者でも歓迎するような振る舞いをしてくれた。
といっても、わたしたちは割と大所帯。長く居座るつもりもないので、集落の入り口にて、住人たちから話を窺うにとどめている。
「西の洞窟に行くのかい? 今はやめたほうがいいよ」
わたしたちが行き先を告げると、村の物知りおばあちゃん的な人が、忠告をくれた。
わたしは、リリに目で疑問を投げかける。
だって、彼女いわく、その洞窟とやらを抜けないことには魔族の国へ行けないらしいのだ。で、洞窟はかつて人間が通ったこともない上に、遺跡レベルの深いモノなんだけど、別に危険はないらしい。
ではどうして、おばあちゃんは警告をくれたのだろうか。
リリも不思議そうな顔でおばあちゃんの続きを待った。
「昨年あたりからね、洞窟に魔女が出るんだよ。村の子たちも、何人かが帰ってこなくてねぇ……。けれど、魔女は洞窟からは出てこないから、近寄らなければいいんだけど……怖いったらないのよねぇ」
住人にとって、魔女とやらはよほどの驚異なのか、全員顔を蒼白にしている。
話によると、命からがら逃げてきた人間の証言によって、魔女の存在が確立したらしい。追い払おうと向かった人も何人かいたようだが、ことごとく返り討ちにあったとか。騎士団に要請しようにも、最果ての地すぎて、連絡が難しかったようだ。
ひとまず情報を集め終え、食料も入手したわたしたちは、集落の外に出て、テントを張っていたレーネたちと合流をした。
「う~ん。魔女、ねぇ。どう思う、サフラン?」
火を焚いて、熱いコーヒーを飲みながら、全員で会議をする。
リリも、洞窟に魔女が住んでいるなんて話は聞いたことがないらしく、ハーピーに尋ねていた。少なくとも、数年ほど前にリリが通ったときには、そんな女、住み着いていなかったらしいのだ。
突如として現れた魔女。そして、人々を襲っている現実。相手は何者なのだろうか。
ハーピーも心当たりはないらしくって、無言で首を横に振るっている。
「民が困っているのなら、魔女とやらと話し合う必要はありそうだね!」
そこに、焚き火と同化したかのような熱意を伴って立ち上がったのは、レーネだった。
いきなり魔女を討伐する、なんて言い出さなかったのは、成長が見られる。なんせレーネ、はじめてアイシャと出会ったときは、唐突に襲いかかっていたしね。
魔女だって、なんらかの理由で人と敵対しているのかもしれない、と思ったのだろう。
「話ができればいいけどね……」
「ボクはできると思ってるよ。だって、人里にまで降りてこないってことは、縄張りに入ってきたから襲っているってことさ。それに、逃げることができた人もいるってことは、追いかけてはこないってことだし、そこまで凶暴じゃないはず!」
相変わらず熱血じみてるなあ。レーネは握り拳を作って、瞳もギラギラと輝かせている。今すぐ洞窟に突っ走っていきそうだ。
「魔女といえば……古来より、若い女性から生気を吸い取って若さを保つ……という言い伝えがありますわね。わたくしたちは女性しかいませんし……ちょっと、気を引き締めてもいいかもしれませんね」
聖女さまが、持ち前の知識を披露する。すると、レーネも、顔の締りをよくしていた。さすがに、生気を吸われるのは嫌みたいだ。
魔女、か。
本当にいるとして、戦いたくはないなあ。
相手が悪いヤツだったとしても、女の人に暴力は振るいたくないからなあ。穏便に済ませられることを祈ろう……。




